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第24話 足首を見せたのは怪我をしたから

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「お妃様は声が出ないなんて、つまらないんじゃない?」
 
 書房でフレイアが本を選んでいる時であった。そう遠くない、本棚のどこかの列から声が聞こえる。
 
 
「どうやって陛下の事喜ばせるのかしら?あんただったらどうする?」
 
「声が出ないってどんな感じなの?吐息も無音てこと?」
 
「知らない、声が出なかった時なんかないから」
 
 何を主題として会話しているかフレイアにはわからない。ただ言えるのは、彼女を馬鹿にしているという事である。本を選ぶのをやめて、足音も立てないようにフレイアは息を潜める。
 
 
「だって、もっと声を聞かせてくれって言うじゃない。男って」
 
「まあね。何が面白いのかしら、声も出ないなんて。濡れた音くらい?」
 
 濡れた音?書房に掃除をしにきた侍女達は、面白いようで、笑い声が響き渡った。くすくすと、とても仕事の合間に話すような事ではないのに。フレイアは濡れた音が何を指すかはっきりと気付けていない。
 
 
「他の女の穴を探すのもすぐかもね」
 
「私も立候補しようかしら、お妃様みたいに足首を見せて」
 
 きゃーっとはしゃぐ声がフレイアに居心地の悪さを与える。足首を見せて立候補?結婚のことを言っているのだろうか。であれば、足首を見せたのは、ただの事故である。足を怪我したのであって、決してロスカを誘惑する為に見せたのではない。そんな風に、人に知られているのだろうか。自分は周囲から、そんなはしたない女だと思われているのだろうか。フレイアは目頭が熱く、胸が苦しくなった。
 
「お前達!持ち場に戻りなさい、ここは違うでしょ!」
 
 今度は侍女長の娘の声が、笑っていた侍女達の声を裂くように響いた。
 
「お妃様を悪く言うなんて、失礼よ。誰がどこで耳を立ててるのか、よく考えなさい。恥ずかしいのはお前達よ」
 
 笑っていた侍女達がバタバタと駆け足で、この場を去る音がする。フレイアは侍女長の娘に気づかれたくないと、通路から奥の方の書棚へ顔を向けた。でも、そんなのは意味をなさない。何故なら、侍女長の娘は、フレイアに頼まれて羽織を取りに行ってくれたのだから。
 
「・・・お妃様」
 
 侍女長の娘にはどんな風に映っているのだろう。フレイアは恥ずかしくてたまらなかった。
 
「私は、お妃様が陛下のせいで足を怪我してしまったと存じております。誰が好んで狩猟場に行きますか。整備されてれば、お妃様は行きませんわ。私達と違って、字が読めるのですから」
 
 彼女はそう言いながら、フレイアの方に羽織をかける。にんじん色の玉ねぎが羽織の中に入り込んだらしく、優しく取り除く。
 
「それに、声が出ずとも陛下はお妃様を愛していらっしゃいます」
 
 その言葉にフレイアはようやく、侍女長の娘の方へ顔を向けた。どこか驚いたような顔をしたのを見て、フレイアは自分は泣きそうな顔をしているのだと察した。確かに、侍女長が歪んで見える。自分よりも背の低い彼女が、ずっと、いつもよりも低く見えた。ぼたり、と大きな涙が頬を滑ってゆく。
 
「ああ、お妃様。にんじん色の睫毛がおぼれてますわ」
 
 エプロンのポケットから、彼女はハンカチを取り出してフレイアの涙を拭った。拭っても拭っても、涙は溢れる。それでも、侍女長の娘は泣き止むまで、ずっと側にいてくれた。
 
「擦るのはダメですよ、母親が目が腫れるからと言っていました」
 
 そういえば自分の母親も言っていたな、とフレイアは思い出す。擦りたい気持ちを抑え、侍女長の娘が涙を拭り終えるのを待った。フレイアは自分で拭いたかったが、侍女長が許さなかったのだ。
 
「陛下に報告しますか?それとも、侍女長にだけにしますか?」
 
 その言葉を聞いて、フレイアは下げていた首を上げた。誰にも言ってはならない、と右手で彼女の手首に触れる。そして、唇の前で指一本立て、内密に、と知らせた。
 
「でも、」
 
 侍女長の娘の手首を握り、瞳をしっかりと見つめながら首を横に振った。
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