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第四楽章
歌姫の舞台(3)
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銅板張りの厚い扉が開放され、礼拝堂へと人の列は入ってゆく。
ラッドも初めて入る幸運神殿の礼拝堂は、故郷の海洋神殿が丸ごと入るくらいに広く、天井も高かった。林立する柱は大理石で、アーチで支えられた天井にフレスコ画が一部残っているあたり「権力者の神殿」だった事が見て取れる。
それだけ大規模な礼拝堂でも、石床は膝を抱える人々で埋め尽くされ、季節外れの熱気が籠もっていた。
「やっと座れる」
フィドルのケースを抱えて石床に腰を下ろす。
”みてみてラッド~、おおきないしのひと~”
礼拝堂正面に大理石の女神像が立っている。
「幸運神フィファナの神像だけど、小さいな」
”ええ~? おおきいよ~”
「人間よりは大きいけれど、礼拝堂の規模にしては小さいんだ。天井まで不自然に空間があるだろ。前は太陽神ラ・ルガの神像があったはずだ。あれの二倍くらいの――」
「何をブツブツ言っているんだ?」
隣の中年男が文句を言ったので、ラッドは平謝りする。
”ラッドなさけな~い”
神像の大小は経済力の差であろう。いくらリリアーナ大王が信奉していても、幸運神フィファナの信者は大半が庶民であり、支配階級だったルガーン人と同じとは行くまい。
と、そこまで考えて疑念が湧いた。
(前の神像はどこへ行ったんだ?)
追放された太陽神官たちは聖典や祭具などは持ち出しただろうが、巨大な石像など運びようがない。壊さねば出せもしないのだから残したはず。となると撤去したのは、空になった神殿に入った幸運神官たちだろう。あるいは――
(元の形によっては、削り込んだとしてもあの位できそうだな)
――罰当たりにも再利用した可能性がある。
何しろ巨大な大理石が旧帝国全土で不要になり、それと同じ数だけ膨大な量の大理石が必要となったのだ。
(幸運神官なら、他神の神罰なんか気にしないかもな)
幸運神フィファナの気まぐれは有名だ。愛されれば大陸統一という偉業も成し遂げられるし、そっぽを向かれれば戦争を司る神の軍勢でさえ敗戦して国が滅ぶのだ。
これほど直接的に寵愛と懲罰を示す神をラッドは知らない。
そんな極端な女神のお膝元、演台で神官が説教をしていた。
「五千年前の創世三神による天地創造、生活の神々の降臨より四千年あまり、大陸は戦乱が絶えませんでした。そんな下界に心を痛めた英邁なる幸運神フィファナが、聖歴七百九十八年に降臨されたのです」
ここぞとばかりに布教活動をしている。
(逞しいな)
「そして三十年前、英邁なる幸運神フィファナは下界に愛娘を遣わせたのです。その御方こそ、リリアーナ大王陛下であらせられます」
群衆がどよめいた。ラッドも驚いている。
リリアーナという雷名もさることながら、大王様を神の子扱いする幸運神殿の鉄面皮さに。
(まさか大王様公認ってことは無いよな?)
喧噪に驚いた子供が泣き出した。母親に抱かれた幼児が大泣きしている。その近くの男が「ガキなんか連れて来るな!」と怒鳴った。それを神官がたしなめると男は反発してさらに声を荒らげた。
(良くないな)
ぎゅう詰めにされて苛ついているのは子供だけではない。礼拝堂にいる全員がストレスを貯め込み、空気が固くなっていた。
「静粛に。ここは神の御前ですぞ」
「俺は幸運神フィファナの信者じゃねえ!」
男の怒声も幼児の鳴き声もさらに高まる。
(危ない)
このままでは何かがきっかけで騒ぎになりかねない。群衆が暴れだすといかに恐ろしいか、歴史の授業で習った。
ラッドはケースを開けてフィドルを取りだす。弓の弦を張り、 胡座に楽器を据えた。
”やった~、えんそうだ~”
ラッドは弦に弓を当て、静かに子守唄を演奏し始めた。
ゆっくりと旋律を奏でると穏やかな音色が広がり、張り詰めた空気を解きほぐしてゆく。
怒声が途絶え、鳴き声が止んだ。聞こえるのはフィドルが奏でる調べだけである。
今、ラッドが場の空気を支配していた。
演奏を終えて余韻が消えると拍手が起きた。ラッドは立ち上がり、全方位に頭を下げる。
(ただ働きにしては良い仕事ができたな)
座り掛けたラッドに、演台から声がかかった。
「そこな少年、見事な演奏であった。よろしければこちらへ」
演台にいたのは胸に円い銅板〈神紋はサイコロの図柄と数字の一〉を下げた一級神官だった。彼はラッドに「公演まで場を和ます演奏」を依頼してきた。報酬を聞くやラッドは即決。
「やります!」
演壇に登り礼拝堂を見渡す。ぎっしり詰め込まれた数百人がラッドの客だ。
これほど大勢の前で演じるのは初めてだ。しかしラッドの手には愛用のフィドル、心にはお師匠様の「客に怖じけるな」の教えがある。
(怖くなんかない)
――客の目を見ろ息を聞け。求めている物を与えるんだ――
それほど深く見なくても、すぐに苛立ちと退屈が見て取れた。
(ならスッキリさせてやらないと)
ラッドは椅子に座ってフィドルを腿に置く。スリングで提げるより安定するし、日没までまだ長い。
”やった~、またえんそうだ~”
一曲目はリリアーナ大王を称える「解放の朝」にした。神官が前振りしてくれたので、ありがたく利用する。
演奏を始めるや上々の反応が返ってきた。ただでさえストレスが高まっているところに不快な記憶を呼び起こされ、客の怒りが燃え上がる。なので転調からの爽快感が倍増し、終える頃には客の耳目はラッドに集中していた。
(行けるぞ!)
確かな手応えを感じ、ラッドは次の曲へと移った。
ラッドも初めて入る幸運神殿の礼拝堂は、故郷の海洋神殿が丸ごと入るくらいに広く、天井も高かった。林立する柱は大理石で、アーチで支えられた天井にフレスコ画が一部残っているあたり「権力者の神殿」だった事が見て取れる。
それだけ大規模な礼拝堂でも、石床は膝を抱える人々で埋め尽くされ、季節外れの熱気が籠もっていた。
「やっと座れる」
フィドルのケースを抱えて石床に腰を下ろす。
”みてみてラッド~、おおきないしのひと~”
礼拝堂正面に大理石の女神像が立っている。
「幸運神フィファナの神像だけど、小さいな」
”ええ~? おおきいよ~”
「人間よりは大きいけれど、礼拝堂の規模にしては小さいんだ。天井まで不自然に空間があるだろ。前は太陽神ラ・ルガの神像があったはずだ。あれの二倍くらいの――」
「何をブツブツ言っているんだ?」
隣の中年男が文句を言ったので、ラッドは平謝りする。
”ラッドなさけな~い”
神像の大小は経済力の差であろう。いくらリリアーナ大王が信奉していても、幸運神フィファナの信者は大半が庶民であり、支配階級だったルガーン人と同じとは行くまい。
と、そこまで考えて疑念が湧いた。
(前の神像はどこへ行ったんだ?)
追放された太陽神官たちは聖典や祭具などは持ち出しただろうが、巨大な石像など運びようがない。壊さねば出せもしないのだから残したはず。となると撤去したのは、空になった神殿に入った幸運神官たちだろう。あるいは――
(元の形によっては、削り込んだとしてもあの位できそうだな)
――罰当たりにも再利用した可能性がある。
何しろ巨大な大理石が旧帝国全土で不要になり、それと同じ数だけ膨大な量の大理石が必要となったのだ。
(幸運神官なら、他神の神罰なんか気にしないかもな)
幸運神フィファナの気まぐれは有名だ。愛されれば大陸統一という偉業も成し遂げられるし、そっぽを向かれれば戦争を司る神の軍勢でさえ敗戦して国が滅ぶのだ。
これほど直接的に寵愛と懲罰を示す神をラッドは知らない。
そんな極端な女神のお膝元、演台で神官が説教をしていた。
「五千年前の創世三神による天地創造、生活の神々の降臨より四千年あまり、大陸は戦乱が絶えませんでした。そんな下界に心を痛めた英邁なる幸運神フィファナが、聖歴七百九十八年に降臨されたのです」
ここぞとばかりに布教活動をしている。
(逞しいな)
「そして三十年前、英邁なる幸運神フィファナは下界に愛娘を遣わせたのです。その御方こそ、リリアーナ大王陛下であらせられます」
群衆がどよめいた。ラッドも驚いている。
リリアーナという雷名もさることながら、大王様を神の子扱いする幸運神殿の鉄面皮さに。
(まさか大王様公認ってことは無いよな?)
喧噪に驚いた子供が泣き出した。母親に抱かれた幼児が大泣きしている。その近くの男が「ガキなんか連れて来るな!」と怒鳴った。それを神官がたしなめると男は反発してさらに声を荒らげた。
(良くないな)
ぎゅう詰めにされて苛ついているのは子供だけではない。礼拝堂にいる全員がストレスを貯め込み、空気が固くなっていた。
「静粛に。ここは神の御前ですぞ」
「俺は幸運神フィファナの信者じゃねえ!」
男の怒声も幼児の鳴き声もさらに高まる。
(危ない)
このままでは何かがきっかけで騒ぎになりかねない。群衆が暴れだすといかに恐ろしいか、歴史の授業で習った。
ラッドはケースを開けてフィドルを取りだす。弓の弦を張り、 胡座に楽器を据えた。
”やった~、えんそうだ~”
ラッドは弦に弓を当て、静かに子守唄を演奏し始めた。
ゆっくりと旋律を奏でると穏やかな音色が広がり、張り詰めた空気を解きほぐしてゆく。
怒声が途絶え、鳴き声が止んだ。聞こえるのはフィドルが奏でる調べだけである。
今、ラッドが場の空気を支配していた。
演奏を終えて余韻が消えると拍手が起きた。ラッドは立ち上がり、全方位に頭を下げる。
(ただ働きにしては良い仕事ができたな)
座り掛けたラッドに、演台から声がかかった。
「そこな少年、見事な演奏であった。よろしければこちらへ」
演台にいたのは胸に円い銅板〈神紋はサイコロの図柄と数字の一〉を下げた一級神官だった。彼はラッドに「公演まで場を和ます演奏」を依頼してきた。報酬を聞くやラッドは即決。
「やります!」
演壇に登り礼拝堂を見渡す。ぎっしり詰め込まれた数百人がラッドの客だ。
これほど大勢の前で演じるのは初めてだ。しかしラッドの手には愛用のフィドル、心にはお師匠様の「客に怖じけるな」の教えがある。
(怖くなんかない)
――客の目を見ろ息を聞け。求めている物を与えるんだ――
それほど深く見なくても、すぐに苛立ちと退屈が見て取れた。
(ならスッキリさせてやらないと)
ラッドは椅子に座ってフィドルを腿に置く。スリングで提げるより安定するし、日没までまだ長い。
”やった~、またえんそうだ~”
一曲目はリリアーナ大王を称える「解放の朝」にした。神官が前振りしてくれたので、ありがたく利用する。
演奏を始めるや上々の反応が返ってきた。ただでさえストレスが高まっているところに不快な記憶を呼び起こされ、客の怒りが燃え上がる。なので転調からの爽快感が倍増し、終える頃には客の耳目はラッドに集中していた。
(行けるぞ!)
確かな手応えを感じ、ラッドは次の曲へと移った。
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