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第九章 次なる戦場へ

アルティからの贈り物

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 リスティア軍第一軍団がソロス川に到着したのは予定より大幅に遅れ夕刻になった。
 緩やかな傾斜の堤防の上に立つと、広い河川敷と思ったより細い川が見える。
 対岸はパトリア軍のゴーレム大隊と、数十の大型弩、そして数千の兵が守りを固めていた。
 河川敷は膝丈の草が覆い、所々に人の背丈ほどの草むらが点在している。川の近くは砂利と砂で、最近まで水に浸かっていた事が見て取れた。
「思ったより水位が低いではないか。これならゴーレムで渡るのはたやすい」
 アニポノス将軍が興奮しているので、キニロギキ参謀はため息をついた。
「雪解け時期に水量が少ないのは、上流で堰き止めているからです。ゴーレムが渡りだしたら、堰を切るだけで濁流を起こせます。グラン・ウンディーネを温存して」
「では、どうやって渡河するのだ?」
「本隊を待ちましょう」
「何を言う? 本隊進軍に支障がある拠点を落とすのが我が軍団の任務だ」
「兵たちは疲れています。一晩くらい休ませませんと」
「休んだところで、今夜も襲われるぞ。なら攻めた方がマシと言うもの」
「渡河作戦をしているところを襲われたら、目も当てられません」
「なら兵に守りを固めさせればよい。それでゴーレムの一個中隊くらい渡らせれば、敵陣を混乱させられよう」
「三倍以上の敵に袋だたきにされます」
「五十なら?」
「濁流を寄越すでしょうな」
「その五十を失おうと、濁流を使わせてしまえば残り七十五で渡河できる」
「ゴーレムを五十基も捨て駒にするのですか!?」
「戦争には犠牲は付きものだろう? しかも兵は失わぬ」
「残る七十五も半数は敵に討たれます。将軍は戦勝報告の際、五十基の敵に百基以上も失った事をどう陛下にご説明するのですか? また大量のゴーレムを失った我が国に、帝国が攻め込む懸念は持たれないのですか?」
「貴様が心配する事ではない! 貴様はこの川を渡る方法を考えれば良いのだ!」
「既に何十回も申しましたが、お忘れの様なので再度献策いたします。本隊を待ちましょう」
「ダメだ!」
「兵の数が十分にあれば、夜間の渡河で敵陣を混乱させ、弩を減らした所でゴーレム三個中隊を強行渡河、橋を確保して残りを渡らせられます。この川を渡るのに必用なのは兵の数。五千のうち既に千も失っている第一軍団には、その兵が不足しています。ですので、本隊を待つ以外に成功策はありません」
 業を煮やしたアニポノス将軍は怒鳴った。
「本日夜間渡河を行う! 歩兵二個大隊を渡らせ、弩を減らした所でゴーレム三個中隊を強行渡河させろ!」
「しかし!」
「早く渡らないと、また騎士団が襲ってくるではないか!」
 将軍の血走った目に、参謀は説得の無意味さを知った。
 騎士団による犠牲を省みない強襲が、指揮官の心を折っていたのだ。
 猛将を装うことさえできなくなったアニポノスは、すでに指揮官の任に耐えない。
 それでも下命された以上、参謀は拝命して下がるしかなかった。
 しかしその命令は実行されなかった。
 征南軍総司令パナッシュ将軍から停止命令が届いたからだ。
 怒り狂うアニポノス将軍を冷ややかに見る参謀が本隊に連絡した事を、他の幕僚らは知っていた。
 だが誰も注進しない。
 千もの将兵を失い、騎兵も潰れた第一軍団が、疲れ切った兵の半分も渡河に送り出したら、本陣の守りが手薄になってしまう。
 たとえ成功しても手柄は将軍に一人占めされるし、失敗すれば連座して責任を取らされる。最悪、騎士団の夜襲で死ぬなんて、誰もが嫌なのだ。

 結果として、キニロギキ参謀の独断専行は功を奏した。
 五十以上の騎士や従者を失った騎士団は、渡河作戦決行時に最後の攻撃を行うと決めていたのだ。
 最後としたのは、渡河作戦は本隊合流後と考えていたからだ。二万を越える軍勢に突入すれば全滅は確実である。
 先鋒部隊を削ったのも、本隊を待たずに渡河される事を防ぐ意味があった。
 ソロス川氾濫という最後の切り札を、敵の全軍が揃った場面で使えれば国を守り切れる可能性が、僅かながらあるから。
 もしアニポノス将軍の命令通り第一軍団のみで渡河作戦を始めていたら、騎士団は突撃していた。
 その命令を潰したために、結果的に騎士団による夜襲を防げたのだ。
 その夜は。

                   א

 ルークスは目を覚ましたが、朝か昼か分からなかった。窓の板戸を押し開けても、空は曇っていて太陽の位置が分からない。
 あちこちの工房からハンマーが出す音と振動がするので、昼休みではないらしい。
 台所には誰もおらず、テーブルにパンとチーズ、竈の鍋にスープがあった。
 テネルはパッセルを連れて避難したはずだから、作ったのはアルティか。
 お腹が鳴った。
 神と精霊とアルティに感謝の祈りをしてから、朝ご飯か昼飯か分からない食事をとった。
 工房ではアルタスが投槍の穂先みたいな物を前にアルティと話していた。
「ルークス、起きたんだ」
「今は昼? それとも夕方?」
「まだ朝よ。あなた丸一日寝ていたのよ」
「一日!?」
 ルークスの背筋が寒くなった。取り返しがつかない事をしたかも知れない。
「敵は!?」
「今、鎧を作っている」とアルタスが言う。「今日中には揃わせるから待て」
「でも、敵が待ってくれるか」
「まだ敵はソロス川の北よ。詳しくは学園で分かるわ」
「どうして学園で?」
「臨時の連絡所になっているのよ。アウクシーリム学園長代行が風精科を集めてやっているわ。あと、マルティアル先生が高等部のゴーレムマスターを連れて、あんたが捕まえたゴーレムの回収に行ったわ」
 高等部には、駐屯地で戦闘ゴーレムの体験実習をしている者がいる。動かすだけならできるであろう。
「聞いてみる」
 ルークスはシルフに飛んでもらった。
「で、ルークス。あんたが欲しがっていた物が、これよ。敵のゴーレムをやっつける武器」
「穂先、にしては形が変だね。投槍じゃなさそうだ」
 それは異形の穂先であった。先端が長く、返しが無く、何か挟む留め具と、その後ろに円錐形の金具が付いている。
「これの使い方を教えるから、一緒に来なさい」
「どうしてアルティが?」
「考えたのは娘だ。俺は言われた通りに作っただけだ」
「へえ」
 ルークスは幼なじみを見直した。ちょっと顔が赤い気がする。
「物を作るとか全然興味なかったアルティがねえ」
「一言余計よ」
 軽く肘で小突かれた。

 アルティがノームと契約しただけでも驚きなのに、三人となのでルークスはさらに驚いた。
「僕がいない間に何があったの?」
「色々ね」
 どこか風格を感じさせるアルティは、等身大ゴーレム二基で穂先を運ばせる。三基目は何故か松明を持っていた。
 サラマンダーの娘カリディータが、呼ばれもしないのに炉から出ていた。しかも何やら機嫌が良く、ルークスを見てニヤニヤしている。
「何かあったの?」
「お楽しみが待っているんだ」
 と、後から着いてくる。
 一行が向かった先、粘土山の麓にはルークスのゴーレムが寝転んだままでいた。脛当てが当てられ、寸法チェックが行われていた。
「ごめん、丸一日寝ていた」
「いいえ。主様の疲れがとれたなら何よりです」
 ゴーレムに触れてノンノンとリートレにも挨拶する。
「これをゴーレムに持たせて」
 穂先の先端付近の留め具に松明が挟まれている。
 ゴーレムを立たせ穂先を持たせると、アルティの合図でカリディータが松明に宿って燃え上がらせた。
「穂先をあぶってどうするの?」
「少し時間がかかるから待っていなさい」
 アルティは説明せず、ノームの一人に背丈ほどの粘土塊を作らせた。
「そろそろかな? じゃあちょっと離れましょう。そうしたら、その穂先で粘土を突き刺して」
 首を傾げながらもルークスは言われたとおりに指示し、粘土塊から離れた。距離を取ったところで手を上げ、下ろす。
 ゴーレムが穂先で粘土を刺した。
「?」
 ただ刺さっただけ、と思ったのは一瞬。粘土塊が膨らんだと思ったら、轟音と共に破裂した。周囲に衝撃が広がる。
「ええっ!?」
 粘土の破片が飛んでくるが、ルークスは身じろぎせず凝視していた。
 粘土塊は真ん中から右上が無くなっている。左下が残っているが、上の方は薄く、まくれ上がっている。内部から弾けた様に見えた。
「どうよ。サラマンダーの高熱は?」
 とカリディータがドヤ顔で言う。
 後ろでアルティがやっと説明を始めた。
「ゴーレムを作る土にはある程度の水分が必要でしょ? 水分が足りないと土の粒子同士の結合が弱まって、強度とか力が弱まるから。水が蒸発して気体になると体積がもの凄く増えるの。高熱の穂先でゴーレム内部の水分を急激に加熱すると、一気に蒸発して刺した穴から噴きだそうとするけど、槍の途中にある円錐金具で蓋をしている。すると逃げ場を求めて、土を押しのけ、大穴を空けて噴きだす――きゃあぁっ!?」
 いきなりルークスが抱きついてきた。アルティは抱え上げられ、振り回される。
「凄い凄い凄い、凄すぎる!! アルティ天才だ!!」
 アルティは何が起きたか理解に時間がかかった。
 天才に天才呼ばわりされ、振り回されているのだ。両腕でしっかり抱きかかえられて――ルークスに!
 されるがままだったアルティが意識した途端、重くなった。
 耐えきれずルークスは足をもつれさせる。
 折り重なって転んだアルティは、ルークスの上に落ちた。
「ぐえぇ!」
 アルティの膝が腹に当たってルークスが妙な声を出す。おまけに――
「アルティ、重い……」
 嬉し恥ずかしから一転、羞恥に襲われたアルティは、どく前に彼の頭をはたいてやった。
 しかしルークスはまったくめげていない。
「勝てるよ! これで勝てるよ!」
 飛び起きて拳を突き上げた。その顔に邪気はなく、喜びに満ちていた。
 アルティが見たかった、ルークスの笑顔だ。
「さすがだアルティ! さすがだカリディータ!」
 彼が視線を向けると、彼女は目を逸らして早口で説明する。
「あれが穂先で、柄は戦槌のを流用するわ。強度的に十分だから」
「名前は? あの武器の名前。何て言うの?」
「決めていないけど」
「決めようよ。せっかくアルティが考えたんだから。だって新兵器じゃないか!」
 尻尾を振る犬のように瞳をキラキラさせて食いついてくるので、アルティは視線を合わせられない。心臓が早馬のように跳ね回っている。
「そ、そうね。ええと、投げないから、手槍スピア……火を使うから、火炎槍フレイムスピアかな?」
「火炎槍か。まあいいか」
「何か不満?」
「加熱したところで鎧を貫通させるのは無理だな。となると隙間狙い――」
 急にテンションが下がったのは、考え事を始めたからだった。ルークスは胡座をかいて地面に絵を描き出した。
 こうなると何を言っても聞こえない。
 アルティは呆れたが、安心もした。
 戦場で人が変わってしまう話は良く聞く。
 ルークスがいつものルークスのままでいてくれたのが、本当に嬉しかった。
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