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第40話 影の向こうに見えるもの

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 翌朝、扉の外に控えていた近衛兵から報告を受けたロスカの臣下は頭を抱えた。
ああ、恐れていた事が、と。二人いた近衛兵のうち一人は報告を拒んだ。過去に炎帝が長男との揉め事を別の臣下に報告した者が、後に炎帝に殺されてしまったのだ。しかし、報告した近衛兵はフレイアと馬で遊んだ彼だったのだ。
 
『今の陛下は殺さない。多分。それよりお妃様に何かある方が恐ろしい』
 
 近衛兵の報告に臣下は感謝し、侍女長にフレイアを部屋に呼ぶよう連絡した。
それから間も無く、泣き腫らした瞳を携えた彼女は臣下の部屋にやってきた。
 
「ああ、フレイア様。よくお越しになさいました」
 
 いつもならもっと、たおやかなにんじん色の髪は今日は何だか萎れて見えた。
無理もないだろう、ロスカが部屋を出て行った後彼女はずっと泣いていたのだから。眠るにも眠れず、辛い夜を過ごしたのだ。
 
「さ、こちらにお掛けなさって下さい。アングレテ王国の紅茶です。視察に行っている外交官が贈ってくれたのですよ。ジャムはフォンセーズ共和国からです。あなたのお父様の船に乗ってやってきたものです」
 
 まあ、とフレイアは驚いた。
キャンドルの商売以外にジャムも始めたのだろうか。彼女は家を思い出しては、少し胸が痛んだ。
 
「紙とペンをお使いですな。ロスカ様が、いつもそうやって会話してると教えてくれました」
 
 そうでしょう、と目の前に差し出された紙とペンを見る。
 
「・・・一番の馬乗りの近衛兵が報告してくれたのです。お二人が昨夜激しく揉めたと。フレイア様は声が出ませんから、一方的な揉め事に聞こえたようで、近衛兵は酷く焦っていました。勿論、私も。目は腫れているようですが、ひとまずお元気で良かったです」
 
 一番の馬乗りの近衛兵。彼が外に居たのか。
ロスカを恐れてどこかに行ってしまったのも頷ける、と今になってフレイアは実感した。それでも、護衛を続けてくれたのは彼なりの強い責任感だと言う。
 
「良い近衛兵が城にはおりますな」
 
 丸い眼鏡をずらしながら、彼女を見つめる臣下の瞳は少し戯けている。
その言葉にフレイアは口角をあげた。これから騒動の顛末を彼に告げなくてはいけないのか、と彼女は気が重くなった。
しかし、臣下は最後まで彼女に尋ねなかった。
 
「ロスカ様の激情さは父親の影響もあれば、亡命生活での生活も影響しているでしょう」
 
 ぽつり、ぽつり、と臣下は紅茶を飲みながら話し始める。
フレイアはよく暖まった部屋の中、椅子に腰掛けて彼の言葉を聞いた。
 
「それでも、ロスカ様がここまで来れたのはお兄様の意思を継いでいるのですよ。・・・殆ど、知る者はおりませんが、お兄様は農民の娘に恋をしていたのです」
 
 紅茶を飲もうとしたフレイアの手が止まる。
彼女はロスカから家族のことを一切聞いた事もなければ、聞かれた事もなかった。
 
「身分の差などお兄様は気にしていらっしゃいませんでした。ご両親や護衛の目を掻い潜っては、よく娘に会いに街におりていらっしゃいました。歳の離れた兄弟でしたが、ロスカ様はご自分のお兄様の恋煩い人が誰かもわかっていました。お二人は仲良しでしたからね。・・・ですが、内乱の前、彼女のお父様は重税に苦しみ、病の為の薬も買えず亡くなってしまいました。その前からお兄様は、税制を改革しようと奮起はしていたのです。けれども、内乱までにそう遠くない日、娘は、どこかの貴族が雇った兵士に殺められてしまいました」
 
 フレイアはカップを置き、息を呑んだ。手を握りしめて、自分の父親よりも年上の臣下の顔を見つめる。
 
「第一王子が農民に近づいたせいで、気が狂ったと信じる貴族は少なくありませんでした。・・・お兄様は、内乱をどうにか治めて身分の差を縮めたかったのですよ。国民の税金を甘い蜜のように吸う、この仕組みを変えたかったのです。けれども、お父様は王である威厳を失えば、殺されると信じていらした。貴族を疑いながらも、お兄様の事に関しては貴族を信じた。王冠を奪うなど、お兄様は言っていないのに。炎帝は自分の疑いを信じてやみませんでした」
 
 自分の疑いを信じてしまう。ああ、ロスカも同じだわ、と彼女は夜の夫の様子を思い出した。
 
「心良い、あなたのお父様のような貴族も幸い複数元老院には居ました。その貴族達と手を取り、内乱を治めようと必死でした。治めて、国民の努力が報われる制度を作りたかった。だから、お兄様や彼らは皆の間に立ち、ご立派に・・・。けれども、猜疑心に囚われた自身のお父様と激しく揉めて、亡くなってしまった。極光の地で知らせを聞いたロスカ様は泣いていらっしゃいました。よく覚えてますよ」
 
 
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