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2択

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それは突然のことだった。
荒垣は自宅のベッドで寝そべり、スマホをいじりながら眠気が来るのを待っていた。
すると、夜も更けたこんな時間にノックの音が3回鳴り、間を置かず自室の扉が開いた。
「祐介、リビングへ来なさい」
近頃は髪を染めようが誰かと喧嘩しようが何も口を出さなかった荒垣の母が、突然部屋に入ってきて一言だけ告げる。
母は息子の返事を待たずに扉を閉めた。静まり返った部屋の中、ベッドの上で呆然とする荒垣だけが残される。
いつもなら無視をしてそのまま眠りにつくところだったが、母の顔がいつもの真顔ではなく、少し口元が下へ曲がっていた。あの顔をしている時は昔から大抵良くないことが起こる。嫌な予感だと、直感が告げた。
少し迷った末に、荒垣は大人しくリビングのある一階に降りる。
リビングに続く扉を開くと、そこには意外にも父の姿まであった。普段、家庭内の揉め事には無関心の父が夜の冷え切ったリビングにいるのは違和感を覚えた。先程芽生えた嫌な予感が、むくむくと膨らんでゆく。
「なんで親父が?」
「祐介、そこに座りなさい」
荒垣の疑問の言葉を無視してそこ、と母が指したのは両親が座っている方とは反対側のテーブルである。
ここはダイニングではない。両親が座る側にはソファーがあるが、荒垣が指定された側には冷えたフローリングしかない。
別に自分の疑問に答えてもらえないのも、座らされるのが冷たい床なのも、いつものことだ。今更そんなことにいちいち噛みついても何も変わらないことを荒垣は知っている。
それでもささやかな反抗として舌打ちをして指された場所に胡座をかいて座った。
「で?なんだよ」
「……父さんな、転勤することになった」
「は?」
父から告げられたまさかの言葉に、荒垣はポカンと口を開くしかなかった。
「医局の指示で遠くの病院に所属することになってな……」
「まあ、あなたに詳しく説明しても理解できないでしょうけど。とにかく、私たちは引越す事になったのよ」
突然の事に理解が追いつかない。
いや、両親は荒垣の理解など求めていない。彼女らに必要なのは、荒垣に転勤するので引越しをすることを伝えたと言う事実だけ。しかし、それにしたって急である。
呆然とする荒垣に更に母が爆弾発言を落とした。
「それでね、祐介ももうただの子供じゃないし、祐介だけまだこの街に置いて行ってもいいんじゃないかって」
…………?
母が、よく分からないことを口にした。
「置い、てく、って……」
「おい、母さん。あくまでも私達についていくか選ばせるって話だろう。まるでこの街に残す事を前提のように話すんじゃない」
「別に前提でなんて話してないわよ。ただその方が祐介も自由に過ごせるんじゃないかって話を私はしてるの」
「だから、それを決めるのは祐介だって言っているだろう」
話の中心人物である筈の荒垣のことをそっちのけで話し出す両親を眺めながら、荒垣の思考は明後日の方向に飛んでいた。
普段はバカだなんだと周囲に揶揄され、自負もしている荒垣だったが、この時だけは急激にIQが上がり、気がついてしまった。

あ、これ、引越しか勘当の2択を迫られてる。

未成年だとか、責任だとかそういうのは置いておいて、事実的にやんわりと親子の縁を切るか切らないかの選択を押し付けられている。
途端に口の中が酸っぱくなった気がして、固唾を飲み込んだ。その音が思ったよりも大きくて、あからさまに緊張している自分を笑うこともできなかった。
俯く荒垣に、やっと本人が置き去りになり過ぎている事に気がついた父が、咳払いをして話を戻した。
「……もしこの街に残るのなら、住む場所は学校に近い狭めのアパートになる。来年分までの生活費と学費はこちらから支払おう」
「遊ぶお金とかはアルバイトでもしてどうにかしなさい。で、どうするの?」
「…………それっていつまでに決めればいい?今すぐ?」
絞り出した声は思っていたよりも固くなった。両親は荒垣がこの街に残る事に即決すると思っていたのだろう。
珍しく驚いた顔を見合わせた。
「……3日以内に決めてちょうだい」
先に口を開いたのは母だった。それも随分猶予が短い。
なんだよクソが。もっと相談する時間あったんじゃねぇの。相談する価値すらねェってか。
そうだった。ここは、この家はそういう場所だった。
荒垣は立ち上がり、リビングから出ていく。背後から呼び止める母の声が聞こえたが、無視をして自室に戻り、内の苛立ちをぶつけるように荒々しく扉を閉めた。
「…………ハァーッ……!……ハーッ……!」
胸元からぐわっと上がってくる激情のせいで喉が痛い。荒垣は何もかも投げ出すかのようにベッドに身を投げ出し、枕に顔を埋めた。
最近はマトモに会話が通じる奴としか話していなかったから、自分が本来どんな人間なのか忘れていた。
本来の荒垣はバカで、愚かで、何をやっても上手くできない出来損ないだ。
昔から、周りと比べて何もかもが上手くできない馬鹿野郎だった。
優秀な兄や姉と比べてどうしようもない奴だから、家庭内ではまともな会話すら許されない。頭の良くない人間に価値はないから。
だけど最近は、そんな現実も忘れるほど毎日が気楽だった。同じヤンキー達や寺崎は、荒垣がバカだろうとなんだろうと周囲と同じように受け答えをしてくれる。
「……てらさき」
枕に顔を埋めたまま、くぐもった声で寺崎を呼んだ。勿論返事はない。
こんな時、寺崎はどうするんだろう。頭の良いアイツなら、ちゃんとした答えが出せるのかもしれない。しかし、選択肢を迫られているのは寺崎ではなく荒垣だ。
それとも、荒垣に話したら、どうすべきか一緒に考えてくれるだろうか?「知るか」の一言で終わらされそうな気もする。そっちの方が寺崎らしい。
でも、真面目に相談すればちゃんと聞いてくれるかな。寺崎は暴力が絡まないことで荒垣が真剣に話せば、ちゃんと返事をしてくれる。
出会った時からそういう奴だった。
……考えなければいけないのは残り3日で身の振り方をどうするか決めることなのに、荒垣の頭には寺崎のことしか浮かばない。まるで恋でもしているかのように。
「………………いやいや」
ガバリと起き上がって枕を抱き寄せる。
こんな時に何を考えているのだろう。荒垣が寺崎に恋なんて、するはずがない。
……そう考えているのに、浮かんでくるのは不思議そうに見下してきたり、寝起きで少しふにゃふにゃした柔らかっかたりする寺崎ばかり。
寺崎の顔ばかり浮かんでろくに本題をどうすべきか集中できない。
「………………いやいやいや」
仮に、仮にもし本当に恋をしていたとして、好きになる要素なんてあったか?
……それなりにあったかもしれない。
頭が良くて、喧嘩が強くて、ついでにイケメン。女子高生なら放っておけないモテモテ野郎だろう。
それなら確かに、荒垣の1人や2人くらい恋に落ちても仕方ないかもしれない。荒垣祐介は1人しかいないが。
「………………いやいや」
今はどうでもいい心の整理だけやけにストンと整ってしまった。
何が恋に落ちても仕方ないだ。でもバカだから認めるしかない。

荒垣は寺崎が好きかもしれない。

いや、どう考えても好きだ。
いつからなんて分からない。だって気がついたのは今この瞬間だから。
寺崎と準備室で雑談するのが好きだ。真剣に掃除する寺崎の横顔が好きだ。寝起きにたまに柔らかく微笑んでくれる寺崎が好きだ。
こんなに好きがどんどん積もっていくのに、あの一言が荒垣をどん底に突き落とす。
『俺は男は無理』
無理。寺崎は男は無理と言った。
荒垣は男だ。つまり、荒垣は無理。
荒垣が恋愛対象として見られることは、ない。
心の中で自分の中の好きと寺崎が告げた無理が折り重なって、ぐちゃぐちゃのミルフィーユになる。ミルフィーユはドロドロに混ざり合ったまま内側から迫り上がって、荒垣の両目に溜まりだした。
恋が甘酸っぱいなんて例えた奴はどこのどいつだろう。今すぐ一列に並べて、1人残らず殴り倒してやりたい。
荒垣の心の内は、ストレスとショックで苦くて酸っぱい最悪の味で満たされている。
「っ……ぅ……」
『LGBTの多様性とか言われてるけど俺は無理』
抱きしめた枕にポタポタと生ぬるい水滴が落ちる。本当は泣きたくないのに、親から勘当を勧められたショックと、実質的な失恋に荒垣の心は限界だった。
「……ぐズッ…………っ」
『気持ち悪いと思ってる』
もしもこの気持ちが寺崎にバレれば、荒垣も気持ち悪いと吐き捨てられるのだろうか。
初めて出会った時、弱いと言って踏みつけて、見下していた寺崎の冷たい眼差しを思い出す。またあんな風に見下されたら、申し訳ないが今は立ち直れないかもしれない。
出会った時と心境が違い過ぎる。
「……ぇぐッ…………さ、きっ……」
『他人が勝手にやる分には好きにすればいいけど』
きっと荒垣が寺崎の前で好きという気持ちを隠すなんて無理だ。
バカで愚かで出来損ないの荒垣では、いつか絶対にボロが出る。
そしたらもう、寺崎は今までのように話してはくれなくなる。
冷たい眼差しで、気持ち悪いと吐き捨てられる。
「……ズッ…………」
『その矢印が俺自身に向けられるのは生理的に無理』
寺崎に会いたい。
寺崎に嫌われたくない。
元々会ってなかったような好感度だけど、せめて普通に会話ができる今の距離感を崩したくなかった。

ひとしきり泣いた後、雫の溜まった目を袖で乱暴にぬぐう。ベッドの上に放置していたスマホを取り、SNSの連絡欄を開いた。
その中に寺崎への連絡先はない。
……今はなくてよかったかもしれない。きっと決意が揺らいでしまうから。
「…………引越しって何すりゃいいんだろ」
ほんの数週間前の自分なら結局何もかもバカらしくなってこの街に残ることにしたかもしれない。そうして今以上に腐っていって……そのうち野垂れ死んだりとかしてたりして。ありえたかもしれない未来を鼻で笑う。
けれど、今の荒垣には寺崎への「好き」がある。
荒垣はバカで、愚かで、出来損ないだけれど、バカなりにこの気持ちを腐らせたくはなかった。
その為なら、折角芽生えたこの気持ちにも蓋をする。してみせる。
残り3日はあるらしいけれど、もう決意はできた。
寺崎にはもう会わない。探しもしない。
認めたくはなかったが、どうせ最初から負けていたんだ。喧嘩でも恋でも負けて散々だが、荒垣から会いに行かなければもう会うことはないだろう。
「……バーカバーカ、寺崎のバーカ」
この俺が負けを認めたのはお前が最初で最後だからな。そんな悔し文句も、もう告げることはできない。
「…………好きだよ、バーカ」
震える声で最後にボソリと告げて、荒垣は立ち上がる。両親に自身の答えを告げるために再び自室を後にした。

 
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