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第四章 内なる敵

決意

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 女王の執務室では、休憩を挟んで夕刻になっても軍議が続いていた。
「軍はテルミナス川の南岸を固めています。ゴーレム一個中隊が先月以来配備されており、予備役も動員したゴーレム大隊本隊が先ほど合流しました」
 プルデンス参謀長が現状を説明する。
「リスティアから奪還した地域も含め、兵役経験者を募っております。来月中ばには一万人増員できる見込みです」
 参謀長が座ると、アリエーナ外務相が挙手した。
「帝国軍の野望を挫く為、我が国はリスティア大王国を主戦場にすべきと考えます」
「軍を渡河させようものなら、帝国軍が歓喜の涙を流しますぞ」
 ヴェトス元帥が不快げに言った。
「いいえ。本計画の主力は間諜です」
「情報収集以外では流言を広めるくらいしか期待できない間諜が主力?」
 いぶかる元帥ら武官と女王に外相は説明する。
「捕虜にしているアラゾニキ四世をリスティアに戻すのです」
「何と!?」
「奴を旗印にして領主たちを蜂起させれば、帝国軍は我が国を侵攻するどころではなくなるでしょう」
 それは名案に聞こえた。ネゴティース宰相も太った体をくつろがせて満足げである。
 ヴェトス元帥が思案する隣で、プルデンス参謀長が発言を求めた。
「戻すと言いますと、どちらに?」
「我が国と国境を接するアナポファシスティコティカ辺境伯が妥当でしょう」
「命惜しさに辺境伯がアラゾニキを帝国に引き渡したらいかがなさいます?」
「そ、その様な自殺行為をするわけがない!」
「ヴラヴィ大女王即位という前例ができました。傀儡になるのを条件に、命と生活水準を保てる道が示された現在、果たして自殺行為になりましょうか?」
「で、では、このまま先の無い戦争に突入されると? たとえ無駄になったとて『我が国は他の道も模索した』と示すのは必要ではありませんかな?」
「国民にとり、特に北部の民にとってアラゾニキは仇敵です。それを復権させようとする祖国を民は、どう見るでしょう?」
「その民を、戦いに巻き込まずに済む可能性があるのですぞ!」
「その可能性は認めますが、士気の喪失は確実です。戦いになったら敗北は必至ですな」
「それをどうにかするのが、貴殿ら武官の役目であろう!?」
「ならば『外交にて戦争を回避するのが貴殿ら外務の役目だ』と言わせていただこう。ここ十年、一度も成功しておりませんな」
「当てこすりは止めていただきたい! 不毛だ!!」
「舵取りに失敗し、座礁してから将兵に奮起を求めることこそ不毛です。アラゾニキ復権は諦めていただきたい」
「毒をもって毒を制するくらい、理解させらんのか!?」
「国民の教育は武官ではなく文官の役目でしたが、軍に移管するとでも?」
「たとえアラゾニキが玉座に返り咲いたとしても、帝国軍が退いたらまた捕まえれば良いではないか!」
 と突然ネゴティース宰相が口を挟んだ。
 プルデンス参謀長は目を丸くした。
「それが可能な唯一の人物を帝国に引き渡せ、と言っていたのはどなたでしたか?」
「国家を守るため、必要ならばやるだけのこと。彼も否はあるまい」
「それを兵と民の前で説明し、自身の不明を謝していただけますかな? 国家を守るために必要なことですので」
「貴様! 家人風情が伯爵位にある者を愚弄するか!?」
「国家を守ることより優先すべきことですかな?」
 相も変わらず角を突き合わせる両者に、フローレンティーナは困り果てた。

                  א

 ベッドに寝転んだルークスは、家族からの手紙に目を通す。
 アルタスの手紙は固い筆跡で簡単だった。
『俺たちはルー坊の味方だ』
 と、ルークスに全幅の信頼を寄せていた。
 テネルは思いやり深い文面だった。最後にこう結ぶ。
『どんなにつらいことがあっても、私たち家族はいつでもあなたを見守っています』
 パッセルは拙い文字を綴っていた。
『ルークス兄ちゃんはどんなときでも私たちの英雄です。きっと大丈夫』
 そしてアルティの手紙を手に取る。するとルークスの身体が小刻みに震えだした。
『あんたと同じくらいつらいのが陛下なんだからね』
「あ……ああ、ああああ」
 ルークスはベッドから転げ落ちた。
 ショックのあまり自分のことばかりで、陛下をどれだけ心配させているか頭に無かった。
「さすがアルティ。良く分かっている」
 フェクス家の皆もルークスを心配してくれている。
 そしてそれ以上に心配しているのは「ルークスを狙わせてしまった」陛下だ。
 それに「自分の騎士を引き渡さない」となったら、国民が反発する。
 かと言って引き渡そうものなら「英雄を見捨てた」とまた国民が怒る。
 万一怒らないときは「怒るように仕向ける」人間が、この国にはいるのだ。
(なんで陛下に気が回らなかった?)
「僕は子供だ。いつもアルティが言うように、子供なんだ」
 自己嫌悪が猛烈に沸いてきたが、今はそれどころではない。
 窮地にある陛下を助けなければ。
「どうする? どうする?」
 起きあがって歩き回る。
 考えても答えは出ない。
 なら、行動するしかない。
 廊下に出ると、すぐ前にいたフォルティスは言う。
「陛下は執務室にてまだ軍議です」
「行くよ」
 ルークス主従は向かったが、階段を上がったところで衛兵に止められた。
「軍議が終わるまで、何人たりとも通してはならぬと命令を受けています」
「誰だろうと?」
「はい。たとえ相手がルークス卿であろうとも」
「プロディートル公爵でも止める?」
「そ、それは……」
 衛兵たちは顔を見合わせる。
「だろうね」
 とルークスはあっさり引き返した。
 階段を降りて夕焼けに染まる中庭に出る。
「インスピラティオーネ」
 ルークスの頭上にグラン・シルフが現れた。
「なんでございましょう、主様?」
「君の風で人間を持ち上げられる?」
「雲の上までだろうと」
 と、風の大精霊は自信たっぷりに言った。

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 女王の執務室ではランプや燭台が灯されていた。
「アラゾニキを放つだけでリスティアを混乱させられるのに、それをせず将兵に戦わせるなど許されましょうか?」
 そう言ったのは軍議のメンバーではない人物だった。
 先王の弟にしてフローレンティーナ女王の叔父、プロディートル公爵である。
 文官の結束が乱れたとの報告を受け、乗り込んできたのだ。
 当のデリカータ女伯爵はルークスの引き渡しが消えた時点で軍議への関心を失い、工房に戻ってしまった。
 当ては外れたものの、せっかく来たのだとばかり公爵は配下たち後押しする。
「足下で騒動が起きれば帝国軍も進めまい。その労を惜しむ理由を『アラゾニキに対する陛下の個人的感情』などと思われでもしたら、国民の離反を招きますぞ」
 プルデンス参謀長も、王族の意見には正面切って反対できない。論点を逸らすしかなかった。
「お恐れながら『そのような作戦計画があった』との情報がこの部屋の外に出たら、の話でございます」
「さて、帝国の間諜が聞きつけないとの保証はあるまい」
 王城警護を管轄する宮内への誹謗に等しい発言である。
 しかし発言したのが自分の主人なので、太った宮内相は口をつぐんだままでいた。
 朝からの激論続きで疲労の色が濃い参謀長が劣勢になったので、ヴェトス元帥が助け船を出した。
「失礼ながらお尋ねいたします。アラゾニキが帝国と戦ってくれる保証がございましょうか?」
 家人階級の参謀長と違い、元帥も領主である。懸念を表することは許される。
 この横槍に公爵が鋭い目で睨みつける。
「戦わぬという根拠でもあるのか?」
「我が国侵略に際し手を組んだ者同士、アラゾニキが帝国に下る公算は少なからず。何しろ新大王を立てるほど、帝国は柔軟になりましたからな」
「事前に知らせておけば良かろう。さすれば騙された非はあるにせよ、開戦を避けるために尽力したと知れよう」
「お言葉ですが『アラゾニキが送り込まれる』と事前に帝国が知れば、手を打たれますが?」
「構わぬ。何が起きようがリスティア領内。我が国が関知するところではない」
「無礼を承知でうかがいますが、そうまでしてアラゾニキを解放したい理由でも?」
「下種な勘ぐりは無礼であるぞ、ナルム子爵!」
 階級差でプロディートル公爵が押し切る。
「アラゾニキと帝国を食い合わせるのだ。毒をもって毒を制する。これこそが――」
 そのとき外を暴風が吹き荒れた。
 バルコニーから吹き込む風で地図が飛ばされないよう参謀長が押える。
 と、誰もいなかったはずのバルコニーに人が立っていた。
「衛兵!」
 ヴェトス元帥が剣を抜いて怒鳴る。
 フィデリタス騎士団長はフローレンティーナ女王の前に立ちはだかった。
 小柄な人影がバルコニーから入って灯りに照らされた。
 風で頭がボサボサになっているのは――
「ルークス!?」
 驚く女王の前を騎士団長が空ける。
 近づいてルークスは跪いた。そして告げる。
「陛下、僕に出撃を命じてください」
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