【完結】極夜の国王様は春色の朝焼けを知る

胡麻川ごんべ

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第3話 声失いの涙は聞こえぬ

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「お前が行き遅れにならなくて良かったわ」
 
 フレイアの母親は娘の髪を結いながら話し始めた。フレイアの眉間に皺が生まれたのは、決して母親の力が強かったからではない。
 
「会ったこともない、小太りの親戚の男と結婚するより十分良いでしょう。王家の方がもっと苦労するでしょうけど」
 
 そう、フレイアには一年前まで会ったこともない遠縁の婚約者がいたのだ。
爵位も持っており、優しい男だったらしい。フレイアとの婚姻後、一切マイト家の家業には口を出さない。

けれども、資金は出すという心広い男だったのだ。一種の税金対策のかわりである。父親と一代で築き上げた家業は、母親にとってみればもう一人の子どものようなものだった。大金の持参金は嫁が持つなんて、と考えていた母親には申し分のない話であった。そして、婚約者の望みはただ一つ、男児を産むことである。幸いなことにフレイアは風邪を殆ど引いた事がないくらい健康だった。それに、足腰も非常にしっかりしていた。
 
 『辺境伯のお望みなら、フレイアが叶えてみせますわ』
 
 扇子などいらないのに、母親がわざとらしく仰いでいたのを覚えている。
辺境伯の従者がその言葉を聞いて、大層満足したのも。
 
「でも、異国の女に色で負けて死ぬなんて。お前の嫁ぎが遅れたのは幸いよ」

 母親が髪飾りのリボンを選んでいる間に、フレイアの目が天を仰ぐ。化粧台の鏡にうつる彼女に微笑みなどない。
母親は男爵の家の出身であった。祖母に至っては使用人だったが掟破りな男爵の主人によって、地位を上げたのだ。祖母に結婚は生活を良くするものだ、と言い聞かされた母親がこのように育つのも無理はない。当然、母親が子爵の夫、フレイアの父親にあたる、と婚姻の際には莫大な持参金を逆に提示された。
 
「私の願いは一つよ、会ったこともない男の事件に悲しむのはやめて。人生を無駄にしてるわ」
 
 声が出せたら叫んでいただろう。
堪えかねたフレイアは拳を握って、化粧台を強く叩いた。ガチャン、と音を立てて香水の瓶が倒れるも、誰も気にしていない。
母親は鏡越しに怒りで満ちた娘の瞳を見つめる。いくばくか驚いたようだったが、彼女は自分は間違っていない、と言わんばかりにこう反論した。
 
「フレイア、どれ程私達の血を削って、今に来たと思っているの」
 
 時を巻き戻そう。
炎帝の猜疑的な政治に不満を爆発させた貴族達は、政権を王家から奪うべく内乱を引き起こした。
領地を持つ貴族たちは、農民達へ移動を制限されているのはおかしくないか、と説いては内乱への参加を促した。農民が一つの土地に居続ければ、安定的に地代が入るからだ。

実際は重税を課し続けたのはその貴族であるというのに、農民は読み書きが出来ないばかりに利用されてしまった。内乱の激しさは時を重ねると共に激しくなり、元より猜疑的だった炎帝は一層気がおかしくなった。内乱の規模は月日をかけ、徐々に小さくなりつつあった。だが、内乱の終焉は予想外の形で終わる。

 炎帝は最後、誤って自身の息子を殺めてしまう。そのショックで自死を選んだ事により、内乱は谷間の底をついた。
 
「悲しみたいのは国民の方よ!」
 
 母親はフレイアの顔を掴み、無理矢理後ろへ振り向かせた。
自分は妃にもなっていないし、王家の問題に自分は関わっていない。それでも、母親はまるで、フレイアが内乱を引き起こした王家の人間のように見てくるのだ。
 
 私だってその国民だ、いつもおかしな暴論を!フレイアも苛立ちに任せて母親の手を顔から退かす。 
 
「強い女になりなさい。得られた好機を逃すような事はしないでちょうだい」
 
 何を、と言おうとフレイアが口を開くも言葉出てこない。ただ口を動かしただけである。
母親は支度が出来たら降りてきなさい、と言って扉を強く閉めて部屋から出ていってしまった。声は出なかったがフレイアは口を大きく開いて叫んだ。
それで彼女の中にこもる怒りが発散される筈もなく、手当たり次第物を投げ始めた。次第に景色が歪む。水を濡らした紙のように、じわじわと視界が歪んでくるのだ。
 喉は焼けるように痛くなり、きゅう、と喉が狭まる感覚がした。声が出ないなら、代わりに涙の溢れる音が聞こえたって良いのに。フレイアは誰にも受け止められない気持ちに、一人涙した。 
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