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第十楽章

獲物を狩る者(4)

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 茂みが音を立てた。
 振り返ったラッドに半丈の杖が突きつけられる。
「動かないで」
 命じたのは黄金の夜明け旅団の少女兵士ノーチェだった。
「逃げたんじゃなかったのか?」
「捕まったのよ。仲間から書類を受け取らなかった?」
「何の事?」
「騙された!」
 彼女は忌々しげに杖を下げた。
「そうか。トゥシェに裏口を教えたのは君か。礼を言うべきかな?」
「嫌味な真似は止して。これで私は、部隊に二重に損害を与えてしまったわ」
「そりゃ、お気の毒に」
「とにかく小隊に戻りましょう。来なさい」
「え?」
「日が暮れるまでにあなたを連れ帰るのが、デニ小隊長の命令ですから」
「でも、仲間は戻ったはずだよ」
「そんな話は聞いていないわ」
「リンカが、賞金稼ぎが脱走させて引き渡したんだ」
「誰がそんな事を?」
「トゥシェさ。君が案内した」
「私を騙した人なんか信じられる訳ないでしょ! とにかく、重要書類保全任務が果たせなかった以上、あなたを連れて原隊に復帰するしかないわ」
「そんな!」
「抵抗しても魔法で拘束するだけよ」
「ああ、くそっ!!」
 せっかく脱出したのに、リンカとトゥシェがドラゴンに向かっているのに、また捕まってしまう。これでは彼女らの命がけの行動を無にしてしまう。
(諦めるな。とりあえず考える時間を稼がないと)
「分かった。でも移動の前に楽器の無事を確認させてくれ。走り回ったから、固定し直さないと心配なんだ」
「すぐ終わらせなさい」
「頑張るよ」
 ラッドは地面に座って革張りのケースを開けた。フィドルのボディに触れると不思議と力が湧いてくる。これさえあれば生きてゆけるのだから。
(どうやって逃げよう?)
 散々走り回ったあとだ。さらに走るとなると厳しい。
(いや、今考えるのは、リンカとトゥシェを助ける方法だ)
 もう身勝手な狡い人間でいたくはない。
(トゥシェは俺の無事をリンカに知らせに行った。でも彼が追いつくには時間がかかる。俺が直接リンカに伝えれば、それだけ早くリンカはドラゴンから隠れられる)
 だがどこまで離れたか――遠く雷のような音が――ドラゴンの咆哮らしい。耳をろうした咆哮が遠雷程度になるぐらい離れている。声はおろか、フィドルの一番低い音でも聞こえまい。
(いや待て……)
 何も音を聞くのが人間である必要は無い。
(よし、賭けてみよう)
「まだ終わらないの?」
 焦れたノーチェを無視し、胡座で楽器を構えた。弓に人差し指を沿えて弦に強く押しつけ、切る覚悟で力強く擦りつけた。
 異音が鳴り響き耳をつんざく。
「何をするの!?」
 ノーチェが金切り声をあげるのも構わず、切れないノコギリが樹皮を引っ掻くような音を盛大に立て続ける。
(この音を聞いてくれ、ルビ!)
 フェアリーの小さな鼓膜なら微かな音でも捉えられるのでは、と一縷いちるの望みに賭けた。
 ルビはトゥシェとは一緒でなかった。ならリンカと一緒のはず。ルビが聞きつけ、リンカに伝えてくれれば成功だ。
「やめて!」ノーチェが悲鳴を上げる。「まさか精神を乱して魔法を使わせないつもり?」
「へえ、そんな手があったのか」
 鼓膜を引き裂きたくなるほど生理的嫌悪をかき立てる音を出し続ける。
「やめてよ! おかしくなっちゃう!」
「同感だ! こんな音をお師匠様に聞かれたら破門されるよ!」
「いい加減にして!」
 ノーチェはラッドを足蹴にした。しかしその程度で「演奏」を止めるラッドではない。演奏は最後まで続ける事はお師匠様に叩き込まれている。
「やめろやめろやめろ!」
 今度は杖で殴ってきた。だが女の子の腕だ。海の男の拳骨に比べたらマッサージも同然。
「残念だけど、暴力には慣れっこなんだ」
「この!」
 今度は楽器を蹴りにかかった。
 ラッドは横に転がりフィドルを庇う。姿勢に関係なく、寝転んだまま異音を鳴らし続ける。
「魔力よ敵を打て、打破!」
 ノーチェは杖を振った。ラッドの脇で落ち葉が弾ける。
「外れ」
 ラッドは転がった反動で立ち上がった。
 弦を押さえる必要がないからボディを抱え、耳障りな音を出し続ける。
「この!」
 今度は杖で突いてきた。避けきれず、太ももに当たった。
「あう!」
 痺れが走ってラッドは転んだ。弾みで弓を取り落とす。
「ほら、余計な事をするから痛い目に遭うのよ!」
 勝ち誇るノーチェ。その顔に当たる日が陰った。強風がいきなり吹き付ける。
「え、魔力?」
 ノーチェが髪を抑えつつ天を仰いだ。釣られてラッドも視線を上げる。
「まさか――」
 ラッドの予想を超えた事が起きていた。
 太陽を遮ったのは雲ではない。巨大な物体――ドラゴンにしか見えない物体が、太陽とラッドの間に割り込んでいた。
 ドラゴンが戻ってきたのだ。
「あんた、まさかあの音でドラゴンを呼び戻したの!?」
「そんなつもりは。だって俺は――」
 ラッドはフェアリーの聴覚が人間より鋭い可能性に賭けたのだ。ドラゴンなど想定外である。
(いや待て。学校で習ったことあるよな、ドラゴンについて)
 乏しい学校の記憶から、ドラゴンについての知識を呼び出す。
「――そうか。ドラゴンは肉食獣なんだ」
「だから何よ?」
「弱った魚が立てる音をサメが聞きつけるように、肉食獣は聴覚が鋭い。ドラゴンは獲物が立てる音を、人間が出した音を聞きつけたんだ」
「人間なら、あんたの仲間だっているじゃない!」
「だってここは、ドラゴンが探していた、君たちの隠れ家だよ。その場所で音がしたら、戻ってきても不思議じゃ無いよね」
「何、あんた変よ。何が楽しいの?」
「え? 楽しいなんてどこから出てきたの?」
「だってあんた、笑っているじゃないの!」
 ラッドは右手で頬に触れた。緩んでいる。口は横に広がり、横隔膜が先ほどから震えていた。
「そうか。俺は笑っているんだ。あははは」
「き、気でも違ったわけ?」
「正気だよ。こんなに痛快な事は無いからね。思った以上の事ができたんだ。リンカを隠させても、ドラゴンが探し始めたら時間稼ぎにしかならない。でもドラゴンを呼び戻したからもう安全だ。リンカもトゥシェも助かったんだ」
「あんたは死ぬのよ!」
「二人を助けられたんだ。もう何度も死んでいる吟遊詩人風情・・にしては上出来な最期だ。ああ、爽快だ。こんなに良い気分になったのは生まれて初めて――いや、二度目かな」
 一度目は、歌姫の舞台でだ。
(あの時もリンカだったな)
 奇しくもリンカを助けようとしたとき、二度もラッドは誇れる自分になれたのだ。
「本当に、リンカに出会えて良かったよ」
「死ね! 一人で死ね!」
 ノーチェは身を翻して逃げだした。
 強風が吹き荒れる。木々を圧してドラゴンが降りてきた。人間より太い大木が小枝の様にへし折れる。
 足が痺れているラッドは逃げようがない。巨大な肉食獣が目の前に降りるのを、ただ見ているしかなかった。
「今度こそ死んだな。はは、やっと納得できる死に方だ」
 自分の為に命を賭けてくれた二人の身代わりなのだ。断じて無駄死にではない。
 意味ある死に、ラッドは満足さえ感じていた。
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