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第九楽章

最強の生命体(2)

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「あれ、ドラゴンだよね……」
 リンカは尾根向こうに見える巨体にしばし目を奪われた。
 赤銅色の鱗に覆われた胴体から長い首と尻尾が伸びている。畳んだ翼を載せた背中は周囲の木々の上に出ており、巨体が放つ強力な魔力が大気に満ちていた。
 魔力に色があったら、空はその色に塗りつぶされていただろう。
 リンカはトゥシェとルビを伴い空にいた。鯨ほどある巨体が地上にいる様は違和感がある。
「ふわ~、おっきなドラゴン~」
 フェアリーのルビはリンカの横でのんびりと声を上げた。
「……見つかったら面倒です。着地しましょう」
 トゥシェの先導で三人は尾根の手前に降りた。
「ここってドラゴンの生息地なの?」
「……ドラゴンがいる以上、そう考えるべきでしょう」
「探知魔法だと、旅団の隠れ家はこの近くなんでしょ?」
「……恐らく、この尾根の向こう辺りかと」
「ドラゴンの生息地に作ったってわけ? 見つかったら大変なのに」
「……まだ見つかってはいないようですが、あそこに降りたのは何かを嗅ぎつけたからでしょう。見つかるのは時間の問題です」
「みつかったら~、どうなるの~?」
「……ドラゴンは即座に隠れ家を破壊するでしょう」
「そうなったらラッドの手がかりが無くなっちゃう。隙を突いて潜り込めないかな?」
「……近づくだけでも危険過ぎます」
「ああもう、間が悪い! 私たちが来た時と重なるなんて、ついていないよ」
「……確かに、偶然にしては間が悪すぎます」
「ぐうぜんって、な~に?」
「ええとね、私たちが来たのと、ドラゴンが来たのが、たまたま重なった。偶然ってそういう事なの」
「たまたまじゃないの~?」
「どうだろう?」
「……可能性として考えられるのは『先生を待ち伏せする準備で何かしでかした』です。彼ら自身が引き寄せたなら、今ドラゴンがいるのは偶然ではなく結果となります」
「ああ、ありそうだね。でもドラゴンがいたら隠れ家に乗り込めないよ」
「ドラゴンってつよいの~?」
「そりゃーもうね。私たちも、向こうの連中も全然勝てないわ」
「どうして~?」
「ええと」
「……ドラゴンを倒すには、対竜兵器と魔導術が必要です。僕も先生も魔導師ではありませんし、魔法的要塞が無ければ身を守れません。少人数で勝てる相手ではないのです」
「あれ? でも大陸には一人で倒した英雄がいたって、本にあったよ」
「……そのドラゴンは幼体だったのでしょう。成体のドラゴンを倒した確実な記録は、対竜兵器と魔導師の組み合わせだけです」
 リンカは尾根筋からドラゴンの様子をうかがった。
「あれだけ大きいんだから、あれって成体のドラゴンだよね?」
「……はい。町を一つ壊滅させられる程度には成長しているようです」
「どうしよう。隠れ家探すの諦めてくれないかな?」
「……先生、どうやら旅団は隠れ家を放棄したようです。複数の魔力源が離れてゆきます」
「そうなんだ。私の魔力覚じゃドラゴンしか分からないよ」
「……一人捕まえてきます。二人はここで待っていてください」
 トゥシェは素早く飛び立った。
「杖が無いのに上手だよね」
「つえっているの~?」
「杖は魔力制御を補助する魔法具なの」
「むずかし~はなしきら~い」
「ええと、杖があると魔法がより上手に使えるの」
 リンカはルビに短杖を見せた。
「杖は腕の延長になるの。杖の長さだけ、自分と同じくらい魔力を制御できる範囲が広がるから」
「またむずかしくなった~」
「ええと、杖は長い方が便利なの」
「リンカのつえ、ど~してみじかいの~?」
「私も長い杖が欲しかったんだけど、長いとお値段も高くなるから。私が生まれた島は貧乏で、皆でお金を出し合ってもこれしか買えなかったの」
 言っているうちに惨めになってきた。
「うん、でもね、長いと邪魔になるじゃない? 私はドジだから、トゥシェみたいな長杖だと、あちこちにぶつけちゃうから、これくらいで丁度良いんだ」
 リンカが空元気を出している間にトゥシェが戻ってきた。スカートを履いた小柄な魔法使いを背負って。
 弟子が草の上に寝かせたのは少女だった。ラッドと同じ、モロコシの毛みたいに柔らかな金髪で、年齢は少し上みたいに見える。もっともリンカからしたら大陸の人は子供でさえ年齢以上に見えるのだが。
「ルビちゃん、他の人が来たからおうち・・・に隠れて」
「は~い」
 空中で後ろ宙返りしてルビは姿を消した。
 トゥシェが顔の上に手をかざし魔力を放つと、少女が目を開けた。
「……質問にだけ答えろ。黄金の夜明け旅団だな?」
 少女は左右に視線を走らせる。
「……仲間はいない。拘束魔法を解除しようとしたら、体内の魔力を乱す」
 諦めたのか、少女はふてくされた風に答えた。
「そうですとも」
「……お前たちが掠った吟遊詩人はどこだ?」
 一瞬驚いた表情になったが、すぐ納得したようだ。
「そう。あんたたちが賞金稼ぎなのね」
「……質問に答えろ。吟遊詩人はどこだ?」
「中隊本部だ」
 驚きのあまりリンカは息を詰まらせる。トゥシェは質問を続けた。
「……人質は別の町で解放する話だったが?」
「私が受けた命令は、彼を中隊本部に運び、用が済んだら連れ戻す、それだけ」
「……中隊本部に人質が何の用だ?」
「演奏だ。中隊長が聞きたがったから」
「……何故ドラゴンが来た?」
「魔獣の考えなど知らないわ」
「……ドラゴンを引き寄せるような何かをしたのでは?」
「知らない。私は中隊本部付けじゃないから」
「……中隊本部の場所は?」
「ドラゴンがいる斜面の、岩肌の洞窟内だ」
 ドラゴンは時折足音を立てている。探しているのだろう。残された時間は少ない。
 トゥシェは少女がスカートのポケットに突っ込んでいた革張りの書類筒を二本とも抜き取った。
「返せ!」
 少女の抗議を無視して一本の蓋を抜く。羊皮紙が何枚も丸めてある。
「……重要書類を運び出したとなると、中隊本部を放棄したんだな?」
「ふん!」
 トゥシェは筒をコートの内にある左右のポケットに収めた。
「……吟遊詩人は自由にしたのか?」
「拘束したままだ」
「それじゃラッドは見殺しなの!?」
 たまりかねてリンカが詰め寄ると、少女は反論した。
「この間違った世界を正す為に、私たちは戦争しているのよ。犠牲が出るのは止むを得ないわ」
「間違っているのはあんた達よ! 自分たちの正義の為に他人を犠牲にするなんて間違っているわ! 他人には他人の正義があるんだから!」
「世界の間違いも理解できない人が偉そうに言わないで!」
「そりゃ世界の全てが正しいって訳じゃないよ。理不尽な事はいくらでもあるわ。だから助け合うんじゃないの。世界を間違えさせているのは、助け合いをするどころか、無関係な人を自分の正義の犠牲にする人のせいよ!」
「それが魔法使い連盟だ!」
「違う! 連盟が正義だとは言わないけれど、他人を犠牲にはしていない」
「魔法使いの権利を侵害している!」
「連盟は魔法使いの組織よ。魔法使いは他人じゃなくて自分なの。自分を縛っているだけ。自分の為に他人を犠牲にするどころか、他人の為に自分を抑えているのよ」
「連盟は間違っている!」
「連盟以上にあんた達が間違っているのよ!」 
「……先生、今は議論をしている状況ではありません」
「そうだった! ラッドを助けに行かなきゃ。ドラゴンに隠れ家が見つかったら死んじゃうよ!」
 ドラゴンの元へ行こうとするリンカの腕を、トゥシェが掴んだ。
「……落ち着いてください。彼女らはドラゴンの足下をすり抜けて出た訳ではありません」
「どういうこと?」
「……裏口があるはずです」
「そうか。そこから入ればいいんだ」
 そのときドラゴンが吼えた。
「見つかったの!?」
「……だとしたら、もっと怒るでしょう」
「あれで怒っていないの?」
「……魔力の放出は強まっていません」
「良かった。でも急がないと」
「……彼女に案内させましょう」
「冗談じゃないわ! 洞窟に炎を吹き込まれたら蒸し焼きよ!」
「そこにラッドを置いてきたんでしょ!」
「し、仕方ないじゃない。命令なんだから!」
「命令なら人を死なせても平気なの!? ラッドが何か悪い事をしたって言うの!?」
「そ、それは、無いけど」
「ならなんで平然としているの? 人を死なせるのに、良心が痛まないの!?」
「そんな事はない。でも、書類保全が優先なのよ」
「書類なんかと人の命と、どっちが大切かさえあんたには分からないの!?」
「私の意志じゃない。上官の命令なの。命令に従うのが兵士の役目なの」
 彼女の言い分はリンカの理解を超えていた。
「あんたには……人の心が無いの?」
「これは戦争なのよ。戦争に犠牲には付きものなのよ!」
「戦争までしてあんたたちは何が欲しいのよ!」
「正当な権利よ」
「ラッドの権利はどこに行った!?」
「世界を正す過渡期では必要な犠牲だ」
「だったらあんたたちが犠牲になりなさい! 誰も困らないわ!」
「そんな!」
「他人は犠牲にしても自分は犠牲になりたくないだなんて、ただの我が儘よ!!」
 少女は悔しげに顔を歪めた。
「所詮、何が正しいか判断する知性が無い人間に、旅団の崇高な目的など理解できないんだわ」
 するとしばらく黙っていたトゥシェが口を開いた。
「……敵に捕まり重要書類を取り上げられた貴様は、旅団の崇高な目的達成を妨げることになるな」
「あ……」
 少女が呆然となった。
「……取り引きだ。吟遊詩人を助け出せたら書類は返す。だから裏口へ案内しろ」
「し……仕方ない。取り引きに応じるわ」
「……先生、彼女と行ってください。僕はドラゴンの注意を引いて時間を稼ぎます」
「それは無茶よ」
「……ご心配なく。ドラゴンの知識は多少ありますから」
「その役、私がやる」
「……先生はキースキンの救出を」
「トゥシェの方が早くラッドを見つけられるよ。それに呪歌の方が速く飛べるから、ドラゴンの注意を逸らすのは私の役割。大丈夫、私は呪歌使い。ドラゴンからだって逃げられるんだから」
「……分かりました」
 トゥシェは再び少女を背負った。
「……それでは先生、くれぐれも無理はなさらずに」
「うん、大丈夫。任せて」
 そうリンカは精いっぱい虚勢を張ったのだった。
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