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幕間

誕生日のお師匠様(1)

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「ラッド、君は歌が歴史を動かした事件を知っているかい?」
 お師匠様がそう言い出したのは、ラッドが十五歳になった日である。
 誕生日なのに、いつも通りに散らかっている師匠宅の居間をラッドは箒で掃いていた。不意の話題に警戒しつつ、長い柄に顎を乗せて返事をする。
「さあ、知りませんねえ」
「なんだい、その気の抜けた返事は? 本日めでたく成人した君に、為になる話をしてやろうと言うのに」
 とお師匠様はソファから立ち上がって顔を近づけてきた。
「お師匠様、近い近い」
 妙齢の女性に迫られると、鼓動が早まり顔が火照ってしまう。
 身をかわすとお師匠様は不満も露わにした。
「興ざめだね、君には」
「仕方ないでしょうが。女性は……苦手なんだし」
 ラッドは異性に免疫がないのだ。
”ラッド、かおまっか~”
 こんな時に妄想少女ルビが脳内でささやく。
(他人がいる時は出ないで欲しいよ。特に――)
「ラッド、君は良く心が明後日の方へ飛んでゆくね」
「な、なんでもありません!」
 直立不動で誤魔化す。
(お師匠様に妄想少女がバレたら、明日には町中に広まってしまう)
 舞台度胸を付ける為と称し、お師匠様はありとあらゆる方法でラッドを辱めてきたのだ。最後の砦である内心だけは守りたい。
「でもお師匠様、歌が歴史を動かしただなんて、話を膨らませるにも程がありますよ」
「おや、信じないのかな君は?」
「だって『吟遊詩人の話は半分にして聞け』と言われる理由を、七年間叩き込まれましたからね、俺は」
「これは取って置きさ。何しろ、このあたしの体験談なのだからね」
「へえ!」
 ラッドは姿勢を正して椅子に腰掛けた。
 謎に包まれたお師匠様の過去が聞けるなら、話半分でも貴重である。
 ソファに戻ったお師匠様は悪戯っ子のように瞳をきらめかせ、語り始めた。
「まず知識問題だ。君はバラキア神国を知っているかな?」
「ドラゴン大王府がある地域に昔あった国ですよね。学校で習いました」
「二割正解。それに昔とは言ってもラッド、君が生まれた頃まではあったのだよ」
「年表的にはそうなりますが、その国が何か?」
「あたしはその国にいたのだよ」
「お師匠様はクラウト人でしょ?」
「吟遊詩人になって、最初に行った外国がバラキア神国だったのさ」
「バラキア神国に、行った……成人後に?」
 お師匠様の顔には小じわ一つ無い。黒髪は艶やか、ラッドらオライア人のモロコシ髪と違って腰がある直毛だ。上背もあり胸も豊か。娘と呼ぶには無理があるが、まだまだ若さは残っている――様に見える。
「十五年前に滅んだ国に、十五歳で成人した直後に行ったとして、滞在年数が……」
 ラッドの額に激痛が走る。膝に落ちたのは木皿。飛んで来たのだ。投げたのは当然、この家の暴君だ。
「女性の年齢を計算するだなんて、君はとんでもない恥知らずだな」
 額を押さえて呻くラッドにルビが追い打ちをかける。
”ラッド、どんくさ~い”
(妄想にまでバカにされるなんて不条理だ)
「痛たたた……まさか、お師匠様って母さんと同年代?」
「つくづく失礼だね君は。あたしはそんな年ではないさ」
「でも、最低でも三十――」
 今度お師匠様が投げてきたのは銅製のタンブラーだ。咄嗟に受け止める。
「これ、頭に当たったら洒落になりませんよ! 死にますって」
「死ぬがいいさ。不肖の弟子なぞ死んでしまえばいい」
”ラッドやりかえせ~”
「分かりました。以後は体験談ではなく伝聞だとして聞きます」
「話の腰を折るんじゃないよ、まったく。どこまで話したかな?」
「まだ何も」
「そうかい。では君は、バラキア神国についてどれだけ知っているかな?」
「戦争神殿が独裁を敷いていた――は学校で習いました」
「それだけかい? まあ、それだけでも知っているなら話が早いか。他神の神殿を追放して、全国民に戦争神バラクへの改宗を強制したのだよ。逆らう事は許されないどころか「信仰心が足りない」と見なされただけで罰せられる。その圧政たるや『ルガーン帝国より酷かった』と言えば君には理解しやすかろう」
「ええ、まあ。だからリリアーナ大王が真っ先に征服したんですよね?」
「この国ではそう教えているのかい?」
「違うんですか?」
 記憶があやふやなラッドは禁じ手の「質問に質問で返す」をしたが、お師匠様は気にも留めず、棚から楽器ケースを下ろし、フィドルを取りだした。ボディを腿に置き、張った弓を弦に当てる。
「始まりは一人の行商人だった」
 重い調子の曲を奏で、歌い出した。

 ♪暗黒の大地に災厄が降り注ぐ
  民人たみびとを襲うは死病疫病赤熱病
  治癒の法術は及ばず人は死す
  嘆き悲しみ町村まちむらを覆い尽くす♪

 曲が転調し明るくなった。

 ♪若き行商人クラウトより参る
  売る品は神殿に禁じられし薬
  その秘薬は赤熱病に打ち勝ち
  死にゆく定めの民人を助ける
  民人はその奇蹟に喜び感謝し
  民人は彼の来訪を待ちわびる
  待てよ民人よ薬売りの来訪を
  クラウトの薬売りこそ救い主♪

 何度か聞いた歌だ。
”ラッドもえんそうして~”
「これは実際にあった話なのだよ」
 お師匠様が解説を始めたので、ラッドは妄想を無視した。
「治癒の法術で病を治す神殿にとり、安い薬は商売敵だ。だからバラキア神国は薬を禁じた。売る事はもちろん、自分で作る事さえもな」
「酷い話ですね」
「神殿が独裁を敷いていたんだ。お布施を国民に強いる為に何でもしたのさ。でも高いお布施を払ったところで赤熱病は――さて質問だ。赤熱病の治療法とは?」
「分かりません」
「駄目だねえ。答えは薬だ。今は特効薬があるから大半の患者は助かる。でも神官の法術による治癒では半分も助からない。しかもこれは栄養状態が良いクラウト王国での話だ。バラキア神国では民衆は常に餓えていて、病気への抵抗力が無かった。だから神殿を頼ってもほとんど助からなかった。まさに死病だった。否、死病にされたのさ」
「酷い。ルガーン帝国でもそこまでしませんよ」
「ルガーン人にとって奴隷は財産だから、無駄に死なせたりはしないだろう。でもバラキア神国では国民は教化すべき異教徒であり、信仰不足の非良民だった。扱いは奴隷より軽いんだ」
「でも、無意味に苦しめたりはしないんじゃ?」
「政治に無知な神官に国の舵取りなどできるはずもない。当然失政に次ぐ失政。だが神官たちは反省するどころか、原因を国民の信仰不足と決めつけた。だから教化と称して暴力を振るうのが神官や神殿兵たちの日常だった」
 予想を遥かに上回る悪政にラッドは言葉を失った。
(確かにそれじゃルガーン帝国より悪いよ)
「そんな国に、神殿が禁じた薬を売りに行商人がやって来たんだ。しかも赤熱病の特効薬を。民衆の喜び様は『君たちがリリアーナ大王を称えるくらい』と言えば理解しやすいだろう」
「救い主と言われるのも分かります。でも、その行商人は大丈夫だったんですか? 神殿が黙っていないでしょう」
「禁止されたからってクラウト商人の商魂は消えなかったのだよ。彼は薬を香草と称して売り歩いた」
「それで誤魔化せたんですか?」
「最初はな。でも『赤熱病が治った』という噂が広まると、彼は密売業者として手配された。民衆は彼の味方となり、匿ったり逃がしたりした。たった一人の行商人をきっかけに、政府と民衆との戦いが始まったのだよ」
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