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第六楽章

奇妙な老人(3)

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「ささ、料理もどうぞ。老人は少食なのに、こうした扱いを仕事と勘違いされて困ってたのです。助けると思って、できるだけ胃袋に納めてください」
 食べたことがない豪華な食事にラッドは感激した。
 何の肉かわからない塊は、熱したバターの様に簡単に切れた。濃厚な牛肉の香りを放ち、一噛みで千切れ肉汁が口に広がる。ソースは種々の野菜の旨味が複雑に絡み、甘みと酸味、塩味が舌で踊る。
 魚は川魚らしい。白身で脂が乗り香草みたいな香りがする。舌の上でホクホクと身がほぐれ、口いっぱいに不思議な味が広がった。オリーブオイルと塩、香辛料というシンプルな味付けが、淡泊な魚の味を残している。
 兄の結婚式が人生で最高の食事と思っていたが、半月後にそれ以上にありつけるとは。それに今日は酒が美味しい。
「瞬く間に群衆の悪感情を塗り替えるとは、実に大したものですな」
 さらに賛辞の言葉が加わるので、ラッドは夢心地である。
「いやいやいや、私は実学ばかりで芸術を解せぬ無粋者です。しかし、あなたの演奏が大勢の心を動かした事は理解できました。あれは目を疑うほど衝撃的で、そう、まるで魔法を見るようでした」
 最後の部分、妙に声が固い気が――
”ラッド、たいくつ~”
 今は妄想の相手ができる状況ではない。
 幸いにしてウォルケンの視線は逸れていた。ラッドの背後を見ている――のか?
 振り返っても閉ざされたドアがあるだけだ。
「失礼、つい考え事を」
 ウォルケンが咳払いした。
「いえ、俺もちょっと気が逸れていました」
「それは良かった。技術屋だもので、つい野暮な言葉を使ってしまったのかと」
「そんな事はありません。でも魔法は大げさですよ。そこまでの事はしていませんから」
 老人は興味深そうにラッドを見つめている。
「技術屋の私からしたら、魔法も技術の内なのですよ」
「でも普通の人間に魔法は使えませんよ」
「楽器も普通の人間には使えませんな」
「でも、魔法使いにはなろうとしてもなれません。生まれつきの才能なんですよね?」
「確かに特殊技能ではありますが、それは音楽の才能も同じでは? 恥ずかしながら私は音痴なので、なろうとしても音楽家にはなれません」
「なるほど、そうですね。だとしたら、俺の音感を見いだしてくれたお師匠様にはなおさら感謝だな」
「お師匠様はどちらに?」
「俺の故郷です。アルヒンっていう東の漁港町で――」
 お師匠様の声を思い出したとき、ラッドはその事に気づいた。
「ウォルケンさんはクラウトの方ですか?」
「おや、私は出身を言いましたか?」
「ええと、イントネーションがお師匠様と同じだから――ああ、師匠はクラウト人なんです」
「思わぬ偶然もあるものですね」
「メルティ=カーノン、吟遊詩人です――でした」
「お恥ずかしい話ですが、名前を覚えるのは苦手でして」
 老人の声は時折固くなる、と思ったらまた柔らかくなる。頭髪は真っ白で、同じくらい白い髭で口から顎が覆われている。
「何か?」
「あ、すみません」
 つい客を見る目で観察してしまった。だが酒のせいか読めない。それに、どうにも声質が引っかかる。
「つかぬ事を伺いますが、ウォルケンさんはどのような技術を指導されているんですか?」
「色々です。この国は全般的に技術力が不足しておりますので」
 にこやかに回答をはぐらかしてきた。
(どんな技術だ?)
 建築家や土木技師などはクラウト王国から大勢来ている。だが、彼ら技術者を役人が下にも置かぬもてなしなどするだろうか?
(ただの技術者ではないはず。そう言えば彼は技術「屋」と言ったな。技術は暗喩か?)
 探りを入れるべくラッドは語る。
「この国はクラウト人にお世話になりっぱなしです。リリアーナ大王もクラウト出身だし、町の整備も助けてもらって大感謝です」
「いえいえ、こちらも商売ですから。私を含めて全員が、自分たちの利益の為に働いております。感謝はほどほどで」
「でも、結果としてこの国は助かっていますよ」
「現時点ではクラウト側の持ち出しが上回っておりましょうが、それがいつまで続きますやら」
「つまり、将来的には困る事になると?」
「私ら技術屋はともかく、商人たちは油断なりません」
「輸出入で助かっていますが」
「いやいやいや、クラウト商人ほど強かで抜け目ない連中はおりませんよ」
「辛辣ですね」
「私も随分と痛い目を見せられましたからね」
 苦笑したウォルケンの声から実感が聞き取れた。そこを拾う。
「そんなに痛い目を?」
「私などはまだ良い方ですよ。彼らと仲良くしたが為に、国を失った人たちさえおりますから」
「そんな事があったんですか?」
「あなたも良く知ってると思いますが、ルガーン帝国という国を」
「……え?」
 ラッドの頭が固まった。
「あ、あの、帝国は、リリアーナ大王が、ええと……」
「皇帝を始め各領主や高位の太陽神官を一斉に捕らえましたよね?」
「は、はい」
「誰がいつどこにいるか、どうやって知ったと思いますか? まさか『あの晩は偶然全員が自室にいた』などとは思ってませんよね?」
「で、ですが、それと商人と、どう関係するのですか?」
「説明が長くなりますが、よろしいですかな?」
「ぜひお願いします」
「今から二百数十年前、クラウト王国は建国早々ルガーン帝国に襲撃されました。と言うより、ルガーン帝国の侵略を撥ねのける為に建国したと言った方が実態を反映してます。地図を見れば分かるように大陸中央部は括れていて、北半分は山岳地帯。大陸制覇を目指すルガーン帝国にとり、南の平地は西に軍を送る為に是が非でも確保したい場所なのです」
「迂回は出来なかったんですか?」
「北の山岳は魔獣の巣窟です。通過する度に被害は出ますし、掃討する為に大部隊を送ろうものならドラゴンを刺激して、返り討ちになりかねません。海を渡ろうにもルガーン人は船が苦手、一方のクラウト王国は歴史ある海洋都市国家を束ねているので海軍力では比較になりません。結果、ルガーン帝国はクラウト国境で足止めをされ続けたのです。二百五十年もの間」
「帝国の歴史の半分が、クラウト王国との戦いだったんですね」
「そうした状況だったにも関わらず、クラウト商人は帝国内で商売が許されました」
「敵国なのにですか?」
「世の東西を問わず、支配階層は贅沢品を欲するものです。ルガーン人にしても、クラウト製の高級品を欲しがったのですよ」
「クラウト製品であるなら、他国の商人が売っても変わらないですよね? だのに敵国の商人を入れたんですか?」
「鋭いですね。それには理由があります。クラウト商人は他国の商人より安く売ったのです」
「そうか。自国で仕入れられる分、安く売れるんですね」
「クラウトは自由交易が国是で、他国の商人も直接買い付けできます。仕入れ価格にさほど差は出ませんよ」
「それで安く売ったら、儲けが少なくなりますね」
「輸送の経費を差し引いたら赤字でした」
「損をしても売っていたんですか?」
 ラッドには理解できない行動だ。
「輸出で赤字になっても利益は輸入で、ルガーン帝国で仕入れた商品の販売で確保できたのですよ」
「なるほど。そんな商品が、あったんですね」
 旧帝国領の新興国で、クラウト王国みたいな先進国に輸出できる商品なんて、どう考えても馬くらいしか思いつかない。
「馬だったら、他国の商人でも扱えますよね」
「馬ではありません。その商品はクラウト商人しか扱えませんでした。何しろ買い手が限られてましたから」
「大金持ちとかですか?」
「金はありました。クラウトの国王ですので」
「国王が――どんな商品を買っていたんですか?」
「帝国の内部情報です」
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