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第8話 雪に頬紅をさしましょう
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フレイアの輿入れ当日、城内でそわそわと落ち着かない者がいた。
ロスカと亡命生活を共にした臣下である。第一王子のロスカの兄に言われた通り、彼をよく守り、よく育てた。
炎帝が亡くなってからはロスカがすぐ王位を継承せず、暫しの間この臣下が覚束ない第二王子の足を支える形で政権を取った。
全ては第一王子の遺言通り。炎帝の前の国王が施政していたように、穏やかな国に戻したかったのだ。
亡命生活という暗いトンネルの中を歩き続け、見えてきた新雪は血の匂いがするものであった。それでも、陽が当たる場所に戻れただけ幸いである、と臣下はロスカの為にも春のぬかるみを減らそうと努力した。さながら、臣下にとってみれば夜明けであった。ロスカもそうだろう、と思っていたが彼はまだ違う場所にいるらしい。
輿入れ前日の昨夜、臣下はロスカに尋ねたのだ。何故フレイアを選んだのかと。自分達の仲だから、本当のことを教えて欲しいと。臣下にとってみればロスカは実の息子のような存在であり、彼にとっても臣下は父親のような存在だったのだ。暫しの沈黙を経て、ロスカはこう答えた。
『話を聞いてくれそうだから』
臣下は愕然とした。自身の答えを聞いて何も言わなくなった臣下に、ロスカは両掌を上にして見せながら、こう続ける。
『冠を探しにくる貴族の女よりマシだ』
彼の言葉に全てを否定する事もできなかったし、肯定する事も出来なかった。
マイト家は子爵でありながらも、貿易で功を成した珍しい家であった。小さな領地も管理はしているが、収益は貿易業の方が大きかった。
それに、先般の内乱では農民からの反発が最も少なかった。
重税を課していないというのも大きな理由の一つのようだが、他所から移動してきた農民にも寛大らしい。
それだけではない、彼らは農民に文字書きを教えていたというのだ。不満は大小あったものの、農民は領主様などと呼ばずに、マイト様、と名前で呼ぶのだ。
炎帝には似もしない愛された領主である。これらの事実は内乱の後、悍ましい雪解けを片付けている最中に発覚したものであった。
農民の間にはっきりと線を引く貴族とは色が違う。それに、フレイアの両親の仕事柄、彼女もまた異文化に敏感で寛容であった。
外交の上では申し分ない妃になるだろう。きっと、良い妃になるだろう。
きっと・・・。
そんな臣下の心配をよそに、フレイアを乗せた馬車が到着した。
知らせを受け臣下は使用人たちから遅れる形で、居館の入り口へ辿り着いた。
昨夜から降りつつ付いた雪が世界に白粉を塗したようだ。外はすっかり冬景色となった。馬車の扉が開かれると、ロスカが一歩前へ進み出る。
「ようこそ、フレイア」
頭をぶつけないように、彼女は頭を低くして馬車から降りる。ロスカが差し出した手に、遠慮がちに触れながら。
するとまあ、なんと人目を引く事か。銀雪が頬紅をさしたようである。
その場にいた人間は皆、フレイアのにんじん色の髪色に釘付けになった。
釘付けになりながらも、臣下も使用人も皆お辞儀をした。
そして、フレイアも彼らに合わせて低くお辞儀をした。微笑んではいるが、緊張している事は確かだろう。10近くはいる使用人、1人1人が一糸乱れず彼女に目を向けているのだ。こんな経験はした事がなかった。何せ、マイト家の使用人は1人しかいなかった。母親が、使用人は耳を立てすぎる、と嫌がったからだ。
「寒かっただろう。温かいジュースを飲んでから、城を案内しよう」
城の中に入ろうとするロスカの、コートの袖口にフレイアの指先が添えられる。
どうした、と尋ねると彼女は馬車の後ろにいる馬に指を差した。
「馬屋に行きたい?」
2人の会話はまるで問題を出し合っているような物であった。
会話の進みは遅い。片方の声が出ないのだから、当然である。それでもロスカはフレイアの顔の表情や動きを見て、よく想像していた。
彼の想像通り、フレイアは自分の愛馬を馬屋に連れて行きたがった。彼は快諾し、彼女と馬を城の馬屋へ連れていった。
マイト家からの輿入れにあたっての要望が、使用人ではなく愛馬を連れて行きたい、という物だったのだ。
臣下はこれまた驚いたが、ロスカは何がおかしい、と口の端を曲げるだけだった。いささか、貴族の令嬢とは思い難い娘であった。
マイト家の要望、もとい、フレイアの要望通りに愛馬は城の馬屋に入った。
足先だけが白い栗毛色の馬は、彼女が声を出せずとも、よく言う事を聞いていた。本当なら馬の顔に頬を寄せたいところだが、今日は出来ない。母親が輿入れに、と新品の洋服を誂えてくれたのだ。馬屋に入った事を知られたら母親は怒るだろう。
でも、今日からはこの馬だけが彼女のよく知る家族なのだ。フレイアの不安を感じ取ったのか、馬は彼女の手に自身の頬を擦り付ける。
「仲が良いんだな」
ロスカの言葉にフレイアは嬉しそうに頷く。
触れても?と尋ねれば、彼女は頷いた。でも、馬は持ち主の意志とは反対に触れてほしくなかったようで、すぐに顔を逸らしてしまった。
「動物はどんな人間かわかるらしい」
とっくに鳴り止んだ筈の心臓がまた、鈍く重く鳴り始めたのは何故だろうか。
ロスカと亡命生活を共にした臣下である。第一王子のロスカの兄に言われた通り、彼をよく守り、よく育てた。
炎帝が亡くなってからはロスカがすぐ王位を継承せず、暫しの間この臣下が覚束ない第二王子の足を支える形で政権を取った。
全ては第一王子の遺言通り。炎帝の前の国王が施政していたように、穏やかな国に戻したかったのだ。
亡命生活という暗いトンネルの中を歩き続け、見えてきた新雪は血の匂いがするものであった。それでも、陽が当たる場所に戻れただけ幸いである、と臣下はロスカの為にも春のぬかるみを減らそうと努力した。さながら、臣下にとってみれば夜明けであった。ロスカもそうだろう、と思っていたが彼はまだ違う場所にいるらしい。
輿入れ前日の昨夜、臣下はロスカに尋ねたのだ。何故フレイアを選んだのかと。自分達の仲だから、本当のことを教えて欲しいと。臣下にとってみればロスカは実の息子のような存在であり、彼にとっても臣下は父親のような存在だったのだ。暫しの沈黙を経て、ロスカはこう答えた。
『話を聞いてくれそうだから』
臣下は愕然とした。自身の答えを聞いて何も言わなくなった臣下に、ロスカは両掌を上にして見せながら、こう続ける。
『冠を探しにくる貴族の女よりマシだ』
彼の言葉に全てを否定する事もできなかったし、肯定する事も出来なかった。
マイト家は子爵でありながらも、貿易で功を成した珍しい家であった。小さな領地も管理はしているが、収益は貿易業の方が大きかった。
それに、先般の内乱では農民からの反発が最も少なかった。
重税を課していないというのも大きな理由の一つのようだが、他所から移動してきた農民にも寛大らしい。
それだけではない、彼らは農民に文字書きを教えていたというのだ。不満は大小あったものの、農民は領主様などと呼ばずに、マイト様、と名前で呼ぶのだ。
炎帝には似もしない愛された領主である。これらの事実は内乱の後、悍ましい雪解けを片付けている最中に発覚したものであった。
農民の間にはっきりと線を引く貴族とは色が違う。それに、フレイアの両親の仕事柄、彼女もまた異文化に敏感で寛容であった。
外交の上では申し分ない妃になるだろう。きっと、良い妃になるだろう。
きっと・・・。
そんな臣下の心配をよそに、フレイアを乗せた馬車が到着した。
知らせを受け臣下は使用人たちから遅れる形で、居館の入り口へ辿り着いた。
昨夜から降りつつ付いた雪が世界に白粉を塗したようだ。外はすっかり冬景色となった。馬車の扉が開かれると、ロスカが一歩前へ進み出る。
「ようこそ、フレイア」
頭をぶつけないように、彼女は頭を低くして馬車から降りる。ロスカが差し出した手に、遠慮がちに触れながら。
するとまあ、なんと人目を引く事か。銀雪が頬紅をさしたようである。
その場にいた人間は皆、フレイアのにんじん色の髪色に釘付けになった。
釘付けになりながらも、臣下も使用人も皆お辞儀をした。
そして、フレイアも彼らに合わせて低くお辞儀をした。微笑んではいるが、緊張している事は確かだろう。10近くはいる使用人、1人1人が一糸乱れず彼女に目を向けているのだ。こんな経験はした事がなかった。何せ、マイト家の使用人は1人しかいなかった。母親が、使用人は耳を立てすぎる、と嫌がったからだ。
「寒かっただろう。温かいジュースを飲んでから、城を案内しよう」
城の中に入ろうとするロスカの、コートの袖口にフレイアの指先が添えられる。
どうした、と尋ねると彼女は馬車の後ろにいる馬に指を差した。
「馬屋に行きたい?」
2人の会話はまるで問題を出し合っているような物であった。
会話の進みは遅い。片方の声が出ないのだから、当然である。それでもロスカはフレイアの顔の表情や動きを見て、よく想像していた。
彼の想像通り、フレイアは自分の愛馬を馬屋に連れて行きたがった。彼は快諾し、彼女と馬を城の馬屋へ連れていった。
マイト家からの輿入れにあたっての要望が、使用人ではなく愛馬を連れて行きたい、という物だったのだ。
臣下はこれまた驚いたが、ロスカは何がおかしい、と口の端を曲げるだけだった。いささか、貴族の令嬢とは思い難い娘であった。
マイト家の要望、もとい、フレイアの要望通りに愛馬は城の馬屋に入った。
足先だけが白い栗毛色の馬は、彼女が声を出せずとも、よく言う事を聞いていた。本当なら馬の顔に頬を寄せたいところだが、今日は出来ない。母親が輿入れに、と新品の洋服を誂えてくれたのだ。馬屋に入った事を知られたら母親は怒るだろう。
でも、今日からはこの馬だけが彼女のよく知る家族なのだ。フレイアの不安を感じ取ったのか、馬は彼女の手に自身の頬を擦り付ける。
「仲が良いんだな」
ロスカの言葉にフレイアは嬉しそうに頷く。
触れても?と尋ねれば、彼女は頷いた。でも、馬は持ち主の意志とは反対に触れてほしくなかったようで、すぐに顔を逸らしてしまった。
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