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第二章 人と精霊と

孤独の女王

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 パトリア王国の首都アクセムにある王城の主、フローレンティーナ女王の心は引き裂かれた。
 かつて国を守った英雄ドゥークス・レークタの息子が「騎士団入りを前提とした軍学校進学を断った」と聞かされて。
 フェルームの町から半日かけて戻った古参騎士ビゴット卿が、フィデリタス騎士団長と並び、女王の執務室で報告をしていた。
 ビゴット卿はルークスの非礼に苦言を呈する。
「元々騎士団に良からぬ感情を抱いておる様子でした」
 英雄暗殺にまつわる騎士団の対応が問われた事は報告から除かれていた。
 為にフローレンティーナには「ルークスの我が儘」との印象だけが伝わる。
 できるだけ平静を装い女王は騎士団長に問いかけた。
「ドゥークス殿のご子息が風の大精霊と契約しているのは間違いないのですね?」
「は。学園からの報告以外でも、我が息子が幾度となく目撃しております。他のシルフを圧倒するグラン・シルフの姿を。その力は生徒が作る等身大ゴーレムを風圧で破壊するとの由」
「我が王宮精霊士室長殿は、一度も大精霊を見せてくれませんのに」
「お恐れながら、戦傷者の治療でグラン・ウンディーネに無理を強いたが為と聞き及んでおります」
「それ程難しい大精霊を、随分と気軽に召喚できるのですね、その少年は」
「王宮精霊士室によりますと、ほぼ常駐という事例は他国はおろか過去の記録にも見られないとの事です」
「それだけ精霊を、従えると言いますか、使える能力がありながら私――我が国を守ってはくれぬと?」
 千々に心が乱れる女王の問いかけに、古参騎士が応える。
「残念ながらグラン・シルフ使いとして騎士団に入る気は無く、飽くまでもゴーレムマスターになる事に執着しておりました」
「なれるのですか?」
 ビゴット卿は答えられず、代わりにフィデリタス騎士団長が答える。
「ゴーレムを動かすには土精ノームの力が必要です。早い者なら初等部でノームと契約ができるもの。中等部の最終学年になってなお召喚さえできないとあっては、望みは極めて薄いかと」
 息子が精霊士学園に通っていることもあり、かなり詳しく説明できた。
 女王は古参騎士に問いかける。
「それなのにゴーレムマスターに?」
「はは。父親の仇を討つ意思も、無い模様です」
 ビゴット卿は言いにくそうに答えた。だがフローレンティーナはもっと言いにくかった。
「残念ですね。それで、学園は彼を、どうします?」
 問われて騎士団長が答える。
「風精学はもう教える事は無いと思われます。大精霊と契約という目的は既に果たしたのですから。ゴーレムについては教えても無駄かと。従って彼は中等部で卒業となりましょう」
「その後は?」
「グラン・シルフは軍が是が非にでも欲しております。彼の才能が国の守りに活用される事に違いはありません。ただ、騎士団より待遇は悪くなりますが、それは本人の責任でしょう」
 突き放された思いで女王は総括をしなければならなかった。
「そうですね。せっかくの温情に、非礼で返されては、仕方ありません。残念な結果に、なってしまいました」
 言葉を継ぐごとに離れてゆく。
「差し出がましい真似をいたしました。ドゥークス殿には恩義を感じておりましただけに、無念でございます」
 フィデリタス騎士団長が辛そうに言う。
 だがもっと辛いフローレンティーナは顔にも声にも出さぬよう自分を制した。
 そして女王は臣下をねぎらって下がらせた。

 一人になるや少女はハンカチを噛み締めた。
 最前から胸が締め付けられ激しく痛んでいる。
 食いしばった歯から声が漏れた。
「……約束したのに……守ってくれると……」
 騎士らは知らないが、フローレンティーナはルークスと一度だけだが会った事があるのだ。
 十年前に父王を亡くし、幼くして即位した女王を更なる試練が襲った。北のリスティア大王国の侵略である。
 その侵略軍を一掃したゴーレム大隊の指揮官がドゥークスだった。
 講和会議を行う首都アクセムに帰還したゴーレム大隊の迫力は、六才の女王をどれだけ力づけた事か。
 そんな英雄は妻の他に息子も伴っていた。それがルークスである。
 半年しか生まれが違わない二人はたちまち打ち解けた。フローレンティーナに初めて友達ができたのだ。
 ルークスは精霊を紹介してくれた。夜に行われたサラマンダーの輪舞を一緒に見てくれた。
 その直後である。
 ドゥークス夫妻暗殺という凶報がもたらされたのは。
 ルークスとはそれきりとなって以後一度も会っていない。
 だがあの時、ルークスはフローレンティーナに約束していた。
 父が死んでも、自分が陛下を守る、と。
「十年近くも前、子供の頃の約束なんて忘れてしまったのですね」
 騎士団入りを断った事などより、そちらの方が彼女にとってショックだった。
 この九年間、たった一人の友達と交した約束を心の支えにしてきたのに。
 その結果が、忘却という裏切りであった。
 フローレンティーナの心臓は鮮血を噴きだしているかのよう。
 強い心痛に加え頭も痛み女王を苛む。
(ルークス……友達だと思っていたのに……)
 それに不公平とも思う。
 彼は大精霊に守られているのに、女王であるにも関わらず自分は大精霊に守ってもらえない。
 行く行くは彼を王宮精霊士室へ、とまで考えていたのに。

 もうこの世には頼れる人はいない。

 臣下にしても国難に際してなお反目し合う。
 君主の人望の無さが故に、と女王は自嘲した。
 誰も居ない。
 寂しい。
 孤独だった。
 再び孤独となった。
 否、フローレンティーナはずっと孤独の檻に閉じ込められていたのだ。
 ただこの九年間は檻が見えなかっただけのこと。
 偽りの約束に目隠しされていて。
 今、世界は真実の姿をフローレンティーナに再び見せたのだ。
 暗闇の中にポツンと一人たたずむ自分の姿を。
「忘れましょう、彼の事は」
 そう言うしかなかった。
 住む世界が違う人間が、一瞬交差しただけ。
 そう自分に言い聞かせるしかなかった。
 意識を切り替える為に女王は机上の書類に無理やり目を据えた。
 最近、北の国が不穏である。
 占領地の支配が固まったので近いうちに攻めてくるのは歴然だ。
 九年前でさえ英雄がいなかったら守り切れなかったと聞く。国力が半分となり、その分敵が力を増した今、再度防ぐ事は至難を通り越した不可能事に思えた。
 自分がパトリア最後の王となる日が来るのを、フローレンティーナは予期せざるを得なかった。
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