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9.ホロ肉の煮込み2

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その日は、マーレとホロ鳥の肉を煮込んでいた。マーレの酸味と鳥の脂の甘みが混ざる、この国でよく食べられている料理だ。
「その料理……ホロ肉か?」
 そもそも話しかけられることがまれだが、料理を作っていて話しかけられたのは、初めてだった。
「はい、味見されますか?」
 ほとんど味を整えている段階だったので、小皿を差し出した。
 しかし、英雄は少し食べると肩を落とした。
 顔は相変わらず前髪で見えない。
「違う」
 何が違うのだろう。食べる前までは、たしかに料理に興味を持っていたのに。
 問うても答えはない。
 英雄はいつもどおり、少量しかホロ肉の煮込みを食べなかった。
 
 ***
 
 英雄はホロ肉の煮込みには、最初は興味を持っていたのだ。
 キースは英雄においしく料理を食べさせたかった。彼の食べ方は、食事になんの楽しみも見出みいだしていない。
 空腹だから何かつまんでいるだけ。
 キースは英雄にたくさん食べさせようと、躍起になっていた。
 味つけを王都に近づけてみたがダメだった。
 そもそも、ホロ肉の煮込みは家庭料理だ。その家ごとに味が違う。英雄が母親の味を求めていたのなら、再現は難しい。
 そういえば、英雄の出身も家族のことをキースは全然知らない。まずは情報を集めることにした。

 ***
 
 協会長に英雄の様子を定期報告する時に、英雄の家族について聞いた。

じゃ」

 協会長の答えは簡潔だった。
 魔術師協会長の会長室。そこには、見たこともないほど立派な書斎机が鎮座していた。机なのに重厚な艶がある。きっとキースには想像もつかない額なのだろう。

「最初の魔王討伐の遠征で惨敗じゃったからの。魔術を使える者が一気に減った。慌てて王都の平民からも、それこそ孤児からも魔力があるものを集めた。その1人じゃ」

「英雄に食べてもらうために、家庭の味を知りたいと思ったのですが、孤児ですか……」
 手がかりはなしである。

「やつは飯をまだ食わんのか」
「はい」
 ふーむと、協会長は白く長い髭を撫でた。

 この話の前に、ランベリー商会と協力した金銭管理と、ギルドへ使いっ走りをすることになったと報告すると、諸手もろてをあげて喜ばれた。

「セヌートの師は、リーヴァイじゃ。やつはそこで7年みっちりと魔術を仕込まれた。リーヴァイはもう死んだがの。家にはリーヴァイの子どもたちが住んどるから、行ってみるか?」

 ***
 
「ホロ肉のマーレ煮込みです」
 器になみなみとついで、ドンと机に置いた。
「……こんなに?」
 どうにか食卓に連れてきた英雄は、あきらかにひいている。器にはいつも英雄が食べる量の3倍程が注がれている。
 だが、あの店ではこれがなのだ。
 
 「もうホロ肉の煮込みはいいよ」
 最近、この味つけなら食べるのではと、いろいろ挑戦したせいで、ホロ肉の煮込みが続いてしまった。どうやら食べることに興味がない英雄も、さすがに飽きたようだ。

 しかし
「この味だ」
 英雄は一口食べると、どんどん口に運んだ。

 (やっと食べた)
 長かった。

「……よく作れたな。前によく食べた味だよ」
 しみじみと英雄は、ホロ肉を噛み締めている。
「買ってきました」
「買った?」
「ポピー亭から」

「……あぁ、なるほど」
髭に包まれた顔が、少しだけかげった気がした。

「なるほど。そりゃ女将さんの味そのまんまのはずだ。……女将さん元気だったか?」
「はい。英雄の、セヌートさんのことを心配されていました。戦が終わっても顔を出してくれないから、怪我でもしてるのかって」

「そうか」
 英雄は、伸びきった無精髭を片手で包みながら、ただそれだけ答えた。今度ポピー亭に行ってみるとは、言わなかった。

 かわりに
「まだホロ肉の煮込みはあるか?」
と聞かれる。

「いいえ。ですがご所望ならまた買ってきます」
「なら2人分頼む。あと小さな壺はあるか?」
「……コロンバリウムに持って行かれますか?」
 コロンバリウムには、故人の好物を壺に詰めて持っていくこともある。骨壺の前で、料理を食べながら思い出を語るのだ。

「ああ、持っていきたい」
「それならば、一緒に食べれるように壺に2つ入れておきます」
「頼む。懐かしい味だ。トゥッセも喜ぶ」

 ついでにと女将がおまけでつけてくれた丸パンと、飲み物はエールを用意するよう頼まれる。よく料理と一緒に飲んでいたらしい。
 そのあとは、英雄はただ静かにホロ肉の煮込みを食べていた。

 はじめての完食だったが、そう喜びはなかった。
 昼間にポピー亭の女将から聞いた話が、尾をひいていたのだ。
 
***

 リーヴァイ師の家を訪ねると、彼の娘だという女性が対応してくれた。そして、うちではお弟子さんたちの食事まではまかなえなかったので、食事は近所の食堂に任せていたとポピー亭を紹介されたのだ。

 ポピー亭の女将は恰幅のいい女性だった。リーヴァイ師には、弟子がきたら何か食べさせてやってくれと、毎月まとまった金を受け取っていて、いい常連さんだったと、弟子たちのこともよく覚えていた。

 若い日の英雄セヌートの好物が、ホロ肉のマーレ煮込みだったことも。
 そして、彼の相棒のことも。

「……ねぇ、あんたセヌートの助手なんだろう?トゥッセはどうしたか知らないかい?」

 自己紹介のあと、英雄が懐かしがっていると言ったら、ホロ肉の煮込みを売ってもらえることになった。うちの看板メニューで、本当は店でしか出さないが、英雄には特別だと。温めて食べた方が美味しいからと、小さな鍋も準備してくれた。

「……セヌートとトゥッセはね、いつも一緒だったんだ。一心同体っていうのかね?気が合うみたいでさ。片時も離れたところを見たことがなかった。討伐に行く時も挨拶に2人一緒に来てくれたんだ。知らないかい?」

 会ったことがないと答えると、女将さんは深く息をついた。

「やっぱり……死んじまったのかね。おかしいと思ったんだよ、魔王を倒したら、また来ますって言ってたのにさ。凱旋のパレードでセヌートは見かけたんだけど、トゥッセの姿は見当たらなかった。そのうち落ち着いたら、顔を出してくれるかと思ったんだけどね」

 鍋にホロ肉を詰めながら、女将さんは言葉を詰まらせた。
「……律儀な子たちだったから、生きてるんなら来てくれると思ってたんだよ」

 女将さんの語る英雄は、キースの知ってる英雄とは違った。よく笑い、食べて、トゥッセと他の弟子たちと、女将さんにはよくわからない魔術の議論を交わしていたらしい。

「魔王討伐に行くことが決まってるって言うのに楽しそうだったよ」

 魔力があった子ども、特に王都の孤児は優先して学ばされた。すみかと食事を引き換えに、魔王と戦うためだけに攻撃魔術に特化して学んだのだ。

 弟子たちを戦場に送り出してから、リーヴァイ師は亡くなったそうだ。もともと高齢だったこともあるが、弟子がいなくなってからは、緊張の糸が切れたように元気がなくなり、魔王討伐の報をきくこともなく、儚くなった。

 女将さんも心配はしていたが、リーヴァイ師もいなくなり、弟子たちのその後も分からなかったという。

「英雄の助手になってまだ短いですが、トゥッセさんの名を聞いたことはないです。ただ……英雄はよくコロンバリウムに行かれています」

 女将さんは、ただ「そうかい」と相槌を打った。
 そして、煮込みにつける丸パンを、おまけだと袋に詰めながら、たくさん、死んだからね。と、キースに聞こえないぐらいのささやきをもらした。 
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