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第四章 内なる敵

級長交代

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 翌日の午後、王立精霊士学園の中等部五年の教室に、ルークスとフォルティスが帰ってきた。
 休み時間だったので生徒たちが囲んで質問攻めにする。
 フォルティスが対応し、ルークスは「どこ吹く風」の呈。
 ルークスの、普段通りの様子にアルティは悲しくなった。
 自分の「元気づけ」が効いてしまったと分かったので。
「帝国軍はどうなったんだ!?」
 教室中に響く大声で尋ねたのは、暴走ポニーこと一番小柄な少女カルミナだ。
 フォルティスは彼女だけに答えることはせず、全員に呼びかけた。
「全員席に着いて。我々から報告と提案があります――君はここにいてくれ」
 自分も席に着こうとしたルークスを止める。
「知ってのとおり、サントル帝国がリスティア大王国を侵略しました。帝国軍は大王都を占拠、傀儡かいらい政権を建てています。問題は『帝国の侵略がリスティア一国に留まるか?』です。帝国の真意は不明なので、我が国は守りを固めねばなりません。帝国軍が我が国を侵すならば、全力でこれを叩きます。そう、全力で。
「新型ゴーレムは全力に不可欠な戦力です。よって我々二名は祖国防衛に協力します。これは軍に属するのではなく、パトリア騎士団と同様に軍と協同することを意味します。そして、その期間は不明です。なので我々二名は、休学を学園に届け出ました」
 その意味を生徒たちに考えさせる。
「長期にわたって級長不在では不都合です。そのため後任を選ぶ必要があります」
 編入した貴族生徒ラウスが立ち上がる。
「ならば私が就くから安心したまえ」
 フォルティスは手で制した。
「まだ話は終わっていません。残念ながら、貴族生徒と平民生徒との間には、いまだに溝があります。そこで私は、貴族生徒と平民生徒、双方から代表を選ぶことを提案します。貴族生徒、平民生徒それぞれで代表者を決め、その成績順で級長とその補佐とします。これなら双方とも納得できるでしょう。ラウス、君も納得できますか?」
「なぜ成績順なのだ?」
「級長は主席が務めるのが伝統です。学園は級長に生徒の模範となることを求めておりますので、成績不良者では認められないでしょう」
「それは私への嫌味か!?」
「いい加減になさい!」
 前列にいるシータス・デ・ラ・スーイが縦巻きした金髪を揺らした。
「編入して日が浅く、学園の常識も知らない人に級長を任せるわけにはゆきませんわ」
 同じ伯爵位の家柄なので、ラウスは階級を笠に着ることができない。
「成績が貴族では二番目のシータス様が代表に相応しいですわ」
 取り巻きの少女デクストラがお世辞を言うと、同輩のシニストリも同調する。
 他の貴族も平民を級長にするのを嫌がり、代表シータスは圧倒的多数で決まった。

 もう一方の平民側は紛糾した。
 成績がフォルティスに次ぐ長身少女クラーエが拒否したのだ。
「フォルティスさんが貴族平民別に代表を選ばせる理由を考えてください。次席の私では貴族生徒が納得しないからです。それに『あのシータスさんが私の補佐を務める』などと思います?」
 貴族に仕える家族を困らせないよう、貴族の上に立つことは避ける。
「それなら、貴族も一目置くアルティならどうだ?」
 突然振られてアルティは激しく首を振った。
「無理無理無理。あのシータスが私の意見なんか聞くわけないでしょ」
 男子は知らないが、女子は二人の反目ぶりを知っている。
「それに、放課後学園の用事とかしている暇が無いよ」
 イノリの新兵器開発が難航しているのだ。寸暇たりとも割けない。
 ルークスを肉体的にも精神的にも守るために。
 クラーエに続く優等生男子は気弱で尻込みするに至り、自ら腰を上げた者がいた。
「仕方ないなあ。こうなればあたしがやってやる」
 暴走ポニーのカルミナだった。
 在校生の全員が猛反対した。
 これまでルークスに次ぐ劣等生だったこと以上に、問題を起こしてばかりの人間を代表にするなどあり得ない。
 周囲の反対でカルミナは「絶対なってやる!」と意固地になった。
 普段はカルミナの暴走を止めるクラーエが当事者なので、突っ込み役不在だ。
 止むなくアルティとヒーラリが両腕を押えて座らせる。
 だがこの行為で注目を浴びてしまった。既に拒否したアルティではない者が。
 眼鏡の奥の目を見開いて、ヒーラリは声を裏返した。
「じょ、冗談は止すっす。私は風精科っすよ?」
 学園ではノームを扱える土精科選択者がカースト上位なのだ。
 しかし学園長と教頭の逆転で風精科が勢いづいている。
「成績も良くないし――そりゃカルミナより上っすけど、貴族代表は、あの・・シータスっすよ? 私が何を言ったところで――」
 言い訳を続けるヒーラリを尻目に、生徒たちは同意の輪を広げていく。
「いいんじゃないか?」
「そうね。カルミナと違って常識あるし」
「シータス相手じゃ誰でも一緒だろ」
「シルフから色々事情聞けるし」
 などと、もう流れは完全にヒーラリとなってしまった。
「ル、ルークス」
 眼鏡少女は精霊使いの先輩に助けを求める。
「安心して。レーニスは君の元に置いておくから」
「いや、そうじゃないっすよ! 今までの議論、聞いてなかったんすか!?」
 ルークスのズレっぷりに、ヒーラリは床に両手を着いてうな垂れた。

 ルークスが的外れな受け答えをしたのは、注意が他に逸れていたからだ。
 熱く議論する平民たちから離れた、最後尾の席で突っ伏している少女がいる。
 不健康なほど痩せ細った体型で誰か分かった。
 別段興味がある人物ではない。
 だが、やたら制服が汚れているのが気になる。
 近づくと縫い目の綻びやかぎ裂きも分かった。
 支給されて間もない制服に、だ。
 かつての自分を見る思いである。
「それ、どうしたの?」
 ルークスが問いかけると、デルディは少しだけ頭を動かし、腕との隙間からチラリと見た。
「お前には関係ない」
 そう答えただけでまた顔を伏せる。
「今はそう言えない立場なんだけど」
 顔を伏せたまま沈黙する少女に、ルークスはため息をついた。
「帝国の間諜だ、って言う奴がいるんだよ」
 歯切れ悪く言ったのは、巨漢のワーレンスだった。
「君が?」
「俺は女に乱暴するクズじゃねえ! 高等部の先輩たちだ!」
「バカだねえ。間諜なわけないのに。というか、このクラスで一番間諜に向かない人間だよね、デルディって」
 流れで話し相手になっているワーレンスは戸惑った。
「けどよ、こいつは革新主義者だろ? 帝国が間諜にするなら手頃じゃないか」
 ルークスは目を見開き、しばしワーレンスの顔を見つめた。
「間諜が何する人か知らないの?」
「知ってらい! 重要情報を盗む人間だろ」
「うん。それと、流言で混乱を起こすのも仕事だね」
「だからなんだ?」
「彼女に重要情報や、そういう情報がある場所を、教える人がいると思う?」
「……いねえな」
「にわかに信じがたいことをデルディが言ったら、信じる?」
「信じねえよ」
「でしょ? 間諜の仕事を二つとも果たせない人を、帝国が選ぶわけないよ」
「もう仕込まれている可能性は?」
「真っ先に疑われるような人を、帝国が送り込むと思う?」
「あ――ねえだろうな」
「だよね。このクラスでまともに間諜できるなんて、たった一人だよ」
「まさか俺だって言うなよ?」
「フォルティスさ」
 この発言は大顰蹙ひんしゅくだった。
 平民からも貴族からも猛烈な抗議がルークスに叩き付けられる。
「待ってくれ。ルークスの説明を聞こう」
 そう鎮めたのは、フォルティス当人だった。
「見てのとおりじゃないか」
 とルークスは不満げに言う。
「フォルティスの言うことなら皆聞く。フォルティスになら大切な相談もできる。そういう人じゃないと、重要情報を盗むとか流言で混乱させるとか不可能だよ。何より『信頼される』ことが間諜にとって一番大事なんだから」
「確かに。歴史において重要な働きをした間諜は、君主や側近に信頼された人物ばかりです」
 フォルティスが知識に基づいて反論を封じたので、ルークスは続ける。
「逆にデルディは誰からも疑われるから、間諜には一番不向きなんだよね。もし利用されるとしたら、本物の間諜を隠す目眩ましだね。今みたいに」
 ルークスの言葉にフォルティスが反応した。
「つまり、ことさら彼女を怪しんだり、他者をけしかける者は、帝国に手を貸している疑いがある、と?」
「まさか。学園の生徒くらいじゃ重要情報に近づけないよ。教職員にしたって、凄い研究している人とか心当たりないし。聞く限りじゃ、他国より遅れているくらいだよ。遅れていることが重要情報なら別だけど」
「誰にそれを――は愚問ですか。シルフだとは聞くまでもありませんね」
 改めて「この主は誘導しにくい」とフォルティスは学習した。
「何にせよ、女性への暴力は見過ごせません。次の級長には、このような事態を終わらせることを期待します」
 シータスはほほ笑んで受けあったが、安請け合いぶりをフォルティスは危ぶんだ。
「彼女に限りませんが、戦時に後方で騒ぎを起こす者の多くが『周囲から孤立して』いました。敵国は必ず、迫害された者の憎しみを煽ります。ゆえに、弱い者いじめは帝国に助力するも同然なのです」
「そうなんだ」
 ゴーレムに関連しない後方の治安維持はルークスの知識にはなかった。
「じゃあデルディに限らず、弱い者いじめする人間は全部取り調べよう。間諜ではないだろうけど、間諜にそそのかされた可能性はあるから」
 一瞬止めようとしたが、フォルティスは考え直して黙認した。
 この町に他国の間諜などまず潜り込めない。
 フェルームは王室の直轄地なので、原則移住は認められない。
 人の出入りがあるのは鉱山かゴーレム関連、そして学園くらいなのだ。
 鉱山にしろゴーレムにしろ、国の生命線だから身元と行動はチェックされる。
 そんな町に精霊使いを育成する学園が置かれたのは、偶然な訳がない。
 元々厳重警戒の町だから、外部から隔離された環境で生徒を管理できるのだ。
 町の住人以外の全生徒が寮生活するのも、恐らくはそのためであろう。
 ましてやリスティアが侵略して以来、町は厳戒態勢を続けていた。
 出入りする人はおろか、あらゆる連絡手段も見張られているはず。
 だからルークスの懸念は取り越し苦労である。
 だが「油断は禁物」とフォルティスは考え直した。
 敵は外国だけではないのだから。

 机に伏せている間にどんどん話が進むのを、デルディは全身で聞いていた。
 またしてもルークスに助けられた形になる。
 それが腹立たしくてならなかった。
(借りだなんて思うもんか! 頼んだわけじゃない!)
 痩せた少女は無視という形で仕返しをした。
 何をどうあがいたところで、どうせ帝国の物量に押し潰されるのだから。
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