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アンコール
師匠と弟子(2)
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メルティの息が詰まった。
「……死んだ? ラッドが?」
「追いやられて死に向かって猛進中。君がかけた呪いのせいで」
虚を突かれたが、彼女は素早く立ち直った。
「呪い? 君ではあるまいし、あたしは魔法なんか使えないのだがね」
「歌が歴史を動かした」
「事実じゃないか」
「魔法具で歴史が動いたとしても、それは歌ではなく魔法の力だ」
「ラッドが魔法具の力を引き出せるとは、想定外だった。あたし以外の誰も出来なかったのだから」
「それであんな台詞を吹き込んだの? 無責任過ぎる。引退する人間が人生の慰めにするなら良いけど、果たせなかった夢を若者に背負わせるにしては重すぎる。遠すぎる目標ばかり追っていたら、足下が疎かになって転ぶよ」
「果たせなかった夢とは虚言だね。あたしら吟遊詩人が歌の力で歴史を動かしたのは、事実じゃないか」
「なら僕は否定しよう。マユラたちの歌は歴史を動かしていない、と」
「それを立証するにはフィンギルトを連れて来るしかないね」
「その必要は無い」
「何故?」
「マユラは何度も尋ねたよね? 『偶然には出来すぎた。本当は知り合いじゃないのか?』と」
「良く覚えているね」
「困らされた事だからね。僕は、はぐらかし続けた」
「見え見えだったさ」
「でもそのせいで確証を得られなかったはずだ」
メルティは息を飲んだ。
「まさか――」
「そう、僕は最初から知っていた。フィンギルトが何者であるかを」
頭を殴られたほどの衝撃を受けた。
疑ってはいたが、確かめられないので「正体不明」で済ませていた。
否、自分を誤魔化していたのだ。大陸中の同業者が知りたがっていた謎の「真相を知るであろう人間」の隣にいるのに聞き出せない自分を認めたくなくて。
彼女を騙すには彼は嘘が下手すぎる。肯定も否定もしない、それだけが回答を与えない方法なのだ。
だから彼ははぐらかした。
だが今、彼は認めた。
認めてしまった。
ならば聞きたい。
フィンギルトの正体を。
歴史の真相を。
しかし真相を口にする事は絶対に無いと、彼の目が語っていた。
「結局あたしは、信頼されていなかったんだね」
「彼の正体を知る人間がいる、その情報だけで戦争神殿は全国民を拷問にかけただろうさ。誰も正体を知らない、それが巻き添えを出さない唯一の方法だ。違う?」
「違わない、な。あたしらはまんまと、煙幕に利用されたんだね」
「人聞きの悪い事を。世話になったから君らに花を持たせてあげたのに」
「あ――」
メルティは久しぶりに自己嫌悪に陥った。
彼の素直だった性格からしたら、それは自然な成り行きではないか。
だが、今目の前にいる男は、同一人物ながら同じ人間ではない。
狡猾さでメルティを追い越した人間なのだ。
「ラッドを……彼をどうする気?」
「彼はもう成人だ。僕が助ける理由は無い。師匠のせいで要らぬ苦労をするとは気の毒に。でも安心して良いよ。彼に手は出さないから。それは約束する」
「だが魔法具を諦めたりはしない、そうだろ?」
「当たり前じゃないか。彼がどんな機能を引き出すかは観察し続けるよ。人間は極限状態で限界を超えるから、たとえ命の危険に襲われようと一切『手は出さない』で見守る。で、彼が死んだらその時に回収する」
「なっ!?」
「死人はもう魔法具を使えないし、所有権も無くなる。弔い費用を出せば、どこの役場だって喜んで遺品を譲ってくれるさ。何しろ漂泊の非良民だ。無縁墓地の管理費用捻出の為にどのみち遺品は売られる。なら、先んじて多めに支払う事はむしろ人助けじゃないか」
「本気じゃないだろうな!?」
「弟子は自分の人生を全うする。僕は最後まで観察できるし、莫大な予算を工面せずに魔法具を入手できる。役場も通常より多く費用がもらえる。関わる人間全てが不幸にならない、最良の結末じゃないか?」
「く……」
悔しい。このメルティ=カーノンが言い負かされている。
だがこれも自分が撒いた種ではないか。
こうした話術を彼に仕込んだのは、メルティなのだ。
しかも半ば強制的に。
彼は良い弟子だった。乾いた土が雨水を吸い込むように弁舌を鍛え、たちまち相手を煙に巻くことを覚えた。
ただ良い弟子過ぎて、まるで鏡を見ている様な不快感を覚えるほど、メルティの口調になった。
「歌が歴史を動かす? 歌が動かせるのは人の心だけじゃないか。そこから先は人間の力であって、歌の力じゃない。クラウト人なら話半分に受け取るだろうけど、こんな辺境の純朴な民に吹き込んだせいで、呪いの言葉になってしまったよ」
「強い思いが無ければ、漂泊の民は生きていけないのだよ。皆が皆、君みたいに強くはないんだ」
彼は眉をしかめた。
「――初対面の頃、僕はそれほど強かった?」
「あ、いや。けど、君には魔法があった」
「自分の魔力しか使えない魔術師風情に何が出来たと? それなら弟子の手にはセラヴィシリーズを凌駕する魔法具がある。そして心には呪いの言葉。彼は言ったよ。『俺が歌で歴史を動かしてやる!』と。マユラは弟子に自慢したかっただけだろうけど、大きすぎる夢は容赦なく人を潰すよ」
「それは――」
「それを知らないとは言わせないぞ」
「ラッドは違う」
「それは推論じゃなくて願望じゃないの?」
「う……」
「確かに今の僕は強いさ。強くなったさ。でもそれは、潰されてなお耐え続けた結果論でしかない。マユラが逃げた後も、投げ出さないでずっと背負い続けたからだ」
「あたしが逃げたとは、心外だな」
「大陸の行く末を見届けずに、こうして引退したじゃないか」
「独裁国を倒したんだ。もうあたしが謳う歌なんて無いさ」
「自分の足につまづいた馬鹿の後押しをしただけで『倒した』だ? 両脚で踏ん張っている奴をすっ転ばしてはじめて『倒した』と言えるんじゃないの?」
「君は、フィンギルトが独裁国を倒したことまでも否定するのか?」
「否定するとも。あの国は滅ぶべくして滅んだんだ。フィンギルトにしたって、予定を早めたに過ぎない」
(予定……だと?)
まるで滅亡が仕組まれていたような口ぶりである。
否、今彼は正直に発言している。もし嘘をつけばメルティはたちまち見抜く自身がある。
ならば答えは一つだ。
バラキア神国は自滅するよう誘導されたのだ。
(誰に?)
フィンギルトが屋台骨を揺るがした時点で自滅が決まっていたなら、相当昔だ。
そもそもバラキア神国は三十年も保たなかった。
ルガーン帝国から分離独立してすぐ圧政を始め、メルティが行った時点で「長く保たない」と言われていた。
当然ルガーン帝国は再吸収の為に画策したろうが、戦争神殿を操れるなら独立などさせなかったろう。
陰謀は最大利益者が仕掛けるものである。
バラキア神国の場合、併合したクラウト王国が最大利益者か?
だがルガーン帝国との間に緩衝地帯を作るという点では、併合するより自立させた方が良いはず。
バラキア併合直後に、驚くことにルガーン帝国を征服してしまったから緩衝地帯は不要になったが。
(待て、逆に考えれば)
ルガーン帝国攻略の目処が付いたから、緩衝地帯を取り払ったか。
ルガーン帝国を滅ぼしたのはリリアーナ大王……しかしバラキア神国の建国から自滅まで仕掛けるには若すぎる。最低でも親の世代で……
メルティの頭の中でバラバラだった情報が次々と結びつけられ、巨大な戦略が浮かび上がった。
「……君は一体、どこまで知っているんだ?」
その戦略の一端を担った男はにべもない。
「もう引退した人には関係ない話だ。僕は、君が限界だと感じたから見送ったんだ。でもね、君が辛い現実から逃げたその後こそ、僕の本当の苦労の始まりだった。どれだけ吟遊詩人の力を借りたかったか。どれだけここに来て『手伝ってくれ』と頼みたかったか」
「あたしでなくても、伝手を紹介するくらいは出来たのに」
「はあ? 僕はマユラだから信じたんだ。吟遊詩人に秘密の相談なんかして、それを歌って広めずにいてくれるとでも?」
「それは……」
「結局僕は、吟遊詩人の助け無しで――逆に妨害をされたうえで――乗り切らざるを得なかった。どうせ余生を過ごしている人間に頼んだところで、かつての力なんて無いだろうからさ。だったら静かに過ごさせてやろうと言うのが人情じゃないか。だから『歌が歴史を動かした』という妄想も否定しなかった。けど僕は、君が若者にそんな呪いを掛けたことを知ってしまった。だからこうして来た。これ以上の呪いをまき散らさせない為に」
厳しい口調で、厳しい表情で一方的にまくし立てられ、メルティは深く息をついた。呼吸を整える。
「今日のところは、あたしの負けを認めよう。だから教えてくれないか。今日、ここに来た本当の訳を」
すると彼は破顔した。笑いだす。
「なんだ、まだ元気じゃないか。殺しても死なない顔だ。安心した。やっぱり吟遊詩人は引退しようが、死ぬまで吟遊詩人なんだな。まったく、油断も隙も無い民族だ」
「あたしらはクラウト人ではなく、異民族なのかい?」
「クラウト商人がそうであるように、吟遊詩人も他のクラウト人とは異質な存在じゃないか。それに国籍や人種が違っても、吟遊詩人は共通の価値観と思考パターンを持っている。これは一つの民族と言っても良いんじゃないか?」
「迫害される漂泊の民は、横の繋がりが無いと生きられないからね。しかしその分だと、あたし以外の吟遊詩人にも困らされたようじゃないか」
「そりゃもう、絞め殺したいと何度思ったことか」
「だから、君は嘘が下手なんだよ」
ようやくメルティも笑いを取り戻した。
バレバレの嘘をつく、そんな所は昔から変わっていない。
確かに自分は老けたのだろう。
――これ以上の呪いをまき散らさせない――
その意味する所は「現役に戻れ」だ。
「でもあれだね。統一という大事業が終わったこの大陸に、あたしが歌う価値のある題材が残っているのかい?」
「君にとっての価値が何を意味するか、僕には分からないよ。何しろ僕は、女心が分からない朴念仁なんだから」
(はぐらかした!)
即座にメルティは確信した。
これから何か途方もない事が起きるのだ、と。
男はソファにもたれて瞳を期待に輝かせている。
(それとも起こすのか?)
バラキア神国という新興の小国の滅亡など、ルガーン帝国という長きに渡った大国の滅亡に比べたら前奏でしかなかったではないか。
「どうやら、あたしの引退は早かったようだね。終の住処を処分するだなんて、君じゃないけど死ぬほど面倒くさいよ」
そう言うと彼は笑みで答えてきた。
嬉しくもなるだろう。見え見えの挑発に、敢えて乗ってやったのだから。
メルティは自分の決断に満足していた。
何しろ弟子が師匠に再起を促しに来たのだ。それも師匠にとり一番嬉しいやり方で。
ならば、それに乗ってやるのが吟遊詩人の矜持ではないか。
完
「……死んだ? ラッドが?」
「追いやられて死に向かって猛進中。君がかけた呪いのせいで」
虚を突かれたが、彼女は素早く立ち直った。
「呪い? 君ではあるまいし、あたしは魔法なんか使えないのだがね」
「歌が歴史を動かした」
「事実じゃないか」
「魔法具で歴史が動いたとしても、それは歌ではなく魔法の力だ」
「ラッドが魔法具の力を引き出せるとは、想定外だった。あたし以外の誰も出来なかったのだから」
「それであんな台詞を吹き込んだの? 無責任過ぎる。引退する人間が人生の慰めにするなら良いけど、果たせなかった夢を若者に背負わせるにしては重すぎる。遠すぎる目標ばかり追っていたら、足下が疎かになって転ぶよ」
「果たせなかった夢とは虚言だね。あたしら吟遊詩人が歌の力で歴史を動かしたのは、事実じゃないか」
「なら僕は否定しよう。マユラたちの歌は歴史を動かしていない、と」
「それを立証するにはフィンギルトを連れて来るしかないね」
「その必要は無い」
「何故?」
「マユラは何度も尋ねたよね? 『偶然には出来すぎた。本当は知り合いじゃないのか?』と」
「良く覚えているね」
「困らされた事だからね。僕は、はぐらかし続けた」
「見え見えだったさ」
「でもそのせいで確証を得られなかったはずだ」
メルティは息を飲んだ。
「まさか――」
「そう、僕は最初から知っていた。フィンギルトが何者であるかを」
頭を殴られたほどの衝撃を受けた。
疑ってはいたが、確かめられないので「正体不明」で済ませていた。
否、自分を誤魔化していたのだ。大陸中の同業者が知りたがっていた謎の「真相を知るであろう人間」の隣にいるのに聞き出せない自分を認めたくなくて。
彼女を騙すには彼は嘘が下手すぎる。肯定も否定もしない、それだけが回答を与えない方法なのだ。
だから彼ははぐらかした。
だが今、彼は認めた。
認めてしまった。
ならば聞きたい。
フィンギルトの正体を。
歴史の真相を。
しかし真相を口にする事は絶対に無いと、彼の目が語っていた。
「結局あたしは、信頼されていなかったんだね」
「彼の正体を知る人間がいる、その情報だけで戦争神殿は全国民を拷問にかけただろうさ。誰も正体を知らない、それが巻き添えを出さない唯一の方法だ。違う?」
「違わない、な。あたしらはまんまと、煙幕に利用されたんだね」
「人聞きの悪い事を。世話になったから君らに花を持たせてあげたのに」
「あ――」
メルティは久しぶりに自己嫌悪に陥った。
彼の素直だった性格からしたら、それは自然な成り行きではないか。
だが、今目の前にいる男は、同一人物ながら同じ人間ではない。
狡猾さでメルティを追い越した人間なのだ。
「ラッドを……彼をどうする気?」
「彼はもう成人だ。僕が助ける理由は無い。師匠のせいで要らぬ苦労をするとは気の毒に。でも安心して良いよ。彼に手は出さないから。それは約束する」
「だが魔法具を諦めたりはしない、そうだろ?」
「当たり前じゃないか。彼がどんな機能を引き出すかは観察し続けるよ。人間は極限状態で限界を超えるから、たとえ命の危険に襲われようと一切『手は出さない』で見守る。で、彼が死んだらその時に回収する」
「なっ!?」
「死人はもう魔法具を使えないし、所有権も無くなる。弔い費用を出せば、どこの役場だって喜んで遺品を譲ってくれるさ。何しろ漂泊の非良民だ。無縁墓地の管理費用捻出の為にどのみち遺品は売られる。なら、先んじて多めに支払う事はむしろ人助けじゃないか」
「本気じゃないだろうな!?」
「弟子は自分の人生を全うする。僕は最後まで観察できるし、莫大な予算を工面せずに魔法具を入手できる。役場も通常より多く費用がもらえる。関わる人間全てが不幸にならない、最良の結末じゃないか?」
「く……」
悔しい。このメルティ=カーノンが言い負かされている。
だがこれも自分が撒いた種ではないか。
こうした話術を彼に仕込んだのは、メルティなのだ。
しかも半ば強制的に。
彼は良い弟子だった。乾いた土が雨水を吸い込むように弁舌を鍛え、たちまち相手を煙に巻くことを覚えた。
ただ良い弟子過ぎて、まるで鏡を見ている様な不快感を覚えるほど、メルティの口調になった。
「歌が歴史を動かす? 歌が動かせるのは人の心だけじゃないか。そこから先は人間の力であって、歌の力じゃない。クラウト人なら話半分に受け取るだろうけど、こんな辺境の純朴な民に吹き込んだせいで、呪いの言葉になってしまったよ」
「強い思いが無ければ、漂泊の民は生きていけないのだよ。皆が皆、君みたいに強くはないんだ」
彼は眉をしかめた。
「――初対面の頃、僕はそれほど強かった?」
「あ、いや。けど、君には魔法があった」
「自分の魔力しか使えない魔術師風情に何が出来たと? それなら弟子の手にはセラヴィシリーズを凌駕する魔法具がある。そして心には呪いの言葉。彼は言ったよ。『俺が歌で歴史を動かしてやる!』と。マユラは弟子に自慢したかっただけだろうけど、大きすぎる夢は容赦なく人を潰すよ」
「それは――」
「それを知らないとは言わせないぞ」
「ラッドは違う」
「それは推論じゃなくて願望じゃないの?」
「う……」
「確かに今の僕は強いさ。強くなったさ。でもそれは、潰されてなお耐え続けた結果論でしかない。マユラが逃げた後も、投げ出さないでずっと背負い続けたからだ」
「あたしが逃げたとは、心外だな」
「大陸の行く末を見届けずに、こうして引退したじゃないか」
「独裁国を倒したんだ。もうあたしが謳う歌なんて無いさ」
「自分の足につまづいた馬鹿の後押しをしただけで『倒した』だ? 両脚で踏ん張っている奴をすっ転ばしてはじめて『倒した』と言えるんじゃないの?」
「君は、フィンギルトが独裁国を倒したことまでも否定するのか?」
「否定するとも。あの国は滅ぶべくして滅んだんだ。フィンギルトにしたって、予定を早めたに過ぎない」
(予定……だと?)
まるで滅亡が仕組まれていたような口ぶりである。
否、今彼は正直に発言している。もし嘘をつけばメルティはたちまち見抜く自身がある。
ならば答えは一つだ。
バラキア神国は自滅するよう誘導されたのだ。
(誰に?)
フィンギルトが屋台骨を揺るがした時点で自滅が決まっていたなら、相当昔だ。
そもそもバラキア神国は三十年も保たなかった。
ルガーン帝国から分離独立してすぐ圧政を始め、メルティが行った時点で「長く保たない」と言われていた。
当然ルガーン帝国は再吸収の為に画策したろうが、戦争神殿を操れるなら独立などさせなかったろう。
陰謀は最大利益者が仕掛けるものである。
バラキア神国の場合、併合したクラウト王国が最大利益者か?
だがルガーン帝国との間に緩衝地帯を作るという点では、併合するより自立させた方が良いはず。
バラキア併合直後に、驚くことにルガーン帝国を征服してしまったから緩衝地帯は不要になったが。
(待て、逆に考えれば)
ルガーン帝国攻略の目処が付いたから、緩衝地帯を取り払ったか。
ルガーン帝国を滅ぼしたのはリリアーナ大王……しかしバラキア神国の建国から自滅まで仕掛けるには若すぎる。最低でも親の世代で……
メルティの頭の中でバラバラだった情報が次々と結びつけられ、巨大な戦略が浮かび上がった。
「……君は一体、どこまで知っているんだ?」
その戦略の一端を担った男はにべもない。
「もう引退した人には関係ない話だ。僕は、君が限界だと感じたから見送ったんだ。でもね、君が辛い現実から逃げたその後こそ、僕の本当の苦労の始まりだった。どれだけ吟遊詩人の力を借りたかったか。どれだけここに来て『手伝ってくれ』と頼みたかったか」
「あたしでなくても、伝手を紹介するくらいは出来たのに」
「はあ? 僕はマユラだから信じたんだ。吟遊詩人に秘密の相談なんかして、それを歌って広めずにいてくれるとでも?」
「それは……」
「結局僕は、吟遊詩人の助け無しで――逆に妨害をされたうえで――乗り切らざるを得なかった。どうせ余生を過ごしている人間に頼んだところで、かつての力なんて無いだろうからさ。だったら静かに過ごさせてやろうと言うのが人情じゃないか。だから『歌が歴史を動かした』という妄想も否定しなかった。けど僕は、君が若者にそんな呪いを掛けたことを知ってしまった。だからこうして来た。これ以上の呪いをまき散らさせない為に」
厳しい口調で、厳しい表情で一方的にまくし立てられ、メルティは深く息をついた。呼吸を整える。
「今日のところは、あたしの負けを認めよう。だから教えてくれないか。今日、ここに来た本当の訳を」
すると彼は破顔した。笑いだす。
「なんだ、まだ元気じゃないか。殺しても死なない顔だ。安心した。やっぱり吟遊詩人は引退しようが、死ぬまで吟遊詩人なんだな。まったく、油断も隙も無い民族だ」
「あたしらはクラウト人ではなく、異民族なのかい?」
「クラウト商人がそうであるように、吟遊詩人も他のクラウト人とは異質な存在じゃないか。それに国籍や人種が違っても、吟遊詩人は共通の価値観と思考パターンを持っている。これは一つの民族と言っても良いんじゃないか?」
「迫害される漂泊の民は、横の繋がりが無いと生きられないからね。しかしその分だと、あたし以外の吟遊詩人にも困らされたようじゃないか」
「そりゃもう、絞め殺したいと何度思ったことか」
「だから、君は嘘が下手なんだよ」
ようやくメルティも笑いを取り戻した。
バレバレの嘘をつく、そんな所は昔から変わっていない。
確かに自分は老けたのだろう。
――これ以上の呪いをまき散らさせない――
その意味する所は「現役に戻れ」だ。
「でもあれだね。統一という大事業が終わったこの大陸に、あたしが歌う価値のある題材が残っているのかい?」
「君にとっての価値が何を意味するか、僕には分からないよ。何しろ僕は、女心が分からない朴念仁なんだから」
(はぐらかした!)
即座にメルティは確信した。
これから何か途方もない事が起きるのだ、と。
男はソファにもたれて瞳を期待に輝かせている。
(それとも起こすのか?)
バラキア神国という新興の小国の滅亡など、ルガーン帝国という長きに渡った大国の滅亡に比べたら前奏でしかなかったではないか。
「どうやら、あたしの引退は早かったようだね。終の住処を処分するだなんて、君じゃないけど死ぬほど面倒くさいよ」
そう言うと彼は笑みで答えてきた。
嬉しくもなるだろう。見え見えの挑発に、敢えて乗ってやったのだから。
メルティは自分の決断に満足していた。
何しろ弟子が師匠に再起を促しに来たのだ。それも師匠にとり一番嬉しいやり方で。
ならば、それに乗ってやるのが吟遊詩人の矜持ではないか。
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