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第十章 決戦

濁流に消える命

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 ソロス川北岸の堤防上に敷かれたリスティア軍の本陣で、キニロギキ参謀補佐は指揮官の説得が急速に楽になるのを、暗澹たる思いで受け入れていた。
 下流から渡河させたゴーレム第二波のノームが、突然雪崩を打って戻って来はじめたのだ。
 圧倒的不利な状況の説明を始めた時点で十、撤退の進言を終えた時には二十、パナッシュ将軍が難色を示しているうちに三十と、留まるところを知らない。
「第二波のノーム、川で擱座した三基以外全て戻りました」
 とゴーレム連隊長が報告したので、キニロギキは付け足した。
「三十七基全て、敵の新型ゴーレム一基による損害です」
「信じられん。そんな事があるなど――あるのか?」
 肥満体の将軍はすがる目で連隊長を見る。
「残念ながら、新型が一撃で味方ゴーレムを撃破する瞬間を、この目で確認しました。上流から送った五十五基も同じ運命を辿るのは確実かと」
 専門家に断言され、将軍はため息をついた。ゴーレム戦で敗北が決定しては、兵の数など意味が無い。
「やむを得まい。撤退する」
 しかしそれからが大変だった。
 シルフによる連絡が封じられ、リスティア軍は部隊全体に命令を伝える手段を失っていた。伝令を走らせ、各部隊ごとに撤退を伝える。
 幸いゴーレムコマンダーたちは本陣に配置されていたので、ゴーレムは真っ先に撤退を開始できた。
 それを見た橋上の部隊も状況を察し、伝令が到着するや撤退を始めた。
 しかし河川敷に展開している部隊は、向かい風で川の中のゴーレムの挙動は見えない。特に下流側は死角なので、伝令が到着するまで撤退の準備さえしていなかった。

 イノリが最後のボアヘッドを突き崩した時、弱々しい歓声がそこかしこであがった。
 投石に打ちたおされた負傷兵が、仲間の仇討ちに喜んでいるのだ。
 全ての敵ゴーレムを撃破したルークスは、半ば呆然としていた。
(もっと早くこれができたら……)
 自責の念が湧いてきた。決断が早かったら、と思ってしまうのだ。
 上流から風が吹いてシルフが情報を運んで来た。
「主様、土石流が押し寄せてきます」
 インスピラティオーネの警告がルークスの意識を現実に引き戻した。
「味方を避難させろ!」
「承知」
 敵に向かい風を吹かせていたシルフが戻り、味方の兵に避難を呼びかけ飛び回った。
 そしてルークスは、負傷兵をイノリの手ですくいあげ、堤防の上へと運んだ。
 堤防上のパトリア軍本陣は騎士団からのシルフを受け、撤退準備を始めていた。そこに土石流到来の報告が届いたので、直ぐさまヴェトス元帥は命じた。
「全軍、堤防上まで撤退!! 騎兵に負傷兵救出を急がせろ! 一人でも多く助けるのだ!!」
 目頭が熱くなる。死なせた将兵は、無駄死にではなくなったのだ。
 騎兵たちはシルフに誘導され、負傷兵を馬に積んで堤防上へと運ぶ。
 多くのシルフが「自発的に」行動する「ルークスの友達」であると、この作業に関わった多くの将兵が知る事になる。
 動けないゴーレムは解体され核を回収される。戦闘ゴーレムは鎧などの装備をできる限り回収した。
 ルークスは負傷兵をできる限り急いで運んだ。しかし片手に一人、両手で二人が限度で効率が悪い。
 堤防上で大型弩を操作していた兵たちも降りてきて、作業ゴーレムも使って一人でも多くの戦友を運び上げた。

 地鳴りを轟かせて激流が押し寄せてきた。
 谷間を堰き止める為に崩された土砂や木々、途中の木造橋の残骸などを伴った土石流として。
 それまでにパトリア軍は全部隊を堤防上に退避させていた。
 最後にイノリが負傷者四人をまとめて手で掴み堤防上に駆け上がる。
 リスティア軍の方は将兵は堤防に上がれたが、ゴーレム五十五基はまだ川の中だった。
 轟々と河川敷いっぱいに濁流が荒れ狂いながら迫り来る。浮遊物同士を激突させ、破砕しながら。
 いかなゴーレムも、激流と共に岩や丸木を戦槌を上回る力で打ち付けられてはひとたまりもない。
 足を砕かれ倒れた所を、さらに直撃を受け、頭部や腕を失い次々と水没した。
 インヴィタリ橋の橋脚に木々が引っかかって水を堰き止め、上流側の水位がみるみる上昇する。
 水圧に耐えかね北岸の堤防に亀裂が走った。
 リスティア軍が不用意にゴーレムを歩かせたために、内部が崩れていたのだ。他国と思ってぞんざいな運用をしたツケが回ったのである。
 堤防が決壊し、その上にいた将兵が濁流に呑み込まれる。さらに堤防の背後で後方警戒に当たっていた部隊も丸ごと洪水に押し流された。
 一度崩れた堤防は連鎖的に崩壊し、リスティア兵も次々と巻き込まれる。
 堤防上に避難したリスティア軍は必死に下流に向かって逃げた。
 堤防の内も外も渦巻く濁流、狭い堤防の上しか逃げ道は無い。
 騎兵は歩兵に道を塞がれ、足を活かして逃げる事もできない。
 本陣も同じ状況で、指揮官らは自軍の兵士によって活路をふさがれていた。
「前を開けろ!! どけっ!! 邪魔だっ!!」
 アニポノス将軍が金切り声をあげて兵を指揮杖で叩くが、その兵士も前がふさがっているのだ。
 端にいる兵は味方に濁流へと押しやられる。膝まで水に浸かるともうだめだ。漂流物に追突され、濁流に飲み込まれる。
 堤防の外をゴーレム車が流されて来るのを見て、キニロギキ参謀補佐は精霊士に命じた。
「パナッシュ将軍をあれに乗せる! ウンディーネで制御するんだ。お前も乗せてやる」
 肥満体の将軍は場所を取るので、あと二人、参謀補佐と水精使いしか場所が無い。三人を屋根に乗せたゴーレム車は濁流の中を北へ、ウンディーネの制御で洪水を渡ってゆく。
 それを見たアニポノス将軍は副官に真似をするよう命じた。
 そして水精使いを捕まえ、荷車で堤防から脱出する。
 作業ゴーレムに担がれ、マスターとゴーレム連隊長が脱出する。
 指揮官が兵を見捨てて逃げるのを見て、リスティア兵たちは激怒し悔しがったが、ある意味諦念もしていた。
 自分たちの国がどういう体制か、知っているから。

 ゴーレムの動線を道路に限定していたパトリア軍側、南岸の堤防は盤石だった。北側が決壊したので圧力も向こうに抜けている。
 土石流によって崩れるボアヘッドや、濁流に飲まれる敵兵を見て兵たちは歓声をあげていた。
 しかしヴェトス元帥ら幹部たちは喜ぶどころではない。
 北岸の広範囲が洪水に見舞われ、家屋は浸水し畑は泥と漂流物で埋められてしまう。
 後々の堤防補修も含め、被害は甚大である。
 侵略は国土の荒廃を意味すると覚悟していたものの、堤防の決壊までは想定外だった。
「奴らは国土を組み入れるつもりではなかったのか!?」
 ヴェトス元帥が怒るも、今さらである。単にゴーレムが堤防を越す場所を制限するだけの話だったのに。
「敵を撃退しただけでは、我が国の衰亡を止める事はできないのでしょうか?」
 副官が問いかける。
「残念ながら、軍にできるのは敵軍を倒すまでなのだ」
 将兵たちは十分に奮戦した。お陰で人的被害は少なかった。特にルークスの活躍は特筆すべきものがある。
 だが、経済的損失は前回の侵略より跳ね上がっていた。

 また堤防が崩れ、リスティア兵が濁流に飲み込まれる。
 その光景にルークスは総毛立っていた。
 強風に吹かれたロウソクの炎のように、簡単に大勢の命が消えてゆくのだ。
「これが……戦争……」
 敵兵だからと死んで良い命など無いはず。
 こんな悲劇が起きた理由はたった一つ。独裁者の欲望という、実にくだらない理由である。
「たくさん死んだ」
 そうルークスが言うと、精霊たちが答えた。
「あたしら精霊からしたら、人間の命なんてすぐ消えちまうものさ」
「そうね。老衰で死ぬ人も戦争で死ぬ人も、私たちの時間軸からすると大差無いわ。どうせ短い寿命だからって、命を粗末にしているようにさえ見えるもの」
「ノンノンにはまだ分からないです」
 ルークスより若いオムなら分かるが、なんと最年長のグラン・シルフが同じだと言う。
「一度撫でた人間を、シルフがもう一度撫でるなどまず無い事。気ままに飛び回る風精が、生物の寿命を意識する機会は極めて少ないものです。主様の寿命を見るのが、我が存在期間で最初です」
「最後まで見てもらえるよう頑張らないとな」
 ルークスは吐息を漏らした。
「主様、リスティア軍の残兵は堤防上の約一万。堤防の崩壊は落ち着いた模様です。若干の者が洪水を突破しています。精霊使いもいるようですし、敵のグラン・シルフ使いも健在です」
「グラン・シルフの契約者は敵陣にいなかったの?」
「はい。かなり遠くのようで、敵陣の背後まで我が影響力が及んでおります」
「ところで、そのグラン・シルフの名前は分かる?」
「シルフたちは皆口止めされておりました」
 リスティアにグラン・シルフ使いがいるとは聞いた事がない。ところがそれがいてグラン・シルフの名前を、つまり風精使いの素性を隠すとなると、それは他国からの極秘支援以外にあるだろうか?
「高確率で帝国だな。そいつだけは捕まえたいけど、この水は渡れるかな?」
「渡れますよ、ルークスちゃん。イノリは空気で膨らませた水だから」
 リートレが言うのでルークスは決めた。
「良し、行こう」
 イノリを濁流に踏み込ませる。鎧が重石となり、腰まで浸かるも浮いた。水流に流されながら渡って行く。
 火炎槍の炎を灯りに渡河するイノリの姿に、南岸からは応援の歓声が、北岸からは絶望の悲鳴が上がった。
 一緒に水で流されるので、多少の浮遊物とぶつかってもイノリに衝撃はない。危なそうな物は手で押せば、向こうかこちらかが押し流されて衝突を回避できる。
 かなり下流まで流され、足が着いた。イノリは敵兵の前で堤防を越えた。
「ちょっと待って。一応、呼びかけてくれ」
 ルークスの意を受け、インスピラティオーネはイノリの口を使って宣言する。
「グラン・シルフ、インスピラティオーネである。我が主ルークス・レークタの名に於いて命じる。武器を捨てて投降せよ!」
 指揮官に見捨てられた上に唯一の活路を敵ゴーレムにふさがれ、既に絶望していたリスティアの将兵の心に「レークタ」の苗字が止めを刺した。
 九年前、一人で戦況を覆した敵と同じ苗字の者が再び立ちはだかったのだ。
 抵抗する意思が僅かながら残っていた者も、完全に潰された。
 指揮官への反抗も合いまって、将兵たちは武器や鎧などを足下に投げ捨てた。
「パトリア軍が来るまで、各自判断で水から逃げる事を許す!」
 そう言い残して、女性型ゴーレムはリスティア軍の前を通り過ぎた。
 一万の投降兵を残して。
「それじゃあ敵のグラン・シルフ使いの場所まで、走って」
「頑張るです」
 ノンノンとリートレがイノリを小走りさせる。
「その間、ルークスちゃんは休んでいてね」
「そうだね。そうさせてもらう」
 疲れ切っていたルークスはすぐ眠りに落ち、イノリが疾走を始めた事にも気付かなかった。
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