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「手繋ぎかぁ……」

 ハウは浴槽の縁に肘を立てると目を瞑って考え込む。イルカ達に相談した結果、新井を自分に惚れさせるための行動として、新井の好きそうな場所に行ってデートをして手を繋ぐという結論が出たが、そもそも自分が外に出るときは新井に車椅子を押して貰うしかない。そうなると必然的に両手は塞がってしまう。ということは、立ち止まる必要があるわけだが、ハウの人間社会の知識は色々な人間から聞いたり盗み見たり、テレビや本で得た継ぎ接ぎの知識で、これといった所は思いつかない。それに好きな場所と言っても本人もこれといった趣味は無いと言っていた。

「昔はよく海には行ってたらしいけど……」

 そう呟いてからハウはハッとして叫んだ。

「海!!」

 どうして気づかなかったのだろうか。海なら自由に泳ぐことが出来るし、手を繋いで泳ぐことも簡単だ。今はまだ遠出をするための休みをとったと言っていたし、少し海が恋しくなったとでも言えばあのお人好しは何も疑わずに海に連れて行ってくれるだろう。陸が楽しくて、色々見に行きたいという気持ちもあり、別の場所にしようかと少しだけ悩んだが足が手に入ればその後はひとりでゆっくりと各地を巡ることも出来るはずだ。今はとにかく新井を自分に惚れさせることに集中するべきだと結論付けた。



 車椅子では砂浜の上を上手く走れないだろうと新井に抱えられてハウは海岸へと降りてきていた。人魚の姿をみられては大変だから夜にしたほうがいいと言う新井に、ハウはどうしても昼に行きたい、明るい方が良いとごねまくり、人がいなかった時だけ泳いでも良いという条件で連れてきて貰ったのだが、11月目前のしかも平日の海岸には人影が少しも見当たらず、夏には賑わっているらしい駐車場にも泊まっているのは新井の車だけだ。

「あは、誰もいないね。良かった」
「良かったけどホントに泳ぐのか? 冷たい海ダメなんじゃ?」
「これくらいなら平気だよ。それにちょっとの時間だからね」

 新井が海のそばにしゃがみ込むと、ハウはブランケットからぬるりと飛び出て水の中へ飛び込んだ。

「あっ、こらシャツ脱いでないのに!」
「やっぱり海は気持ちいいや」
 (こういうの見るとやっぱ人間とは違うって感じするなぁ……)

 しばらく目的を忘れて泳いでいたハウは、波打ち際にいたはずの新井がいないことに気がついてキョロキョロと視線を彷徨わせると、砂浜でレジャーシートの上に荷物を置いて座っている新井を発見して手招きをする。するとこちらに気づいたらしく、近くへ来てハウの前へとしゃがみ込んだ。

「シイカー!」
「どうした?」
「シイカも入ろうよ」

 笑顔で誘ってみるが、新井は苦笑いをして優しい声色で断りを入れてくる。

「俺はいいよ。帰りたくなったらまた呼んでくれ」
「えー。じゃあさ、せめて手だしてよ。良いものあげる」
「良いもの?」

 良いことを思いついたとでもいうようにハウが楽しそうに言い、素直に右手を差し出した新井のその腕を掴むと冷たい海へと引きずり込んだ。

「うわっ!?」

 ドボンっと大きな音と波をたてて、新井は海へ転ぶように落ち、ハウは右手を引いたまま沖へと泳いでいく。

「どう? ドキドキする?……シイカ?」

 自分の左手側へとそう問いかけるハウだったが、新井からの返事はない。というか、頭が上がってこない。左手にぐんっと体重がかけられたと思うとやっと新井の顔が水面へと浮かんできた。

「お、おおお、溺れ、溺れるっ!!」

 焦りながら、浮かんできた新井はハウに普段からは想像もつかないような力で登るように抱きついて、歯をカチカチと鳴らしている。

「あれ、もしかしてシイカ泳げないの?」
「そうだよ! 死ぬかと思っただろ!?」
「でも会った時も海に入ってたよね。確かにあの時も溺れてたけど……」

 そう言って、初めて会った日を思い返す。あの日は食べられる物も捕れずに途方に暮れていると遠くから猫の鳴き声が聞こえてきた。食べたことは無いが、きっと皮を剥げばアレも食べられるだろうと向かった先で何の躊躇いもなく猫を助ける為に飛び込んだ人間を見て、きっと普段は泳げる人間なのだろう、何なら泳ぎが得意なのだろうとすら思っていたのだが。

「夜だから見えなくて溺れちゃったわけじゃなかったんだね」
「何納得してんだよ。つーかつめてぇ! 寒くて死……へくしゅっ!!」
「寒いの? 会った時も海に入ってたし、これくらいなら人間もまだ大丈夫なのかと思ってたよ」
「大丈夫じゃない。死ぬ……うわ、一瞬で海岸離れすぎだろ!?」

 ハウからすれば普通に泳いでいただけなのだが、新井の反応からすると人間と比べてだいぶ速い速度で引っ張ってきたようだ。

「どんだけ深いんだここ。全然足つかないぞ……」

 ハウはいつも新井が自分を陸で移動させるときを真似て、膝の下と背中に手を回して浅瀬へ向かって泳いでいく。手がハウの首元に回されて、ギュッと力を入れられると身体が密着し「怖ぇ……」と小さな呟きが聞こえた。

 (なんか今のシイカ見てると変な感じ。このまま陸に連れて行って安心させたいのと、もういっかい戻って泳いで怖がらせたい気持ちが同時にあるっていうか……あれ?もしかして今ならキスして貰えるんじゃ)

 この弱りようなら、口付けしてくれないと陸まで
 送らないとでも言えばすぐにでもキスしてくれそうだ。自分に惚れているのかは解らないが、新井が好みそうな純真で庇護欲をそそるような振る舞いを心がけてきたつもりだし、嫌われてはいないだろつ。仮に自分に惚れていなかったとしても、一回して貰えれば、きっと次に口付けをして貰うハードルは下がるはずだ。

「ねえシイカ」
「……なんだよ」
「……鼻水出てるね」
「寒いんだよ!」

 キスしてくれたら陸に戻す。と言おうとして口を開いたが、寒いのか半ベソをかいていたのか鼻から垂れてる粘液を見て、ついそっちに言及してしまう。

 (うーん、よく考えたらこんな交換条件持ちかけたら嫌われるかもしれないし、そうなったら今までの時間が勿体ないかな)

「さみぃ……」

 新井がハウに抱きつき直して暖を取ろうと無意識にすり寄ると、ハウの喉からキュルルルルと音がした。

「何で今鳴るんだよ。流石に怒るぞ」
「なんか最近勝手に出ちゃうんだよね。陸に長くいたから調子が変になっちゃったのかも」
「え……大丈夫か?」

 先ほどまで寒い、怖い、を連発していた新井はハウの言葉を聞いて心配そうに眉を寄せた。何故かその顔を見たハウは心臓が握られたような息苦しさを感じ出す。

「……あんまり大丈夫じゃないかも」
「とりあえず今日はもう帰って休もうな。あ、それともお前は海にいた方がいいのか?」
「ううん。シイカの家に行きたいかな」

 心配される声がかけられるたびに何故かどんどん息苦しくなって何故こんなにも調子が悪くなっているのだろうかとハウは首を傾げた。

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