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第36 手招く亡霊
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額から滲み出た血は彼の淡い金髪をより際立たせ、白い肌をより白く見せている。
どこか儚いように思えても、ちょっとの雪や風では倒れないような頑丈さが彼の姿勢良さから伺えた。けれども瞳の下に住んでいる大きなクマのせいか、彼にはあまり英気が無いようにも見せていた。
フレイアは膝を折って、ロスカの顔を覗く。
薬草に向けられていた視線が、彼女に向けらた。久しぶりの緑色の瞳である。表情は硬い。
彼の服の袖に触れ、大丈夫ですか、と口を動かしたがフレイアの手は退けられてしまう。ロスカが自身の膝の上に置いていた手を、上へ振り上げたからだ。
婚姻前も、婚姻後も一度も経験したことのない明らかな拒絶であった。
にんじん色の睫毛が二度ほど上下に揺れる。
顔を見ずとも、フレイアが驚いているのはロスカもわかっていた。拒絶したことで、彼女が悲しむのも想像出来た。
それでも、彼は硬い態度を取るのやめれなかったのだ。
「大した事じゃない。部屋に下がってくれ」
フレイアはどうして、と口を動かす。いつもなら読み取ってくれるのに、今日は読み取ってもくれない。
彼女に向けられていた視線はもう、違う場所に向けられているのだ。それでも、フレイアは彼がこちらを向くのを待った。
膝を折ったまま、じっと待ったのだ。暫くの沈黙の後、彼はようやくこちらを向いた。しかし、眉間に寄せられた皺は深い。
「俺の言葉がわからないのか。部屋に下がれ。苛立たせるな」
ふさわしい声音ではない。ロスカもわかっていた。わかっているのに、抑える事ができないのだ。
フレイアに主従関係を思わせるような声音で告げるつもりも、こんな態度を取るつもりもなかった。それでも、彼女の顔を見ると異様に苛立って仕方がなかった。事実、彼のその声音を聞いた瞳は恐怖の色で濁った。透き通った湖の中に粘度の高い黒いインクを落としたようなものだ。姿形を変えてはうねり、瞳の底につく。
きっと、彼女の瞳の底からは拭えない。事あるごとに、フレイアにこの日のことを思い出させるだろう。そして、主のままにと口を紡ぐだろう。ロスカは自分に絶望した。なりたくないと願った、父親の後を追ってしまっている自分に。
部屋にいくつか飾られた蝋燭が、フレイアの姿を弱々しく照らす。その姿に胸を痛めるだけ、まだ彼は彼で居られる余地はあるらしい。
でも、悪かった、と言って追いかける事は出来なかった。
手を引いて、抱き締めてやれば良かったのに。
「お妃様、もう宜しいのですか?」
外に控えていた医師に声をかけられる。寒いだろうに、ずっと待っていたのか。
だから出ていけ、とロスカに催促されたのだろうか。フレイアは彼を庇える理由を探した。
別に医師が外にいようと短い時間でも優しくする事は出来た筈である。
フレイアは無理矢理、合わない布の色を合わせるように、自分のせいで医師を待たせたのね、と納得させた。
医師の言葉に頷き、彼女は部屋に下がった。
そしてこの夜も、フレイアはロスカを待った。
床に入る前に、彼が今日こそやってきてくれるのではないかと。でも、彼はやっぱり今日も来なかった。
ペンを取り、ロスカに手紙を書くことにした。翌朝も顔を見れずとも何か言葉を残してくれれば良い。
そう願いながら、フレイアは文字を綴った。
『ロスカ
馬が暴れたのに、額の怪我だけで済んで安心しました。傷の治りが早い事を祈ります。久しく会えていなかったので、顔が見れて嬉しかったです。一人で眠るのは慣れている筈なのに、ずっと一緒に寝ていたからでしょうか。やけに床が冷たい気がします。私が眠った後に、同じ床にやってきているのはわかりますが、顔が見れないだけで、こんなにも冷たいものなのでしょうか。ひどく寂しく、悲しく感じられます。あなたと話がしたいです。
フレイア』
どこか儚いように思えても、ちょっとの雪や風では倒れないような頑丈さが彼の姿勢良さから伺えた。けれども瞳の下に住んでいる大きなクマのせいか、彼にはあまり英気が無いようにも見せていた。
フレイアは膝を折って、ロスカの顔を覗く。
薬草に向けられていた視線が、彼女に向けらた。久しぶりの緑色の瞳である。表情は硬い。
彼の服の袖に触れ、大丈夫ですか、と口を動かしたがフレイアの手は退けられてしまう。ロスカが自身の膝の上に置いていた手を、上へ振り上げたからだ。
婚姻前も、婚姻後も一度も経験したことのない明らかな拒絶であった。
にんじん色の睫毛が二度ほど上下に揺れる。
顔を見ずとも、フレイアが驚いているのはロスカもわかっていた。拒絶したことで、彼女が悲しむのも想像出来た。
それでも、彼は硬い態度を取るのやめれなかったのだ。
「大した事じゃない。部屋に下がってくれ」
フレイアはどうして、と口を動かす。いつもなら読み取ってくれるのに、今日は読み取ってもくれない。
彼女に向けられていた視線はもう、違う場所に向けられているのだ。それでも、フレイアは彼がこちらを向くのを待った。
膝を折ったまま、じっと待ったのだ。暫くの沈黙の後、彼はようやくこちらを向いた。しかし、眉間に寄せられた皺は深い。
「俺の言葉がわからないのか。部屋に下がれ。苛立たせるな」
ふさわしい声音ではない。ロスカもわかっていた。わかっているのに、抑える事ができないのだ。
フレイアに主従関係を思わせるような声音で告げるつもりも、こんな態度を取るつもりもなかった。それでも、彼女の顔を見ると異様に苛立って仕方がなかった。事実、彼のその声音を聞いた瞳は恐怖の色で濁った。透き通った湖の中に粘度の高い黒いインクを落としたようなものだ。姿形を変えてはうねり、瞳の底につく。
きっと、彼女の瞳の底からは拭えない。事あるごとに、フレイアにこの日のことを思い出させるだろう。そして、主のままにと口を紡ぐだろう。ロスカは自分に絶望した。なりたくないと願った、父親の後を追ってしまっている自分に。
部屋にいくつか飾られた蝋燭が、フレイアの姿を弱々しく照らす。その姿に胸を痛めるだけ、まだ彼は彼で居られる余地はあるらしい。
でも、悪かった、と言って追いかける事は出来なかった。
手を引いて、抱き締めてやれば良かったのに。
「お妃様、もう宜しいのですか?」
外に控えていた医師に声をかけられる。寒いだろうに、ずっと待っていたのか。
だから出ていけ、とロスカに催促されたのだろうか。フレイアは彼を庇える理由を探した。
別に医師が外にいようと短い時間でも優しくする事は出来た筈である。
フレイアは無理矢理、合わない布の色を合わせるように、自分のせいで医師を待たせたのね、と納得させた。
医師の言葉に頷き、彼女は部屋に下がった。
そしてこの夜も、フレイアはロスカを待った。
床に入る前に、彼が今日こそやってきてくれるのではないかと。でも、彼はやっぱり今日も来なかった。
ペンを取り、ロスカに手紙を書くことにした。翌朝も顔を見れずとも何か言葉を残してくれれば良い。
そう願いながら、フレイアは文字を綴った。
『ロスカ
馬が暴れたのに、額の怪我だけで済んで安心しました。傷の治りが早い事を祈ります。久しく会えていなかったので、顔が見れて嬉しかったです。一人で眠るのは慣れている筈なのに、ずっと一緒に寝ていたからでしょうか。やけに床が冷たい気がします。私が眠った後に、同じ床にやってきているのはわかりますが、顔が見れないだけで、こんなにも冷たいものなのでしょうか。ひどく寂しく、悲しく感じられます。あなたと話がしたいです。
フレイア』
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