路線バス運転士俳優ひろしの冒険

きよバス

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第33話

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 撮影初日は、僕の中ではあっという間にやって来た。それまでに顔合わせなどは済んでいたので、今日いる人はスタッフの人を含めて僕の記憶に残っている。顔と名前が必ずしも一致するとは言えないけど。内容が特異なだけに、出演者自体が少ないうえに、さらにレギュラーとなれば片手でも余るほどというのもある。主役という唯一無二の面目は保られていると言っていいだろう。
 今日はオープニングで使うシーンにほとんどの時間を割いてある。これは、僕がほぼバスを運転しているイメージビデオのような映像だ。まずは僕がバスの運転に慣れるためと、監督は考えてくれたのだろう。しかし何も考えていなかった僕は、いきなりバスをスムーズに動かしてしまった。まあ別にわざとらしく下手に運転するのも逆に調整が難しいので問題ない。それに監督は僕の運転に惚れ込んで、このドラマのオファーを出してくれたのだ。ただ、僕が普段からバスに乗っているなんて知らないほとんどの人は当たり前に驚いてしまった。この撮影に臨むにあたって、しばらく教習所で練習をさせてもらったと、もしかしたら以前も使った嘘でごまかすと納得はしてくれたようだ。
 最初は潰れた自動車学校の跡地での撮影なので、やはり監督は僕に気を使ってくれているのだろう。もちろん無難にこなしておいた。なのですぐに、いよいよ公道を使っての撮影となる。レギュラーのリカさんとエキストラの人が20人ほど、監督が指定した場所に座ったり吊り革を持ったりして配置につく。経費削減なのか本人が売り込んだのか分からないが、エキストラの中の約1名がすごく嬉しそうにしていた。公道を走る時は安全のために車内での撮影は極力するつもりはないらしく、特に初日である今日はすべてが車外からの映像なので、1人だけ浮いていても問題ないだろう。ただ、リカさんはわざと気配を消しているのもあるが、どう見てもリカさんよりもエキストラの中の約1名が目立っていた。おかげでリラックスはできたけれども。
 監督とカメラマンを乗せた誘導車からほんの少しだけ離れて公道に出た僕は、これが例えドラマの撮影であろうとも、バスを普段運転している時と同じように安全運転に徹していた。それでもたまに無線に入ってくる監督からの指示が、これはドラマの撮影だということを忘れさせないでいてくれる。誘導車以外にもカメラマンが乗った車が並走したり後ろに回ったりしながら、いろいろな角度から撮影をしている。さらに道の途中にもカメラが何台か設置されているのが分かったが、監督の指示もあって気づかないふりをして安全運転を続けた。
 そして1時間も走っただろうか。何のトラブルも失敗もなく順調に撮影は進み、出発した自動車学校の跡地に戻ってきた。するとそれを見計らっていたかのように、健二さんがちょうどやって来た。なので次は、オトボケ刑事役の健二さんを混じえた撮影に入る。 
 まずは事件が起こったバスの中での捜査をしている様子を撮影したが、健二さんはこのオープニングではいい意味でオトボケ刑事の本領を発揮しなかった。本編とは違って仕事がすごくできる感じを出している。誰の演出かは知ろうとしない方がいいのだろう。あくまでもオープニングだし、何よりもノーギャラなので、少しくらいのわがままには監督を筆頭に目をつぶることにしたようだ。
 そして本日予定していた撮影は終了となった。はずだったが、考えていたよりも順調に行き過ぎたので大幅に時間が余ったうえに、健二さんも今日の仕事が物足りなかったようだ。監督がエンディングで流れるシーンも撮ると言った時は、撮影時間が限られている僕は本当に嬉しかった。
 監督や健二さんの気が変わらないうちに、僕は急いでシャーロックホームズの衣装に着替えてすぐにバスの運転席に陣取った。今度は、バスの中には出演者は僕しかいないので準備は早い。なのですぐにバスを発車させると、それを走って追いつこうとするオトボケ刑事や知力と体力を駆使してバスを停車させようとする女子大学生とのバトルが始まった。もちろん肉弾戦ではないし、最終的に僕が折れないと楽しそうなエンディングにならないので、まずは女子大学生を乗せる羽目になる。次にオトボケ刑事も簡単に乗せるのかと思いきや、それではおもしろくない。オトボケ刑事がもう少しでバスに追いつくというところで、再度引き離しにかける。そして一周してきて気づかれないようにオトボケ刑事の後ろをゆっくりついていっているところを、女子大学生の叱責されてやっとオトボケ刑事を乗せる。そして最後は3人仲良く笑顔でエンディングシーンも終わりとなった。
 簡単に言葉で表せば危険に感じるところもある。しかし実際の撮影は安全に配慮されて行われた。健二さんはほとんど走っていないし、リカさんもバスに近づく時はバスを停めた状態だ。なにより僕は運転しづらい19世紀のイギリスの服を着ているので、健二さんが本気で走れば簡単に追いつかれるくらいのスピードしか出さなかった。
 これで今度こそ実り多い初日の撮影は終わりとなった。それからも監督をはじめスタッフの人たちも僕に無理強いすることはなく、週に2日だけの撮影の約束を守ってくれながらも、本編の撮影は順調に進んだ。もちろん合間では本物のバス運転士としての仕事もやっている。そして念願の記念すべき僕が主演のドラマの第1話が完成した。
 最初の事件は、悲しいかな殺人事件で幕を開けることとなる。ドライブレコーダーのような最新機器がない時代設定とはいえ、バスという密室で何人もの目撃者になるかもしれない人が同乗していながら、よくもまあ完全犯罪を成立させた作者の人にまずは敬意を払いたい。この作者というのは、脚本家の人と我らが監督だ。2人で考えたトリックは現実には不可能だろうけど、本当にできるんじゃないかと信じてしまう要素がふんだんにあった。だから物語としては入り込める作品になっているはずだ。
 さらに、素晴らしいのはトリックだけではなかった。登場人物を極限まで少なくすることにより、話を寄り道させれないのだ。普通ならそれで2時間も流そうとしたら、内容がすかすかの間延びした駄作になってもおかしくない。だけどこの作品は自信を持って名作だと言えるくらいに、重厚感があって最後の最後まで飽きが来ないのだ。その分、数少ない出演者たちのセリフはとんでもなく多いが、役者冥利に尽きるので演じていて楽しかった。
 第1話が完成してすぐに、関係者だけが集まって観せてもらった。ドラマでは異例のイベントだ。一応希望者だけの観覧回は、言うまでもなく関係者全員が進んで参加していた。おそらく誰もが自分が一番の希望者だと思っている。監督や僕を含めて。観終わると、内容も犯人も動機もトリックも何もかも知っているはずの僕が、無意識にスタンディングオベーションをしていた。いや、僕だけではなくて、そこにいる誰もが立ち上がって手を叩いている。それも監督や画面に向かってではなく、僕に向かってだ。本来ならこれを制作した監督に向けて称賛されるべきなのだろう。しかしその監督までも僕に向けて手を叩いてくれているのを見て涙が出てしまい、皆の称賛に応えられない時間がゆっくり過ぎている。すると隣りにいた塚谷君が肘で僕を小突いてくれたので、なんとか手を挙げることができた。僕が主役を演じられるように尽力してくれたすべての人が幸せになりますようにと、心から思った。
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