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第五章 艦隊出撃

混乱の軍港

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 リスティア大王国中部のリマーニ軍港は、嵐の直撃を受けていた。
 吹き荒れる風と土砂降りの雨、昼なのに夜のように暗かった。
 占領部隊の最高指揮官であるサントル帝国軍アンコンペトン陸尉は、口髭をしごいて鼻を鳴らす。
「いつまでこの嵐とやらは続くのだ!?」
「は! 嵐の到達時間と大きさからして、明朝までには通過するものと思われます! アンコンペトン司令閣下!」
 年かさのリスティア人士官が直立不動で答える。
「塩がベタベタしてたまらん。これだから皇帝陛下のご威光が届かぬ辺境は――」
 恐怖心を隠すため、アンコンペトンは不平を並べる。
 内陸の乾燥地域で生まれ育った彼は、暴風雨など生まれて初めてだった。
 風が吹きすさび、波が埠頭や岸壁で飛沫を上げ、雨と共に港全体に降りしきる。
 絶え間ない風と雨と波の音に、まだ若いアンコンペトンの神経は根を上げていた。
 二級市民の家庭に生まれた彼は、この戦役まで苦労を知らなかった。
 否、今まで苦労だと思っていた全てが、長距離の行軍に比べたら物の数ではないと知ったのだ。
 その長距離行軍でさえ、恐怖に震えた嵐の一夜に比べたら、気楽な道中だった。
 雨や風がことさら恐ろしいのではない。
 その音が自分の命令どころか、部下の警告さえかき消してしまうのが怖いのだ。
 帝国軍は百名足らずで辺境の軍港都市を占領している。
 蛮国の将兵など、いつ謀反を起こすか知れたものではない。
 今も傍らに政治将校がいなければ、とてもリスティア人士官を入室などさせられなかった。

 嵐は昨夕に襲って来た。
 南から延びる岩の岬という天然の防波堤があるにも関わらず、大波が港を洗うほど、強い風と高波である。
 しかも地元の古老が誰も兆候を掴めなかったほど、急な襲来だった。
 とは言え初夏のこの時期、嵐は珍しくはない。
 軍港を管理するリスティア人たちは嵐より帝国軍人、特に士官である市民たちの無知と「無知を認めない頑迷さ」に困っていた。
 難儀していた。
 辟易していた。
 強風時は大型艦を洋上に退避させた方が安全なのだが、サントル人提督が拒否したのでできなかった。
 嵐の海にこぎ出す船になど、恐ろしくて乗れなかったのだ。
 一方で提督抜きの出港は艦隊を出すなど許さない。
 結果、二艦隊の艦艇八隻は埠頭や岸壁に係留強化するしかなかった。
 その許諾さえ小隊長、政治将校、司令と何度も説明してやっと通る有り様。
 作業は夜になり風雨が強くなってから取りかかることになり、意味も無く水夫たちの命は危険にさらされた。

 そうした停滞は占領地の隅々で起きており「アラゾニキは一人だった」の愚痴がリスティア各地で聞かれるようになった。
 それに続く「だが帝国軍は全ての士官(市民)が暴君で、それぞれが別々の我が儘を言う」は言わずとも、接した誰もが思いを共有できた。
 帝国の大衆階級である兵や下士官も認識は共有していたが、こちらは入り乱れる市民の我が儘をいなす技術を身につけている。
 身につけられない者は、成人前に命を失うから。
 市民による処刑か、巻き添えを恐れた親族による暗殺によって。
 そんな地獄から来た帝国の大衆は、ぬるま湯だった「暴君の圧政」で被害者面をするリスティア人に優しくなれず、祖国の作法である「見殺し」を徹底した。
 それがどんな事態を招くか創造もせずに。

 嵐がリマーニ軍港を通過したのは夕方だった。
 雨が止んで風も弱まり、雲が南から北へと流れてゆく。
 夕陽が顔を出し軍港を照らした。
 南から伸びる岬の先端にある監視所から、洋上が一望できる。
 監視所のリスティア兵たちは、すぐ近くまで来ていた二個艦隊に驚かされた。
 帝国軍旗を掲げた小艦隊三隻が、パトリア海軍の五隻に追跡されているのだ。
 嵐の中を必死に逃げてきたらしく、帆が一部裂けていた。
 直ちに監視所は信号旗を掲げた。
 敵艦を示す赤と、味方艦を表わす青を。
 旗を確認した当直兵は遅滞なく司令部に報告した。
 だがサントル人の司令は「敵艦を示す赤」との報告に激怒した。
「帝国の国色である赤を、敵に割り振るとは何ごとだ!!」
 他ならぬ司令官によって、軍港司令部は機能停止に陥らされた。
 そのため軍港は防衛体勢に入らず、艦艇も出港準備をしなかった。

 パトリア艦隊迎撃に立ち上がったのは、監視所の作業ゴーレムだけだった。
 五倍級のクレイゴーレムは岬の端まで前進する。
 その足下でゴーレムマスターが眼下の洋上をうかがう。
 四十を越したリスティア人下士官は、配属二十年近くになる古株だ。
 帝国艦三隻のすぐ後ろにパトリア艦隊が迫っていた。
 と、敵艦の一隻が突然向きを変える。
 左に大きく弧を描く艦上では、水夫たちが帆柱によじ登って帆を畳んでいる。
 中央柱に掲げられた信号旗が「操舵不能」と僚艦に伝えていた。
 嵐の中の追跡劇で舵が故障したらしい。
 今の曲率のままだと岬の根元、遠浅の砂浜に達する。
 座礁は確実だ。
 後で地上部隊が片付けるだろう、とゴーレムマスターは残る四隻に注意を向けた。
 自軍艦隊が岬に迫る。
 それを追うパトリア艦隊も。
 敵が射程に入ったので、マスターはゴーレムに指示をした。
 作業ゴーレムは人の頭ほどある石を三個、まとめて投げる。
 ほぼ水平に投げられた石は、緩やかに落ちて行く。
 そして敵味方七隻が接近している手前で次々と水柱を上げた。
 たかが石、されど石だ。
 岬の高さから落とせば、大型艦だろうと甲板を突き破られ艦底に穴が空く。
 そうなれば沈没は時間の問題となる。
 落差は、どんな弩よりも強い武器となり得るのだ。
 リマーニ軍港が大王都ケファレイオの海の玄関たり得るのも、たった一基のゴーレムで海からの攻撃を防げるからだ。
 恐れをなしたかパトリア艦隊が帆桁を回し、進路を北に逸らした。
 帝国艦隊からも軍港からも遠ざかったゆく。
 同朋を守れたゴーレムマスターは、自分の働きに満足して頷いた。

 占領軍司令のアンコンペトン陸尉は、連絡なしの艦隊帰港に腹を立てた。
 しかも「敵艦隊に追われて逃げ込んだ」のだから怒り倍増である。
「腰抜けが! これだから辺境に派遣される奴らは!」
 自分を棚に上げて吐き捨てた。
 提督とは名ばかりで、司令である自分と同じ陸尉に過ぎない。
 数隻の艦の指揮官など、それらの母港の指揮官に比べたら格下と思っていた。
 アンコンペトンはまだ風が残る外に飛びだす。
 大型艦が三隻、それぞれ長艇に引かれて岸壁や埠頭に接岸するところだった。
「提督は誰だ!?」
 怒鳴りながら埠頭に来たアンコンペトンは、一瞬後に目を疑った。
 埠頭に近づく旗艦の艦尾甲板では、なんと提督が帆柱に縛られているではないか。
「敵に怯えて反乱を起こしたな!? 憲兵出動ー!!」
 アンコンペトンの命に従い、他より明るい赤の軍服を着た憲兵隊が埠頭に集合した。
 帝国部隊の三割強を占める一個小隊である。
 軍港司令は鹵獲ゴーレム一個中隊六基のうち二基を埠頭に、岸壁の二隻にも一基ずつ向かわせる。
「臆病な蛮族どもめ!」
 先ほどまで提督を罵っていたアンコンペトンの矛先は、今はリスティア人乗員に向けられていた。
 どう罰してやろうか、と若い司令は「既に叛徒は捕まえた」ものと考えていた。
 その間に埠頭に接近した旗艦は、もやい綱を艦首と艦尾から投げる。
 港の水夫がそれらを係留杭に巻き付け、艦は綱を巻き上げ埠頭に横付けした。
 中央甲板からタラップが下ろされる。
「一人も逃がすな!」
 憲兵一個小隊が登って行く。
 その様を眺めていたアンコンペトンは、港の水夫たちの騒ぎに気が付いた。
 大勢が叫びながら港の外れ、岬の根元を指している。
 岩の岬を、信じられない者が登ってきたのだ。

 見た目は女性である。
 肌は黒々としていて、濡れているらしく夕陽を照り返している。
 遠目でも整った顔立ちと、たおやかな体形とが見えた。
 問題は、遥か遠い場所にいる女性の外見が、良く見える点だった。
 その女性は、岬の先端に立つ五倍級ゴーレムより身長が高く見えるのだ。
 どう見ても、七倍級ゴーレムのサイズとしか思えない。
 だがそうなると、ほっそりした脚や腰で自重を支えていることが説明できなくなる。
 しかも動きが「ゴーレムではあり得ぬほど滑らか」で、岬の尾根に登る様は人間にしか見えなかった。
 彼女は右手に長い棒を持っている。
 先端が尖り、炎を上げていた。
「パトリアの新型ゴーレムだ!!」
 悲鳴を上げたのはリスティア兵だったか。
 女性型のゴーレムは岬の尾根を、先端へと走りだした。
 小走りから加速し、全力疾走する。
「ゴ……ゴーレムが……走っているだとぉーっ!?」
 あまりに非現実的な光景に、アンコンペトンのみならず軍港の誰もが呆然と眺めていた。
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