8 / 61
第8話 雪に頬紅をさしましょう
しおりを挟む
フレイアの輿入れ当日、城内でそわそわと落ち着かない者がいた。
ロスカと亡命生活を共にした臣下である。第一王子のロスカの兄に言われた通り、彼をよく守り、よく育てた。
炎帝が亡くなってからはロスカがすぐ王位を継承せず、暫しの間この臣下が覚束ない第二王子の足を支える形で政権を取った。
全ては第一王子の遺言通り。炎帝の前の国王が施政していたように、穏やかな国に戻したかったのだ。
亡命生活という暗いトンネルの中を歩き続け、見えてきた新雪は血の匂いがするものであった。それでも、陽が当たる場所に戻れただけ幸いである、と臣下はロスカの為にも春のぬかるみを減らそうと努力した。さながら、臣下にとってみれば夜明けであった。ロスカもそうだろう、と思っていたが彼はまだ違う場所にいるらしい。
輿入れ前日の昨夜、臣下はロスカに尋ねたのだ。何故フレイアを選んだのかと。自分達の仲だから、本当のことを教えて欲しいと。臣下にとってみればロスカは実の息子のような存在であり、彼にとっても臣下は父親のような存在だったのだ。暫しの沈黙を経て、ロスカはこう答えた。
『話を聞いてくれそうだから』
臣下は愕然とした。自身の答えを聞いて何も言わなくなった臣下に、ロスカは両掌を上にして見せながら、こう続ける。
『冠を探しにくる貴族の女よりマシだ』
彼の言葉に全てを否定する事もできなかったし、肯定する事も出来なかった。
マイト家は子爵でありながらも、貿易で功を成した珍しい家であった。小さな領地も管理はしているが、収益は貿易業の方が大きかった。
それに、先般の内乱では農民からの反発が最も少なかった。
重税を課していないというのも大きな理由の一つのようだが、他所から移動してきた農民にも寛大らしい。
それだけではない、彼らは農民に文字書きを教えていたというのだ。不満は大小あったものの、農民は領主様などと呼ばずに、マイト様、と名前で呼ぶのだ。
炎帝には似もしない愛された領主である。これらの事実は内乱の後、悍ましい雪解けを片付けている最中に発覚したものであった。
農民の間にはっきりと線を引く貴族とは色が違う。それに、フレイアの両親の仕事柄、彼女もまた異文化に敏感で寛容であった。
外交の上では申し分ない妃になるだろう。きっと、良い妃になるだろう。
きっと・・・。
そんな臣下の心配をよそに、フレイアを乗せた馬車が到着した。
知らせを受け臣下は使用人たちから遅れる形で、居館の入り口へ辿り着いた。
昨夜から降りつつ付いた雪が世界に白粉を塗したようだ。外はすっかり冬景色となった。馬車の扉が開かれると、ロスカが一歩前へ進み出る。
「ようこそ、フレイア」
頭をぶつけないように、彼女は頭を低くして馬車から降りる。ロスカが差し出した手に、遠慮がちに触れながら。
するとまあ、なんと人目を引く事か。銀雪が頬紅をさしたようである。
その場にいた人間は皆、フレイアのにんじん色の髪色に釘付けになった。
釘付けになりながらも、臣下も使用人も皆お辞儀をした。
そして、フレイアも彼らに合わせて低くお辞儀をした。微笑んではいるが、緊張している事は確かだろう。10近くはいる使用人、1人1人が一糸乱れず彼女に目を向けているのだ。こんな経験はした事がなかった。何せ、マイト家の使用人は1人しかいなかった。母親が、使用人は耳を立てすぎる、と嫌がったからだ。
「寒かっただろう。温かいジュースを飲んでから、城を案内しよう」
城の中に入ろうとするロスカの、コートの袖口にフレイアの指先が添えられる。
どうした、と尋ねると彼女は馬車の後ろにいる馬に指を差した。
「馬屋に行きたい?」
2人の会話はまるで問題を出し合っているような物であった。
会話の進みは遅い。片方の声が出ないのだから、当然である。それでもロスカはフレイアの顔の表情や動きを見て、よく想像していた。
彼の想像通り、フレイアは自分の愛馬を馬屋に連れて行きたがった。彼は快諾し、彼女と馬を城の馬屋へ連れていった。
マイト家からの輿入れにあたっての要望が、使用人ではなく愛馬を連れて行きたい、という物だったのだ。
臣下はこれまた驚いたが、ロスカは何がおかしい、と口の端を曲げるだけだった。いささか、貴族の令嬢とは思い難い娘であった。
マイト家の要望、もとい、フレイアの要望通りに愛馬は城の馬屋に入った。
足先だけが白い栗毛色の馬は、彼女が声を出せずとも、よく言う事を聞いていた。本当なら馬の顔に頬を寄せたいところだが、今日は出来ない。母親が輿入れに、と新品の洋服を誂えてくれたのだ。馬屋に入った事を知られたら母親は怒るだろう。
でも、今日からはこの馬だけが彼女のよく知る家族なのだ。フレイアの不安を感じ取ったのか、馬は彼女の手に自身の頬を擦り付ける。
「仲が良いんだな」
ロスカの言葉にフレイアは嬉しそうに頷く。
触れても?と尋ねれば、彼女は頷いた。でも、馬は持ち主の意志とは反対に触れてほしくなかったようで、すぐに顔を逸らしてしまった。
「動物はどんな人間かわかるらしい」
とっくに鳴り止んだ筈の心臓がまた、鈍く重く鳴り始めたのは何故だろうか。
ロスカと亡命生活を共にした臣下である。第一王子のロスカの兄に言われた通り、彼をよく守り、よく育てた。
炎帝が亡くなってからはロスカがすぐ王位を継承せず、暫しの間この臣下が覚束ない第二王子の足を支える形で政権を取った。
全ては第一王子の遺言通り。炎帝の前の国王が施政していたように、穏やかな国に戻したかったのだ。
亡命生活という暗いトンネルの中を歩き続け、見えてきた新雪は血の匂いがするものであった。それでも、陽が当たる場所に戻れただけ幸いである、と臣下はロスカの為にも春のぬかるみを減らそうと努力した。さながら、臣下にとってみれば夜明けであった。ロスカもそうだろう、と思っていたが彼はまだ違う場所にいるらしい。
輿入れ前日の昨夜、臣下はロスカに尋ねたのだ。何故フレイアを選んだのかと。自分達の仲だから、本当のことを教えて欲しいと。臣下にとってみればロスカは実の息子のような存在であり、彼にとっても臣下は父親のような存在だったのだ。暫しの沈黙を経て、ロスカはこう答えた。
『話を聞いてくれそうだから』
臣下は愕然とした。自身の答えを聞いて何も言わなくなった臣下に、ロスカは両掌を上にして見せながら、こう続ける。
『冠を探しにくる貴族の女よりマシだ』
彼の言葉に全てを否定する事もできなかったし、肯定する事も出来なかった。
マイト家は子爵でありながらも、貿易で功を成した珍しい家であった。小さな領地も管理はしているが、収益は貿易業の方が大きかった。
それに、先般の内乱では農民からの反発が最も少なかった。
重税を課していないというのも大きな理由の一つのようだが、他所から移動してきた農民にも寛大らしい。
それだけではない、彼らは農民に文字書きを教えていたというのだ。不満は大小あったものの、農民は領主様などと呼ばずに、マイト様、と名前で呼ぶのだ。
炎帝には似もしない愛された領主である。これらの事実は内乱の後、悍ましい雪解けを片付けている最中に発覚したものであった。
農民の間にはっきりと線を引く貴族とは色が違う。それに、フレイアの両親の仕事柄、彼女もまた異文化に敏感で寛容であった。
外交の上では申し分ない妃になるだろう。きっと、良い妃になるだろう。
きっと・・・。
そんな臣下の心配をよそに、フレイアを乗せた馬車が到着した。
知らせを受け臣下は使用人たちから遅れる形で、居館の入り口へ辿り着いた。
昨夜から降りつつ付いた雪が世界に白粉を塗したようだ。外はすっかり冬景色となった。馬車の扉が開かれると、ロスカが一歩前へ進み出る。
「ようこそ、フレイア」
頭をぶつけないように、彼女は頭を低くして馬車から降りる。ロスカが差し出した手に、遠慮がちに触れながら。
するとまあ、なんと人目を引く事か。銀雪が頬紅をさしたようである。
その場にいた人間は皆、フレイアのにんじん色の髪色に釘付けになった。
釘付けになりながらも、臣下も使用人も皆お辞儀をした。
そして、フレイアも彼らに合わせて低くお辞儀をした。微笑んではいるが、緊張している事は確かだろう。10近くはいる使用人、1人1人が一糸乱れず彼女に目を向けているのだ。こんな経験はした事がなかった。何せ、マイト家の使用人は1人しかいなかった。母親が、使用人は耳を立てすぎる、と嫌がったからだ。
「寒かっただろう。温かいジュースを飲んでから、城を案内しよう」
城の中に入ろうとするロスカの、コートの袖口にフレイアの指先が添えられる。
どうした、と尋ねると彼女は馬車の後ろにいる馬に指を差した。
「馬屋に行きたい?」
2人の会話はまるで問題を出し合っているような物であった。
会話の進みは遅い。片方の声が出ないのだから、当然である。それでもロスカはフレイアの顔の表情や動きを見て、よく想像していた。
彼の想像通り、フレイアは自分の愛馬を馬屋に連れて行きたがった。彼は快諾し、彼女と馬を城の馬屋へ連れていった。
マイト家からの輿入れにあたっての要望が、使用人ではなく愛馬を連れて行きたい、という物だったのだ。
臣下はこれまた驚いたが、ロスカは何がおかしい、と口の端を曲げるだけだった。いささか、貴族の令嬢とは思い難い娘であった。
マイト家の要望、もとい、フレイアの要望通りに愛馬は城の馬屋に入った。
足先だけが白い栗毛色の馬は、彼女が声を出せずとも、よく言う事を聞いていた。本当なら馬の顔に頬を寄せたいところだが、今日は出来ない。母親が輿入れに、と新品の洋服を誂えてくれたのだ。馬屋に入った事を知られたら母親は怒るだろう。
でも、今日からはこの馬だけが彼女のよく知る家族なのだ。フレイアの不安を感じ取ったのか、馬は彼女の手に自身の頬を擦り付ける。
「仲が良いんだな」
ロスカの言葉にフレイアは嬉しそうに頷く。
触れても?と尋ねれば、彼女は頷いた。でも、馬は持ち主の意志とは反対に触れてほしくなかったようで、すぐに顔を逸らしてしまった。
「動物はどんな人間かわかるらしい」
とっくに鳴り止んだ筈の心臓がまた、鈍く重く鳴り始めたのは何故だろうか。
0
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
すべてフィクションです。読んでくだり感謝いたします。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。

束縛婚
水無瀬雨音
恋愛
幼なじみの優しい伯爵子息、ウィルフレッドと婚約している男爵令嬢ベルティーユは、結婚を控え幸せだった。ところが社交界デビューの日、ウィルフレッドをライバル視している辺境伯のオースティンに出会う。翌日ベルティーユの屋敷を訪れたオースティンは、彼女を手に入れようと画策し……。
清白妙様、砂月美乃様の「最愛アンソロ」に参加しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる