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Just the beginning ⑲

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 そのとき、章良の脱いだスーツのジャケットから、携帯が鳴る音がした。呼び出し音が章良の小さく喘ぐ息と交じり合う。黒崎が口を開いた。

「もうあんまり時間ないから、残念だけど、今夜はこれで終わりな」

 章良の体を黒崎の右手が這いながら下がっていく。

「それ、どういうい……んっ」

 ぐっと章良の自身が掴まれた。間髪入れずに最初から力を入れて扱かれる。

「あっ……あっ……」

 熱が徐々に籠もって、黒埼の手元に集中する。章良の意思とは関係なく大きく膨らんでいくそれを握る黒崎の手が、抽送を早めていく。

「あっ、あっ、あっ、はっ」

 頭の芯が痺れていくような感覚がした。意識が膨張して、本能が理性を食い始める。認めたくない。認めたくないが。

 くそっ。気持ち良すぎるっ。

 黒崎の手の動きが、章良の感じるポイントを絶妙に攻めてくる。まるで章良の体を熟知しているかのように、黒崎の触手が全身を這い回る。もう、何も考えられない。黒崎の手に意識が集中する。堪らず目を閉じて、眉を潜める。息遣いが抑えられないぐらいに荒くなっていく。

「はあっ、あっ、あっ、あっ、も……だめっ……んんっ」

 先端から勢いよく、章良の欲が吐き出された。快感が全身を駆け巡る。はっと我に返り、うわっ、床汚れるっ、と思ったときには遅かった。カーペットの上に章良から出た欲が無残にも散っていた。

 黒崎が章良の両手を拘束していた手錠を素早く外した。

 え?

 その黒埼の行動に驚いている内に、黒埼に後ろからぐっと抱き締められる。

 まだ快感の余韻が残る頭で、黒埼の腕に収まったまま考える。

 一体どういうことだろう。黒埼は章良になんらかの恨みがあるのではないのか。今夜が、その恨みを晴らすチャンスじゃないのか。章良の体を好き勝手するかして、最後には手にかけるつもりじゃなかったのか。

 なのに、黒埼は章良をイかせたあと、あっさりと手錠を外してしまった。章良に危害を加えることもなく。何にもしない、と言っていたとおり、本当に何にもしなかった。体に触れる以外は。

 それに「今夜は」って。次があるような言い方だった。さすがに章良だって同じ手には乗らないし、命を狙われるような相手に会うことなど二度としない。ということは。最初から、命が狙われていたわけではないのだろうか。

 自分はもしかして、とんでもない勘違いをしているのだろうか。もしそうなら、一体全体、黒埼の目的はなんなのか。

 混乱する章良の耳元で、黒崎が囁いた。

「続きはまたな、アキちゃん」
「……続きなんてないからな」
「あるよ、たぶん」
「……おい、お前、何か忘れてないか?」
「何?」
「理由。教える約束だろ」
「ああ……。そうだったな」

 とにかく、理由だけでも知りたい。恨みではないにしろ、ここまでのことをするのだから、相当の訳があるはずだ。

 黒崎が体を離して、くるりと章良を正面に向けた。今夜初めて、まともに正面から顔を合わせた。あ。眼鏡してないな、とこんなときにぼんやりと思った。こうして間近で見ると、やっぱり綺麗な顔をしている。

 黒崎が口角上げてニヤリと笑った。そして。

 は?

 そのまま章良へキスを落としてきた。軽く触れるだけのキス。ゆっくりと唇を離して数センチで止まる。黒崎が章良の目を覗いたまま口を開いた。

「好きだから」
「は?」

 章良が眉を潜めて聞き返すと、黒崎がきょとんとした顔で答えた。

「だから。理由。好きだから」
「…………」

 次の瞬間。章良の渾身の高速アッパーが、見事に黒崎の顎下に命中した。
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