呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

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第七楽章

新しい仲間(5)

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「まあとにかく」とリンカが明るく言った。「これでルビちゃんの船賃は心配ないよね」
「船賃は一人いくら?」
「行きは五分七厘だった。ええと、チハンのお金の単位だけど、この国だとどれくらいだっけ?」
「……クラウト銀貨で四枚少々です」
 リンカは財布をトゥシェに預けていた。中身を覗いてリンカは言う。
「大丈夫そうだね」
「……いえ、一部をオライア通貨に両替しています。クラウト通貨の三分の一しか価値がありません。クラウト銀貨では七枚足らずです」
「ええと、ラッドは?」
「六銀貨半。もちろんオライア銀貨で」
「あらら、じゃ足りないんだ」
「ええと、二人で既に足りないんだよね。だのになんでこんな高い宿に泊まったの?」
「高いの?」
 リンカは小首を傾げてキョトンとしている。その仕草が可愛らしくて、つい言葉が濁る。
「ええと、相場の倍なんだよね」
「どうしてそんなに高いの?」
「それは、小麦のパンなんか出す所だから」
「パンは麦で作るもんでしょ?」
「チハンじゃそうかもしれないけど、この国の庶民は芋パンなんだ」
「あらら、お芋でパンが作れるんだね、へえ」
「クラウト人に言わせると『パンの形をした別の何か』だけど、この国でパンと言えばそれなんだ」
「そうか。今度からそれにしよう」
 するとトゥシェがくぐもった声を発した。
「……先生、あれはまともな人間が口に出来る代物ではありません」
「おい!」あまりの無礼にラッドも怒った。「食文化を否定するなんて、リンカと同じチハン人だとは信じられないな」
「……僕はチハン人ではない」
「え?」
「トゥシェはバタール人なの。バタール都市連合国はクラウト王国の西隣ね」
「大陸中央か。くそ、田舎だとバカにして」
 トゥシェの横にルビが浮いているのも腹立たしい。
「でもラッド、嫌いな物を無理に食べさせるわけにはいかないよ」
「芋パンが嫌なら、オートミールがあるじゃないか」
「あれ、私でも不味いと思うよ。それに麦なら小麦以外にもあるじゃん。クラウトじゃ黒いパンが普通で、むしろここで小麦パンの美味しさにビックリしちゃったけど。で、黒いパンは無いの?」
「うちの国は小麦が作れない訳じゃない。麦を粉に挽く水車が少ないんだ。小麦以外を挽くなんて考えられないよ」
「どうして水車が少ないの?」
「帝国は適地栽培とやらで、地域ごとに穀物なんかをまとめて作らせていたんだ。栽培に不向きな地域で作るより、運んだ方が効率的だとかで。で、ここいらは芋の栽培地域で、奴隷の食べ物は芋パンだったんだ。国民全部が麦パンを食べられるだけの水車を作るとなると莫大な金がかかるから、それだったら町を整備した方が良いって決めたんだ」
「それじゃあ、麦の産地なら麦パンを食べているの?」
「そうだね。穀倉地帯の国なら水車も沢山あって、小麦粉を輸出できるほどだから」
「同じルガーン帝国から独立した仲間なんだから、分けてくれても良さそうなものなのにね」
 リンカの何気ない言葉がラッドの胸を刺した。認めたくない事実をズバリ言われたので。
 旧帝国領土で独立した十五の新興国には、歴然たる経済格差があるのだ。
 河川に恵まれ水車の国と呼ばれるサーダス共和国、馬の産地で国土が広いラウダ公国、ドラゴン大王府がある連邦直轄地に隣接した流通拠点のロミネ共和国、南端で海上貿易拠点のグリアナ王国の経済力が突出している。オライアは下から数えた方が早い貧困国なのだ。
 そんなラッドの苦悩も知らず、リンカは無邪気に悩んでいる。
「でも船賃が足りないね。どうしよう?」
「そ、そうだね。稼ぐしかないだろうね」
「どうやって?」
「ええと、呪歌でどんな事ができるのかな?」
「私は音痴で失敗するから、ラッドに治してもらうんだけど」
「そ、そうだったね。ならトゥシェでも良いんだよ。魔法が使えるだけで凄いんだから、それで稼いでもらおう」
 しかし彼はラッドを無視した。
「……先生、まずは町を出ましょう」
「どうして?」
「……盗賊の仲間が仕返しに来る危険があります」
「仲間が他にもいるの?」
「……魔法使いなら近隣の無頼漢を支配することは容易です」
「そうか。そうだね。魔法使いが一人とは限らないし」
「……あの、何故そうだと?」
 トゥシェが疑問を抱いたように、ラッドもリンカの言う根拠が分からない。
「だって他にも仲間がいるなら、馬車荒らしなんてそいつらに任せるでしょ。ボスは隠れ家でふんぞり返るものだから。となると、捕まえた魔法使いが下っ端で、その上に魔法使いがいないと不自然だもの」
(そう言えば、あいつは自分を分隊長と称していたな)
 分隊長なら、上に隊長がいないと不自然である。
「……それは、確かに僕の懸念が事実だった場合、可能性はありますね」
「あ、そうか。仲間を助けに来るかも知れない。だったらこの町が危ないんじゃない? 私たちで守ってあげなきゃ」
「…その心配はありません。ここは交易都市ですから、連中は手を出せません」トゥシェが急に早口になった。「もし危害を加えたら、魔法使い連盟が乗り出して来ますので」
(慌てているのか?)
「連盟は盗賊魔法使いを放置していたじゃん。そんな無責任な人たちなんか当てに出来ないよ」
「……盗賊たちが脇道で活動していたのは、国際物流に被害を及ぼさない限り、この様な僻地を連盟が無視してくれるからです。交易都市や交易路は安全なのです」
「僻地で悪かったな」
 ラッドが余計な一言を挟まずにいられないくらい、トゥシェはオライア共和国への蔑視をにじませる。
「なら私たちも仕返しなんか気にしないで大丈夫よね。だってここが交易都市なんでしょ?」
「……町に手を出せない以上、報復対象となるのは先生です。個人、しかも外国人の被害は交易都市への被害には該当しませんので」
「さすがトゥシェ。何でも知っているね。なら仕方ない。別の町で稼ごうか、ラッド」
 悔しいがここは折れるしかない。
「リンカの安全が第一だ。他の町でも、リンカが盗賊を捕まえた歌なら稼げるだろう」
「……その歌は止してもらおう、吟遊詩人」
「なんでだよ?」
「……わざわざ連中に報復対象を教える気か? 貴様の安全第一は随分と抜けているな」
「ラッドぬけてる~」
「じゃあ、どうやって稼ぐんだ?」
「……そんな些事は町を出てからにしろ」
「おいおい、無計画にも程があるぞ」
「……何が無計画だ?」
 トゥシェがラッドに向き直った。ムッとしているようだ。
「残金が少ないのに高い宿に泊まって、稼ぐ事には口を挟んで、少しは建設的な意見を出したらどうなんだ?」
「……今は先生の安全が最優先だ」
「なら小麦パンの金を節約するべきだったな。お前が贅沢しなければ船賃は足りたはずだ。そうすれば稼ぐなんて無駄な時間をかけずにチハンに帰れただろう」
「……言葉に注意しろ、吟遊詩人」
 トゥシェの声に怒気が加わった。その頭上にルビが浮いている。それがラッドの勘に障った。
「ケチを付けるしか能が無いのか? たかだかパン程度で散財して、師匠の足を引っ張るなんて、良くできた弟子だな」
 トゥシェが長杖を向けてきた。
(魔法を使われる!)
 先ほどの恐怖がぶり返し、ラッドは反射的に杖を掴んだ。手首を捻ると、簡単に奪い取れるので驚く。
 腕力が無いラッドだが、ひ弱さでは魔法使いの方が上だったのだ。
 杖を取り上げた勢いのまま糾弾した。
「トゥシェ、お前はリンカの事を考えているつもりだろうが、結局足を引っ張っているじゃないか。路銀を食い潰したのもそう、音痴の矯正を邪魔しにかかったののもそう。彼女の願いを叶えるどころか、邪魔しているとしか思えないね」
「…貴様に何が分かる!?」
 トゥシェが声を裏返した。
「分からないね! いつもフードで顔を隠して、作り声で、自分を偽る奴の事なんか分かるものか! 当ててやろうか? 俺がリンカを助ける邪魔をしたのは、リンカを独占していたいからだ!」
「わ~、ラッドがおこった~」
 フードから覗くトゥシェの唇が戦慄いている。図星を突かれたからに違いない。
「あのー、二人ともそろそろ気が済んだかな?」
 リンカが割って入った。
「元気なのは良いけれど、ちょっと熱が入りすぎ。深呼吸して頭を冷やしなさい」
 そのとき身を翻してトゥシェが駆けだした。
「トゥシェ!?」
 師匠の声さえ届かず、裏門から町へと飛びだす。
「まって~」
 ルビが意外な速さで彼を追って行ってしまった。
「あ、あれ?」
 呆気にとられるラッドをリンカがたしなめる。
「ちょっと言い過ぎだよ」
「ご、ごめん」
 腕力で勝ったので調子に乗ったのか、ルビが懐いたので嫉妬したのか。
(まずい、やり過ぎた)
 思考の言語化を鍛えた吟遊詩人にとり言葉は武器にもなるのだ。いじめっ子への反撃に使っていた舌を、口数少ない者に向けたら逆にいじめになってしまう。
 手にしたトゥシェの杖が、急に重く感じられた。
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