23 / 73
あそこにいるのなら
しおりを挟む
懸命な処置の結果、搬送されてきた幼児(女児2名)の命の危機は乗り越えた。しかし、交通事故の後遺症はかなり深刻に残りそうだった。最悪、体に麻痺や言語障害などが起こり得る。特に2人の内1人の女児は顔に大きな傷ができており、先々のことを思うと胸が痛んだ。
疲れた。
緊張から解放され、どっと疲労が千晃にのしかかる。ほんの数時間前までは、穏やかな日だなどと悠長に考える余裕があったのに。
とりあえず容体は安定しているので、救命の医師たちに任せて帰宅することにした。時刻を見ると、夜9時を回ったところだった。帰る前に控え室に設置された小さな洗面所で手を洗う。発作とは関係なしに、ずっと続けているルーティーンだ。
ふと、気配を感じて顔を上げた。
「あ」
誉が鏡の中に立っていた。少し前髪が濡れている。千晃を認めると、そっと微笑んだ。いつもの花が咲くような笑みではなかった。笑っているのに寂しそうで、そして悲しそうだった。
「どうした?」
そうゆっくりと口を動かして話しかけた。誉の様子がおかしかったので、ペンと紙を出す手間を惜しんだ。千晃の口の動きを見て何と言ったのか理解したらしい。誉が軽く首を振った。なんでもない、と伝えたいようだった。そこで、誉が上半身裸なのに気づいた。こちらの鏡が小さく下半身まで見えないので、全裸かどうかまではわからない。
自宅ではなさそうだなと思い、誉の肩越しに僅かに見える背景を確認して納得した。どこかのプールのシャワー室にいるようだ。後ろの壁に、プールへの入り口を示すサインが見えた。そこで、あることに気づく。
そのサインと、シャワー室。
それには見覚えがあった。
間違いないと確信を持った瞬間。だれかがシャワー室に入ってくるのが見えて、ふっと誉が消えた。今回は短い対面だった。
でも。今もし、本当に誉があそこにいるのなら。
答えが出るより先に体が動いていた。
千晃は素早く帰り支度を済ませると、逸る気持ちを抑えながら控え室を飛び出した。
疲れた。
緊張から解放され、どっと疲労が千晃にのしかかる。ほんの数時間前までは、穏やかな日だなどと悠長に考える余裕があったのに。
とりあえず容体は安定しているので、救命の医師たちに任せて帰宅することにした。時刻を見ると、夜9時を回ったところだった。帰る前に控え室に設置された小さな洗面所で手を洗う。発作とは関係なしに、ずっと続けているルーティーンだ。
ふと、気配を感じて顔を上げた。
「あ」
誉が鏡の中に立っていた。少し前髪が濡れている。千晃を認めると、そっと微笑んだ。いつもの花が咲くような笑みではなかった。笑っているのに寂しそうで、そして悲しそうだった。
「どうした?」
そうゆっくりと口を動かして話しかけた。誉の様子がおかしかったので、ペンと紙を出す手間を惜しんだ。千晃の口の動きを見て何と言ったのか理解したらしい。誉が軽く首を振った。なんでもない、と伝えたいようだった。そこで、誉が上半身裸なのに気づいた。こちらの鏡が小さく下半身まで見えないので、全裸かどうかまではわからない。
自宅ではなさそうだなと思い、誉の肩越しに僅かに見える背景を確認して納得した。どこかのプールのシャワー室にいるようだ。後ろの壁に、プールへの入り口を示すサインが見えた。そこで、あることに気づく。
そのサインと、シャワー室。
それには見覚えがあった。
間違いないと確信を持った瞬間。だれかがシャワー室に入ってくるのが見えて、ふっと誉が消えた。今回は短い対面だった。
でも。今もし、本当に誉があそこにいるのなら。
答えが出るより先に体が動いていた。
千晃は素早く帰り支度を済ませると、逸る気持ちを抑えながら控え室を飛び出した。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~
天岸 あおい
BL
英国の若き青年×職人気質のおっさん塗師。
「カツミさん、アナタはワタシのミューズです!」
「おっさんにミューズはないだろ……っ!」
愛などいらぬ!が信条の中年塗師が英国青年と出会って仲を深めていくコメディBL。男前おっさん×伝統工芸×田舎ライフ物語。
第10回BL小説大賞エントリー作品。よろしくお願い致します!
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)
告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした
雨宮里玖
BL
《あらすじ》
昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。
その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。
その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。
早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。
乃木(18)普通の高校三年生。
波田野(17)早坂の友人。
蓑島(17)早坂の友人。
石井(18)乃木の友人。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる