上 下
173 / 187
第九章 次なる戦いに備えて

明るい笑顔

しおりを挟む
 パトリア王国の首都アクセムは夏の暑さに加え、歓喜の熱気で沸き返っていた。
 四ヶ月足らずの間に二度の戦勝など、小競り合いを除けば有史以来の快挙である。
 しかも二戦目の相手はサントル帝国、七万もの大軍を相手に戦死者ゼロの完全勝利だ。
 王都の民は凱旋した部隊を熱狂的に歓迎した。
 大通りを歩き祝福されているのは、百人余りの寂しい行列である。
 戦勝パレードは普通、大人数で国力を誇示するものだ。
 だが「七万の軍勢と四百のゴーレムを、こんな少数で撃退してのけた」驚きは一目で分かった。
 大通りの両側にいる群衆より一桁も多かった敵を、これだけの寡兵で追い返すなどは奇蹟である。
 そのうえゴーレムの全基を撃破鹵獲となれば、にわかには信じがたい。
 だが行列の後ろに物的証拠が続いていれば、嫌でも信じざるを得なかった。
 二ヶ月前にお披露目された新型ゴーレムが、鹵獲した軽量型ゴーレム数十基を引き連れている。
 見慣れた鈍重なゴーレムとは異なる細身のゴーレムなど、他国から奪う以外に大量に揃えられる国力ではない。
 先頭を行く白銀甲冑の女性型ゴーレムこそ、数的不利を覆したパトリアの切り札である。
 リスティア迎撃戦でその活躍を目撃した将兵が「水の女神」と讃えたが、今は「勝利の女神」と呼ばれていた。
 そんな女神が両手で宝物のように運んでいるのが、ゴーレムマスターのルークスだ。
 王立精霊士学園の制服を着た少年は、沿道を埋め尽くす群衆に応えて手を振る。
 人々は英雄の名を讃え、口笛を吹き、拍手で迎えた。
 だが賞賛されている当人の心は、ここにあらずであった。

                  א

「まあルークス!? あなた……」
 フローレンティーナ女王は、今度は目を疑った。
 執務室に入ってきた少年が、明るい笑顔を浮かべているのだ。
 少し痩せた印象のルークスは、片膝を着いて元気に挨拶する。
「陛下、ルークス・レークタただ今戻りました」
「ご……ご苦労さまでした、ルークス」
 直前にフォルティスが懸念したことが嘘のようだ。
 精神の乱れや心の不安定さが全く見えないので、女王は面食らってしまった。
 主君の困惑に気が付かず、ルークスはメモに目を落としつつ報告する。
 海戦、嵐を移動させての上陸戦、予定を変えて先にリスティア首都を攻略したこと、補給物資の強奪、そしてゴーレム部隊との戦闘と、淡々と語った。
 サントル帝国の軽量型や四足型といった特殊なゴーレムになると、途端に詳しく話しだす。
 だがルークスの心を深く傷つけたグラン・ノームについては、その存在と脅威を軽く説明しただけだった。
(触れたくないのですね)
 友達の気持ちを尊重して、女王は聞き流した。
 話題が「今考えている新しいゴーレム」になるや、ルークスは水を得た魚のように滔々とうとうとしゃべり続ける。
 満面の笑みが逆にフローレンティーナを不安にさせた。
「ありがとう、ルークス。さぞ疲れたでしょう。ゆっくりと静養してください」
「そうはしたいのですが、今回の敗北くらいでサントル帝国が引っ込んだりしませんから、気が抜けません」
「ルークス、どうか無理はしないで」
「無理ですか? ええと、まだ体が動くから無理じゃないと思います」
「その基準は変です。あなたはこの数ヶ月、余人の一生分以上も働いています。心身共に疲れているでしょうから、しばらく休養が必要と考えます」
「でもシルフから情報を聞きませんと」
「お友達の精霊たちも、あなたに休養を求めていると聞いています。それに、帝国の監視は軍と外務の仕事です」
「そうですか。なら後は、この新しいゴーレムを――」
「ルークス、休みなさい」
「――はい。陛下がそうおっしゃるなら」
 ルークスは釈然としない表情で引き下がった。。
 それでも一応は休養を承諾させられたので、フローレンティーナは胸を撫で下ろした。

                  א

 王城内のパトリア軍参謀長室では、アルティが涙を流し続けている。
 そんな少女を前に、プルデンス参謀長は冷や汗を流し続けていた。
「とにかく落ち着いてください。ルークス卿には、何を置いても静養してもらいます。その間に善後策を――」
「休むって言ったって、ルークスが安らげる場所なんてどこにもないわ! サントル帝国は、名指しまでして戦争を仕掛けたのに……」
 また大泣きになったので、参謀長はため息をついた。
 たった一人の人間を求めて戦争するなど、パトリア軍の知恵袋も知らない珍事だ。
 念の為に調べたが、類似例は神話にしかなかった。
 開戦の布告などで敵君主を名指しすることはあれど、そんなものは建前でしかない。
 領土や権益など、戦争の理由はもっと即物的なものなのだ。
 今回は「ゴーレムの数的優位を覆す新兵器」が戦争目的なのは歴然である。
 新兵器に対抗するには物自体か、開発者のどちらかは入手しなければ困難だ。
 そして既存兵器では太刀打ちできない新兵器より、軍人でないどころか未成年の開発者の方が確保しやすいのは言うまでもない。
 だが、人一人を掠うために開戦するなど非常識にも程があるうえ、真の目的を正直に通告してくるとは予想だにしなかった。
 どうしても欲しい他国の人材を得るのに、一番簡単な方法は買収だ。
 次に濡れ衣を着せての引き渡し要求、そして誘拐、と手段が乱暴になるほど難しくなる。
 戦争は一番難しい方法だし、少なくともこの大陸で「人一人求めた」戦争が起きた試しなどない。
(この大陸!?)
 その単語と、少女の嘆きとが結び着いた。
 やっと光明を見いだせて、プルデンス参謀長は安堵の息をついた。

 アルティを無事なだめて送り出すと、プルデンス参謀長は両手で頬をはたいて気合いを入れる。
 そして満を持してルークスを迎えた。
 思ったよりも明るい表情の少年は、挨拶もそこそこに用件を切りだした。
「報告書には書けなかった、聞きたいことがあります」
「うかがいましょう」
 言うべきことを後回しにして、参謀はまず聞く姿勢を見せた。
「サントル帝国を倒すための作戦を、同盟諸国は行っていますか? あるいは予定しています?」
 戸惑いはしたが、プルデンス参謀長は即答する。
「内部分裂を誘う工作は、この百年続けられているはずです。確証はありませんが、常識的に考えて最低限そのくらいはするでしょう」
「うちの国は?」
「先日ルークス卿が問題提起したとおり、外務主導の間諜は情報収集さえ満足にできていません。よしんば工作をしていたとしても、とても話せるレベルではないでしょう。確証はありませんが」
 軍は何も知らされていないが、逆にそれが「外務は成果を出せていない」傍証になっている。
「そうか。なら――」
 ルークスはうんうんと頷いた。
 そしてとんでもない事を言い出したのだ。
「新たに僕が作戦を始めても、味方を困らせる心配はありませんね」
しおりを挟む

処理中です...