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第五章 精霊が去った学園

学園の危機

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「いったい何があったの?」
 ただ事ではないのでルークスが尋ねる。するとアルティが口を尖らせた。
「だから昨日話したでしょ。学園で新しい校則ができたって。で、宿題でその校則を伝えたの。『指示した時以外力を使うな』って。そうしたら怒ったの」
 あまりの事にルークスは呆れた。
「そりゃ怒るよ。当然じゃないか。ていうか、そんな事も分からないの?」
「そ、そんな風に言わなくても。仕方ないでしょ、そういう校則なんだから。道具は必要な時以外しまっておくようにしろって」
「精霊を道具扱いなんて酷いじゃないか! アルティは道具扱いされて嬉しいの!?」
「私に言わないで! そういう校則なの! それに父さんだって、精霊は道具だって言ったわ」
 ルークスはまじまじと幼なじみの顔を見つめた。
「アルティ……まさか……ええっ!?  本気でそんな事を?」
「信じられないの? 本当に父さんはそう言ったわ」
「……おじさんが可哀想だ」
 ルークスが肩を落としてうな垂れるので、アルティは揺さぶった。
「なんでそうなるのよ!?」
「だってあんまりじゃないか。君はアルタスおじさんの子供なんだよ? だのに『道具は職人の命だ』って事も知らないなんて。親の仕事を理解していないなんて酷いよ」
「え……?」
「工房でおじさんが大声あげるのは、危ない事があったときの他は、弟子が道具を雑に扱ったときぐらいだよ。道具は手の延長で、ハンマーから何から丁寧に手入れしているんだ。もちろん道具にはゴーレムもノームも含まれる。だからおじさんにとって契約精霊は、家族の次くらいに大切な存在なんだ。他の道具と同じくらいに」
 アルティは恥ずかしさのあまり消え入りたくなった。家業について居候に教えられているのだ。それも基礎的な事を。
「校則で言う『道具』は、ここの教師の、貴族の価値観で言う道具だろ? 使い捨て扱いだ。それじゃ精霊が怒るのは当たり前じゃないか」
「でも……」
「それを、全校生徒がやったのか。契約精霊が揃って人間の裏切りに怒れば、他の精霊たちも同調するよ。この学園は、精霊たちに嫌われてしまったんだ」
 ルークスの左頬をノンノンがツンツンつつく。
「ルールー、どうして精霊たちは怒ったですか?」
「そうか、ノンノンはまだ分からないのか。精霊は力を使う事で世界を維持しているんだ。人間と契約しても、呼ばれない時は自分の役割を果たしている。だから『指示された時以外力を使うな』なんて、自分を否定されるようなものだし、それ以上になんだ。友達にいきなりそんな事を言われたら『裏切られた』って怒っちゃうよね?」
「なるほどですー」
 それを聞いたアルティが訂正する。
「友達じゃなくて契約精霊よ」
 ルークスは舌打ちして天を仰いだ。
「なんでアルティは、一番一緒にいるのに理解しようとしてくれないのかなー?」
 別に「自分を理解しろ」などと高望みはしていない。自分が特殊である事は自覚している。理解されないのは仕方ない。
 ただせめて「理解しよう」とはして欲しい。
 アルタスおじさんやテネルおばさん、パッセルはそれをしてくれるのに、アルティだけが頑固にそれをしない。いつも世間の尺度をルークスに当てはめ、小言を言うのだ。
 父親譲りの頑固さが「ルークスを理解しようとしない」面で出ている事が、彼にとって一番腹立たしかった。
 と、その肩が掴まれ、いきなり殴られた。
 ルークスは地面に倒れ、アルティが悲鳴をあげる。
 殴ったのは高等部の制服を着た男子だ。十人近い高等部の生徒が三人を取り囲んだ。
 直後に突風が吹き荒れ、風の大精霊が現れた。
「主様への暴力、このインスピラティオーネが許さぬ!」
 グラン・シルフは怒りをあらわにしている。
「出たぞ! 校則違反だ!」
 リーダー格が叫ぶと、取り巻きたちが同調する。
「どうせこいつが命じたんだ!」
「俺たちのシルフを返せ!」
「暴力の次は言いがかりか。つくづく、ここの人間は下賤で野蛮だな」
 校舎から若い男性教師が飛びだしてきた。司教でもある神学教師アドヴェーナだ。他の教師も渋々と言った風にやってくる。
「ルークス・レークタ! 指示無しに精霊が動くのは校則違反だ!」
「待ってください! 彼は昨日欠席しているので新校則を知りません!」
 アルティの擁護は無視され、アドヴェーナはルークスに指を突きつける。
「風の大精霊に命じ、本学への嫌がらせを止めさせなさい!」
 地面に座ったままルークスはぽかんと口を開けてしまった。
「いったい何の事?」
「とぼけるな!! 貴様が契約精霊に命じて、本学にいた精霊たちを追い出したのは知っているぞ!」
「言いがかりも大概にせい!! これ以上主様に無法を働くならば、貴様らをまとめて薙ぎ払うぞ!」
 グラン・シルフに脅されると、アドヴェーナはビクついた。それでも大精霊に物申す。
「お、お前がシルフに、本学の教職員や生徒に逆らうよう命じた事は分かっているのだぞ!」
「はて? そのような事など命じておらぬが?」
「しらばっくれるな!」
 周囲の生徒たちが息を飲んだが、神殿から派遣された男は気づきもせず続ける。
「それ以外に精霊が一斉に逆らうなどあり得ない!」
「シルフたちから『人間が契約違反をしてきた』とは聞いておる。全てがこの学園の者と契約していたかは知らぬが」
「契約違反など、本学の教えを学んだ者がするはずがない。そこの、できそこない以外は!」
 と、やっと立ち上がったルークスに指を突きつける。
 インスピラティオーネの声が険しくなった。
「事細かに契約内容など知らぬが『求めに応じて力を貸す』との契約が突然『命じた時以外力を使うな』などと変えられたら契約違反としか言えぬな。この人間たちの裏切りにシルフたちは大いに怒っておる。だからほれ、学園を他のシルフも避けて通っているではないか」
 シルフは学園の手前で向きを変え、塀に沿って迂回している。その為に学園の敷地は空気が淀んでいた。
「貴様の命令だろうが!?」
 アドヴェーナはインスピラティオーネに指を突きつける。
「その様な命令など出しておらぬ。その意味も無い。我と会ってもいない遠方から来たシルフまでが同調する道理も無い。この学園はシルフに嫌われたのだ。それに関し、我は何もしておらぬ。ましてや風精以外の精霊などあずかり知らぬわ」
「嘘だ! 騙されるものか!」
 これには生徒たちもどよめき、ひそひそ話が始まる。この場に居合わせた全ての人間が「神学教師には精霊の基礎知識も無い」との認識を共有した。
 痺れを切らして神学教師に訴えたのは、教頭のアウクシーリムだ。
「精霊は嘘をつきません」
「何を言うのです? グラン・シルフが命じた以外に、シルフが本学を避ける理由などありません!」
「あの校則は、精霊には許せないものです」
「神殿に逆らうと、あなたも破門になりますぞ!」
「逆らっているのは私ではなく、精霊です」
 さすがに「逆らわれているのは神殿ではなくあんただ」とまでは言えない。
「そんな精霊など破門にしてやります!」
 これには風の大精霊も呆れた。
「ならば自分の契約精霊を呼んで聞けばよい。シルフ以外ならば我の影響ではないと分かろう」
「私は精霊など使役する必要はない!」
「なるほど、精霊など・・か。貴様が精霊に敵意を抱いておるのは分かった。人間と違って嘘をつかぬからであろうな」
「勝手な憶測だ!」
「我が精霊たちに命じたなどという憶測を口にしておきながら、よくぞ抜け抜けと」
「黙れ! 貴様など破門だ!!」
 アドヴェーナとしては切り札を出したつもりだったが、インスピラティオーネは笑いだした。天を仰いで高笑いする。
「木っ葉風情・・が身の程も知らずに大口を叩くわ。貴様は神殿の代表どころか、決定権も無い小者に過ぎぬ。神殿が風精に敵対すると? それを決するなど大司教でも足りぬ。法王の命令を持って参れ」
 アドヴェーナは言葉を失い口をパクパクと酸欠の鯉状態になった。
 アルティはアウクシーリム教頭に言う。
「私のサラマンダーも校則を伝えたら怒って帰り、二度と来なくなりました」
 他の生徒たちも同様だ。水精も土精も反抗していた。契約精霊だけでなく、学園にいた他の精霊たちもいなくなっている。
「これはもう、精霊たちが個別に校則に反発しているのですよ」
 と教頭が言うとアドヴェーナは怒鳴った。
「そんなはずはない! 生徒たちが未熟だから契約が徹底されないのだ!」
「ならば私も未熟ですな。私の契約精霊も校則に反発して離れましたから」
「それはシルフだからだ! 他の属性は生徒が未熟だからだ!」
 この決めつけに、周囲の人々は唖然となった。

 他人からは理解不能だが、アドヴェーナは自分の過ちを誤魔化しているのではない。
 修道院で優秀だった自分が過ちを犯すなど夢にも思っていないのだ。
 イグノランチャ・ド・アドヴェーナは幼い頃修道院に預けられた。貴族にありがちな「体の良い厄介払い」である。
 そのせいで修道院という閉鎖空間しか知らない。その常識が外と違う事も。
 修道士という均一な人間たちの中で、儀式と聖典だけの単純な人生経験では、複雑な外部世界など理解できようはずもない。
 それでも自分が「世間知らず」との認識があれば、いくらでも是正できる。
 悪い事に彼は気になっていたのだ。
 修道院にある書物は全て聖職者により書かれてもので、非常に偏っている。正しいのは常に敬虔な信者で、悪い事を起こすのは全て不信心者なのだ。
 そしてその偏った内容が世界の姿だとアドヴェーナは理解していた。
 信心深い聖職者の自分は常に正しく、失敗などあり得ないという世界を。
 もし上手くいかない事があれば、それは悪意ある不信心者が妨害するからだ。
 それがルークスであり、グラン・シルフであった。
 彼らは信仰の力で打ち破るべき悪であり、不信心者に妥協するなどあり得ない。
 絶対の正義を掲げ、反抗する者を絶対悪と決めつける、まさに狂信者に成長してしまったのだ。

 そしてルークスも、無知蒙昧な司教が学園を荒らすのを見過ごせなかった。
 神殿の権威を傘に着た狂信者に対抗できるのは、精霊の加護を受けた自分しかいないのだから。

 相手に妥協しない、という点でのみ両者は一致し、それ以外の全てで対立している。
 そんな二人が衝突するのは必然であった。 
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