路線バス運転士俳優ひろしの冒険

きよバス

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第16話

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「それじゃ、話ももうすぐ済むから最後まで聞いてくれよな。彼女のお父さんお母さんは確かに最初は俺たちの結婚に反対だったらしいけど、俺の初主演が決まる随分前には賛成に傾いていたんだ。なのに、当の彼女が結婚しないって言い出したうえに俺に会いたくないもないから、来ても追い返すように頼んだと。彼女が亡くなって初めてそんな事を言った理由が分かったらしいんだけど、それでも何かできた事があったんじゃないかと後悔していたよ。だけど、その時にはもっと大事な事があって……もちろん生まれてきた赤ちゃんの事だけれど。彼女の両親はどうしても自分たちが育てたいから引き取らせてくれと頼むんだけど、俺だって大好きだった彼女とのかわいい赤ちゃんを引き取りたいと思った。でも考えてみれば、俺が一人で子供を育てるのは難しいし、俺はいいけど、その子が物心ついて俺の子だということで世間から注目されたら生きづらいだろうし、そして彼女の両親は強引に引き取ることもできるのにわざわざ俺に頭を下げてお願いしてるのを見てると、この子にとって一番良いのは彼女の両親のもとで育つことだという結論になったんだ」
 健二さんはさらりと話しているけど、当時は相当な葛藤があったのは僕でもよく分かる。もし僕がその立場だったならとか想像すらできないくらい大きな決断だっただろうし、悲しくもあっただろう。そこから急に健二さんははにかんだように笑い付け足した。
「ただ一つだけ俺からお願いしたのは、この子が大きくなって自分の父親に会いたいと言ったら会わせてくださいと。そう約束してもらってから11年経ったこの前、とうとうその約束を果たしてもらったのが、バスを運転しているひろしと会った前の日だったということさ」
 まさかそんな事があってあの日の早朝、健二さんがあんな所にいただなんて想像できなかったというか、自分の事しか考えていなかった。ただ、話を聞いて納得できたし内容も僕としてはそこまで驚くような事ではなかったが、マスコミが知れば喜んで大騒ぎするだろう。僕がバス運転士をしている事なんかよりも、世間は健二さんの事の方が驚くに決まっている。だけど、小さいながらも僕だって内緒にしたい気持ちは健二さんと変わらない。少なくとも健二さんから僕の秘密は漏れないが、いつか誰かに気づかれるかもしれないという不安は常に付きまとうのに、さらに健二さんの秘密まで抱えてしまった。
 もしここに塚谷君がいなかったなら、重い空気の中、すき焼きなんて一口も食べられずになんて事を知ってしまったんだと頭を抱えていたかもしれない。だけど塚谷君がいるおかげで、健二さんの秘密なんてそんなに大した事ではないような気がしたし、なんとかなると思ったし、なるようになるさと気楽な気分でいられた。健二さんも僕と同じように清々しい顔をしていたし、話すことによって心の荷が少し降りたんじゃないかと思う。
 そして塚谷君は、塚谷君は……説明するまでもない。
「健二さんの秘密を知っちゃたし、こんな美味しいすき焼きをご馳走にまでなっちゃたから、健二さんにも私の秘密を教えてあげますね」と言って、塚谷君は健二さんの方に行き、僕には聞こえないように健二さんに耳打ちした。すると、
「はははっひひひっ……」
 なぜだか健二さんは大爆笑だ。
「笑うなんて、健二さんひどい」
 顔を真っ赤にした塚谷君が僕の横に戻ってきて、いかにも僕を味方にして一緒に健二さんに抗議をしたそうにしている。もちろん本気ではないが。だけど、すかさず健二さんが謝ってきた。もちろん必死ではないが。
「美樹ちゃん、ごめん。秘密の内容で笑ったわけじゃないから。たぶんだけど、そんなの美樹ちゃんの周りの人は皆が知ってると思うよ。いや、約1名は気づいてないかな。少なくとも、俺はすぐに分かったけどね」
「えー、うそー。本当ですか?」
「優秀なマネージャーでも自分の事は見えてないもんなんだね。でも、笑ったらだめだよな。本当にごめん。お詫びに、俺は美樹ちゃんの味方になるよ」
「ありがとうございます。私も健二さんのファンになります」
「あ、ありがと。それにしても、約1名も早く気づけばいいのに。鈍感にもほどがあるよな」
「そ、そうなんですけど。気づかれても、私なんて……」
 急に塚谷君の元気が無くなったが、落ち込む塚谷君も初めてだ。
「塚谷君、食べ過ぎてお腹でも痛いの?」
「ひろしさんのバカっ」
「ひろし、お前たちはそんなに仲が良いんだから、名前で呼んであげな。これは俺の命令じゃなくてお願いだぞ」
「言い方がお願いじゃなくて命令じゃないですか。塚谷君にだって意見があるだろうし」
「ひろしさんは、私を美樹って呼んでください」
「決まりだな」
「分かりましたよ。美樹はもうお腹いっぱいになった?」
「何言ってるんですか。まだまだ食べるに決まってるでしょ。健二さん、早く追加の注文をしてください」
「こらこら、美樹。健二さんになんて事を」
「いいんだよ、ひろし。俺と美樹ちゃんの関係はこれが嬉しいよ。それに秘密を打ち明けて胸のつかえが取れたようだから、お腹もすごく空いてきたし。ひろし、お前はもういらないのか?」
「食べます。美樹に負けてられないですから」
「そうこなくっちゃな。急いで頼んでくるから、少しだけ待っててくれ」と言うが早いか、健二さんは部屋から脇目も振らず出ていってしまった。残された僕と塚谷君はとりとめもない話をして楽しく時間をつぶすことに専念するだけだ。しばらくすると、健二さん自らすき焼きの具材を運んできたが、健二さんのような大スターにここまでしてもらってもなぜか後ろめたさなんて全くなく、純粋に楽しいだけだった。
 そして言うまでもなく再び鍋奉行と化した健二さんがすき焼きを作り、今度は鍋奉行も一緒にすき焼きを味わい始めようとしたその時、健二さんの携帯電話が申し訳なさそうに鳴り響いた。しかし、せっかくの食べごろのすき焼きを前にして、電話が鳴っているのを信じたくないのかもしくは携帯電話が早く鳴り止むように祈っているのだろう。しかし、携帯電話が鳴り止む気配を一向に見せないので、しばしの葛藤の後、観念した健二さんは箸を携帯電話に持ち替えた。
 健二さんが「中止?」とか「どうして?」とか言うのが聞こえたので、電話相手は仕事関係の人だろう。健二さんは話しながらも何か閃いたようで、たまに僕の方を見ながら「それなら心当たりがある」とか「予定通りでいこう」とか「安心しろ」とか「任せておけ」とか言って電話を切った。どう見ても僕に関係があるような仕草で話していたので、何か胸騒ぎが起こったが、そんなには悪い胸騒ぎではなかった。
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