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第19話
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変なお面を付けたバックパッカーが両手に大量の荷物を持っている光景はどう見ても怪しく、もし警察官に出会ったなら間違いなく職務質問対象なので、白シカ組から見えない所まで来るとすぐにお面だけでも外した。こんな深夜の人通りがほとんどないとはいえ、どこで誰が見ているか分からないし警察官が巡回している可能性だってあるのだから、少しでも目立たないように私はアジトへと急ぐしかない。密輸入とか関係なくトラをバックパックに入れている時点で、見つかれば終わりだ。
当時の年下の上司である万年巡査部長だったなら、昔のよしみプラス巡査部長クラスでは一生食べられないであろうこの高級和牛を賄賂として渡せば、精一杯の虚勢を張りながら受け取り忘れてくれるだろう。しかしそうなるとトラゾウのごはんが減ってしまって、後々私か明智君が犠牲になってしまうので、急ぎながらも警察の巡回ルートを外れることは忘れなかった。
そんな努力が実りさらに日頃の行いが良いのもあって、無事にアジトまでたどり着くと、すぐに前回の不幸が私の脳裏に蘇ったのだ。当たり前だろう。それだけの衝撃があったのだから。
なので今回は前回以上に阿部君と明智君に対する怒りがあるとはいえ、慎重に物音一つ立てずドアを開けると、まず肉を焼くいい匂いが私の鼻を刺激して、続いて阿部君と明智君のキャッキャ話す嬉しそうな声が私の耳に土足で踏み込んできた。
とりあえずは阿部君はワインをまだ飲んでいないようで安心して、おそらく明智君が飲ませないように命がけで頑張っているのだと悟った。明智君は冷蔵庫寄りに座り、汗をかきながら阿部君を喜ばせるために息継ぎもなしに「ワンワン」話している。
明智君をもってすればトングを両手で持って明智君のために肉を焼けるのだろうけど、それは阿部君がさせてないようだ。阿部君はトングを離さず、なんなら箸代わりにして直接食べているし、だからといってひとり占めなんてするわけもなくちゃんと明智君にも分け与えている。明らかに阿部君は仕切るのが好きなのだ。
でも、あの肉や野菜はいつの間に用意したんだ? 私の冷蔵庫には今日はたまたま、ワインしか入ってなかったはずだぞ。そしてお店だって開いている時間ではない。
もしかしたら、真っ当な商売をしているお肉屋さんから盗んだのか? それは、ちょっと、私たちの怪盗団は今のところはそこまで落ちぶれたくないのに。私のポリシーを、あの非人道的な悪魔と強欲犬に話しておくべきだった。悪いのは、私だ。
「リーダー、そんなとこで突っ立って、一緒に食べましょ」
「ああ、うん。ちょっと聞くが、そのお肉はどうしたんだい?」
「ああー、まさか、私たちが街の真面目なお肉屋さんから盗ったと思ってないでしょうね? これは白シカ組からの戦利品の一つですからね。私たちは悪人からしか盗まないようにしましょうよ。少なくとも、生きるのに困らないうちは」
おおー。やはり私の目に狂いはなかった。阿部君を雇って正解だな。信じていたぞ。
だけど、おかしいな。白シカ組の組長はバーベキューでお肉を全部食べてしまったと言っていたような。さては阿部君は好感度を少しでも上げようと嘘をついているな。本当はどこかのキャンプ場で和気あいあいと深夜バーベキューを楽しんでいる中流家庭から、力づくで奪ったんじゃないのか? 血も涙もないじゃないか。
こうなったら、もう少し詳しく聞いてボロを出させるか。その後で優しく説教してから、泣きながらの謝罪を受け入れてあげようじゃないか。そこからは私の出番だな。
阿部君に代わってそのかわいそうな家族に私のサインと握手券をプレゼントして、ついでに今日の取り分から自腹でお肉を買ってやろうじゃないか。故意であれ部下のミスは、私の責任なのだ。
「阿部君は逃げる途中で、組長宅の冷蔵庫に寄って帰ったの?」
「そんな危険な事をするわけないでしょ。明智君と私が一緒に表の正門に向かって逃げてる最中に、明智君が急に進路を変えたから仕方なくついて行ったら、バーベキューをやった跡があったんですよ。明智君は普段から良いものを食べてないから、お肉の残骸でもご馳走だと我を忘れて猪突猛進してるのを見て、止めるなんてかわいそうで。
リーダーが白シカ組を足止めしてくれていると心から信じていた私は2、3秒くらいなら待ってあげてもいいと思って、明智君を好きにさせて上げてると1,5秒くらいで大きなビニール袋をくわえて戻ってきたんです。
聞いたら、バーベキューセット4人前が隠してあったと。たぶん、組の誰かが自分の家族のために持って帰ろうと隠しておいたんですよ。給料は安そうですもんね。
ちょっとはかわいそうと思ったけど、辛い事がたくさんあると足を洗うきっかけにもなるし、何より強欲な明智君が返すわけないじゃないですか」
なるほど。そういう事だったのか。信じていたよ、阿部君。そして、明智君は阿部君にも強欲だと認知されていたのだな。なぜか嬉しいぞ。
「想像通りだな。明智君、私も食べていいのかい?」
「ワン!」
いいと言わないと、へそを曲げた私が冷蔵庫からワインを持ってくると思ったのかもしれないが、さすがにそれは私にも甚大な被害が及ぶから大丈夫だぞ。せいぜいこの両手にある高級和牛をひとり占めするくらい……うん? 私はどうして両手に大量の肉を?
何かもっと大事な事があったような。でもなぜか今日は体が重いし、楽しくバーベキューでもして疲れを取るか。
「リーダー、よく見るとバックパックを背負ってるじゃないですか。本当に金銀財宝を見つけたんですね? リーダーならやってくれると信じてましたけど、あんな田舎ヤクザが本当にお宝を持ってたとは驚きですよ」
バックパック? 年下の上司であった万年巡査部長の間抜け面を思い出して歩いてたら、すっかり忘れてたじゃないか。どうしようか? うーん、正直に言うしかないな。そして全員が心の準備をできたら、トラゾウを出そうじゃないか。
「実は、このバックパックの中には、トラゾウという名前の白シカ組にいたトラが入ってるんだよ」
「そんなくだらない冗談で驚く私ではないですよ。ハハハ」「ワワワン」
確かに信じられないだろう。いや、もしかして信じたくないのではないか? 阿部君と明智君の声が心持ち震えているような。
ハイセンスの持ち主である私の冗談にしては、面白くなさすぎたのだろう。それに明智君の鼻ならトラゾウの匂いを嗅ぎ分けているはずだし、自分たちが盗った1000万円と関係があると確信もしているようだ。
「二人の気持ちは分かるが、現実を受け入れてくれないか? それにトラゾウが暴れたとしても、私たち3人がいれば赤子の手をひねるよりも少し大変という程度だろ?」
「そ、そうですね。明智君がトラゾウにかじられてる間に、リーダーがトラゾウの首根っこを掴むのを、私が応援すればいいですね」
私は明智君を見れなかった。そして阿部君が冗談を言ったのかどうかも、意味がないので確認する気はない。
冗談だったとなれば問題ないが、阿部君が本気で言ってるなら明智君の犠牲はロープ代わりとなった比ではないのは明らかだし、私も明智君も冷酷な阿部君が有言実行するのを知っている。
「大丈夫だよ」と明智君に声をかけるのが精一杯だ。『大丈夫』という言葉は何と便利なのだろう。
何がどう大丈夫か具体的な事は何一つ言えないけど、ひとまずこの場の凍りついた空気はシャーベット状になったかもしれない。ただ、問題は空気ではない。
いつまでもトラゾウをバックパックの中に置いておくわけにはいかないのだ。今はまだ死んだように眠ってくれているが、起きたら閉じ込められていると誤解して、バックパックを破壊して自力で出てくるかもしれない。そんな怒り狂ったトラゾウを力づくでおとなしくしようとするなら、明智君は動物病院に半年は入院することになるだろう。
なので、どうせなら眠っている状態で外に引きずり出し、阿部君が目の前に美味しそうなお肉を並べ、私と明智君でトラゾウをマッサージして優しく起こしてあげれば、それなりに機嫌よく目覚めてくれて、私たちに対して好戦的にはならないだろう。万が一暴れようとしても、背後を取っていたら、いつでも首根っこを持っておとなしくさせることはできるはずだ。
と、私が説明しなくとも阿部君も明智君も全く同じ考えだったようで、文句はおろか無駄口も叩かず静かに位置についた。
阿部君は私から両手いっぱいのお肉を奪い取ると、
「どうせなら生肉だけじゃなく、焼いたのも用意しましょうよ。トラゾウが食べなかったとしても、私たちが食べればいいだけだし。
私が食べたいわけじゃないですからね。明智君が見つけたお肉より、リーダーが持って帰ってきたお肉の方が高そうとかではないですよ」
なるほど。確かに明智君が見つけた方は、もともとはトラゾウのために用意してあった肉だ。安物ではないだろうけど、良い肉だとしてもそこそこのレベルだろう。だけど私が持ってきた方は、組事務所に保管してあった白シカ組組長が食べるのが前提の超高級和牛なのだから。
さすが、阿部君。ある意味、明智君よりも鼻が利くじゃないか。
明智君は残念ながら今までこんな高級和牛なんて食べる機会がなかったし、トラゾウにかじられるかもしれない恐怖でそれどころではないのだろう。阿部君の話を聞いていなかったようで、全然嬉しそうにしないで無表情で、私がバックパックをそっと床に置くのを手伝っていた。
明智君の頭の中は、かじられるならどこが一番痛くないかだろうか。それとも、前回の150万円プラス今回の400万円の使い道だろうか。いや、この前言っていたように、老後のための資金ならまだまだ足りないと思って、それで我慢してかじられることもいとわないのだろう。明智君が長生きできるように祈ってるよ。
阿部君が肉を焼き始めると同時に、横に倒したバックパックの上蓋近くにかじられ要員の明智君が配置に付き、私はそっと上蓋を開けた。トラゾウはまだ眠っているようだ。
私が安心すると、明智君は私以上の安堵のため息を漏らした。だけど、本当の安心はまだまだだ。私はそうだし、明智君も機嫌が悪いのだから、トラゾウだってそういう可能性は大いにある。
例え目の前に美味しそうなお肉が並べられていても、まずは何かに八つ当たりするかもしれないし、なんなら動く獲物の方がトラゾウの好みかもしれない。そうなったら明智君は無抵抗主義を貫き、トラゾウが気の済むまでサンドバッグ明智君として耐えるのだろうか。
このように最悪を想定しておくと、実際に陥った時になんとかなるものだ。それでも、明智君は自分の手がトラゾウの首根っこを持つのにふさわしければ、私と役目が交代できたのにと考えているに決まっている。その気持ちは大いに理解できるぞ。
はっきり言って、子トラとはいえ、今回の取り分を明智君と入れ替えてあげると持ちかけられても、私はかじられたくない。
とりあえず最悪は想定できたので、主に明智君にとってだけど、それはそれとしてここからは最良に向かって突き進むのみだ。
眠っているトラゾウをバックパックから出すには……「頭を豪快に引っ張るか」と冗談交じりに明智君に言ったなら、明智君は私と一生目を合わしてくれなくなるので、今はふざける時ではないのだろう。真面目な答えは、トラゾウをバックパックの奥にずらしたのと逆の事をやればいいわけだ。
簡単簡単。いたってシンプル。要はそれでトラゾウが起きるかどうかで、その起きた時にトラゾウがご機嫌か不機嫌かで、さらにご機嫌だからゆえに明智君にじゃれるつもりで飛びかかるとか不機嫌なら否応なしに明智君に八つ当たりするとか……何を言いたいかといえば、この私ですらどうなるか想像できないのだ。ごめんよ、明智君。
ただ、目指さないといけないのは、最良だ。それだけは断言できる。何を能書きをダラダラたれているんだと、誰にも言わせないぞ。やる事はシンプルかもしれないが、だからって簡単にできるとは限らないということが、大抵の人の人生にあっただろ?
でも私は誰もが認め尊敬する大怪盗なので、簡単に踏ん切りをつけたのだ。震える手でバックパックを緩やかに傾けると、神様は私を、いや明智君を見捨てていなかったようだ。私のこの震える手がちょうどいい振動となり、トラゾウが少しずつバックパックの中で移動を開始したのだ。
もちろんトラゾウの意志で動いているのではない。少なくとも、今は。
肉が焼ける音をBGMに明智君が固唾をのんで見守っている間、私がバックパックの中のトラゾウを少しまた少しとずらしていると、トラゾウの頭が突然現れた。慎重にやっていたつもりが、地球の重力に異常が生じたのか、バックパックとトラゾウの摩擦係数が急変化したのか、私がついうっかり力の強弱を誤ったのか全く推測すらできない。
ただ、これくらいの事で言い訳をするつもりはない。だって、私はトラゾウの頭に驚きバックパックを持ったまま後ろに跳んでしまったのだから。こっちの方が言い訳が必要だろう。
言い訳1つ目、驚いて反射的に逃げたのだから、わざとではない。
言い訳2つ目、この状況では誰だってそうなったに違いない。
言い訳3つ目、トラゾウは起きなかったのだから、結果オーライでいいじゃないか。
言い訳なのか何なのか分からない事をまだまだ言いたいが、話を進めようじゃないか。
私がバックパックとともに2メートルもにげたのに、トラゾウの頭が現れた時点では明智君は50センチしか逃げなかった。さらに私が勢いよくバックパックを引っ張ることで、トラゾウが全身を現す結果となっても、明智君はもう1メートルしか逃げなかったのだ。
そんな勇気ある明智君が、万が一に備えて体中に力を入れてトラゾウに対峙していたが、トラゾウはぬいぐるみ化したままだった。詳しく言うと、トラゾウはまだ眠っている。
明智君がそれに気づいた頃には、第一弾のお肉がホットプレートの上でウェルダンとなっていた。肉焼き係はと言えば、自らの仕事を放棄して部屋の隅っこまで逃げている。さらに石にでもなったつもりで、必死に気配を消そうと努力しているようだ。
そういうことだから、周囲を見る余裕なんてないのだろう。「ごめんね明智君、ごめんね明智君。化けて出るなら、リーダーの前だけにしてね」と小声だが、はっきり呟いている。
普段の仕返しとばかりに、しばらく眺めてようか。ほんの少し鬱憤を晴らしても、世間は許してくれるに決まっている。
しばし、私に時間をください。気が済んだら、必ず阿部君を正気に戻すと約束します
当時の年下の上司である万年巡査部長だったなら、昔のよしみプラス巡査部長クラスでは一生食べられないであろうこの高級和牛を賄賂として渡せば、精一杯の虚勢を張りながら受け取り忘れてくれるだろう。しかしそうなるとトラゾウのごはんが減ってしまって、後々私か明智君が犠牲になってしまうので、急ぎながらも警察の巡回ルートを外れることは忘れなかった。
そんな努力が実りさらに日頃の行いが良いのもあって、無事にアジトまでたどり着くと、すぐに前回の不幸が私の脳裏に蘇ったのだ。当たり前だろう。それだけの衝撃があったのだから。
なので今回は前回以上に阿部君と明智君に対する怒りがあるとはいえ、慎重に物音一つ立てずドアを開けると、まず肉を焼くいい匂いが私の鼻を刺激して、続いて阿部君と明智君のキャッキャ話す嬉しそうな声が私の耳に土足で踏み込んできた。
とりあえずは阿部君はワインをまだ飲んでいないようで安心して、おそらく明智君が飲ませないように命がけで頑張っているのだと悟った。明智君は冷蔵庫寄りに座り、汗をかきながら阿部君を喜ばせるために息継ぎもなしに「ワンワン」話している。
明智君をもってすればトングを両手で持って明智君のために肉を焼けるのだろうけど、それは阿部君がさせてないようだ。阿部君はトングを離さず、なんなら箸代わりにして直接食べているし、だからといってひとり占めなんてするわけもなくちゃんと明智君にも分け与えている。明らかに阿部君は仕切るのが好きなのだ。
でも、あの肉や野菜はいつの間に用意したんだ? 私の冷蔵庫には今日はたまたま、ワインしか入ってなかったはずだぞ。そしてお店だって開いている時間ではない。
もしかしたら、真っ当な商売をしているお肉屋さんから盗んだのか? それは、ちょっと、私たちの怪盗団は今のところはそこまで落ちぶれたくないのに。私のポリシーを、あの非人道的な悪魔と強欲犬に話しておくべきだった。悪いのは、私だ。
「リーダー、そんなとこで突っ立って、一緒に食べましょ」
「ああ、うん。ちょっと聞くが、そのお肉はどうしたんだい?」
「ああー、まさか、私たちが街の真面目なお肉屋さんから盗ったと思ってないでしょうね? これは白シカ組からの戦利品の一つですからね。私たちは悪人からしか盗まないようにしましょうよ。少なくとも、生きるのに困らないうちは」
おおー。やはり私の目に狂いはなかった。阿部君を雇って正解だな。信じていたぞ。
だけど、おかしいな。白シカ組の組長はバーベキューでお肉を全部食べてしまったと言っていたような。さては阿部君は好感度を少しでも上げようと嘘をついているな。本当はどこかのキャンプ場で和気あいあいと深夜バーベキューを楽しんでいる中流家庭から、力づくで奪ったんじゃないのか? 血も涙もないじゃないか。
こうなったら、もう少し詳しく聞いてボロを出させるか。その後で優しく説教してから、泣きながらの謝罪を受け入れてあげようじゃないか。そこからは私の出番だな。
阿部君に代わってそのかわいそうな家族に私のサインと握手券をプレゼントして、ついでに今日の取り分から自腹でお肉を買ってやろうじゃないか。故意であれ部下のミスは、私の責任なのだ。
「阿部君は逃げる途中で、組長宅の冷蔵庫に寄って帰ったの?」
「そんな危険な事をするわけないでしょ。明智君と私が一緒に表の正門に向かって逃げてる最中に、明智君が急に進路を変えたから仕方なくついて行ったら、バーベキューをやった跡があったんですよ。明智君は普段から良いものを食べてないから、お肉の残骸でもご馳走だと我を忘れて猪突猛進してるのを見て、止めるなんてかわいそうで。
リーダーが白シカ組を足止めしてくれていると心から信じていた私は2、3秒くらいなら待ってあげてもいいと思って、明智君を好きにさせて上げてると1,5秒くらいで大きなビニール袋をくわえて戻ってきたんです。
聞いたら、バーベキューセット4人前が隠してあったと。たぶん、組の誰かが自分の家族のために持って帰ろうと隠しておいたんですよ。給料は安そうですもんね。
ちょっとはかわいそうと思ったけど、辛い事がたくさんあると足を洗うきっかけにもなるし、何より強欲な明智君が返すわけないじゃないですか」
なるほど。そういう事だったのか。信じていたよ、阿部君。そして、明智君は阿部君にも強欲だと認知されていたのだな。なぜか嬉しいぞ。
「想像通りだな。明智君、私も食べていいのかい?」
「ワン!」
いいと言わないと、へそを曲げた私が冷蔵庫からワインを持ってくると思ったのかもしれないが、さすがにそれは私にも甚大な被害が及ぶから大丈夫だぞ。せいぜいこの両手にある高級和牛をひとり占めするくらい……うん? 私はどうして両手に大量の肉を?
何かもっと大事な事があったような。でもなぜか今日は体が重いし、楽しくバーベキューでもして疲れを取るか。
「リーダー、よく見るとバックパックを背負ってるじゃないですか。本当に金銀財宝を見つけたんですね? リーダーならやってくれると信じてましたけど、あんな田舎ヤクザが本当にお宝を持ってたとは驚きですよ」
バックパック? 年下の上司であった万年巡査部長の間抜け面を思い出して歩いてたら、すっかり忘れてたじゃないか。どうしようか? うーん、正直に言うしかないな。そして全員が心の準備をできたら、トラゾウを出そうじゃないか。
「実は、このバックパックの中には、トラゾウという名前の白シカ組にいたトラが入ってるんだよ」
「そんなくだらない冗談で驚く私ではないですよ。ハハハ」「ワワワン」
確かに信じられないだろう。いや、もしかして信じたくないのではないか? 阿部君と明智君の声が心持ち震えているような。
ハイセンスの持ち主である私の冗談にしては、面白くなさすぎたのだろう。それに明智君の鼻ならトラゾウの匂いを嗅ぎ分けているはずだし、自分たちが盗った1000万円と関係があると確信もしているようだ。
「二人の気持ちは分かるが、現実を受け入れてくれないか? それにトラゾウが暴れたとしても、私たち3人がいれば赤子の手をひねるよりも少し大変という程度だろ?」
「そ、そうですね。明智君がトラゾウにかじられてる間に、リーダーがトラゾウの首根っこを掴むのを、私が応援すればいいですね」
私は明智君を見れなかった。そして阿部君が冗談を言ったのかどうかも、意味がないので確認する気はない。
冗談だったとなれば問題ないが、阿部君が本気で言ってるなら明智君の犠牲はロープ代わりとなった比ではないのは明らかだし、私も明智君も冷酷な阿部君が有言実行するのを知っている。
「大丈夫だよ」と明智君に声をかけるのが精一杯だ。『大丈夫』という言葉は何と便利なのだろう。
何がどう大丈夫か具体的な事は何一つ言えないけど、ひとまずこの場の凍りついた空気はシャーベット状になったかもしれない。ただ、問題は空気ではない。
いつまでもトラゾウをバックパックの中に置いておくわけにはいかないのだ。今はまだ死んだように眠ってくれているが、起きたら閉じ込められていると誤解して、バックパックを破壊して自力で出てくるかもしれない。そんな怒り狂ったトラゾウを力づくでおとなしくしようとするなら、明智君は動物病院に半年は入院することになるだろう。
なので、どうせなら眠っている状態で外に引きずり出し、阿部君が目の前に美味しそうなお肉を並べ、私と明智君でトラゾウをマッサージして優しく起こしてあげれば、それなりに機嫌よく目覚めてくれて、私たちに対して好戦的にはならないだろう。万が一暴れようとしても、背後を取っていたら、いつでも首根っこを持っておとなしくさせることはできるはずだ。
と、私が説明しなくとも阿部君も明智君も全く同じ考えだったようで、文句はおろか無駄口も叩かず静かに位置についた。
阿部君は私から両手いっぱいのお肉を奪い取ると、
「どうせなら生肉だけじゃなく、焼いたのも用意しましょうよ。トラゾウが食べなかったとしても、私たちが食べればいいだけだし。
私が食べたいわけじゃないですからね。明智君が見つけたお肉より、リーダーが持って帰ってきたお肉の方が高そうとかではないですよ」
なるほど。確かに明智君が見つけた方は、もともとはトラゾウのために用意してあった肉だ。安物ではないだろうけど、良い肉だとしてもそこそこのレベルだろう。だけど私が持ってきた方は、組事務所に保管してあった白シカ組組長が食べるのが前提の超高級和牛なのだから。
さすが、阿部君。ある意味、明智君よりも鼻が利くじゃないか。
明智君は残念ながら今までこんな高級和牛なんて食べる機会がなかったし、トラゾウにかじられるかもしれない恐怖でそれどころではないのだろう。阿部君の話を聞いていなかったようで、全然嬉しそうにしないで無表情で、私がバックパックをそっと床に置くのを手伝っていた。
明智君の頭の中は、かじられるならどこが一番痛くないかだろうか。それとも、前回の150万円プラス今回の400万円の使い道だろうか。いや、この前言っていたように、老後のための資金ならまだまだ足りないと思って、それで我慢してかじられることもいとわないのだろう。明智君が長生きできるように祈ってるよ。
阿部君が肉を焼き始めると同時に、横に倒したバックパックの上蓋近くにかじられ要員の明智君が配置に付き、私はそっと上蓋を開けた。トラゾウはまだ眠っているようだ。
私が安心すると、明智君は私以上の安堵のため息を漏らした。だけど、本当の安心はまだまだだ。私はそうだし、明智君も機嫌が悪いのだから、トラゾウだってそういう可能性は大いにある。
例え目の前に美味しそうなお肉が並べられていても、まずは何かに八つ当たりするかもしれないし、なんなら動く獲物の方がトラゾウの好みかもしれない。そうなったら明智君は無抵抗主義を貫き、トラゾウが気の済むまでサンドバッグ明智君として耐えるのだろうか。
このように最悪を想定しておくと、実際に陥った時になんとかなるものだ。それでも、明智君は自分の手がトラゾウの首根っこを持つのにふさわしければ、私と役目が交代できたのにと考えているに決まっている。その気持ちは大いに理解できるぞ。
はっきり言って、子トラとはいえ、今回の取り分を明智君と入れ替えてあげると持ちかけられても、私はかじられたくない。
とりあえず最悪は想定できたので、主に明智君にとってだけど、それはそれとしてここからは最良に向かって突き進むのみだ。
眠っているトラゾウをバックパックから出すには……「頭を豪快に引っ張るか」と冗談交じりに明智君に言ったなら、明智君は私と一生目を合わしてくれなくなるので、今はふざける時ではないのだろう。真面目な答えは、トラゾウをバックパックの奥にずらしたのと逆の事をやればいいわけだ。
簡単簡単。いたってシンプル。要はそれでトラゾウが起きるかどうかで、その起きた時にトラゾウがご機嫌か不機嫌かで、さらにご機嫌だからゆえに明智君にじゃれるつもりで飛びかかるとか不機嫌なら否応なしに明智君に八つ当たりするとか……何を言いたいかといえば、この私ですらどうなるか想像できないのだ。ごめんよ、明智君。
ただ、目指さないといけないのは、最良だ。それだけは断言できる。何を能書きをダラダラたれているんだと、誰にも言わせないぞ。やる事はシンプルかもしれないが、だからって簡単にできるとは限らないということが、大抵の人の人生にあっただろ?
でも私は誰もが認め尊敬する大怪盗なので、簡単に踏ん切りをつけたのだ。震える手でバックパックを緩やかに傾けると、神様は私を、いや明智君を見捨てていなかったようだ。私のこの震える手がちょうどいい振動となり、トラゾウが少しずつバックパックの中で移動を開始したのだ。
もちろんトラゾウの意志で動いているのではない。少なくとも、今は。
肉が焼ける音をBGMに明智君が固唾をのんで見守っている間、私がバックパックの中のトラゾウを少しまた少しとずらしていると、トラゾウの頭が突然現れた。慎重にやっていたつもりが、地球の重力に異常が生じたのか、バックパックとトラゾウの摩擦係数が急変化したのか、私がついうっかり力の強弱を誤ったのか全く推測すらできない。
ただ、これくらいの事で言い訳をするつもりはない。だって、私はトラゾウの頭に驚きバックパックを持ったまま後ろに跳んでしまったのだから。こっちの方が言い訳が必要だろう。
言い訳1つ目、驚いて反射的に逃げたのだから、わざとではない。
言い訳2つ目、この状況では誰だってそうなったに違いない。
言い訳3つ目、トラゾウは起きなかったのだから、結果オーライでいいじゃないか。
言い訳なのか何なのか分からない事をまだまだ言いたいが、話を進めようじゃないか。
私がバックパックとともに2メートルもにげたのに、トラゾウの頭が現れた時点では明智君は50センチしか逃げなかった。さらに私が勢いよくバックパックを引っ張ることで、トラゾウが全身を現す結果となっても、明智君はもう1メートルしか逃げなかったのだ。
そんな勇気ある明智君が、万が一に備えて体中に力を入れてトラゾウに対峙していたが、トラゾウはぬいぐるみ化したままだった。詳しく言うと、トラゾウはまだ眠っている。
明智君がそれに気づいた頃には、第一弾のお肉がホットプレートの上でウェルダンとなっていた。肉焼き係はと言えば、自らの仕事を放棄して部屋の隅っこまで逃げている。さらに石にでもなったつもりで、必死に気配を消そうと努力しているようだ。
そういうことだから、周囲を見る余裕なんてないのだろう。「ごめんね明智君、ごめんね明智君。化けて出るなら、リーダーの前だけにしてね」と小声だが、はっきり呟いている。
普段の仕返しとばかりに、しばらく眺めてようか。ほんの少し鬱憤を晴らしても、世間は許してくれるに決まっている。
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