上 下
26 / 62
第六楽章

奇妙な老人(1)

しおりを挟む
 レラーイ=ハルトーは全身全霊で熱唱していた。
 躍動するたびに飛び散る汗が、揺れる首飾りが、腕輪が肌を炙るかがり火に照らされ煌めく。
 しかし歌姫は今、かがり火より熱い焦燥感に焼かれていた。
 観客の心が掴めない。
 歌声がファンの心に届かないのだ。
 絶唱が虚空に吸い込まれているように感じられた。
(オライアの至宝である歌姫レラーイが、観客を魅了できないなどありえない。あってはならない事ですわ!)
 だが現実は厳しく、舞台と客席との間にガラス壁が立ちはだかり、夏と冬ほどの温度差を生じている。
 歯ぎしりしたい衝動を必死に抑え込みながら、レラーイは人生最悪の舞台で歌い続けた。
 原因は明白である。
 前座だ。
 前説で謝罪し音痴の歌で客を笑わせる、そこまでは予定どおり。
 そこに乱入した者が全てを台無しにしてくれた。
 吟遊詩人が呪歌使いを歌い上げて喝采を浴びたのだ。しかもレラーイでさえ覚えがないほど熱烈な大喝采を。
 彼の歌や演奏は未熟で、客を魅了できる域には達していなかった。
(断じていませんでしたわ!)
 内容も盗賊退治、魔法使いが珍しい以外はありふれたネタである。
 だのに聴衆は大歓喜したのだ。不自然極まりないほど激しく、熱狂的に。
 あの吟遊詩人の技量で可能な域を遥かに超えている。
 もしそれだけ客を喜ばせる才能があるなら、とうに首都の舞台に立っているはずだ。
 それに彼の技量の低さはレラーイ自身が評価したのだ。他の誰でもない、自分自身が。
 では何故観客はあれほど喜んだのか?
 気になる。
 ファンたちを、レラーイより喜ばせた秘密が気になる。
 それ以上に、レラーイの歌で喜ばないファンの心が気になって仕方ない。
 まるで「一度放出したので熱を失った」かのように、レラーイの歌に反応しないのだ。
 渾身の歌声は鼓膜で止まってしまい、ファンの心に届いていない。
 築きあげてきた自信が音を立てて崩れてゆく。
 吟遊詩人の分際で、吟遊詩人の癖に、吟遊詩人風情のせいで――
 その時レラーイの脳裏に閃いた。
 何かしたのが吟遊詩人とは限らないではないか。
 その隣に、歌い上げられた当人がいた。
 魔法が使える人間が――
(やられた!)
 魔法を使われたのだ。魔法で人の心を操り、魅了したに違いない。
(あたくしの舞台で何てことを!)
 怒りのあまりレラーイの頭が煮えたぎった。あの呪歌使いを八つ裂きにしなければ気が済まない。
 前座が喝采を浴びようと不正を働いたせいで、公演が台無しにされたのだ。他ならぬ歌姫レラーイの公演が。
(万死に値しましてよ!)
 急に辺りが暗くなった。
 係が一斉にかがり火に革袋を被せて舞台は暗がりとなってゆく。
 演奏が止まっていて、聞こえるのは係の足音と観客のざわめき。
 聞こえなかった。
 レラーイの歌が、自分の声が聞こえていない。
 あろうことかレラーイは歌を止めてしまっていた。
 呪歌使いへの怒りのあまり我を失っていたのだ。
 呆然とするレラーイの腕を誰かが掴む。
「お嬢様、お下がりください」
「バノン……あたくしの舞台は……」
「今はご辛抱を」
「だめよ。舞台を続けますわ」
「しかし、これ以上無理をされて喉を潰されでもしたら一大事でございます」
「その程度で潰れるほど、あたくしの喉は脆弱ではありませんわ」
「お気づきにならなかったのですか? お嬢様は既に声をお割りになっておられます」
「な……んですって?」
 駆け出しの新人ではあるまいし、舞台で声割れするなどあり得ない。
 しかしレラーイには直前の歌声が思い出せなかった。そして執事が嘘で公演を止めるなどもあり得ないのだ。
「今は喉をお休めください」
「それではあたくしの舞台が……」
「どうかご辛抱を。万一ファンからの支持を失おうものなら、大旦那様がどうされましょう?」
 冷水を浴びせられたようにレラーイの頭が冷えた。
 自分が自由でいられるのは、歌姫のファンが祖父をも支持するからなのだ。ファンに見限られれば、祖父は再びレラーイを屋敷に閉じ込めるだけでは済ませまい。人脈作りの為に意に沿わぬ相手に嫁がされるのは確実だ。
 歯ぎしりしつつ、レラーイは舞台袖へと歩きだした。
 公演中止、しかも延期までした舞台を途中で下りるとは。屈辱のあまり死にそうな気分だ。
 これほどの大失敗など生まれて初めてである。
 栄光ある歌姫レラーイの経歴に、決して消えない汚点が記されたのだ。
(オライアの至宝の通り名は返上ですわね)
 そうせねばレラーイの自尊心が許さない。
「こうなったのも……」
 全ては呪歌使いの小娘のせいなのだ。
「必ず、このお礼はして差しあげますわ。必ず……工芸神タンバルに誓って」
 祝福しか求めてこなかった女神に向け、初めて復讐を誓ったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

異世界でゆるゆる生活を満喫す 

葉月ゆな
ファンタジー
辺境伯家の三男坊。数か月前の高熱で前世は日本人だったこと、社会人でブラック企業に勤めていたことを思い出す。どうして亡くなったのかは記憶にない。ただもう前世のように働いて働いて夢も希望もなかった日々は送らない。 もふもふと魔法の世界で楽しく生きる、この生活を絶対死守するのだと誓っている。 家族に助けられ、面倒ごとは優秀な他人に任せる主人公。でも頼られるといやとはいえない。 ざまぁや成り上がりはなく、思いつくままに好きに行動する日常生活ゆるゆるファンタジーライフのご都合主義です。

クラス転移で神様に?

空見 大
ファンタジー
空想の中で自由を謳歌していた少年、晴人は、ある日突然現実と夢の境界を越えたような事態に巻き込まれる。 目覚めると彼は真っ白な空間にいた。 動揺するクラスメイト達、状況を掴めない彼の前に現れたのは「神」を名乗る怪しげな存在。彼はいままさにこのクラス全員が異世界へと送り込まれていると告げる。 神は異世界で生き抜く力を身に付けるため、自分に合った能力を自らの手で選び取れと告げる。クラスメイトが興奮と恐怖の狭間で動き出す中、自分の能力欄に違和感を覚えた晴人は手が進むままに動かすと他の者にはない力が自分の能力獲得欄にある事に気がついた。 龍神、邪神、魔神、妖精神、鍛治神、盗神。 六つの神の称号を手に入れ有頂天になる晴人だったが、クラスメイト達が続々と異世界に向かう中ただ一人取り残される。 神と二人っきりでなんとも言えない感覚を味わっていると、突如として鳴り響いた警告音と共に異世界に転生するという不穏な言葉を耳にする。 気が付けばクラスメイト達が転移してくる10年前の世界に転生した彼は、名前をエルピスに変え異世界で生きていくことになる──これは、夢見る少年が家族と運命の為に戦う物語。

収容所生まれの転生幼女は、囚人達と楽しく暮らしたい

三園 七詩
ファンタジー
旧題:収容所生まれの転生幼女は囚人達に溺愛されてますので幸せです 無実の罪で幽閉されたメアリーから生まれた子供は不幸な生い立ちにも関わらず囚人達に溺愛されて幸せに過ごしていた…そんなある時ふとした拍子に前世の記憶を思い出す! 無実の罪で不幸な最後を迎えた母の為!優しくしてくれた囚人達の為に自分頑張ります!

ドン底から始まる下剋上~悪魔堕ちして死亡する幼馴染を救うためにゲームの知識で成り上がります~

一色孝太郎
ファンタジー
 とある村の孤児院で暮らす少年レクスは、大切な幼馴染の少女セレスティアと貧しいながらも幸せな毎日を送っていた。だがある日突然やってきた暴漢にレクスは刺され、セレスティアは誘拐されてしまう。そうして生死の境をさまよう間は前世の記憶を思い出し、ここが自身のプレイしていたMMORPGの原作小説の世界だと気付く。だが、同時にセレスティアが原作小説のラスボスで、このままでは悪魔にされた挙句に殺される運命にあることにも気付いてしまった。レクスは最悪の運命から救い出すため、ゲームの知識を活用して冒険者となって成り上がることを決意する。  果たしてレクスはセレスティアを救うことができるのだろうか? ※更新はモチベーションの続く限り、毎日 18:00 を予定しております。 ※本作品は他サイトでも投稿しております

超空想~異世界召喚されたのでハッピーエンドを目指します~

有楽 森
ファンタジー
人生最良の日になるはずだった俺は、運命の無慈悲な采配により異世界へと落ちてしまった。  地球に戻りたいのに戻れない。狼モドキな人間と地球人が助けてくれたけど勇者なんて呼ばれて……てか他にも勇者候補がいるなら俺いらないじゃん。  やっとデートまでこぎつけたのに、三年間の努力が水の泡。それにこんな化け物が出てくるとか聞いてないし。  あれ?でも……俺、ここを知ってる?え?へ?どうして俺の記憶通りになったんだ?未来予知?まさかそんなはずはない。でもじゃあ何で俺はこれから起きる事を知ってるんだ?  努力の優等生である中学3年の主人公が何故か異世界に行ってしまい、何故か勇者と呼ばれてしまう。何故か言葉を理解できるし、何故かこれから良くないことが起こるって知っている。  事件に巻き込まれながらも地球に返る為、異世界でできた友人たちの為に、頑張って怪物に立ち向かう。これは中学男子学生が愛のために頑張る恋愛冒険ファンタジーです。 第一章【冬に咲く花】は完結してます。 他のサイトに掲載しているのを、少し書き直して転載してます。若干GL・BL要素がありますが、GL・BLではありません。前半は恋愛色薄めで、ヒロインがヒロインらしくなるのは後半からです。主人公の覚醒?はゆっくり目で、徐々にといった具合です。 *印の箇所は、やや表現がきわどくなっています。ご注意ください。

幼女に転生したらイケメン冒険者パーティーに保護&溺愛されています

ひなた
ファンタジー
死んだと思ったら 目の前に神様がいて、 剣と魔法のファンタジー異世界に転生することに! 魔法のチート能力をもらったものの、 いざ転生したら10歳の幼女だし、草原にぼっちだし、いきなり魔物でるし、 魔力はあって魔法適正もあるのに肝心の使い方はわからないし で転生早々大ピンチ! そんなピンチを救ってくれたのは イケメン冒険者3人組。 その3人に保護されつつパーティーメンバーとして冒険者登録することに! 日々の疲労の癒しとしてイケメン3人に可愛いがられる毎日が、始まりました。

悪意か、善意か、破滅か

野村にれ
恋愛
婚約者が別の令嬢に恋をして、婚約を破棄されたエルム・フォンターナ伯爵令嬢。 婚約者とその想い人が自殺を図ったことで、美談とされて、 悪意に晒されたエルムと、家族も一緒に爵位を返上してアジェル王国を去った。 その後、アジェル王国では、徐々に異変が起こり始める。

処理中です...