路線バス運転士俳優ひろしの冒険

きよバス

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第30話

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 健二さんと僕がすき焼きと共に戻ってくると、素敵な笑顔のリカさんと涙目で顔を赤くして会心の笑顔をした塚谷君が迎えてくれた。すき焼きを待ちきれなくて泣いてしまったのか、すき焼きの美味しさを思い出して感動して泣いてしまったのか分からないが、目の前に現物を確認して笑顔になってくれているのでもう大丈夫だろう。それくらいこのすき焼きが美味しいのを、僕も知っている。
「よーし、今日も俺に任せるんだぞ。誰も手を出すんじゃないぞ」
「よっ、鍋奉行健さん。かっこいいー」
 塚谷君とリカさんの息の合った掛け声で、健二さんはものすごく嬉しそうだ。一応、僕の初主演が決まったお祝いだったはずだけど、今日の主役が健二さんのような雰囲気になっている。楽しいので文句なんてあるわけがないが。そもそも、僕はそんな小さな事なんて気にしない人間……に憧れているだけでも随分進歩しているのだ。
 僕のささやかな自慢というか愚痴というかなんと言ったらいいのか分からないので、話をどんどん進めよう。なにせ僕はドラマで主役を張る大物の仲間入りをしたのだから……という考えがまだまだ器が小さいのだろうか。そんな僕に、本物の大物で器も大きいうえにさらに今日の主役になっている健二さんは、鍋奉行をしながらも気さくに話してくれた。
「ひろし、どんな話なんだ? お前が主演のドラマ」
「さっき聞いたんですけど、題名は『名バス運転士ホームズ』で、大まかに分けると推理ものなんです。だけど僕は刑事とか探偵とかじゃなくて、バス運転士なんですよ。ちょっとイメージが湧かないでしょ?」
「そうだなあ。そんなの聞いたことがないけど、そんなドラマ当たるのか? もう少し詳しく教えてくれよ」
「僕も詳しくは聞いてないんですけど、毎回、バスという密室の中で事件が起きて、たまたま居合わせたリカさん扮する女子高校生か女子大学生かに協力してもらって、バス運転士の僕が解決に導くらしいんです。今のところ設定に無理があるような気がするんですよね。ただ、監督はものすごく前のめりで自信もあるみたいなんですよ」
「あの監督が自信あるなら大丈夫だよ。ドラマだから浮世離れした所がたくさんあっても面白ければいいと思うけど、バスの運転というところに現実を求めることによって、さもあるかのように見せてくれるのかもな。だから、ひろしでないと成立しないんだろう」
「そういうことなんですね。やっぱり健二さんはすごいですね。あっ、すき焼きをご馳走になるからって、お世辞じゃないですからね、全然」
「そう言われると、お世辞に聞こえるじゃないか。まあいいや。長くやっていれば分かることもあるさ。でも、ひろしに褒められると嬉しいのはなんでだろうな?」
「そんなの、ひろしさんだからに決まってるじゃないですか」
「リカ、それじゃ説明になってないよ。ねえ、美樹ちゃん?」
「健二さん、リカさんの言う通りですよ。なんで分からないのか不思議なくらいですよ」
「二人とも、鍋奉行には優しく接しないとだめだよ」
「ひろし、何気にお前が一番ひどいぞ。せっかくノーギャラで、ひろし主演のドラマに出ようと思ってたのに。考え直そうかな」
「えっ、ええー。健二さん、ありがとうございます。役者をやっててよかったー。たぶん一話ごとに事件が起こってそして解決する感じだとは思うんですけど、できたら度々出てほしいので犯人役では出ないでくださいね。例え被害者になっても殺されないように頑張ってください」
「ははっ。チョイ役で1話だけのつもりだったのに。しょうがないなあ。もう台本があるのか?」
「仮の段階ですけど、脚本は5話くらいまでできてるそうですよ。僕の台本も近々送ってくれるって言ってましたね」
「じゃあ、今のところはどんな役があるのかはっきりしないなあ。助手役はリカに取られたみたいだからって、ホームズの助手といったら男性のワトソンじゃないのか。なんで女性のリカなんだ? それも女子高校生か女子大学生役って」
「ホームズというのは名探偵の代名詞だから、名前を使いたかっただけでしょうね。バス運転士から推理モノを連想するのは難しいですもんね。そして監督の最初の構想では、助手は女子高校生にするつもりでいたけど、リカさんに合わせて女子大学生にする可能性が高いみたいですよ。まだ確定ではないみたいですけど、まあそうなるでしょうね。確かに女子高校生役はぎりぎり無理があるかもしれないけど、大学生役ならなんの問題もないですね」
「ひろしさん、ありがとうございます。やっぱり、ひろしさんに言われると嬉しいですね」
「リカさんはかわいいから、女子大学生役をやっても全然違和感がないですよ。健二さんは芝居の内容とかには理解があるけど、女性を見る目は全然ないですね」
「美樹ちゃんに言われると本当にへこんじゃうなあ。そろそろ食べごろだから、すき焼きを食べて元気にならないと。みんなも一緒に食べよう」
 僕たちは鍋奉行にお礼を言ってから一心不乱になってすき焼きを食べた。2回目だけれども、初めて食べた時と同じように感動する美味しさが僕の舌を刺激する。こんな美味しいすき焼きを食べているのだから幸せなはずなのに、なぜか悲しみも押し寄せている。僕はここにいる素敵な人たちと一週間以上もの間会えないと、ふと考えてしまったからなのだろうか。それは、まるで中学校の卒業式当日のような感覚に近かった。
 だけど、ほんの2日後、駅のバス乗り場で出発するのを待っていると、前方からものすごい笑顔の塚谷君が歩いてくるのが目に入った。一週間はあの笑顔を見れないと思っていた僕は、驚きもせずにただただ嬉しくなってきた。塚谷君はそのまままっすぐ僕が運転するバスに乗ってきたが、話すことはおろか目を合わせることすらせずに、一番後ろの席に座りじっとしている。業務中なので、もちろん僕からも話しかけない。
 そして出発時刻になったので、塚谷君を含めた10人ほどの乗客を乗せて、僕はバスを発車させた。当たり前だけど、何事もなく順調にバスは走行を続ける。この何事もない状況を続けるために、僕は神経を集中させている事は言わせていただきたい。そして途中、お客さんを乗せたり降ろしたりを何度かして、終点のバス停に着いた時は塚谷君を含めて3人になっていた。そのうちの2名はすぐに降りていき、最後に残った1名が待ってましたとばかりに口を開いた。
「ひろしさん、久しぶりだけど、私の事を忘れてないですよね?」
「久しぶりじゃないし、忘れてもないよ。でも、どうしたの?」
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