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第21話 濁りのない眼差し
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ロスカの瞳が濁っているように見えた。
フレイアは近頃どこか、よそよそしい夫に不安を感じながらも特に触れようとしなかった。
身体的にではなく、話題としである。今日は本当は違う領地に赴く筈だったのに、大雪のせいで中止になった。ロスカは元老院に呼び出され、お昼を過ぎても一向に出てこなかった。
夕食も遅れてやってきたし、フレイアはきっと忙しいのだわ、と考えた。
そんな日を数日続けた夜、彼女はロスカの肩を叩いた。窓辺で首を下へ垂らし、本を読んでいた彼はさぞかし驚いた。
彼女から触れられた事かもしれないし、集中していたのかもしれない。彼女も驚きながら、一枚の紙を見せた。お話をしませんか、とそこには書かれてる。ロスカは一瞬、身構えたがすぐに頷いた。彼は未だに、不安の四肢に思考を絡め取られ続けているのだ。
その不安の出どころであるフレイアは何も知らず、彼には朝に飲むミルクのような無垢さすら感じれた。
「勿論」
ロスカの返事にフレイアは笑い、暖炉の前にあるテーブルの椅子を引く。
彼も本を閉じて、彼女の横へと座った。遠くを離れていては会話がしにくいのだ。彼女は早速ペンを動かした。
ーよく眠れていますか?
「どうしてそう思う?」
質問に質問で返すなんて。
フレイアはわざとらしく怪訝な顔をしてから、自身の目の下を指した。隈ができていると言いたいのだろう。
「・・・その通りだ」
そう答えれば、どうして、と短く尋ねられる。
フレイアはペンを置いて彼の事をじっと見つめた。どんなに不安に思考を絡め取られても、ロスカはどうしてか、滅法フレイアの瞳に弱い。今だって、瞳は暖炉で燃える炎の反射できらきらと輝いている。紅茶の中に沈みゆく、はちみつが揺らめているようだ。
「政務のことが、気になる」
嘘よ、と言われることはないだろう。
政務は思ったように進んでいない。片付けるべき内政も終わっていないし、手紙だけで焦ったい外交もある。
ー国王様の勤めですね。
「フレイアはよく眠れているのか」
ロスカは自分への注目を逸らそうと、質問の先を妻へと変えた。
聞かずとも知っているが、彼女の睡眠は悪くなさそうである。フレイアは質問に答えるべく、白い紙に文字を連ねた。
ーよく眠れています。でも、嫌な夢を見ます。
「どんな?」
ー森の中で、あの兵士に殺されそうになる夢です。
ロスカはフレイアが強くペンを握ったのを見逃さなかった。
ー何度目覚めても、同じ夢を見るのです。以前より鮮明ではありませんが。
「毎日見ているのか?」
ー週に何度か。でも、ロスカが助けてくれたので、ここにいる私は無事です。
「でも」
ー良いのです、私はロスカのおかげで生きているので。ありがとうございます。
最初は一文字一文字が独立していたのに、会話を進める内に繋ぎ文字へと変化していった。
彼が言葉を紡ぐのを憚るくらいには、フレイアは早く文字を書いてみせる。
「・・・別に、俺は」
ロスカは自分が愚かに思えた。
妻であるフレイアのことを疑っているのに、彼女はロスカを濁りのない眼差しで見つめてくれるのだ。
目の前にあるものから感じ取れず、見えない不安を形にしようと必死になっているのが馬鹿らしく思えて仕方がない。父親もこうして身を滅ぼしたというのに。
ーロスカ、気にいるかわかりませんが、受け取って欲しいのです。
ペンと紙がぶつかる音で彼はようやく顔を上げた。
何を、と尋ねるとフレイアは椅子から立ち上がる。そして、彼女の私物が入っている小さな箱から白いハンカチが出てきた。
差し出されたのは刺繍入りのハンカチである。広げてみれば、角の方に彼の名前の頭文字が縫われている。それに、ハンカチの形を縁取るように、葉や小さな花も縫われているではないか。
ー春なら、もう少し楽しい御礼ができたのですが。今はこれで、お許しください。
贈り物をもらった事がない訳ではない。
でも、フレイアからの贈り物程、胸温まった記憶はない。なんとなく、目頭が熱くなった気がしたが彼はそれを抑えるべく瞬きをした。
「ありがとう、フレイア」
フレイアは近頃どこか、よそよそしい夫に不安を感じながらも特に触れようとしなかった。
身体的にではなく、話題としである。今日は本当は違う領地に赴く筈だったのに、大雪のせいで中止になった。ロスカは元老院に呼び出され、お昼を過ぎても一向に出てこなかった。
夕食も遅れてやってきたし、フレイアはきっと忙しいのだわ、と考えた。
そんな日を数日続けた夜、彼女はロスカの肩を叩いた。窓辺で首を下へ垂らし、本を読んでいた彼はさぞかし驚いた。
彼女から触れられた事かもしれないし、集中していたのかもしれない。彼女も驚きながら、一枚の紙を見せた。お話をしませんか、とそこには書かれてる。ロスカは一瞬、身構えたがすぐに頷いた。彼は未だに、不安の四肢に思考を絡め取られ続けているのだ。
その不安の出どころであるフレイアは何も知らず、彼には朝に飲むミルクのような無垢さすら感じれた。
「勿論」
ロスカの返事にフレイアは笑い、暖炉の前にあるテーブルの椅子を引く。
彼も本を閉じて、彼女の横へと座った。遠くを離れていては会話がしにくいのだ。彼女は早速ペンを動かした。
ーよく眠れていますか?
「どうしてそう思う?」
質問に質問で返すなんて。
フレイアはわざとらしく怪訝な顔をしてから、自身の目の下を指した。隈ができていると言いたいのだろう。
「・・・その通りだ」
そう答えれば、どうして、と短く尋ねられる。
フレイアはペンを置いて彼の事をじっと見つめた。どんなに不安に思考を絡め取られても、ロスカはどうしてか、滅法フレイアの瞳に弱い。今だって、瞳は暖炉で燃える炎の反射できらきらと輝いている。紅茶の中に沈みゆく、はちみつが揺らめているようだ。
「政務のことが、気になる」
嘘よ、と言われることはないだろう。
政務は思ったように進んでいない。片付けるべき内政も終わっていないし、手紙だけで焦ったい外交もある。
ー国王様の勤めですね。
「フレイアはよく眠れているのか」
ロスカは自分への注目を逸らそうと、質問の先を妻へと変えた。
聞かずとも知っているが、彼女の睡眠は悪くなさそうである。フレイアは質問に答えるべく、白い紙に文字を連ねた。
ーよく眠れています。でも、嫌な夢を見ます。
「どんな?」
ー森の中で、あの兵士に殺されそうになる夢です。
ロスカはフレイアが強くペンを握ったのを見逃さなかった。
ー何度目覚めても、同じ夢を見るのです。以前より鮮明ではありませんが。
「毎日見ているのか?」
ー週に何度か。でも、ロスカが助けてくれたので、ここにいる私は無事です。
「でも」
ー良いのです、私はロスカのおかげで生きているので。ありがとうございます。
最初は一文字一文字が独立していたのに、会話を進める内に繋ぎ文字へと変化していった。
彼が言葉を紡ぐのを憚るくらいには、フレイアは早く文字を書いてみせる。
「・・・別に、俺は」
ロスカは自分が愚かに思えた。
妻であるフレイアのことを疑っているのに、彼女はロスカを濁りのない眼差しで見つめてくれるのだ。
目の前にあるものから感じ取れず、見えない不安を形にしようと必死になっているのが馬鹿らしく思えて仕方がない。父親もこうして身を滅ぼしたというのに。
ーロスカ、気にいるかわかりませんが、受け取って欲しいのです。
ペンと紙がぶつかる音で彼はようやく顔を上げた。
何を、と尋ねるとフレイアは椅子から立ち上がる。そして、彼女の私物が入っている小さな箱から白いハンカチが出てきた。
差し出されたのは刺繍入りのハンカチである。広げてみれば、角の方に彼の名前の頭文字が縫われている。それに、ハンカチの形を縁取るように、葉や小さな花も縫われているではないか。
ー春なら、もう少し楽しい御礼ができたのですが。今はこれで、お許しください。
贈り物をもらった事がない訳ではない。
でも、フレイアからの贈り物程、胸温まった記憶はない。なんとなく、目頭が熱くなった気がしたが彼はそれを抑えるべく瞬きをした。
「ありがとう、フレイア」
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