上 下
33 / 239

Don't believe in never ①

しおりを挟む
「晃良くん、また届いてるよ」

 残暑が厳しい9月初め。汗だくになりながら仕事を終え、疲れた足を引きづって家に帰った途端、尚人がキッチンから声をかけてきた。

 そんなの、言われなくてもわかってるっつーの。

 なぜならば。リビングに入った瞬間に「それ」が視界に飛び込んできたからだ。燃えるような赤色をしたバラの花束。ちょこんとリビングテーブルの上に置かれて、晃良の帰宅を待っていた。

 テーブルに近づいて、その花束を持ち上げる。綺麗な包装紙に挟まっているメッセージカードを取り出すと、おもむろに開いた。

『俺のアキちゃんへ』

 晃良は、くしゃり、とそのメッセージカードを手の中で握りつぶすと、そのままぽいっとゴミ箱へと投げ入れた。本当はこの気味の悪い花束だって処分したいぐらいだが、花たちに罪はない。花束を生けようとキッチンへ花瓶を取りに入った。夕飯の支度をしている尚人が話しかけてきた。

「ほんと凄いよねぇ。毎週、欠かさず花束贈ってくるし」
「いや、怖いだろ」
「まあ、一方的だもんね。でも、晃良くん、これくらいは我慢しないと。専属ボディーガードにさせられるよ」
「……それだけは嫌」

 1ヶ月程前、晃良が仕事で警護についた男、黒埼氷雅は、アメリカに帰化した元日本人だった。米国の秘密兵器に携わるインテリ科学者としてアメリカで手厚い保護を受けていたため、日本に来る際、晃良に警護の依頼が来たのだが。裏を返せばこのときはただ、晃良に近づくための口実にすぎず、晃良に長年ストーカー行為を働いていた変態男だとわかった。

 それと同時に、黒埼が晃良の失われた記憶の断片に登場する少年であることも判明したのだが、晃良はまだその頃の黒埼との記憶を全く思い出せずにいた。

『待ってるからな、アキ』

 最後に会ったとき、そう黒埼に言われたが、これまでどれだけ頑張っても思い出せなかった記憶がそう簡単に蘇るわけがなかった。それに、例え蘇ったとして。黒埼との関係が変わるとはどうしても思えなかった。

 なぜなら、晃良にとって黒埼は、晃良にストーカー行為を働く、傍若無人な変態科学者以外の何者でもなかったからだ。百歩譲って、黒埼が晃良の好みの顔だと言うことは自他共に認めるが、あの我儘放題の何を考えているかわからない性格に、晃良はこれっぽっちも魅力を感じなかった。そんな事情もあって、黒埼との昔のことなど思い出してもしかたねーし、と半ば放り投げた状態でいた。
しおりを挟む

処理中です...