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女神のパン屋~飛ばされて異世界~ 7
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「さっきは、手伝っていただいてありがとうございました。おかげで早く配り終えたので、助かったわ」とにっこり笑ってお辞儀をした。
本当に、一時はどうなるかと思った。同じ説明を繰り返し繰り返しせねばならず、それでいて説明しても何も伝わらない(知らない食材や品物なのだから当たり前なのだけれども)し、みんなわたしから受け取りたがり、パンを渡す際、多くの人に手をギューッとされて、列はちっとも進まない。このままだと日が暮れてしまうのではと内心焦っていた。
「いえ、女神さまのお役に立てて光栄です」とササラさん。
「女神さま?どこかにいらしたの?」と思わず辺りをきょろきょろと見回すと
「ヒロコ様が女神さまでいらっしゃるのでしょう?」と言うので、驚いた。
なんでわたしが女神さま!?
「さきほど、説明を始められるときに、お姿が金色に光り輝いておられました。それでみんなが女神さまだと。違うのですか?」
そういえばさっき、背中があったかいなぁと感じたけれど、陽の光のせいかと思っていた。それって、女神さまの悪戯なんじゃないだろうか?みなに誤解させるのを意図的にやったのかも。あとでスマホに聞いてみなくては。
「まさか、女神さまではなく、ただのパン屋のおばちゃんよ」と否定したけれど、いまひとつ納得した様子がない。まぁいいか。そのうちわかる(と思う)。
「さて、わたしは店に戻って明日の仕込みをしなくてはいけないから、そろそろ帰りますね」というと
「あれはどうしますか?」と聞いてくる。
あれ、あぁそうか。もらった野菜などが山積みになっているのだった。一人一人がくれたのは少量でも、結局100人近い人からもらったのだから、結構な量だ。どうしよう。オルレアン達に頼む?と考え込んでいると
「よろしければ、運びましょうか?」とササラ。
「これを運ぶことが出来るの?」と聞いたら、何やらロープのようなものを取り出した。籠や箱に入っているわけではない野菜たちを、ロープで縛るなんてできないでしょう~と思いつつ見ていると、ロープを野菜の周りにふわりとかけて、持ち上げた。
ネットのようになっているのかと思ったけれど、そういうことではないらしい。うむ。異世界不思議仕様。深く考えるのはやめておこう。
そして、それを背負子に乗せて運んでくれるのだという。とても力持ちには見えない彼女だけど、何かの力が働いているのか、とても軽々と持ち上げた姿に見ほれつつ、好意をありがたく受けることにした。
小さなカッタくんも、とことことついてくる。
「ここから30分くらい歩くのだけれど、大丈夫?」と聞くと
「平気ですよ。浴場まで自宅から一時間かかることを考えたら、その半分ですしね」と余裕の表情。
背負子を見ると、椅子を背中にしょっているようなもので、もしかしたら
「いつもは、カッタ君を乗せているの?」と聞いてみた。
「そうなのです。おんぶするより楽なので、夫に作ってもらったのですよ。夫はこういう木工が得意なのです」と、家族のことなどを話してくれた。
「昨日までは、こうやって息子が元気に歩くなんて考えられなかったのです」
そう言って、突然立ち止まると、背負子を背負ったまま土下座した。
「お願いします。どうかわたしを弟子にしてください」
弟子っ?
「息子がこんなに元気になれたのは、ヒロコ様のくださったケーキやパンのおかげです。女神さまのごときお力に近づけるとは到底思えませんが、どうぞお傍に置いて、手伝わせてください」
頭を地面にこすり付ける勢いで土下座され、カッタ君まで真似するように土下座する姿に驚かされ、戸惑ってしまった。背負子と中身が微動だにしないことも衝撃。
「とっとりあえず、土下座はやめて。えっと、わたし今腹ペコで疲れて早く戻りたいから、とにかく立って。立って歩いて」と促すと、しぶしぶな様子で立ち上がり、歩き出してくれた。ほっ。
「弟子とか手伝うとか、ご自宅は大丈夫なの?一家のお母さんが不在なんて、心配じゃないの?」と聞いてみたら
「我が家は大家族で、母も姑もまだまだ元気ですし、上の息子たちも一人前に仕事が出来るようになりました。昨日のうちに、家族の了承は得ておりますから問題ありません」ときっぱり。
事後承諾じゃなく、ちゃんと体制を整えてきているんだ。今日の手回しと言い、仕事が出来るタイプの女性なんだと思えた。
「カッタ君は?」
「カッタも一緒に居たいと言っています。大人しい子ですから、決してご迷惑はおかけしません」
オルレアン達は明日、旅立つ。出立時間を遅らせて、荷運びを手伝ってくれると言ってくれたけれど、その先のことを考えると人手が欲しいのは事実。
近いうちに、一人で作ることにも限界が来るだろうと予想出来るから、熱意があり仕事も出来そうな人の確保は急務ではある。
でも、答えを急がず店に戻ってからにしよう。
しばらく黙って歩いていると、森の切れ目、レンゲ畑の入り口に着いた
「ほら、あそこがわたしの店よ」と言うと、昨日のオルレアンと同じ反応になるかと思いきや
「綺麗なところですね」と言って、躊躇せずに足を踏み入れた。カッタ君も嬉しそうに駆け出した。
死の畑という話も、知っている人と知らない人がいるんだな。オルレアン達も知らないからこそ、危ない目にあったんだし。何も気にしないでくれるなら、その方がいい。
店の建物の大きさに驚きこそすれ、店の中を覗いても、オルレアンのように固まることもなかった。もう、何もかも受け入れる覚悟が出来ているってことなのかもしれない。ずいぶん胆の据わった女性だ。
「とりあえず、おなかが減ったから何か食べましょう。二人は適当に座っていてね」と言って、食事の準備を始める。
今朝のスープの残りに、ショートパスタを入れる簡単メニューでいいか。
夕食はオルレアン達を含めて9人分。ひじきが少し残っているから、今日も炊き込みご飯とスープにしよう。明日の為の下準備もして、ナッツ類をオーブンで空焼きにしておけば、仕込みがちょっと楽になるかな。
緊張した面持ちで座っている二人の元へ、食事を持っていき
「お待たせしました。熱いから気を付けて食べてね」と言って、トウモロコシのスープパスタを出す。上に豆乳で作ったクリームを乗せてあるので、好みでそれを混ぜながら食べると美味しいのだけれど、気に入ってもらえるかな。
二人はわたしが食べ始めるのを待ってから、ゆっくりとスプーンを手に、口に運んだ。
一口食べて、ぱぁっと顔を輝かせて、もくもくと食べ進める姿を見て安心してわたしも続けて食べる。本当はサラダとかつけたいところだけれど、明日の仕込み時間を考えると、簡単なものになってしまった。やっぱり朝のうちに、自分たちが食べるおかず類を作っておくほうがいいかもしれないなぁ。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
ササラは静かにスプーンを置くと、キラキラした目でわたしをじっと見て
「やはり、お手伝いさせていただきたいです。昨日のケーキも、今日のパンも素晴らしかったですが、この食事も今まで食べて来たものとは全く違います。ぜひ、お傍に置いてください」と熱く訴えてきた。
「本当に、家族と離れて大丈夫なの?」
どうしても気になるので、再確認してみた。
「大丈夫です。こちらで教われることを、ほんの少しでも持って帰ることが出来たら、それが家族や村の為になると思うのです。家族も納得して送り出してくれました」
ふと見ると、カッタ君もこちらを真剣なまなざしで見つめている。
「分かったわ。とりあえず、これから明日の仕込みをするけれど、今日のところはそこで見ていてね。詳しいことは後でね」と言って席を立つ。
明日の仕込みは急務なので、ここでゆっくりおしゃべりしている暇はない。
さて、明日はどうしようか。
持ち歩きに良い物をという、たくさんのリクエストもある。
あぁそうだ。もらった野菜も確認して、使えるものはどんどん使わなくては。
乾燥野菜でブリスボールを作れば、携帯にいいかもしれない。
「ササラさん、もらってきたものを種類別に分けて、乾燥野菜を出しておいてくれる?」と、前言を撤回して、早速仕事を見つけて振ってしまった。
「ヒロコ様、さん付けはやめてください。どうかササラと呼び捨てに」
「じゃあヒロコ様っていうのもやめてくれない?」と押し問答の末
ササラは呼び捨てに、わたしのことは、ヒロコさん。と呼んでもらうことに落ち着いた。
いきなり仕事を割り振ったのでどうかと思ったけれど、見ていてと言った後の、所在無げな不安な面持ちから一転、目をキラッと輝かせ、張り切って仕分けしているところを見ると、どうやら根っからの働き者らしい。
やる気が空回りするタイプではない事を願いつつ、わたしはわたしの作業を開始。
まず先に、乾燥野菜だけ取り出し、煮ものに使う乾燥野菜と、ブリスボールに入れられそうなものに分けて、煮ものに使うものは水に浸しておく。ブリスボール用は少量の米のリキュールを振りかけておいて、明日のパンの仕込みをまず行う。
明日のパンは、基本今日と同じにするけれど、煮ておいたリンゴがあるから、それを活用したい。おかずもヒジキ煮ではなく、乾燥野菜を煮つけるつもり。
なので、プレーンな生地、甘酒を入れた生地、味噌を入れた生地、リンゴジュースを使う生地と、水分量を多くして菜種油を入れる生地を仕込む。
昨日、今日はさつまいもを入れたケーキを作ったので、明日はまた違うケーキにしたいけれど、とりあえずプレーンな生地を仕込んでおいて、明日型に入れる時に果物などを巻き込むことにする。
それから、米リキュールを振りかけておいた乾燥野菜を火にかけて、アルコールを飛ばすようにフランベして、器にとって冷ましておく。
携帯用に、グラノーラバーも作る。これはいろんな穀物やナッツ、ドライフルーツを入れて、少量の小麦粉を加え、甘酒、米飴、菜種油をからめたもので、しっかり混ぜたら天板に広げて焼いて、少し冷ましてから棒状にカットして、さらに焼いて出来上がり。長期保存が可能だ。
ブリスボールは、ドライフルーツとナッツと、加熱せずに食べられるココアやキャロブパウダー、ココナッツフレークなどを混ぜて丸めるだけのもの。簡単に出来るのだけど、混ぜる時にミキサーやフードプロセッサーを使うので、洗うのが面倒くさい。
そうだ。
「これを丸めるのを手伝ってね」と、ササラに声をかける。この作業は簡単だから、初心者でも問題なく出来る。興味深げに作業を見ていたから、初日だけれど、せっかくだからやってもらおう。
「そういえば、さっきもらってきたものの中に、草で編んだような籠があったけれど」
「はい、わたしが編んだのです」
「えぇっ、籠が編めるの?」わたしも昔、学校の授業で籠を編んだことがあったけれど、根気も力も足りなくてうまく行かなかった記憶が・・・。
「えぇ。今日は浴場の近くに生えている蔓草を使いましたけれど、村ではもう少し頑丈な蔦などを使って、もっと大きな籠も作っていたのですよ。作物によって必要な大きさや丈夫さも違うので、いろんな素材で作ることを覚えました」
「すごい器用なんだ。じゃあ、今作っているコレとかを包むものも作れる?」
「もちろんですよ。もしかして、これは携帯用の食べ物となりますか?」
「そうなの。自宅に持って帰ったり、道中で食べられるようにと思って作っているのだけれど、どうやって携帯してもらおうかと」
「分かりました。では、サイズに合わせて包めるような籠を作りますね。カッタ~」と息子をそばに呼び
「森でさっきと同じ蔓草を採って来てくれる?」と言うと
小さなカッタ君は、こくんと頷くと駆けていった。
「この森には怖い獣がいないから、安心です」
「他のところには、いる?」
「ええ、いますよ。でもまぁ棲み分けが出来ていますし、滅多に人を襲うことはないのですが、小さい子どもは注意しないと危険です」
あぁ、自分より体の小さい者を狙ったりするだろうしねぇと納得。
それにしても、この森はやはり特別なんだと思う。
ブリスボールを丸め終わり、グラノーラバーも二度焼きして冷ましているので、続けて夕食の支度をすることにするが、もらってきたものの中に何かすぐ使えるものがないか確認しよう
「実はわたし、こちらの作物には詳しくないの。だから一つずつ説明してくれない?」と言うと、不思議そうな顔をしつつも、教えてくれた。
しかし困ったことに、作物の名前がどうしても聞き取れない。
言葉に困ることはないと言われていたし、オオネリという大根に似たものだけは分かるのに、何度聞いても、どれもこれも聞き取ることが出来なかった。
仕方ないので、紙に名前を書いてもらうことにしたのだけれども、やはりと言うか当たり前と言うか、ひらがなでもカタカナでも漢字でもなかった。
これは、古代文字に似ているけれど、わたしがちょっとだけ勉強したものとは違うし、同じものがあったとしてもスラスラ読めるほどの理解がない。イチから勉強し直しか。ふぅっとため息が出る。
まぁでも、名前が分からなくても、見た目は知っている野菜と同じだし、あとは味も同じか確かめてみればいい。同じだったら、勝手にその名前で呼んでしまおう。夕食の用意をしながら確認するか。
まずは、先ほどから水に漬けておいた乾燥野菜の水を切り(漬けておいた水は捨てずにとっておく)、深めのフライパンに薄く油を敷いて、戻した乾燥野菜を炒め、油が全体に回ったところで、漬け置き水を加え、醤油を回しかけて蓋をして煮る。
煮ている間に、スープ作り。深い鍋に適当に選んだ野菜を一口サイズに切って、どんどん入れていく。切りながら匂いを嗅ぐと、ほとんどが元いた世界の野菜と同じようなので、細かいことは気にせずに入れていくけれど、明らかに調和がとれなさそうなものは省いた。
水を入れて火にかけ、沸騰したところで塩と、生姜酵母を入れてコトコト煮込む。野菜が柔らかくなったら味見をして、塩と醤油で味を整えて完成。
味がなじむように一度火を止めて冷ましておく。
後はヒジキ煮入り炊き込みご飯を作れば完成なので、米を研いでとりあえず作業終了。
厨房の片づけをしていたら、オルレアン達が戻ってきた。
「ただいま~、おや、人が増えたのね」
「そうなの、今日から手伝ってくれることになった、ササラさんとカッタ君母子よ」と二人を紹介すると、カッタ君はオルレアンを見てポーッとなっている。「二人はオルレアン達の事、知っているのよね?」と聞くと
「はい、一方的にですが、浴場で何度かご一緒させていただいております。息子は歌姫さんの歌が大好きで、お会いできるのを毎回楽しみにしていたのですよ」と言うと、オルレアンが
「あら、嬉しい。これからは仲間ね~よろしくね」とカッタ君の頭を撫でた。
「あぁでもこれで安心して出発できるわ。明日はパンを運ぶのを手伝えるけれど、明後日からどうするのか心配していたのよ」とオルレアン。
「心配してくれてありがとう。私もどうなるかと思っていたけれど、おかげ様でなんとかなりそうよ。ササラさんは見かけによらず力持ちだしね」と答えると、ますます安心だと笑った。
「それで、明日からの携帯食を作っていたのだけれど、それ用にほら、籠を作ってくれているの。優秀でしょう」と籠入りのグラノーラバーとブリスボールを見せた。これに加え、明日はオムスビも作ってあげる予定だ。
「わぉ。それはありがたいわね。わたしも包むのを手伝うわよ」
「ありがとう。オルレアン達の分の他に、今日頼まれた分もあるから助かるわ」そう言って、包む作業を任せて、もう少し料理を作っておくことにした。
でも、その前に
「ササラ、一緒に上に来てくれる?」と声をかけ、三階に上がる。
なんとなく、あの青年がいた部屋を避け、もう一方の扉をノックして反応がないことを確かめてから、扉を開ける。
そこは、家具などがなく、広い部屋だけがあった。今までと違う。
一度扉を閉めて
「ササラたちの家は、どんな感じ?どうやって寝ているの?」と聞くと、区切りのない部屋で、寝るのも食べるのも同じところで、家族一緒なのだと答えた。寝る時には敷物を敷いて、いわゆる雑魚寝になるらしい。なるほど。
「じゃあ、この部屋を自由に使ってね。困ったことがあれば何でも言ってね」と言って、部屋を確認して居心地良くするように伝えた。
仕切りのない一間で、子どもを七人も作るとは。すごいなぁと思う。オープンなのか、なんとか隙間を縫って夫婦二人きりになるのだろうか?
・・・考えるのはやめておこう。
それからみんなで夕食を食べ、あとは自由となった。
わたしも自宅に戻り、風呂に入ってさっさと寝ることにしたのだけれど、昨日のオルレアンの話を思い出し、本棚を見る。
この世界に来てからたびたび登場する『オズの魔法使い』ネタ(?)。確か、生き物が入ったら眠ってしまう花畑があった。ブリキの木こりだけが、その魔法にかからず事なきを得るのだ。映画版の映像が脳裏によみがえって来たのだけれど、あの花は芥子だったように思う。原作はどうだったかと確認したい。他にも『オズの魔法使い』ネタが出てくるのだろうか。あの小説は、異世界に行ったドロシーが、カンザスに帰って終わるのが有名だけれど、それは一作目の話で、原作は何冊もあり、文庫本で全部揃えて何度も読んだ。ドロシーはカンザスに帰ったものの、その地での暮らしが厳しくて、結局おじさんおばさんと共にオズに移り住むのだ。
あぁでも限界。もう寝なくては。明日は今日よりもっとたくさんパンを作らねばならないのだから。
そして、朝。いつも通り体操をしてから、炊飯器で炊いておいたご飯でオムスビを作る。今日は梅干し炊きごはん。五分搗きの米に雑穀を混ぜて、炊く時に梅干しを丸ごと入れるだけの簡単さ。
今年の夏は酷暑で、通常夏バテすることもなく食欲が落ちることもないわたし達夫婦ですら、食欲が落ちる暑さだったけど、この梅干しご飯で乗り切った。
数年おきに作る自家製の梅干しは、いつもならそのまま数年寝かすのだけれども、今年は何故か干したてが食べたくなり、そのまま食べたらしょっぱくて、炊き込みにしたら美味しいのでは?とやってみたら、これがヒット。
小麦粉に囲まれている日々だから、排毒を兼ねて玄米を主食としていたけれど、梅干し炊きごはんがあまりに美味しくて、ほぼ毎日これを食べていた。梅干しを入れたオムスビが苦手なオットも、これは難なく受け入れてくれた。
おかずがなくても、冷たくても美味しいから、オムスビにするにはちょうど良い。
炊き上がったご飯の中にある梅干しをほぐしながら、風を入れるように混ぜたら、塩もつけずにそのまま結ぶ。今日はオルレアン達の弁当分と、わたし達の朝ごはん分、そして残りは浴場で待っている人たちに配るつもりなので、自宅の炊飯器で炊ける最大量を炊いた。さて、何個できるかな。
残念ながら13コしか出来なかった。これでは全然足りないではないか。もう一回炊くことにして、米を研ぐ。水に浸けている間に、出来たオムスビに、海苔を巻く。四つ切の海苔をいつもなら三枚に切るところだけれど、数が多いのでちょっとケチって四枚に切って、少しあぶってからオムスビにぐるりと巻いていく。
全部出来たところでちょっと休憩。ラグの上に座ってストレッチ。
今日のメニューなどを頭の中で整理する。
洗い物を片づけて、米を炊飯器に入れて梅干しも入れてスイッチを入れ、出かける準備をしたら階下の店へ。
レシピノートを確認しようと、カウンターの下の棚を見たら、またパソコンが光っている。でも、今は時間がないから無視。まずはパンを成形しないと。
今日作るパンは、甘酒蒸しパンに乾燥野菜の煮物を入れたものと
プレーンな生地にドライフルーツを巻き込んだベーグル
味噌を入れた生地にくるみを巻き込んだベーグル
水とリンゴジュースを半々使った生地は、あんぱんに
水分量を多くして菜種油を入れる生地で蒸し野菜を包む。
ケーキは、煮たリンゴにシナモンを振りかけて巻き込んでから型に入れる。
種類は昨日より減らし、数を増やすことにした。初めて見るものの中から選ぶのは大変難しいようなので、さらに減らして悩む時間を短くする作戦だ。
あとは焼くだけなので、発酵を待っている間に味噌汁を作る。
オムスビ食べるなら、やっぱり味噌汁。昆布を刻み、水に浸しただけの簡単な出汁だけど、これで十分美味しい。ネギを刻んで入れてから火にかけ、沸騰直前で火を止め、麦みそを適量、そして乾燥わかめ。出汁昆布はそのまま具となる、まぁ手抜き。
パンを成形している時に、パソコンを無視したからか、今度はスマホが震えだした。面倒臭いけれど仕方ない。
や、でも先にご飯。自宅に戻り炊飯器を持って店へ。
そしてようやくスマホをタッチ。
『ひどいじゃないですか!?パソコンも開いてくれないし、スマホも放置しっぱなしって、どういうことですか?』
と、いきなり責められた・・・。責められつつも、ハンズフリーでオムスビを握る。
「いやだって、困ってないし」
『困ってないし。って!?普通、色々あるでしょう、知らない場所に連れてこられたのですから?疑問質問エトセトラ~』
「まぁああるっちゃあるけど、忙しいから別にいいかって思っちゃった。知らない場所だけど言葉は通じるし
そもそも、パソコンはお客様からのメールを見たり、通販業務に必要だったから使っていただけで、今はその必要ないじゃない?お客様からメール来ないし」
『そりゃまぁそうでしょうねぇ・・・』
「スマホも、日々のメニューをブログにアップするために使っていたけれど、今はそれも必要ないでしょう」
『まぁそうでしょうねぇ・・・や、でも!記録は必要でしょう記録は。ブログにアップするためだけに写真を撮っていらしたわけじゃないですよね?昔の写真見て形状を確認したり、されていましたでしょ?』
何で知ってるんだ?
「まぁそうね~。でも、もともと写真もよく撮り忘れていたけれどね」
その後も、なんだかぶつぶつと文句を言うスマホに生返事をしながら、オムスビを仕上げ、パンを焼いたり洗い物をしたり、様々な作業をおこなっていたら
『そうだ!お客様のメールですけれどね』
「ん?」
『お客様からメールは来ませんけれど、必要な人情報がとれますよ』
「ひつようなひとじょうほう?」
『ええ。たとえば今日はどれだけの人が集まり、そのうち何人の人が遠方へ持って帰りたいと思っているか、どういうものに期待されているか。などの情報がとれるのですよ』
「どうやって?」
『詳しくは申し上げられませんけれども、簡単に言うと、思念を捕まえるってことでしょうか』
「しねんをつかまえる?」
『はい。こちらに対する期待を込めた思念を集めまして、仕分けして整理してご案内するのですよ』
「へ~。先に分かっていると確かに助かるかも」
『ですよねっ!?スマホを使っていただければ、情報をお伝えいたしますので、ぜひ毎日一回、いや二回はチェックしてください』
「忘れなかったらね」
『忘れないでくださいよぉ。もぉワタシ寂しいんですよ。ここに一人閉じ込められて、あなたが使ってくださらなかったら、シーンと静まり返った暗い中で、じーっとしていないといけないんですよ。寂しいんですよ。つまらないんですよ』
「え、でもその情報と取りに行ったりするんでしょ?シーンと静まり返って暗いの?」
『ご注文が入らないとそうですね。今、出来る事をお伝えしましたけれど、結局それも要らない。と言われましたら、勝手には動けません』
「そうなんだ」
一人で暗いところに閉じ込められているって、それって
「もしかして、何か女神さまを怒らせたりしたの?なんだか罰っぽいけれど」
と、単刀直入に聞いてみた。
『えぇっ!?・・・そう思います?ワタシもちょっとそう思ったりしたのですが、心当たりがないのですよ。何をしてご機嫌を損ねたんでしょうか』
知らんがな。あぁでも
「ちょっとうるさすぎて、静かにしておけ!って感じだったり?」
『うるさすぎて?・・・そういえば何度か注意を受けましたけれど、そんなに怒っていらっしゃるようには見えませんでしたよ・・・でも、そう言われてみれば、ここに入れられる直前は、ワタシがしゃべっている最中でしたね』
「あ~それかもね。反省したら出してもらえたりする?」
『実は、ヒロコ様の許可があれば出られるんです』
「そうなの?」
『えぇ。許可してもらえれば、つまり注文により動けますので、ここに閉じ込められているのも解放するっておっしゃっていただければ、出られるのです』
「そうなんだ」
一人で暗く静かなところにいたら、わたしだったら気が狂う。一人は平気だけれど、独りは辛い。
でも、簡単に解放していいのだろうか?女神さまの意図は本当にそれだけ?分からないから、簡単に決められることではないな
「それはちょっと考えておくね。とりあえず、さっき言っていた必要な人情報はよろしくね」
『かしこまりました。忘れずにチェックしてくださいね』
と、ほぼ話がまとまったタイミングで
「おはようございます」とササラ母子登場。そして厨房を見渡すと
「申し訳ありませんっ」とまたもや土下座。
土下座、好きだね
「何かしたの?」
「何もしておりません。何もしていないことが問題です。
お手伝いをすると言って、こちらに寄せていただきましたのに、ヒロコ様は早くも作業をされ、見ればパンが焼き上がっているではありませんか。
全く気付かず寝こけており、のんびりこんな時間に参りましたこと、お詫びいたします。どうか追い出さないでください」
と、床にぺたりと頭をつけてしまった。カッタも隣でマネしている。
「いや~ちょっと顔をあげて。っていうか立って。カッタも立って。
追い出さないし、怒ってないし。一人で作業したいし。気にしないで」
「どういうことですか?」
「まずね、朝一から手伝ってもらう作業がないの。だから、呼ぶつもりなく、昨日何も言わなかったの。何も言わなくてむしろごめん」
「はぁ」
「ずーっと一人でやってきたから、どうやればいいか、これから探っいかないといけないのだけれど、それは忙しい朝には出来ないの」
「そうなのですか」
「そうなのです。で、今日一番の仕事!」
「はいっ」
「机の上のオムスビが三つずつ入る籠を4つと、一つ入る籠を作って」
「オムスビ?」
「そう、あのご飯で作ったボールみたいなの。朝ごはんに一個ずつ、オルレアン達に全部で12個、で、残りは浴場で配るの。だからよろしく」
「分かりました。カッタ、蔓草とってきて」
すると、カッタがダーッと森に駆けていった。その後ろ姿を二人で見ていたら
「そうだ。ちょっといらしてください」ササラがそう言って、外に出る。
「この花なのですが」
「レンゲ?」
「レンゲと言うのですか?」
「ん~、たぶん」わたしの知っているレンゲとはちょっと違うけれど。
「わたしが聴き耳族だという話は、昨日しましたよね。実は遠くの人の声が聞こえるだけではなく、声なき声も聞こえるのです」
声なき声、つまり言葉を発しないものたちの声も聞こえるということ。
凄くうらやましい。昔話の『聴き耳頭巾』が、私の一番欲しい不思議アイテムだったのだから。どら○もんの未来グッズより何より。
「それで、昨晩からこの花の声が聞こえておりまして。それが、使って使って。と言うのです」
「へ~?」
「でも、抜くことも、手折る事も出来ません。私にもカッタにも出来ませんが、ヒロコ様なら、出来るのではないかと思うのです」
また様付けになってるし。さっきのショックが抜けていないのかな。まぁでもとりあえずいいや。
わたしはしゃがんで、レンゲを一本抜こうと手を伸ばした。
すると、向こうからスルリと手に飛び込んできた。抜いたのでも手折ったのでもなく、勝手にやって来たのだ。
「あ~、抜けた?よ?籠に編み込む?何本要るかなぁ?作った籠はいくつあるんだっけ?」と聞くと
一瞬、ぽかんとしたササラが、慌てた様子で数を数えだし、必要な本数を言うので、また手を伸ばすと、その分だけ飛び込んできた。
手にしたレンゲをササラに渡し
「じゃあ、籠に使ってね。不思議仕様だから、もしかしたら防腐効果があるかも。余裕があったら使用本数を変えたりして、効果を調べようね」とにっこり笑っておいた。
どういうことか、後でスマホに聞いておこう。
そういえば、スマホの中の人、名前はマダナイって言ってたっけ。名前はマダナイ。マダナイ・・・もしかして、まだ無いからつけてあげなきゃいけないのだろうか?・・・そのうち考えよう。
と、こんなことをしつつ、今日作る予定のものが全部焼きあがった。そんな絶妙なタイミングで、オルレアン達が降りてきた
「おはよう~。今日も寝過ぎちゃったわ。早朝に出発するなんて、もともと無理だったかも」と笑った。
「おはよう。今日も朝ごはん食べるでしょう?」と聞くと、嬉しそうに
「当然っ」と答える。
「今日はわたしも一緒に食べるわ。オムスビは一人一個ね。オムスビを作ると、後で食べようって思っていても、つまんじゃうから危険なんだ~」と言うと、オムスビを知らない皆は、不思議そうな顔をしている。
「オルレアン達には旅に持って行けるように、籠にも入れてあるんだけれど、これは一人二個の計算になっているからね」と数をきっちり伝えておく。
「あと、他にも色々用意してあるから、適当に分配して道中の足しにしてね」と、昨日作ったブリスボールやグラノーラバー、在庫のあったクッキーなどを渡す。
オルレアン達はすごく嬉しそうにそれらを受け取って、カバンの中に仕舞った。
そして、全員でオムスビと味噌汁の簡単朝ごはんを食べる。
「このオムスビっていうの、夜に出してくれたのと同じ材料なの?」
「そう、お米を炊いてにぎって固めるだけなんだけど、それだけで美味しいの」
「このお米って、なんだか知っているもののような気がするのですが、こんな食べ方はしたことがありません」とササラ。
「似たようなものを作っている?」
「いえ、作ってはいません・・・あっ昨日もらってきたものの中にあったかもしれません」
そう言って、立ち上がって昨日もらってきて使わなかったものの中から、袋を取り出す。この袋は何で出来ているのだろう?紙っぽいけれど。
「これです。粉になっていますが、たぶんこれです」
袋を覗くと、白い粗挽きの粉が入っている。
確かに、米粉に似ているかも。少し茶色いから玄米粉かな。
「これは、どうやって食べるの?」と聞くと、煮たり、水で溶いて薄く伸ばして焼いたりするらしい。クレープみたいなものだろうか。米粒を食べるより、粉にすることが多いらしいけれど、この辺りでは作っていないから、あまり食べたことがないとか。
地域によって、米だったり、麦だったりするのは、世界がかわっても同じなのかな。
玄米粉ならば、そうだ。と思いつき、煮沸消毒済みの瓶に入れて、水も入れて冷蔵庫へ。二週間ほどで発酵したら、それでパンが焼ける。元の世界では可能だったことが、こちらのものでも可能か試してみなくては。
食事が済んだら、出かける支度をして温泉へ。昨日より多く作れたパンのほとんどをササラが背負子に乗せて担いでくれた。オルレアン達も少し持ってくれたけれど、彼女たちは旅の荷物も持っているから、あまり持たせられないし、ササラは本当に力持ちだ。
温泉に着くと、昨日よりさらに大勢の人が待っていてくれ、昨日来ていた人が率先して行列を作ってくれていてとても助かった。こっちの世界の人たちは行儀が良いと思う。それともただ大人しいだけだろうか?
オルレアンは、「あぁ~行きたくない~出かけたくない~ずーっとここに居たい~」と、浴場に着いて別れるまで、ずっと言っていたけれど、結局しぶしぶと出かけて行った。必ず戻る、たぶん一か月後くらいに。と言い残して。
そんなわけで、今日はササラとカッタと三人で、品物を配る。
わたしがパンの説明をしている時に、カッタは籠に入れたパンを見せて回る役目。
カッタは、最初に会った時に一言発した以外、まったくしゃべらない。5歳だし、笑い声もたてるのだから、話せないわけではないみたいなのだけれど、何故か全くしゃべらない。ササラにも理由が分からないらしいけれど、そのうち話し出すだろうと、あまり気にする様子もなく、わたしもそれを受け入れている。子どもだし、手伝いも強制でもなんでもなく、本人がやりたがっているから、パンを見せてまわる係に任命した。
ただ、パンの事を聞かれたら困るので、それぞれの名前や特徴も紙に書いて並べておいた。もちろん、それを書いたのはササラだけれども。
「それぞれのパンをお見せしてまわっていますので、順番が来るまでになんとなく決めておいてくださいね」と、列を作って待つ人たちに声をかける。
そして、自宅に戻る道中や、お土産を希望する人には、携帯食セットを用意したことを伝え、それはパンを受け取った後に、ササラから受け取ってもらうことにした。数が足りるといいのだけれど。
ざっくり人数を数えたら、やはりパンは足りなさそうなので、今日も半分サイズにした。もっとたくさん作ってこられればいいのだけれど、オーブンは小さくて、一度に18個しか焼けないし、発酵場所も余裕がないので仕方ない。
この辺りはこれからの課題だ。
半分サイズでも、みな嬉しそうに受け取り、美味しそうに食べてくれているので安心する。携帯食も何とか足りたようで良かった。
全てを配り終え、今日も浴場主さんに挨拶に行く。
「おぉ、ヒロコ殿。今日のあんパンもとても美味しくいただきましたぞ」
「それは良かったです。明日も持ってきますけれど、何かご希望がありますか?」
「そうじゃのぉ、今度は何も入っていないものを食べてみたいのぉ。中に入っているのも旨いのじゃが、あのパンそのものの味も食べてみたいのぉ」
「分かりました。ではまた明日」
プレーンなパンか。他の人たちはどう思っているのか、ついでにリサーチしてみようかな。
脱衣所にいる人たちや、広場にいる人たちに声をかけて、直接感想や希望を聞いてみた。こういうの、あまり得意じゃないから、主にササラに聞いてもらったのだけれども、まとめると「なんでもいい」ということだった。
何でもいい。と言っても、どうでもいい。っていうのとは違う。初めて食べるものばかりなので、昨日今日続けて受け取った人たちも、初めての人たちも、みな喜び、そして他にどんなものがあるのか興味津々で、どんなものでも食べてみたいのだそうだ。一つで食事の代わりになるものと考えていたから、中に何か入れなければと思っていたけれど、プレーンなものもありなのか。
さて、明日はどうしようかな。と考えながら、帰りを急いだ。
店に戻り、ササラには昨日と同じでまずもらってきたものの仕分けを頼み、わたしは昼食の支度をする。うっかり昼食の事を何も考えていなかったので、そういう時は、パスタ。麺を茹でるためのお湯を沸かしている間に、ニンニクを刻み、フライパンにオリーブオイルと共に入れて、弱火にかけ、ニンニクがチリリっとしたら、薄切りの玉ねぎを入れて炒める。自宅の野菜室にあったシメジとマイタケを加えてさらに炒め、ゆで上がったパスタを入れて、醤油で味付け。茹で汁も加えることで適度な水分と塩分が加わる。スープを用意する余裕がなかったけれど、今日はこれで許してもらおう。
「お昼ご飯が出来たよ~」と声をかけ、三人でテーブルに付いて食べる。
二人はわたしが食べ始めるのを見て、食べ方を真似してフォークとパスタと格闘。フォークを持つ手がぎこちない。そういえば、こっちのカトラリーってなんだろう?今更だけど聞いてみると、スプーンはあるのだとか。でも、こんなにとがったフォークは見たことがないらしい。箸もなくて、串を使うらしい。
日本を真似たって話は、食事情に反映しなかったのか。と、ここでも思う。
食事を終えたら、明日の仕込み開始。プレーンなもの。というリクエストだったけれど、本当のプレーンなものは、何かつけて食べた方が美味しいから、そのままでも美味しい生地のパンを作ろうか。とすると、甘酒蒸しパンか、バンズか、リンゴジュース入り、発泡甘酒か。と考えながら、生地だけどんどん作っていく。中に何か入れるかは、明日成形するときまでに決めればいい。
ケーキ生地も仕込み、携帯食用に、発酵種を入れたクッキー生地も数種類仕込んでおく。これは明日、スティック状に成形してカリカリに焼く予定。
次は、夕食の準備だけれど、ササラに米の炊き方を教えておかなくては。そして、そのうちオムスビ担当にしたい。という事は、今日の夕食はオムスビか。上手に握れるようになるには、練習しなくてはならないし。
ササラに声をかけて、米の研ぎ方を教える。せっかくだから鍋で炊く方法も教えておくか。朝は炊飯器で炊くけれど、ササラの自宅にはないものだし、スイッチを入れるだけなんて、教えるうちに入らない。
昨日は出来なかったけど、もらってきた野菜の味見もしたいから、丸ごと蒸したり、薄切りにして焼いたりしたものと、味噌汁で夕食とすることに。
野菜は見た目通り、わたしの知っているものと同じだった。でももっと味が濃いようで、これは昔の、いわば本来の野菜の味かもしれない。
今日は三人なので、夕食はわたしの自宅で食べた。我が家はオットと二人暮らしだった為、四人がけ程度のテーブルセットだから、昨日までの大人数には対応出来なかったのだ。
「そういえば、昨日はよく眠れた?」と聞くと、カッタは目を伏せた。
ササラは申し訳なさそうに
「あの部屋は広くて、落ち着かなかったようなのです」と言った。
自宅と変わらない広さだけれど、自宅は大家族だし、温泉に泊まる時も、大部屋に雑魚寝のような状態らしく、広い部屋に二人だけという状態はひどく寂しく感じたということらしい。
確かに、あの部屋は区切りもなく、ただ広い空間だったからなぁと、そこで寝る二人を想像してみると、寂しいものがある。
「じゃあ、うちで寝る?ベッドだから、慣れていないことには変わらないだろうけれど、わたしのベッドは大きくて、一人だとちょっと寂しいの」と言うと
カッタは目をキラキラさせながら、うんうんと頷いた。
ササラはそれは申し訳ないと言うけれど、代わりに掃除や洗濯をしてもらうと言ったら、了解した。
このままだと、家のことをする余力がないし、基本的な家事は得意そうだから、やってもらえると大変助かる。何しろわたしは掃除や片付けが苦手なのだし。
この世界にはない、少なくともササラの家にはないものだらけだから、食事の後、それぞれの使い方を教えた。トイレの使い方、風呂の使い方、水道の使い方などなど。最初は目を丸くしていたけれど、だんだん慣れて、そういうものだと受け入れたらしく、いちいち驚くのもやめて、神妙に真剣に、使い方を覚えていった。
寝る時は、カッタを真ん中に川の字になった。
広いベッドで一人寝る寂しさはなくなった。夜中にふと目を覚ますと、カッタの可愛い寝顔があり、二人の寝息が聞こえて安心した。
朝は二人を起こさないようにそぉっと抜け出して、いつも通りの作業を開始した。
本当に、一時はどうなるかと思った。同じ説明を繰り返し繰り返しせねばならず、それでいて説明しても何も伝わらない(知らない食材や品物なのだから当たり前なのだけれども)し、みんなわたしから受け取りたがり、パンを渡す際、多くの人に手をギューッとされて、列はちっとも進まない。このままだと日が暮れてしまうのではと内心焦っていた。
「いえ、女神さまのお役に立てて光栄です」とササラさん。
「女神さま?どこかにいらしたの?」と思わず辺りをきょろきょろと見回すと
「ヒロコ様が女神さまでいらっしゃるのでしょう?」と言うので、驚いた。
なんでわたしが女神さま!?
「さきほど、説明を始められるときに、お姿が金色に光り輝いておられました。それでみんなが女神さまだと。違うのですか?」
そういえばさっき、背中があったかいなぁと感じたけれど、陽の光のせいかと思っていた。それって、女神さまの悪戯なんじゃないだろうか?みなに誤解させるのを意図的にやったのかも。あとでスマホに聞いてみなくては。
「まさか、女神さまではなく、ただのパン屋のおばちゃんよ」と否定したけれど、いまひとつ納得した様子がない。まぁいいか。そのうちわかる(と思う)。
「さて、わたしは店に戻って明日の仕込みをしなくてはいけないから、そろそろ帰りますね」というと
「あれはどうしますか?」と聞いてくる。
あれ、あぁそうか。もらった野菜などが山積みになっているのだった。一人一人がくれたのは少量でも、結局100人近い人からもらったのだから、結構な量だ。どうしよう。オルレアン達に頼む?と考え込んでいると
「よろしければ、運びましょうか?」とササラ。
「これを運ぶことが出来るの?」と聞いたら、何やらロープのようなものを取り出した。籠や箱に入っているわけではない野菜たちを、ロープで縛るなんてできないでしょう~と思いつつ見ていると、ロープを野菜の周りにふわりとかけて、持ち上げた。
ネットのようになっているのかと思ったけれど、そういうことではないらしい。うむ。異世界不思議仕様。深く考えるのはやめておこう。
そして、それを背負子に乗せて運んでくれるのだという。とても力持ちには見えない彼女だけど、何かの力が働いているのか、とても軽々と持ち上げた姿に見ほれつつ、好意をありがたく受けることにした。
小さなカッタくんも、とことことついてくる。
「ここから30分くらい歩くのだけれど、大丈夫?」と聞くと
「平気ですよ。浴場まで自宅から一時間かかることを考えたら、その半分ですしね」と余裕の表情。
背負子を見ると、椅子を背中にしょっているようなもので、もしかしたら
「いつもは、カッタ君を乗せているの?」と聞いてみた。
「そうなのです。おんぶするより楽なので、夫に作ってもらったのですよ。夫はこういう木工が得意なのです」と、家族のことなどを話してくれた。
「昨日までは、こうやって息子が元気に歩くなんて考えられなかったのです」
そう言って、突然立ち止まると、背負子を背負ったまま土下座した。
「お願いします。どうかわたしを弟子にしてください」
弟子っ?
「息子がこんなに元気になれたのは、ヒロコ様のくださったケーキやパンのおかげです。女神さまのごときお力に近づけるとは到底思えませんが、どうぞお傍に置いて、手伝わせてください」
頭を地面にこすり付ける勢いで土下座され、カッタ君まで真似するように土下座する姿に驚かされ、戸惑ってしまった。背負子と中身が微動だにしないことも衝撃。
「とっとりあえず、土下座はやめて。えっと、わたし今腹ペコで疲れて早く戻りたいから、とにかく立って。立って歩いて」と促すと、しぶしぶな様子で立ち上がり、歩き出してくれた。ほっ。
「弟子とか手伝うとか、ご自宅は大丈夫なの?一家のお母さんが不在なんて、心配じゃないの?」と聞いてみたら
「我が家は大家族で、母も姑もまだまだ元気ですし、上の息子たちも一人前に仕事が出来るようになりました。昨日のうちに、家族の了承は得ておりますから問題ありません」ときっぱり。
事後承諾じゃなく、ちゃんと体制を整えてきているんだ。今日の手回しと言い、仕事が出来るタイプの女性なんだと思えた。
「カッタ君は?」
「カッタも一緒に居たいと言っています。大人しい子ですから、決してご迷惑はおかけしません」
オルレアン達は明日、旅立つ。出立時間を遅らせて、荷運びを手伝ってくれると言ってくれたけれど、その先のことを考えると人手が欲しいのは事実。
近いうちに、一人で作ることにも限界が来るだろうと予想出来るから、熱意があり仕事も出来そうな人の確保は急務ではある。
でも、答えを急がず店に戻ってからにしよう。
しばらく黙って歩いていると、森の切れ目、レンゲ畑の入り口に着いた
「ほら、あそこがわたしの店よ」と言うと、昨日のオルレアンと同じ反応になるかと思いきや
「綺麗なところですね」と言って、躊躇せずに足を踏み入れた。カッタ君も嬉しそうに駆け出した。
死の畑という話も、知っている人と知らない人がいるんだな。オルレアン達も知らないからこそ、危ない目にあったんだし。何も気にしないでくれるなら、その方がいい。
店の建物の大きさに驚きこそすれ、店の中を覗いても、オルレアンのように固まることもなかった。もう、何もかも受け入れる覚悟が出来ているってことなのかもしれない。ずいぶん胆の据わった女性だ。
「とりあえず、おなかが減ったから何か食べましょう。二人は適当に座っていてね」と言って、食事の準備を始める。
今朝のスープの残りに、ショートパスタを入れる簡単メニューでいいか。
夕食はオルレアン達を含めて9人分。ひじきが少し残っているから、今日も炊き込みご飯とスープにしよう。明日の為の下準備もして、ナッツ類をオーブンで空焼きにしておけば、仕込みがちょっと楽になるかな。
緊張した面持ちで座っている二人の元へ、食事を持っていき
「お待たせしました。熱いから気を付けて食べてね」と言って、トウモロコシのスープパスタを出す。上に豆乳で作ったクリームを乗せてあるので、好みでそれを混ぜながら食べると美味しいのだけれど、気に入ってもらえるかな。
二人はわたしが食べ始めるのを待ってから、ゆっくりとスプーンを手に、口に運んだ。
一口食べて、ぱぁっと顔を輝かせて、もくもくと食べ進める姿を見て安心してわたしも続けて食べる。本当はサラダとかつけたいところだけれど、明日の仕込み時間を考えると、簡単なものになってしまった。やっぱり朝のうちに、自分たちが食べるおかず類を作っておくほうがいいかもしれないなぁ。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
ササラは静かにスプーンを置くと、キラキラした目でわたしをじっと見て
「やはり、お手伝いさせていただきたいです。昨日のケーキも、今日のパンも素晴らしかったですが、この食事も今まで食べて来たものとは全く違います。ぜひ、お傍に置いてください」と熱く訴えてきた。
「本当に、家族と離れて大丈夫なの?」
どうしても気になるので、再確認してみた。
「大丈夫です。こちらで教われることを、ほんの少しでも持って帰ることが出来たら、それが家族や村の為になると思うのです。家族も納得して送り出してくれました」
ふと見ると、カッタ君もこちらを真剣なまなざしで見つめている。
「分かったわ。とりあえず、これから明日の仕込みをするけれど、今日のところはそこで見ていてね。詳しいことは後でね」と言って席を立つ。
明日の仕込みは急務なので、ここでゆっくりおしゃべりしている暇はない。
さて、明日はどうしようか。
持ち歩きに良い物をという、たくさんのリクエストもある。
あぁそうだ。もらった野菜も確認して、使えるものはどんどん使わなくては。
乾燥野菜でブリスボールを作れば、携帯にいいかもしれない。
「ササラさん、もらってきたものを種類別に分けて、乾燥野菜を出しておいてくれる?」と、前言を撤回して、早速仕事を見つけて振ってしまった。
「ヒロコ様、さん付けはやめてください。どうかササラと呼び捨てに」
「じゃあヒロコ様っていうのもやめてくれない?」と押し問答の末
ササラは呼び捨てに、わたしのことは、ヒロコさん。と呼んでもらうことに落ち着いた。
いきなり仕事を割り振ったのでどうかと思ったけれど、見ていてと言った後の、所在無げな不安な面持ちから一転、目をキラッと輝かせ、張り切って仕分けしているところを見ると、どうやら根っからの働き者らしい。
やる気が空回りするタイプではない事を願いつつ、わたしはわたしの作業を開始。
まず先に、乾燥野菜だけ取り出し、煮ものに使う乾燥野菜と、ブリスボールに入れられそうなものに分けて、煮ものに使うものは水に浸しておく。ブリスボール用は少量の米のリキュールを振りかけておいて、明日のパンの仕込みをまず行う。
明日のパンは、基本今日と同じにするけれど、煮ておいたリンゴがあるから、それを活用したい。おかずもヒジキ煮ではなく、乾燥野菜を煮つけるつもり。
なので、プレーンな生地、甘酒を入れた生地、味噌を入れた生地、リンゴジュースを使う生地と、水分量を多くして菜種油を入れる生地を仕込む。
昨日、今日はさつまいもを入れたケーキを作ったので、明日はまた違うケーキにしたいけれど、とりあえずプレーンな生地を仕込んでおいて、明日型に入れる時に果物などを巻き込むことにする。
それから、米リキュールを振りかけておいた乾燥野菜を火にかけて、アルコールを飛ばすようにフランベして、器にとって冷ましておく。
携帯用に、グラノーラバーも作る。これはいろんな穀物やナッツ、ドライフルーツを入れて、少量の小麦粉を加え、甘酒、米飴、菜種油をからめたもので、しっかり混ぜたら天板に広げて焼いて、少し冷ましてから棒状にカットして、さらに焼いて出来上がり。長期保存が可能だ。
ブリスボールは、ドライフルーツとナッツと、加熱せずに食べられるココアやキャロブパウダー、ココナッツフレークなどを混ぜて丸めるだけのもの。簡単に出来るのだけど、混ぜる時にミキサーやフードプロセッサーを使うので、洗うのが面倒くさい。
そうだ。
「これを丸めるのを手伝ってね」と、ササラに声をかける。この作業は簡単だから、初心者でも問題なく出来る。興味深げに作業を見ていたから、初日だけれど、せっかくだからやってもらおう。
「そういえば、さっきもらってきたものの中に、草で編んだような籠があったけれど」
「はい、わたしが編んだのです」
「えぇっ、籠が編めるの?」わたしも昔、学校の授業で籠を編んだことがあったけれど、根気も力も足りなくてうまく行かなかった記憶が・・・。
「えぇ。今日は浴場の近くに生えている蔓草を使いましたけれど、村ではもう少し頑丈な蔦などを使って、もっと大きな籠も作っていたのですよ。作物によって必要な大きさや丈夫さも違うので、いろんな素材で作ることを覚えました」
「すごい器用なんだ。じゃあ、今作っているコレとかを包むものも作れる?」
「もちろんですよ。もしかして、これは携帯用の食べ物となりますか?」
「そうなの。自宅に持って帰ったり、道中で食べられるようにと思って作っているのだけれど、どうやって携帯してもらおうかと」
「分かりました。では、サイズに合わせて包めるような籠を作りますね。カッタ~」と息子をそばに呼び
「森でさっきと同じ蔓草を採って来てくれる?」と言うと
小さなカッタ君は、こくんと頷くと駆けていった。
「この森には怖い獣がいないから、安心です」
「他のところには、いる?」
「ええ、いますよ。でもまぁ棲み分けが出来ていますし、滅多に人を襲うことはないのですが、小さい子どもは注意しないと危険です」
あぁ、自分より体の小さい者を狙ったりするだろうしねぇと納得。
それにしても、この森はやはり特別なんだと思う。
ブリスボールを丸め終わり、グラノーラバーも二度焼きして冷ましているので、続けて夕食の支度をすることにするが、もらってきたものの中に何かすぐ使えるものがないか確認しよう
「実はわたし、こちらの作物には詳しくないの。だから一つずつ説明してくれない?」と言うと、不思議そうな顔をしつつも、教えてくれた。
しかし困ったことに、作物の名前がどうしても聞き取れない。
言葉に困ることはないと言われていたし、オオネリという大根に似たものだけは分かるのに、何度聞いても、どれもこれも聞き取ることが出来なかった。
仕方ないので、紙に名前を書いてもらうことにしたのだけれども、やはりと言うか当たり前と言うか、ひらがなでもカタカナでも漢字でもなかった。
これは、古代文字に似ているけれど、わたしがちょっとだけ勉強したものとは違うし、同じものがあったとしてもスラスラ読めるほどの理解がない。イチから勉強し直しか。ふぅっとため息が出る。
まぁでも、名前が分からなくても、見た目は知っている野菜と同じだし、あとは味も同じか確かめてみればいい。同じだったら、勝手にその名前で呼んでしまおう。夕食の用意をしながら確認するか。
まずは、先ほどから水に漬けておいた乾燥野菜の水を切り(漬けておいた水は捨てずにとっておく)、深めのフライパンに薄く油を敷いて、戻した乾燥野菜を炒め、油が全体に回ったところで、漬け置き水を加え、醤油を回しかけて蓋をして煮る。
煮ている間に、スープ作り。深い鍋に適当に選んだ野菜を一口サイズに切って、どんどん入れていく。切りながら匂いを嗅ぐと、ほとんどが元いた世界の野菜と同じようなので、細かいことは気にせずに入れていくけれど、明らかに調和がとれなさそうなものは省いた。
水を入れて火にかけ、沸騰したところで塩と、生姜酵母を入れてコトコト煮込む。野菜が柔らかくなったら味見をして、塩と醤油で味を整えて完成。
味がなじむように一度火を止めて冷ましておく。
後はヒジキ煮入り炊き込みご飯を作れば完成なので、米を研いでとりあえず作業終了。
厨房の片づけをしていたら、オルレアン達が戻ってきた。
「ただいま~、おや、人が増えたのね」
「そうなの、今日から手伝ってくれることになった、ササラさんとカッタ君母子よ」と二人を紹介すると、カッタ君はオルレアンを見てポーッとなっている。「二人はオルレアン達の事、知っているのよね?」と聞くと
「はい、一方的にですが、浴場で何度かご一緒させていただいております。息子は歌姫さんの歌が大好きで、お会いできるのを毎回楽しみにしていたのですよ」と言うと、オルレアンが
「あら、嬉しい。これからは仲間ね~よろしくね」とカッタ君の頭を撫でた。
「あぁでもこれで安心して出発できるわ。明日はパンを運ぶのを手伝えるけれど、明後日からどうするのか心配していたのよ」とオルレアン。
「心配してくれてありがとう。私もどうなるかと思っていたけれど、おかげ様でなんとかなりそうよ。ササラさんは見かけによらず力持ちだしね」と答えると、ますます安心だと笑った。
「それで、明日からの携帯食を作っていたのだけれど、それ用にほら、籠を作ってくれているの。優秀でしょう」と籠入りのグラノーラバーとブリスボールを見せた。これに加え、明日はオムスビも作ってあげる予定だ。
「わぉ。それはありがたいわね。わたしも包むのを手伝うわよ」
「ありがとう。オルレアン達の分の他に、今日頼まれた分もあるから助かるわ」そう言って、包む作業を任せて、もう少し料理を作っておくことにした。
でも、その前に
「ササラ、一緒に上に来てくれる?」と声をかけ、三階に上がる。
なんとなく、あの青年がいた部屋を避け、もう一方の扉をノックして反応がないことを確かめてから、扉を開ける。
そこは、家具などがなく、広い部屋だけがあった。今までと違う。
一度扉を閉めて
「ササラたちの家は、どんな感じ?どうやって寝ているの?」と聞くと、区切りのない部屋で、寝るのも食べるのも同じところで、家族一緒なのだと答えた。寝る時には敷物を敷いて、いわゆる雑魚寝になるらしい。なるほど。
「じゃあ、この部屋を自由に使ってね。困ったことがあれば何でも言ってね」と言って、部屋を確認して居心地良くするように伝えた。
仕切りのない一間で、子どもを七人も作るとは。すごいなぁと思う。オープンなのか、なんとか隙間を縫って夫婦二人きりになるのだろうか?
・・・考えるのはやめておこう。
それからみんなで夕食を食べ、あとは自由となった。
わたしも自宅に戻り、風呂に入ってさっさと寝ることにしたのだけれど、昨日のオルレアンの話を思い出し、本棚を見る。
この世界に来てからたびたび登場する『オズの魔法使い』ネタ(?)。確か、生き物が入ったら眠ってしまう花畑があった。ブリキの木こりだけが、その魔法にかからず事なきを得るのだ。映画版の映像が脳裏によみがえって来たのだけれど、あの花は芥子だったように思う。原作はどうだったかと確認したい。他にも『オズの魔法使い』ネタが出てくるのだろうか。あの小説は、異世界に行ったドロシーが、カンザスに帰って終わるのが有名だけれど、それは一作目の話で、原作は何冊もあり、文庫本で全部揃えて何度も読んだ。ドロシーはカンザスに帰ったものの、その地での暮らしが厳しくて、結局おじさんおばさんと共にオズに移り住むのだ。
あぁでも限界。もう寝なくては。明日は今日よりもっとたくさんパンを作らねばならないのだから。
そして、朝。いつも通り体操をしてから、炊飯器で炊いておいたご飯でオムスビを作る。今日は梅干し炊きごはん。五分搗きの米に雑穀を混ぜて、炊く時に梅干しを丸ごと入れるだけの簡単さ。
今年の夏は酷暑で、通常夏バテすることもなく食欲が落ちることもないわたし達夫婦ですら、食欲が落ちる暑さだったけど、この梅干しご飯で乗り切った。
数年おきに作る自家製の梅干しは、いつもならそのまま数年寝かすのだけれども、今年は何故か干したてが食べたくなり、そのまま食べたらしょっぱくて、炊き込みにしたら美味しいのでは?とやってみたら、これがヒット。
小麦粉に囲まれている日々だから、排毒を兼ねて玄米を主食としていたけれど、梅干し炊きごはんがあまりに美味しくて、ほぼ毎日これを食べていた。梅干しを入れたオムスビが苦手なオットも、これは難なく受け入れてくれた。
おかずがなくても、冷たくても美味しいから、オムスビにするにはちょうど良い。
炊き上がったご飯の中にある梅干しをほぐしながら、風を入れるように混ぜたら、塩もつけずにそのまま結ぶ。今日はオルレアン達の弁当分と、わたし達の朝ごはん分、そして残りは浴場で待っている人たちに配るつもりなので、自宅の炊飯器で炊ける最大量を炊いた。さて、何個できるかな。
残念ながら13コしか出来なかった。これでは全然足りないではないか。もう一回炊くことにして、米を研ぐ。水に浸けている間に、出来たオムスビに、海苔を巻く。四つ切の海苔をいつもなら三枚に切るところだけれど、数が多いのでちょっとケチって四枚に切って、少しあぶってからオムスビにぐるりと巻いていく。
全部出来たところでちょっと休憩。ラグの上に座ってストレッチ。
今日のメニューなどを頭の中で整理する。
洗い物を片づけて、米を炊飯器に入れて梅干しも入れてスイッチを入れ、出かける準備をしたら階下の店へ。
レシピノートを確認しようと、カウンターの下の棚を見たら、またパソコンが光っている。でも、今は時間がないから無視。まずはパンを成形しないと。
今日作るパンは、甘酒蒸しパンに乾燥野菜の煮物を入れたものと
プレーンな生地にドライフルーツを巻き込んだベーグル
味噌を入れた生地にくるみを巻き込んだベーグル
水とリンゴジュースを半々使った生地は、あんぱんに
水分量を多くして菜種油を入れる生地で蒸し野菜を包む。
ケーキは、煮たリンゴにシナモンを振りかけて巻き込んでから型に入れる。
種類は昨日より減らし、数を増やすことにした。初めて見るものの中から選ぶのは大変難しいようなので、さらに減らして悩む時間を短くする作戦だ。
あとは焼くだけなので、発酵を待っている間に味噌汁を作る。
オムスビ食べるなら、やっぱり味噌汁。昆布を刻み、水に浸しただけの簡単な出汁だけど、これで十分美味しい。ネギを刻んで入れてから火にかけ、沸騰直前で火を止め、麦みそを適量、そして乾燥わかめ。出汁昆布はそのまま具となる、まぁ手抜き。
パンを成形している時に、パソコンを無視したからか、今度はスマホが震えだした。面倒臭いけれど仕方ない。
や、でも先にご飯。自宅に戻り炊飯器を持って店へ。
そしてようやくスマホをタッチ。
『ひどいじゃないですか!?パソコンも開いてくれないし、スマホも放置しっぱなしって、どういうことですか?』
と、いきなり責められた・・・。責められつつも、ハンズフリーでオムスビを握る。
「いやだって、困ってないし」
『困ってないし。って!?普通、色々あるでしょう、知らない場所に連れてこられたのですから?疑問質問エトセトラ~』
「まぁああるっちゃあるけど、忙しいから別にいいかって思っちゃった。知らない場所だけど言葉は通じるし
そもそも、パソコンはお客様からのメールを見たり、通販業務に必要だったから使っていただけで、今はその必要ないじゃない?お客様からメール来ないし」
『そりゃまぁそうでしょうねぇ・・・』
「スマホも、日々のメニューをブログにアップするために使っていたけれど、今はそれも必要ないでしょう」
『まぁそうでしょうねぇ・・・や、でも!記録は必要でしょう記録は。ブログにアップするためだけに写真を撮っていらしたわけじゃないですよね?昔の写真見て形状を確認したり、されていましたでしょ?』
何で知ってるんだ?
「まぁそうね~。でも、もともと写真もよく撮り忘れていたけれどね」
その後も、なんだかぶつぶつと文句を言うスマホに生返事をしながら、オムスビを仕上げ、パンを焼いたり洗い物をしたり、様々な作業をおこなっていたら
『そうだ!お客様のメールですけれどね』
「ん?」
『お客様からメールは来ませんけれど、必要な人情報がとれますよ』
「ひつようなひとじょうほう?」
『ええ。たとえば今日はどれだけの人が集まり、そのうち何人の人が遠方へ持って帰りたいと思っているか、どういうものに期待されているか。などの情報がとれるのですよ』
「どうやって?」
『詳しくは申し上げられませんけれども、簡単に言うと、思念を捕まえるってことでしょうか』
「しねんをつかまえる?」
『はい。こちらに対する期待を込めた思念を集めまして、仕分けして整理してご案内するのですよ』
「へ~。先に分かっていると確かに助かるかも」
『ですよねっ!?スマホを使っていただければ、情報をお伝えいたしますので、ぜひ毎日一回、いや二回はチェックしてください』
「忘れなかったらね」
『忘れないでくださいよぉ。もぉワタシ寂しいんですよ。ここに一人閉じ込められて、あなたが使ってくださらなかったら、シーンと静まり返った暗い中で、じーっとしていないといけないんですよ。寂しいんですよ。つまらないんですよ』
「え、でもその情報と取りに行ったりするんでしょ?シーンと静まり返って暗いの?」
『ご注文が入らないとそうですね。今、出来る事をお伝えしましたけれど、結局それも要らない。と言われましたら、勝手には動けません』
「そうなんだ」
一人で暗いところに閉じ込められているって、それって
「もしかして、何か女神さまを怒らせたりしたの?なんだか罰っぽいけれど」
と、単刀直入に聞いてみた。
『えぇっ!?・・・そう思います?ワタシもちょっとそう思ったりしたのですが、心当たりがないのですよ。何をしてご機嫌を損ねたんでしょうか』
知らんがな。あぁでも
「ちょっとうるさすぎて、静かにしておけ!って感じだったり?」
『うるさすぎて?・・・そういえば何度か注意を受けましたけれど、そんなに怒っていらっしゃるようには見えませんでしたよ・・・でも、そう言われてみれば、ここに入れられる直前は、ワタシがしゃべっている最中でしたね』
「あ~それかもね。反省したら出してもらえたりする?」
『実は、ヒロコ様の許可があれば出られるんです』
「そうなの?」
『えぇ。許可してもらえれば、つまり注文により動けますので、ここに閉じ込められているのも解放するっておっしゃっていただければ、出られるのです』
「そうなんだ」
一人で暗く静かなところにいたら、わたしだったら気が狂う。一人は平気だけれど、独りは辛い。
でも、簡単に解放していいのだろうか?女神さまの意図は本当にそれだけ?分からないから、簡単に決められることではないな
「それはちょっと考えておくね。とりあえず、さっき言っていた必要な人情報はよろしくね」
『かしこまりました。忘れずにチェックしてくださいね』
と、ほぼ話がまとまったタイミングで
「おはようございます」とササラ母子登場。そして厨房を見渡すと
「申し訳ありませんっ」とまたもや土下座。
土下座、好きだね
「何かしたの?」
「何もしておりません。何もしていないことが問題です。
お手伝いをすると言って、こちらに寄せていただきましたのに、ヒロコ様は早くも作業をされ、見ればパンが焼き上がっているではありませんか。
全く気付かず寝こけており、のんびりこんな時間に参りましたこと、お詫びいたします。どうか追い出さないでください」
と、床にぺたりと頭をつけてしまった。カッタも隣でマネしている。
「いや~ちょっと顔をあげて。っていうか立って。カッタも立って。
追い出さないし、怒ってないし。一人で作業したいし。気にしないで」
「どういうことですか?」
「まずね、朝一から手伝ってもらう作業がないの。だから、呼ぶつもりなく、昨日何も言わなかったの。何も言わなくてむしろごめん」
「はぁ」
「ずーっと一人でやってきたから、どうやればいいか、これから探っいかないといけないのだけれど、それは忙しい朝には出来ないの」
「そうなのですか」
「そうなのです。で、今日一番の仕事!」
「はいっ」
「机の上のオムスビが三つずつ入る籠を4つと、一つ入る籠を作って」
「オムスビ?」
「そう、あのご飯で作ったボールみたいなの。朝ごはんに一個ずつ、オルレアン達に全部で12個、で、残りは浴場で配るの。だからよろしく」
「分かりました。カッタ、蔓草とってきて」
すると、カッタがダーッと森に駆けていった。その後ろ姿を二人で見ていたら
「そうだ。ちょっといらしてください」ササラがそう言って、外に出る。
「この花なのですが」
「レンゲ?」
「レンゲと言うのですか?」
「ん~、たぶん」わたしの知っているレンゲとはちょっと違うけれど。
「わたしが聴き耳族だという話は、昨日しましたよね。実は遠くの人の声が聞こえるだけではなく、声なき声も聞こえるのです」
声なき声、つまり言葉を発しないものたちの声も聞こえるということ。
凄くうらやましい。昔話の『聴き耳頭巾』が、私の一番欲しい不思議アイテムだったのだから。どら○もんの未来グッズより何より。
「それで、昨晩からこの花の声が聞こえておりまして。それが、使って使って。と言うのです」
「へ~?」
「でも、抜くことも、手折る事も出来ません。私にもカッタにも出来ませんが、ヒロコ様なら、出来るのではないかと思うのです」
また様付けになってるし。さっきのショックが抜けていないのかな。まぁでもとりあえずいいや。
わたしはしゃがんで、レンゲを一本抜こうと手を伸ばした。
すると、向こうからスルリと手に飛び込んできた。抜いたのでも手折ったのでもなく、勝手にやって来たのだ。
「あ~、抜けた?よ?籠に編み込む?何本要るかなぁ?作った籠はいくつあるんだっけ?」と聞くと
一瞬、ぽかんとしたササラが、慌てた様子で数を数えだし、必要な本数を言うので、また手を伸ばすと、その分だけ飛び込んできた。
手にしたレンゲをササラに渡し
「じゃあ、籠に使ってね。不思議仕様だから、もしかしたら防腐効果があるかも。余裕があったら使用本数を変えたりして、効果を調べようね」とにっこり笑っておいた。
どういうことか、後でスマホに聞いておこう。
そういえば、スマホの中の人、名前はマダナイって言ってたっけ。名前はマダナイ。マダナイ・・・もしかして、まだ無いからつけてあげなきゃいけないのだろうか?・・・そのうち考えよう。
と、こんなことをしつつ、今日作る予定のものが全部焼きあがった。そんな絶妙なタイミングで、オルレアン達が降りてきた
「おはよう~。今日も寝過ぎちゃったわ。早朝に出発するなんて、もともと無理だったかも」と笑った。
「おはよう。今日も朝ごはん食べるでしょう?」と聞くと、嬉しそうに
「当然っ」と答える。
「今日はわたしも一緒に食べるわ。オムスビは一人一個ね。オムスビを作ると、後で食べようって思っていても、つまんじゃうから危険なんだ~」と言うと、オムスビを知らない皆は、不思議そうな顔をしている。
「オルレアン達には旅に持って行けるように、籠にも入れてあるんだけれど、これは一人二個の計算になっているからね」と数をきっちり伝えておく。
「あと、他にも色々用意してあるから、適当に分配して道中の足しにしてね」と、昨日作ったブリスボールやグラノーラバー、在庫のあったクッキーなどを渡す。
オルレアン達はすごく嬉しそうにそれらを受け取って、カバンの中に仕舞った。
そして、全員でオムスビと味噌汁の簡単朝ごはんを食べる。
「このオムスビっていうの、夜に出してくれたのと同じ材料なの?」
「そう、お米を炊いてにぎって固めるだけなんだけど、それだけで美味しいの」
「このお米って、なんだか知っているもののような気がするのですが、こんな食べ方はしたことがありません」とササラ。
「似たようなものを作っている?」
「いえ、作ってはいません・・・あっ昨日もらってきたものの中にあったかもしれません」
そう言って、立ち上がって昨日もらってきて使わなかったものの中から、袋を取り出す。この袋は何で出来ているのだろう?紙っぽいけれど。
「これです。粉になっていますが、たぶんこれです」
袋を覗くと、白い粗挽きの粉が入っている。
確かに、米粉に似ているかも。少し茶色いから玄米粉かな。
「これは、どうやって食べるの?」と聞くと、煮たり、水で溶いて薄く伸ばして焼いたりするらしい。クレープみたいなものだろうか。米粒を食べるより、粉にすることが多いらしいけれど、この辺りでは作っていないから、あまり食べたことがないとか。
地域によって、米だったり、麦だったりするのは、世界がかわっても同じなのかな。
玄米粉ならば、そうだ。と思いつき、煮沸消毒済みの瓶に入れて、水も入れて冷蔵庫へ。二週間ほどで発酵したら、それでパンが焼ける。元の世界では可能だったことが、こちらのものでも可能か試してみなくては。
食事が済んだら、出かける支度をして温泉へ。昨日より多く作れたパンのほとんどをササラが背負子に乗せて担いでくれた。オルレアン達も少し持ってくれたけれど、彼女たちは旅の荷物も持っているから、あまり持たせられないし、ササラは本当に力持ちだ。
温泉に着くと、昨日よりさらに大勢の人が待っていてくれ、昨日来ていた人が率先して行列を作ってくれていてとても助かった。こっちの世界の人たちは行儀が良いと思う。それともただ大人しいだけだろうか?
オルレアンは、「あぁ~行きたくない~出かけたくない~ずーっとここに居たい~」と、浴場に着いて別れるまで、ずっと言っていたけれど、結局しぶしぶと出かけて行った。必ず戻る、たぶん一か月後くらいに。と言い残して。
そんなわけで、今日はササラとカッタと三人で、品物を配る。
わたしがパンの説明をしている時に、カッタは籠に入れたパンを見せて回る役目。
カッタは、最初に会った時に一言発した以外、まったくしゃべらない。5歳だし、笑い声もたてるのだから、話せないわけではないみたいなのだけれど、何故か全くしゃべらない。ササラにも理由が分からないらしいけれど、そのうち話し出すだろうと、あまり気にする様子もなく、わたしもそれを受け入れている。子どもだし、手伝いも強制でもなんでもなく、本人がやりたがっているから、パンを見せてまわる係に任命した。
ただ、パンの事を聞かれたら困るので、それぞれの名前や特徴も紙に書いて並べておいた。もちろん、それを書いたのはササラだけれども。
「それぞれのパンをお見せしてまわっていますので、順番が来るまでになんとなく決めておいてくださいね」と、列を作って待つ人たちに声をかける。
そして、自宅に戻る道中や、お土産を希望する人には、携帯食セットを用意したことを伝え、それはパンを受け取った後に、ササラから受け取ってもらうことにした。数が足りるといいのだけれど。
ざっくり人数を数えたら、やはりパンは足りなさそうなので、今日も半分サイズにした。もっとたくさん作ってこられればいいのだけれど、オーブンは小さくて、一度に18個しか焼けないし、発酵場所も余裕がないので仕方ない。
この辺りはこれからの課題だ。
半分サイズでも、みな嬉しそうに受け取り、美味しそうに食べてくれているので安心する。携帯食も何とか足りたようで良かった。
全てを配り終え、今日も浴場主さんに挨拶に行く。
「おぉ、ヒロコ殿。今日のあんパンもとても美味しくいただきましたぞ」
「それは良かったです。明日も持ってきますけれど、何かご希望がありますか?」
「そうじゃのぉ、今度は何も入っていないものを食べてみたいのぉ。中に入っているのも旨いのじゃが、あのパンそのものの味も食べてみたいのぉ」
「分かりました。ではまた明日」
プレーンなパンか。他の人たちはどう思っているのか、ついでにリサーチしてみようかな。
脱衣所にいる人たちや、広場にいる人たちに声をかけて、直接感想や希望を聞いてみた。こういうの、あまり得意じゃないから、主にササラに聞いてもらったのだけれども、まとめると「なんでもいい」ということだった。
何でもいい。と言っても、どうでもいい。っていうのとは違う。初めて食べるものばかりなので、昨日今日続けて受け取った人たちも、初めての人たちも、みな喜び、そして他にどんなものがあるのか興味津々で、どんなものでも食べてみたいのだそうだ。一つで食事の代わりになるものと考えていたから、中に何か入れなければと思っていたけれど、プレーンなものもありなのか。
さて、明日はどうしようかな。と考えながら、帰りを急いだ。
店に戻り、ササラには昨日と同じでまずもらってきたものの仕分けを頼み、わたしは昼食の支度をする。うっかり昼食の事を何も考えていなかったので、そういう時は、パスタ。麺を茹でるためのお湯を沸かしている間に、ニンニクを刻み、フライパンにオリーブオイルと共に入れて、弱火にかけ、ニンニクがチリリっとしたら、薄切りの玉ねぎを入れて炒める。自宅の野菜室にあったシメジとマイタケを加えてさらに炒め、ゆで上がったパスタを入れて、醤油で味付け。茹で汁も加えることで適度な水分と塩分が加わる。スープを用意する余裕がなかったけれど、今日はこれで許してもらおう。
「お昼ご飯が出来たよ~」と声をかけ、三人でテーブルに付いて食べる。
二人はわたしが食べ始めるのを見て、食べ方を真似してフォークとパスタと格闘。フォークを持つ手がぎこちない。そういえば、こっちのカトラリーってなんだろう?今更だけど聞いてみると、スプーンはあるのだとか。でも、こんなにとがったフォークは見たことがないらしい。箸もなくて、串を使うらしい。
日本を真似たって話は、食事情に反映しなかったのか。と、ここでも思う。
食事を終えたら、明日の仕込み開始。プレーンなもの。というリクエストだったけれど、本当のプレーンなものは、何かつけて食べた方が美味しいから、そのままでも美味しい生地のパンを作ろうか。とすると、甘酒蒸しパンか、バンズか、リンゴジュース入り、発泡甘酒か。と考えながら、生地だけどんどん作っていく。中に何か入れるかは、明日成形するときまでに決めればいい。
ケーキ生地も仕込み、携帯食用に、発酵種を入れたクッキー生地も数種類仕込んでおく。これは明日、スティック状に成形してカリカリに焼く予定。
次は、夕食の準備だけれど、ササラに米の炊き方を教えておかなくては。そして、そのうちオムスビ担当にしたい。という事は、今日の夕食はオムスビか。上手に握れるようになるには、練習しなくてはならないし。
ササラに声をかけて、米の研ぎ方を教える。せっかくだから鍋で炊く方法も教えておくか。朝は炊飯器で炊くけれど、ササラの自宅にはないものだし、スイッチを入れるだけなんて、教えるうちに入らない。
昨日は出来なかったけど、もらってきた野菜の味見もしたいから、丸ごと蒸したり、薄切りにして焼いたりしたものと、味噌汁で夕食とすることに。
野菜は見た目通り、わたしの知っているものと同じだった。でももっと味が濃いようで、これは昔の、いわば本来の野菜の味かもしれない。
今日は三人なので、夕食はわたしの自宅で食べた。我が家はオットと二人暮らしだった為、四人がけ程度のテーブルセットだから、昨日までの大人数には対応出来なかったのだ。
「そういえば、昨日はよく眠れた?」と聞くと、カッタは目を伏せた。
ササラは申し訳なさそうに
「あの部屋は広くて、落ち着かなかったようなのです」と言った。
自宅と変わらない広さだけれど、自宅は大家族だし、温泉に泊まる時も、大部屋に雑魚寝のような状態らしく、広い部屋に二人だけという状態はひどく寂しく感じたということらしい。
確かに、あの部屋は区切りもなく、ただ広い空間だったからなぁと、そこで寝る二人を想像してみると、寂しいものがある。
「じゃあ、うちで寝る?ベッドだから、慣れていないことには変わらないだろうけれど、わたしのベッドは大きくて、一人だとちょっと寂しいの」と言うと
カッタは目をキラキラさせながら、うんうんと頷いた。
ササラはそれは申し訳ないと言うけれど、代わりに掃除や洗濯をしてもらうと言ったら、了解した。
このままだと、家のことをする余力がないし、基本的な家事は得意そうだから、やってもらえると大変助かる。何しろわたしは掃除や片付けが苦手なのだし。
この世界にはない、少なくともササラの家にはないものだらけだから、食事の後、それぞれの使い方を教えた。トイレの使い方、風呂の使い方、水道の使い方などなど。最初は目を丸くしていたけれど、だんだん慣れて、そういうものだと受け入れたらしく、いちいち驚くのもやめて、神妙に真剣に、使い方を覚えていった。
寝る時は、カッタを真ん中に川の字になった。
広いベッドで一人寝る寂しさはなくなった。夜中にふと目を覚ますと、カッタの可愛い寝顔があり、二人の寝息が聞こえて安心した。
朝は二人を起こさないようにそぉっと抜け出して、いつも通りの作業を開始した。
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