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第4話 国王様、それは恋の始まりですよ

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 幼い頃に亡命生活をし、塔に幽閉されていた期間があるというのは少なからずロスカの人格形成に影響していた。
どこか浮世離れしたような、俗世間のしきたりを無視するような様があるのだ。突然婚約者を見つけたのは元より、フレイアの足に触れたという事は大層驚かせた。

「何が悪いんだ」

 ロスカは全く理解出来ない、という顔をしている。
当時は女性が足を見せるのははしたない、とされていた。目の前に怪我人が居て、自分が手当出来るのに、しきたりだから触れないというのはおかしいと思ったのだ。

「じょ、女性の足でございますよ。いくら国王様と言え足を見せるのは・・・」

「怪我をしていたんだぞ、俺の仕掛けた罠のせいで」

 ロスカは椅子の肘掛けに肘を立て、頬杖をつく。元老院の男ははあ、と要領を得ないらしい。

「彼女の家から使用人を呼べば良かったのではないですか?」

「怪我をさせておいて、待たせるのか?どれくらい家から離れてたと思ってるんだ」

 事実、フレイアは家から馬で30分離れた森へ一人でやってきていた。
それに彼女は声も出せなかったし、家の場所もわからなかった。例えわかったとしても使用人を呼んで戻るのに往復で1時間はかかる。
ロスカは議員の意見に賛同しかねる、と首を横に何度か振ってみせた。彼は例えフレイアの家が近くても治療はしていた。
罠を仕掛けたのは自分だったし、看板の整備不良が無ければあんな事故は起きなかった。

自分の不始末を他人に拭わせる理由など彼にはないのだ。

「淑女たるもの、それくらいの気高さは必要ではないですか」

「お前は俺の父親みたいだな」

 ロスカの透き通るような緑色の瞳が議員の男を射抜いた。煩わしい、と言いたいのだろう。
数少ない家族の思い出だが、元老院議会の外である元老院広場で馬車と衝突した貴族の女を見た時、同様のことを発言していた。
女の医者に手当てをさせろ、と。元老院広場の辺りに女の医者はおらず、これまた遠く離れた場所にいた。女の夫も炎帝と同じ見解で、貴族の女は危うく手遅れになる所であった。
子どもながらに理解ができない、と思ったのをよく覚えている。

「俺の言葉の通りに足を出したから、はしたないと言いたいのか?何を求めてるんだ女に」

「ロスカ様、よろしいですか。あなたのお妃様になる以上、彼女の振る舞いはあなたに影響するのですよ」

「お前のようにくだらない理由で批判する人間もいるからな」

 ロスカは口の端を曲げて不満を強調してみせる。
議員の男はほとほとに呆れ、返す言葉を失い書斎を後にした。ロスカに言わせれば呆れたいのは彼の方だった。

 別にフレイアは自ら足を見せびらかして、彼を誘惑した訳でもない。
兵士が肉欲を抑えようとしない振る舞いの方が問題ではないか、とロスカは先日のことを思い出しては苛立った。でも、あれが普通なのだろうか、と彼は思いとどまった。
ロスカは亡命生活で10代の前半を失っている。内乱の終盤は国に戻っていたが首都より遥か北、極光がよく見える地域で暮らしていた。知らない土地で暮らすよりかは十分ましではあったが、気の抜けない生活であったのは間違いない。
美しい女性だ、と思う瞬間こそあれど、それより先を考える余裕はなかった。勿論、今日までに女性とは食事を共にしたこともあるし、踊った事もある。どんなに周りから素晴らしい女性ですよ、と勧められても本当に何も思わなかった。

 ではどうして、フレイアを妃へ選んだのか。

 残念ながら、これもはっきりとはわからなかった。でも、元気に馬と外を走り回る姿勢は好きだし、彼女のことは可愛いとも思った。
特に彼の心を掴んだのは、満月のように丸いはしばみ色の瞳である。春の雪解けを経た湖のようで、それはそれは瞳の底まで見えそうな程に澄んでいるように思えたのだ。

 家に送り届けた後も、その瞳は彼の心の中に残り続け、瞼を閉じても脳裏に浮かび上がった。
こんな風に感じるの初めてだった。フレイアの冷たい指先が自分の掌で文字を書く感覚が、くすぐったい筈なのに心地良く思えた。そして、それがどこか心地良く感じられたのも事実だ。慣れている男はあのまま女の手を握るのだろうか、と考えていた。自分もそう出来ていたら。そこまで考えいた自身にロスカは驚いた。
 白粉を叩く前の紅葉染まる森の中、彼女のにんじんのような髪色と相まって、フレイアはまるで豊穣をもたらす妖精のようだった。
 
 彼の中ですっかり、麗しい思い出となっていた景色に先程の議員の言葉が割り込んだ。
そして自分は足を見るのを構わないと思っていたが、フレイアは本当は嫌だったのではないか?と。ロスカは引き出しを開けて、慌てて筆をしたためた。
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