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第九章 次なる戦いに備えて

懸念は増すばかり

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 王都アクセムを囲む城壁の手前で、女王のゴーレム車は停止した。
 道ばたに大柄な男が片膝を付いている。
「彼がそうですか?」
 プルデンス参謀長の問いかけにルークスはうなずき、手はずどおり扉を開けた。
「陛下、対サントル帝国戦で僕が雇った傭兵のサルヴァージです。僕を護衛して、あと帝国軍騎兵からアルティを守ってくれました」
 ルークスが紹介すると傭兵は顔を上げ、片目を隠した黒い布を取り去り、両の目で凝視する。
 かつてない近距離で女王陛下の顔を凝視できて、巨漢の傭兵は相好を崩した。
 別に微笑まれたわけでもなく、声かけもない。
 それでもサルヴァージは目を見開いたまま、感極まったように息をついた。
 フローレンティーナ女王は扇で口元を隠しつつ、小声でルークスに話しかける。
「分かりました」
 ルークスは言われるままに扉を閉め、御者台のフォルティスに発車をうながした。
 傭兵を残して進む車内で、女王は言う。
「少し冷たくありませんでした?」
 ルークスが頼りにした人間を、ぞんざいに扱いたくなかった。
「いえいえ、あれでも大盤振る舞いです」とプルデンス参謀長が説明する。「彼は我が国ではなく、ルークス卿個人に雇われたにすぎません。功績も雇い主とその家族を守っただけ。本来なら、一国の君主が足を止めるなどありえません」
「なら、どうして拝謁を許したんです?」
 とルークスが尋ねる。彼の傭兵への評価は「今回だけじゃ足りないから、この次頑張って」程度である。
 ゴーレム車を止めて女王の顔を拝ませたのは、プルデンス参謀長の提案だった。
「彼の、陛下への想いが本当か、ただの口実かを確認したかったのですよ」
「どうでした?」
 ルークスは邪気のない顔で問う。
「見た限りでは、身の程をわきまえていないのは確かなようでした」
 おまけに油断がならない。
 拝謁を夢見て練習してきたとしても、血なまぐさい傭兵とは思えぬほど所作が洗練されていた。
 平民であれだけできるのは、貴族に仕えている者くらいだ。
(あるいは元貴族か)

 騎兵にしては大柄過ぎる傭兵の噂は、以前よりプルデンス参謀長も聞いていた。
 対リスティア戦で「バリスタ要員に転向していた」と知って「目端が利く」と心に留めた。
 そしてルークスらが下町を捜査中に「偶然出会った」と耳にするや警戒し、全力で情報を集めた。
 結果、傭兵団に属さない流れの傭兵ということしか分からなかった。
(あれだけ目立つ大男が、戦歴以外ほとんど情報がないのは不自然すぎる)
 正直、得体が知れない人間をルークスに近寄らせたくない。
 それが外国人となれば、なおさらである。
「ルークス卿、船旅には彼を同行させないでください」
「陛下の船に、信頼できる人だけを乗せれば護衛は不要になります」
 それを聞いて参謀長も、少しは安心できた。
 自分を「伝手」としか見ていない人間を信じるほど、ルークスがおめでたくはないことに。
 それだけに余計「卿が信頼した中に要注意人物がいる」と言いづらくなってしまった。

                  א

 夕刻、帰路に着いたルークスたちと入れ違いに、フェルームの町からヴェトス元帥が王都に帰ってきた。
 王城内の軍司令部で、参謀長と騎士団長を交え、新宮内大臣と顔合わせする。
 王城の掃除――公爵派の排除について四人だけの密談だ。

 本題に入る前に、プルデンス参謀長が先ほど知った懸念事項を報告する。
「陛下の船旅に、ルークス卿がヴェスペルティ伯爵の関係者を招く意向です」
 参謀長が出した名前に、新宮内相のドロースス子爵が嘆息した。
「確か日和見派でしたな」
 パトリア王国の貴族は、武官を中心とした女王を支持する勢力と、文官を中心としたプロディートル公爵を支持する勢力だけではない。
 どちらにも属さない中立の者もそれなりにいる。
 勝ち馬に乗ろうと両勢力を天秤にかける中立貴族は、陰で日和見派と呼ばれていた。
 ヴェルペルティ伯爵についてプルデンス参謀長が情報を共有する。
「性格は温厚、交友関係は内外に幅広く、基本的に王都におられますが、領地経営は臣下に任せず良好、領民からも慕われていると聞いています。ただ、いわゆる日和見派とは差異が見受けられます」
「どの辺が違うのか?」
 彼の上官で部屋の主であるヴェトス元帥が問いかける。
「他の方々のように双方に良い顔をしないどころか、自らはもちろん子弟さえ官職に就かせないなど、国政から距離を置いております」
「国政に関与しないだけなら、昔ながらの貴族――というわけではないのだな?」
「はい。ご子息をマルヴァド王国に留学させただけならともかく、妾腹の子まで王立アクセム学院に入れております。農業や治水で先進的な技術を取り入れるなど、保守的とは言いがたい方かと」
 それを聞いてフィデリタス騎士団長がつぶやいた。
「何やら、プロディートル公爵に似た印象がありますな」
「はい。それこそが、私が懸念する最大の理由です。これがヴェスペルティ伯爵だけなら偶然とも思えますが、他にも経済力を持ち先進的でありながら、国政に関わらない方々が少なからずいらしまして、偶然にしては類似例が多すぎるかと」
「つまり、公爵の本当の手足は中立に偽装しており、現職に据えているのはトカゲの尻尾か?」
 元帥の質問に参謀長は渋面で答える。

「憶測になりますが、失政で陛下に責任を取らせる意図ならば、無能者の登用は理にかなっているかと」

 その憶測が、武官たちのに落ちるのを待ってから、参謀長は続ける。
「公爵殿下にとって想定外だったのは、切り捨てるはずだったトカゲの尻尾を九年間も引きずらされたことでしょう。たった一組の平民親子によって」
 レークタ親子によって、二度もリスティア大王国による侵攻は撃退されたのだ。

 新宮内相が言う。
「しかし、相手が偽装日和見派となると厄介ですな」
 ヴェトス元帥は参謀に尋ねる。
「この機会に、伯爵を取り込めないか?」
「親族ならともかく、ルークス卿が招くのは下働きの平民の子です。伯爵に恩は売れませんし、いつでも切り捨てられる一方、間諜として絶好の立ち位置かと」
「正体が露見している間諜など、恐れるどころか好都合だ。偽情報を掴ませるには打ってつけだろう」
「問題は当該生徒クラーエ・フーガクスが、アルティ・フェクスの親友三人のうちの一人だという点です。ルークス卿は味方に引き入れたつもりでしょうが、平民の意志など主人の意向に消し飛ばされます。それに、間諜の役割は情報収集だけではありません。このケースで一番懸念されるのは、人間関係の破綻です」

「「!?」」

 室内の空気が一気に緊迫した。
「対帝国戦からルークス卿は精神的に不安定です。そんな彼を支えているアルティ・フェクスの友情が壊れたりしたら――影響の度合いは測りかねます」
 パトリア軍の知恵袋は独身かつ女性に縁がなく、年頃の少女は扱いあぐねていた。
 無骨な武官たちは娘がいても「我が子の心が分からない」と嘆く始末。

 一同が頭を悩ませるなか、若い女官が茶器のワゴンを押して入室してきた。
 ドロースス子爵が話題を変えようとするのを、参謀長は留めた。
「ご心配なく。彼女は陛下の忠臣です。衛兵による猥褻行為を相談に来た女官こそ彼女、ディシャレ・アミーカなのです」
 ディシャレはスカートをつまんで優雅に一礼した。
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