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第九章 次なる戦いに備えて

手綱と陰謀

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 御前会議で暴走を始めたルークスの手に、フローレンティーナ女王が手を重ねる。
「作戦説明はプルデンス参謀長に任せましょう」
「あ、はい。そうでしたね。すみません」
 頭をかいてあっさり、実にあっさりと少年は引き下がった。
 当てが外れて悔しがる文官たちに、プルデンス参謀長は微笑みながら説明する。
「ルークス卿が、女王陛下の安全をおろそかにするはずがございません。彼が女王陛下をお守りすることばかりを考えてこられたのは、皆さんもご存じのはず」
 それでもなおドムス宮内相はごねる。
「しかしだね、万一の想定が『できていません』では済まないぞ」
「宮内大臣のご懸念も理解します。実際、過去に軍はゴーレムの戦闘力を向上させるため、ノームを友達にする検討をしたことがあります。しかし、そうした懸念をされる方々の説得が困難なため、結局は断念しました」
 この説明に、ゴーレム大隊長のコルーマ卿は内心で苦笑した。
 参謀長が建前で押し通すから。
 本音は軍が「兵に死を命じる」都合上「自己判断する精霊は厄介」が理由だ。
 そのため初代ゴーレム大隊長の故ドゥークス・レークタは「精霊を道具と割切って使う」とせざるを得なかった。
 有り体に言えば、軍はノームに「契約者が死んでも働き続ける」ことを望んだのだ。

 ルークスは、そうした経緯を知らなかった。
 駐屯地に足しげく通う少年は、ゴーレムの『現在の運用方法』と『他国の運用方法』は目にしていたが、『検討中、もしくは検討したが採用されなかった運用方法』は軍事機密なので知らないままだ。
 彼が知っているのは亡父が幼い息子に教えた「精霊と友達になれ」だけである。
 そのため亡父と契約していた大精霊との間に、軋轢あつれきが生まれてしまった。

 ルークスより知識がない文官たちに、プルデンス参謀長は淡々と説明する。
「軍創設時はまだ国民の間に『巨大ゴーレムへの恐れ』がありまして、その運用は慎重の上にも慎重を期しました。しかし二度のリスティア侵攻を撃退し、ルークス卿が時の人となった今は、ゴーレム大隊への国民の信頼は、まさに盤石。また、そうした懸念に対しても、ルークス卿は見事な解決法を提示しました」
 そこでプルデンス参謀長は言葉を切り、ルークスに顔を向けた。
「それでは、今から発案者に実演していただきましょう」

 ルークスは頭上に声をかける。
「インスピラティオーネ」
 不可視でいた風の大精霊が天井付近に現れた。
 グラン・シルフの常駐を知らない文官たちがどよめく。
 ルークスは立ち上がって椅子をどけた。
「陛下はここに立ってください」
 と、主君に指図して、文官たちを呆れさせた。
 微笑みながら立つ女王陛下の前で、少年騎士はひざまづいた。
「僕、ルークス・レークタは、フローレンティーナ女王陛下への変わらぬ忠誠を、インスピラティオーネとノンノン、ここにはいないリートレやカリディータ、そして全ての友達に誓います」
「その忠心、心より嬉しく思います」
 フローレンティーナ女王は右手を差しだし、接吻の栄誉を騎士に与えた。

 女王と少年騎士が着座してもなお、文官たちは呆気にとられていた。
「それだけなのか?」
 ドムス宮内相の問いかけは、ほとんどの文官たちを代弁していた。
 問われたプルデンス参謀長は、文官の一人を示す。
「王宮精霊士室の副室長さんなら、ルークス卿の行為が何を意味するか、ご理解いただけますよね?」
 注目を浴びた中年の精霊士は、汗を垂らしながらポツポツと言う。
「その……万一、誓いが破られた場合、精霊との信頼関係が、損なわれてしまいます。誓いを果たさない人間は、契約を守るとは見なされないでしょう。恐らく、精霊に契約を破棄されるものと……。また、複数の精霊と契約している場合や、今後の契約にも波及するので……精霊士としては、死んだも同然となり……軽々しくできることでは――」
「誓いを破らなきゃ済む話ですよね?」
 ルークスが無慈悲に核心を突いたので、中年精霊士は絶句してしまった。
 面従腹背してきた文官たちには、精霊を質に取られるような誓いが不都合なのだ。
 そこまで少年は考えてはいなかったし、そう考えていた方がまだ健全だったろう。

 ルークスは「人間より精霊を信用している」だけなのだから。

 宮内相が苦々しげに言う。
「ルークス卿、陛下も永遠に女王でいるわけではない。いつかは退位される。そのとき、コマンダーの忠誠はどこへ向かうのか?」
 参謀長が目配せしたので、女王は友人の手綱を放した。ルークスが答える。
「陛下より先にコマンダーの方が引退しますよ。コルーマ大隊長は四十代だし、最年少でも二十歳過ぎていますから」
「そうではなくて、コマンダーがノームを友達にするのは、今後も続くのだろう?」
「サントル帝国がこの先何十年も続くなら、そうなりますね。でも陛下に忠誠を誓った人なら、陛下のお子さんをお守りするのは当然じゃないですか」
 天然発言に古株文官は難渋した。
「しかしだね、物事は最悪を想定しなければならない。万一、陛下に万一の事が起きたらどうするか、は今から考えておかなければならない」
「ああ、そういう事ですか」
 やっとルークスが合点いったところで女王が止め、プルデンス参謀長が説明する。
「その万一を想定したが故に、友達作戦を奏上したのです」
 ドムス宮内相が睨みつけても、ルークスは知らぬ顔。
 空気は読めないし、敵に良い顔をする道理もない。
 何より女王陛下の制止は絶対だ。

 ルークスの歯に衣着せない発言は、裏表が無い誠実さという美点の表れではあるが、大きな欠点でもあった。
 その欠点は、階級を重視する人間ほど許しがたく、由緒正しい家柄のドムス宮内相の逆鱗に触れるどころか、引っこ抜かんばかりに揺さぶっていた。
 この状況をプルデンス参謀長は抑えるどころか積極的に利用している。
 文官たちを挑発し、問題発言を引き出してルークスに噛みつかせていた。
 そして頃合いを見て止める。
 家族や友達精霊でさえ止められない暴走馬も、女王陛下なら止められるのだ。
 対応方法が分かれば、あとは陛下の隣りに布陣させるだけ。
 参謀長の合図で女王陛下が騎士を制止する手はずである。
 軍内部の「貴族と平民との確執」という根深い問題に取り組んできた参謀長からしたら、直進だけの暴れ馬を御するくらいは簡単であった。
 その効果は覿面てきめんで、文官たちは怒りで思考力を失い、参謀長の狙いどおりに誘導された。
「その万一が起きたら、どうするのかね?」
 ドムス宮内相の問いかけに、プルデンス参謀長は核心の答を口にした。

「その万一を起こさせないために、ノームを友達にするのです。もしも玉座を簒奪さんだつする者が現れたら、ゴーレム部隊が王城もろとも――」

「そ、それは、軍の枠を逸脱している!」
 宮内相は慌てたが、参謀長はにこやかに問い返す。
「その判断は、王の財産管理という宮内の枠を逸脱していませんか?」
 事ここに至り、文官たちは悟った。

 友達作戦は「対サントル帝国に見せかけたクーデター計画」なのだ、と。

 正当な理由で女王を退位させても、王城がゴーレムに襲われてしまう。
 彼らは「なぜ最高指揮官であるヴェトス元帥が欠席したのか」に思い至った。
 クーデター実行時に「元帥は御前会議の内容を知らなかった」と言い逃れするためだ、と。

 そうした陰謀論は完全に妄想だったが。

 元帥の別行動は、純粋に間諜対策だった。
 ただ間諜の中に「国内から放たれた者」が混じっていたにすぎない。
 宰相ら文官の重鎮たちは、自分たちを基準にして「陰謀がある」と妄想した挙げ句、墓穴を掘ったのだ。
 
 事実、武官による対文官作戦は別に計画され、水面下で進行中である。
 そして宰相不在の御前会議は、またとない好機だった。
 プルデンス参謀長は勝負に出、作戦を浮上させる。
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