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第六楽章
奇妙な老人(1)
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レラーイ=ハルトーは全身全霊で熱唱していた。
躍動するたびに飛び散る汗が、揺れる首飾りが、腕輪が肌を炙るかがり火に照らされ煌めく。
しかし歌姫は今、かがり火より熱い焦燥感に焼かれていた。
観客の心が掴めない。
歌声がファンの心に届かないのだ。
絶唱が虚空に吸い込まれているように感じられた。
(オライアの至宝である歌姫レラーイが、観客を魅了できないなどありえない。あってはならない事ですわ!)
だが現実は厳しく、舞台と客席との間にガラス壁が立ちはだかり、夏と冬ほどの温度差を生じている。
歯ぎしりしたい衝動を必死に抑え込みながら、レラーイは人生最悪の舞台で歌い続けた。
原因は明白である。
前座だ。
前説で謝罪し音痴の歌で客を笑わせる、そこまでは予定どおり。
そこに乱入した者が全てを台無しにしてくれた。
吟遊詩人が呪歌使いを歌い上げて喝采を浴びたのだ。しかもレラーイでさえ覚えがないほど熱烈な大喝采を。
彼の歌や演奏は未熟で、客を魅了できる域には達していなかった。
(断じていませんでしたわ!)
内容も盗賊退治、魔法使いが珍しい以外はありふれたネタである。
だのに聴衆は大歓喜したのだ。不自然極まりないほど激しく、熱狂的に。
あの吟遊詩人の技量で可能な域を遥かに超えている。
もしそれだけ客を喜ばせる才能があるなら、とうに首都の舞台に立っているはずだ。
それに彼の技量の低さはレラーイ自身が評価したのだ。他の誰でもない、自分自身が。
では何故観客はあれほど喜んだのか?
気になる。
ファンたちを、レラーイより喜ばせた秘密が気になる。
それ以上に、レラーイの歌で喜ばないファンの心が気になって仕方ない。
まるで「一度放出したので熱を失った」かのように、レラーイの歌に反応しないのだ。
渾身の歌声は鼓膜で止まってしまい、ファンの心に届いていない。
築きあげてきた自信が音を立てて崩れてゆく。
吟遊詩人の分際で、吟遊詩人の癖に、吟遊詩人風情のせいで――
その時レラーイの脳裏に閃いた。
何かしたのが吟遊詩人とは限らないではないか。
その隣に、歌い上げられた当人がいた。
魔法が使える人間が――
(やられた!)
魔法を使われたのだ。魔法で人の心を操り、魅了したに違いない。
(あたくしの舞台で何てことを!)
怒りのあまりレラーイの頭が煮えたぎった。あの呪歌使いを八つ裂きにしなければ気が済まない。
前座が喝采を浴びようと不正を働いたせいで、公演が台無しにされたのだ。他ならぬ歌姫レラーイの公演が。
(万死に値しましてよ!)
急に辺りが暗くなった。
係が一斉にかがり火に革袋を被せて舞台は暗がりとなってゆく。
演奏が止まっていて、聞こえるのは係の足音と観客のざわめき。
聞こえなかった。
レラーイの歌が、自分の声が聞こえていない。
あろうことかレラーイは歌を止めてしまっていた。
呪歌使いへの怒りのあまり我を失っていたのだ。
呆然とするレラーイの腕を誰かが掴む。
「お嬢様、お下がりください」
「バノン……あたくしの舞台は……」
「今はご辛抱を」
「だめよ。舞台を続けますわ」
「しかし、これ以上無理をされて喉を潰されでもしたら一大事でございます」
「その程度で潰れるほど、あたくしの喉は脆弱ではありませんわ」
「お気づきにならなかったのですか? お嬢様は既に声をお割りになっておられます」
「な……んですって?」
駆け出しの新人ではあるまいし、舞台で声割れするなどあり得ない。
しかしレラーイには直前の歌声が思い出せなかった。そして執事が嘘で公演を止めるなどもあり得ないのだ。
「今は喉をお休めください」
「それではあたくしの舞台が……」
「どうかご辛抱を。万一ファンからの支持を失おうものなら、大旦那様がどうされましょう?」
冷水を浴びせられたようにレラーイの頭が冷えた。
自分が自由でいられるのは、歌姫のファンが祖父をも支持するからなのだ。ファンに見限られれば、祖父は再びレラーイを屋敷に閉じ込めるだけでは済ませまい。人脈作りの為に意に沿わぬ相手に嫁がされるのは確実だ。
歯ぎしりしつつ、レラーイは舞台袖へと歩きだした。
公演中止、しかも延期までした舞台を途中で下りるとは。屈辱のあまり死にそうな気分だ。
これほどの大失敗など生まれて初めてである。
栄光ある歌姫レラーイの経歴に、決して消えない汚点が記されたのだ。
(オライアの至宝の通り名は返上ですわね)
そうせねばレラーイの自尊心が許さない。
「こうなったのも……」
全ては呪歌使いの小娘のせいなのだ。
「必ず、このお礼はして差しあげますわ。必ず……工芸神タンバルに誓って」
祝福しか求めてこなかった女神に向け、初めて復讐を誓ったのだった。
躍動するたびに飛び散る汗が、揺れる首飾りが、腕輪が肌を炙るかがり火に照らされ煌めく。
しかし歌姫は今、かがり火より熱い焦燥感に焼かれていた。
観客の心が掴めない。
歌声がファンの心に届かないのだ。
絶唱が虚空に吸い込まれているように感じられた。
(オライアの至宝である歌姫レラーイが、観客を魅了できないなどありえない。あってはならない事ですわ!)
だが現実は厳しく、舞台と客席との間にガラス壁が立ちはだかり、夏と冬ほどの温度差を生じている。
歯ぎしりしたい衝動を必死に抑え込みながら、レラーイは人生最悪の舞台で歌い続けた。
原因は明白である。
前座だ。
前説で謝罪し音痴の歌で客を笑わせる、そこまでは予定どおり。
そこに乱入した者が全てを台無しにしてくれた。
吟遊詩人が呪歌使いを歌い上げて喝采を浴びたのだ。しかもレラーイでさえ覚えがないほど熱烈な大喝采を。
彼の歌や演奏は未熟で、客を魅了できる域には達していなかった。
(断じていませんでしたわ!)
内容も盗賊退治、魔法使いが珍しい以外はありふれたネタである。
だのに聴衆は大歓喜したのだ。不自然極まりないほど激しく、熱狂的に。
あの吟遊詩人の技量で可能な域を遥かに超えている。
もしそれだけ客を喜ばせる才能があるなら、とうに首都の舞台に立っているはずだ。
それに彼の技量の低さはレラーイ自身が評価したのだ。他の誰でもない、自分自身が。
では何故観客はあれほど喜んだのか?
気になる。
ファンたちを、レラーイより喜ばせた秘密が気になる。
それ以上に、レラーイの歌で喜ばないファンの心が気になって仕方ない。
まるで「一度放出したので熱を失った」かのように、レラーイの歌に反応しないのだ。
渾身の歌声は鼓膜で止まってしまい、ファンの心に届いていない。
築きあげてきた自信が音を立てて崩れてゆく。
吟遊詩人の分際で、吟遊詩人の癖に、吟遊詩人風情のせいで――
その時レラーイの脳裏に閃いた。
何かしたのが吟遊詩人とは限らないではないか。
その隣に、歌い上げられた当人がいた。
魔法が使える人間が――
(やられた!)
魔法を使われたのだ。魔法で人の心を操り、魅了したに違いない。
(あたくしの舞台で何てことを!)
怒りのあまりレラーイの頭が煮えたぎった。あの呪歌使いを八つ裂きにしなければ気が済まない。
前座が喝采を浴びようと不正を働いたせいで、公演が台無しにされたのだ。他ならぬ歌姫レラーイの公演が。
(万死に値しましてよ!)
急に辺りが暗くなった。
係が一斉にかがり火に革袋を被せて舞台は暗がりとなってゆく。
演奏が止まっていて、聞こえるのは係の足音と観客のざわめき。
聞こえなかった。
レラーイの歌が、自分の声が聞こえていない。
あろうことかレラーイは歌を止めてしまっていた。
呪歌使いへの怒りのあまり我を失っていたのだ。
呆然とするレラーイの腕を誰かが掴む。
「お嬢様、お下がりください」
「バノン……あたくしの舞台は……」
「今はご辛抱を」
「だめよ。舞台を続けますわ」
「しかし、これ以上無理をされて喉を潰されでもしたら一大事でございます」
「その程度で潰れるほど、あたくしの喉は脆弱ではありませんわ」
「お気づきにならなかったのですか? お嬢様は既に声をお割りになっておられます」
「な……んですって?」
駆け出しの新人ではあるまいし、舞台で声割れするなどあり得ない。
しかしレラーイには直前の歌声が思い出せなかった。そして執事が嘘で公演を止めるなどもあり得ないのだ。
「今は喉をお休めください」
「それではあたくしの舞台が……」
「どうかご辛抱を。万一ファンからの支持を失おうものなら、大旦那様がどうされましょう?」
冷水を浴びせられたようにレラーイの頭が冷えた。
自分が自由でいられるのは、歌姫のファンが祖父をも支持するからなのだ。ファンに見限られれば、祖父は再びレラーイを屋敷に閉じ込めるだけでは済ませまい。人脈作りの為に意に沿わぬ相手に嫁がされるのは確実だ。
歯ぎしりしつつ、レラーイは舞台袖へと歩きだした。
公演中止、しかも延期までした舞台を途中で下りるとは。屈辱のあまり死にそうな気分だ。
これほどの大失敗など生まれて初めてである。
栄光ある歌姫レラーイの経歴に、決して消えない汚点が記されたのだ。
(オライアの至宝の通り名は返上ですわね)
そうせねばレラーイの自尊心が許さない。
「こうなったのも……」
全ては呪歌使いの小娘のせいなのだ。
「必ず、このお礼はして差しあげますわ。必ず……工芸神タンバルに誓って」
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