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第18話 針で指を刺さないように
しおりを挟む「お妃様、何かお持ちしましょうか?」
昼を過ぎた頃、フレイアはようやく目を覚ました。
朝食の時間に一度目覚めたものの、体が何故か鉛のように重く起き上がれなかったのだ。
「昨日は大変でしたからね、温かなりんごのスープをまずお持ちしますからね」
侍女長が何度か様子を見に来てくれたらしく、彼女は機敏にフレイアの目覚めに対応した。
侍女長の娘だという侍女がフレイアの髪を結い上げる。
「お妃様の髪の毛は艶やかですね」
声もどことなく似ており、フレイアは時折どちらに名前を呼ばれたのかわからない時があった。
だが、鏡の前に座ればその問題はない。一本の三つ編みに結い上げた後、侍女長の娘は楽しげに髪飾りを選ぶ。
「私、お妃様の髪結が大好きなんです」
確かに、この娘はフレイアが輿入れをした日の翌日からずっと髪結をしてくれている。
フレイア自身も出来るは出来るが、そこまで得意ではなかった。殆ど一つにまとめるか、三つ編みを二つこさえるくらいだった。でも彼女はフレイアと違って手先が随分と器用なようで、毎日違う髪型にしてくれるのだ。
「春がきたら、お花を摘んで髪に刺しましょう。間違いなくお似合いです」
そういう娘の顔は春への楽しみさで満ちている。
洗濯係の侍女の胸に隠れた憎しみをぶつけられた翌日では、娘の朗らかさはフレイアの事を優しく包み込んでくれた。
「ロスカ様はお耳がよろしいんですよ」
部屋に戻ってきた侍女長は、少し遅い昼食の準備をしながらフレイアに説明をした。
聞けば、彼が子どもの頃から勤めていたという。
「厳しく躾けられましたし、兵役もするとお父様は仰ってましたから。内乱で出来なくなったかと思いましたが、臣下が言うには亡命先で訓練させたらしいんですよ」
フレイアはその言葉に首を傾げる。空にしたばかりのカップにはまた、温かなりんごジュースが注がれる。
「まあ、ロスカ様ったらお話になってないの・・・」
侍女長はてっきり、ロスカ様は話たのかと、とばつが悪そうに言った。フレイアは何も知らない、と首を横に振る。
「・・・あたし、悪いことしちゃったかしら」
その言葉に彼女の女は肩を竦めてみせる。どうやら、城に残った人間は皆、彼が亡命生活をしていた事を知っているらしいのだ。
話を詳しく聞こうにも、手に取った紙には余白がなかった。ロスカからの言葉が、余白部分を埋めるように記されていたからだ。慌てるも意味をなさず、続きを尋ねる前に食事が運ばれてしまった。
「お妃様、これだけは言わせてください。ロスカ様はとっても頑張り屋さんなんですよ」
侍女長はそう言って、部屋から次の持ち場へ下がった。
思えば、フレイアはロスカの幼い頃の話を殆ど聞いたことがなかった。確かに、彼は内乱の間何をしていたのかも、想像もした事がなかった。ロスカの歳の離れた兄が亡くなった後すぐに、父親が亡くなった事は知っていたが、ロスカ本人の事は何も知らなかった。フレイアは、彼が戻ってきたら折を見て聞こうと考えながら食事を取った。
そして食事を終え、侍女が来る前にフレイアはロスカの書き残した文字を読んだ。陛下、と書いた筈が彼に二十線で消されてはロスカ、と書き直されている。謝罪する手前、名前呼びは申し訳ないと思ったのだが、彼は気にしていなかったようだ。
『フレイア
今日の出来事は恐ろしかったと思う。きちんと、行動の仕方を伝えなかった俺も悪かった。
洗濯係の侍女と兵士には良い推薦状と退職金を支払った。彼女らの人生にこれ以上影を差すものが現れない事を願う。
フレイアが無事で良かった。また話そう。明日の夜には戻る。
ロスカ 』
書き出しは書き損じてしまったらしく、黒く塗りつぶされている。
以前、臣下が彼の文字は時折読めない、と嘆いていたがフレイアは俄に信じがたかった。余白に書かれた彼の文字は美しい繋ぎ文字だったからだ。そして、亡命生活の間に読み書きを覚えさせられたのだろうか、と彼の知らない半生についてフレイアは想像した。
「お妃様、今日は一日中雪が降りますよ。刺繍と編み物、どちらかなさいますか?」
侍女は食器を片付けながら、尋ねる。
雪も強く降れば、普段よりも仕事が減るらしいのだ。フレイアは少し考えた後に、刺繍枠を握る仕草をしてから右手で針を通す仕草をしてみせた。侍女長に違わず、明るい侍女は茶目っ気たっぷりと人差し指を立てて答えた。
「刺繍を持ちしますね」
昨日とは違い、時計の針が穏やかに進んだ。
フレイアは侍女が持ってきてくれた白い布に薄ら灰色がかった水色の糸を縫いるけている。刺繍枠をしっかりと握り、下書きをした文字の隙間を埋めるのに集中している。一本の線がズレて、隙間が生まれないように。刺繍枠の中に書かれたアルファベットはロスカの、最初の一文字目のエルである。そう、フレイアは彼にお礼のハンカチをプレゼントする事にしたのだ。声が出ないかわりに、少しでも彼への感謝の気持ちが伝わるようにと、彼女はロスカへのハンカチを縫い続けた。
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