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第13話 口づけは突然に
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心臓が兎のように跳ねた。
フレイアは足跡を追うのをやめ、立ち止まった。白樺の木の横に男がいるのだ。でも、それはロスカではない。
男は何かを読んで集中しているのか、彼女の気配には気づいていないらしい。身につけている服から見るに、兵士だと思われる。だが、彼の兵服は炎帝が施政していた時のものなのだ。
ようやく、ここでフレイアは自分は騙されたのだと気がついた。だって、思い返せば馬の足跡だってなかったじゃない。馬鹿ね、と自身を頭の中で詰った。フレイアはゆっくりと、男に気づかれないように再び踵を返そうとした。しかし、雪が彼女の立てた物音を消してくれる筈もなく。
「フレイア=マイト!!」
足元に転がっていた木の枝を踏んでしまったのだ。
しまった。しかし、後悔をするのはもう遅い。フレイアはドレスの裾を持ち上げ、走り始めた。男も彼女の後を追いかける。自分が彼に何をしたと言うのだ。フレイアには皆目見当もつかない。ただわかるのは、この男が決して友好的ではないという事だけである。男が見ていたのは本でも何でもなく、銃だったのだ。
そう、男は銃に弾薬を詰めていたのだ。
「逃げるな!!」
そう言われて立ち止まる人間がいるものか。
命を狙われているかもしれないのに。馬に乗るのが上手でも、走るのが速くなかったフレイアは焦っていた。
自分の足よりも速く跳ねる心臓が足ならどれほど良かった事か。彼女は顔に飛び込んでくる雪を払うこともせず、必死に男から逃げた。それに伴うように、フレイアが逃げれば逃げるほど、男の脅迫する声は大きくなる。
「撃ち殺されてぇのか!!この売女が!!」
幸か不幸か。男の視界からフレイアを遮るように、強い北風が吹き始めたのだ。
荒れゆく雪景色の中、にんじん色の髪は目立ったが、男の視界を邪魔するのには十分であった。かといって、伊達らに妃を追いかけている訳ではない。男は宣言通り、彼女に向かって発砲した。声の出ない短い悲鳴がフレイアの喉から溢れる。
弾は北風の加護によって彼女には当たらなかったが、フレイアの足を止めるのには十分効果があった。
どさり、と彼女はその場に崩れ落ちてしまったのだ。驚き、腰が抜けたとも言うべきか。
男の近づく足音が聞こえる。近くなればなる程、フレイアは音がうまく捉える事が出来なくなった。風の音に紛れるように、力強く鼓動が鳴り響いたからだ。魔女にでも心臓を取り出されたのだろうか。この男にも聞こえているのではないか、そう思うくらい嫌に鳴り響いていた。
「恨みはねぇが、あんたに手伝って貰わねぇと」
男の手がフレイアの方へ伸びてくる。
触らないで、と彼女は男の手を叩いた。既に苛立っていた男の神経を逆撫でしたのは言うまでもない。
「女のくせに生意気なんだよ!!」
拳銃を手に持ったまま、男の手が大きく振りかざされる。衝撃に備え、ぎゅう、と目を瞑った時だった。
「止まれ!!」
聞き覚えのある声に、男は手を上げたまま静止した。
「拳銃を捨てろ。捨てて、地面に伏せろ」
男は既にフレイアの事を見つめていない。
彼女の後ろからやってきた、ロスカの事を見つめているのだ。苛立たし気な表情が青く染まっていく。
「聞こえなかったか。拳銃を捨てろ、と俺は言ってるんだ。さもなければお前を撃つ」
ロスカがトリガーに手をかけたのだろうか。男は素直に拳銃を地面へと捨てた。
「もう一度言う、地面へ伏せろ。それとも言葉がわからないのか」
怒気を孕んだ声だ。そして、彼の声からは相手を気遣うような調子は見受けられない。男を従わせる威厳のある声であった。
男はゆっくりと両膝をついて、冷たい地面へ腹ばいになった。先程まで高圧的だった男はもういない。ロスカの後ろから、近衛兵がやってきては、座り込むフレイアを追い抜かして慌ただしく男を捕らえた。
そして、ロスカは彼女の名前を呼んだが、その声は同じように怒気を孕んでいた。しかし、彼女は反応をしない。ロスカは小さく舌打ちをしてから馬を降りる。
彼の方を向こうとしない、座り込んだままの彼女を無理矢理こちらに振り向かせるべく、彼も片膝を地面につけた。
「フレイア!どうして勝手に・・・」
怒りが破裂したばかりの声が、徐々に小さくなっていく。フレイアは泣いていたのだ。はしばみ色の満月は濡れている。
声の無い涙だ。彼女の髪色と同じ、にんじん色のまつ毛はすっかり濡れてしまった。潤んだ満月がロスカの顔に迫ってくる。彼は瞳に気を取られて気づかなかったが、大きな彼の背中には華奢な腕が回っていた。フレイアが彼の胸に飛び込んできたのだ。
服の上からでも伝わる、しなやかな体である。ロスカは唖然としたが、恐る恐る、彼女の背中に自身の手を回した。
するとすぐに、先程よりもフレイアの力が強くなる。久方ぶりの抱擁だった。
言うべき言葉はいくらでもある。こんな真似をしてはいけない、誰に言われたんだ、疑う事を知れ、など。
でも、そんな言葉はスルスルと、ロスカの中で消えていってしまった。背中にある手が溶かしてしまったのかもしれない。彼女の背中をさすろうと、手を動かした時である。
フレイアが涙で濡れきった顔を上げて、ロスカを見つめた。二度ほど、ごめんなさい、と呟いた。するとどうした事だろうか、ロスカの胸の内にえも言われぬ感情が湧き上がった。まるで、握りしめていた拳から力が抜けていくようなのだ。彼を見つめるフレイアの瞳を覗きたくなった。
瞳に吸い込まれるようにして、ロスカは気が付いたら彼女に口づけをしていた。
フレイアは足跡を追うのをやめ、立ち止まった。白樺の木の横に男がいるのだ。でも、それはロスカではない。
男は何かを読んで集中しているのか、彼女の気配には気づいていないらしい。身につけている服から見るに、兵士だと思われる。だが、彼の兵服は炎帝が施政していた時のものなのだ。
ようやく、ここでフレイアは自分は騙されたのだと気がついた。だって、思い返せば馬の足跡だってなかったじゃない。馬鹿ね、と自身を頭の中で詰った。フレイアはゆっくりと、男に気づかれないように再び踵を返そうとした。しかし、雪が彼女の立てた物音を消してくれる筈もなく。
「フレイア=マイト!!」
足元に転がっていた木の枝を踏んでしまったのだ。
しまった。しかし、後悔をするのはもう遅い。フレイアはドレスの裾を持ち上げ、走り始めた。男も彼女の後を追いかける。自分が彼に何をしたと言うのだ。フレイアには皆目見当もつかない。ただわかるのは、この男が決して友好的ではないという事だけである。男が見ていたのは本でも何でもなく、銃だったのだ。
そう、男は銃に弾薬を詰めていたのだ。
「逃げるな!!」
そう言われて立ち止まる人間がいるものか。
命を狙われているかもしれないのに。馬に乗るのが上手でも、走るのが速くなかったフレイアは焦っていた。
自分の足よりも速く跳ねる心臓が足ならどれほど良かった事か。彼女は顔に飛び込んでくる雪を払うこともせず、必死に男から逃げた。それに伴うように、フレイアが逃げれば逃げるほど、男の脅迫する声は大きくなる。
「撃ち殺されてぇのか!!この売女が!!」
幸か不幸か。男の視界からフレイアを遮るように、強い北風が吹き始めたのだ。
荒れゆく雪景色の中、にんじん色の髪は目立ったが、男の視界を邪魔するのには十分であった。かといって、伊達らに妃を追いかけている訳ではない。男は宣言通り、彼女に向かって発砲した。声の出ない短い悲鳴がフレイアの喉から溢れる。
弾は北風の加護によって彼女には当たらなかったが、フレイアの足を止めるのには十分効果があった。
どさり、と彼女はその場に崩れ落ちてしまったのだ。驚き、腰が抜けたとも言うべきか。
男の近づく足音が聞こえる。近くなればなる程、フレイアは音がうまく捉える事が出来なくなった。風の音に紛れるように、力強く鼓動が鳴り響いたからだ。魔女にでも心臓を取り出されたのだろうか。この男にも聞こえているのではないか、そう思うくらい嫌に鳴り響いていた。
「恨みはねぇが、あんたに手伝って貰わねぇと」
男の手がフレイアの方へ伸びてくる。
触らないで、と彼女は男の手を叩いた。既に苛立っていた男の神経を逆撫でしたのは言うまでもない。
「女のくせに生意気なんだよ!!」
拳銃を手に持ったまま、男の手が大きく振りかざされる。衝撃に備え、ぎゅう、と目を瞑った時だった。
「止まれ!!」
聞き覚えのある声に、男は手を上げたまま静止した。
「拳銃を捨てろ。捨てて、地面に伏せろ」
男は既にフレイアの事を見つめていない。
彼女の後ろからやってきた、ロスカの事を見つめているのだ。苛立たし気な表情が青く染まっていく。
「聞こえなかったか。拳銃を捨てろ、と俺は言ってるんだ。さもなければお前を撃つ」
ロスカがトリガーに手をかけたのだろうか。男は素直に拳銃を地面へと捨てた。
「もう一度言う、地面へ伏せろ。それとも言葉がわからないのか」
怒気を孕んだ声だ。そして、彼の声からは相手を気遣うような調子は見受けられない。男を従わせる威厳のある声であった。
男はゆっくりと両膝をついて、冷たい地面へ腹ばいになった。先程まで高圧的だった男はもういない。ロスカの後ろから、近衛兵がやってきては、座り込むフレイアを追い抜かして慌ただしく男を捕らえた。
そして、ロスカは彼女の名前を呼んだが、その声は同じように怒気を孕んでいた。しかし、彼女は反応をしない。ロスカは小さく舌打ちをしてから馬を降りる。
彼の方を向こうとしない、座り込んだままの彼女を無理矢理こちらに振り向かせるべく、彼も片膝を地面につけた。
「フレイア!どうして勝手に・・・」
怒りが破裂したばかりの声が、徐々に小さくなっていく。フレイアは泣いていたのだ。はしばみ色の満月は濡れている。
声の無い涙だ。彼女の髪色と同じ、にんじん色のまつ毛はすっかり濡れてしまった。潤んだ満月がロスカの顔に迫ってくる。彼は瞳に気を取られて気づかなかったが、大きな彼の背中には華奢な腕が回っていた。フレイアが彼の胸に飛び込んできたのだ。
服の上からでも伝わる、しなやかな体である。ロスカは唖然としたが、恐る恐る、彼女の背中に自身の手を回した。
するとすぐに、先程よりもフレイアの力が強くなる。久方ぶりの抱擁だった。
言うべき言葉はいくらでもある。こんな真似をしてはいけない、誰に言われたんだ、疑う事を知れ、など。
でも、そんな言葉はスルスルと、ロスカの中で消えていってしまった。背中にある手が溶かしてしまったのかもしれない。彼女の背中をさすろうと、手を動かした時である。
フレイアが涙で濡れきった顔を上げて、ロスカを見つめた。二度ほど、ごめんなさい、と呟いた。するとどうした事だろうか、ロスカの胸の内にえも言われぬ感情が湧き上がった。まるで、握りしめていた拳から力が抜けていくようなのだ。彼を見つめるフレイアの瞳を覗きたくなった。
瞳に吸い込まれるようにして、ロスカは気が付いたら彼女に口づけをしていた。
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