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帰ってきたトラゾウ

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「よし、その前に、腹ごしらえだ。腹が減っては……」
「眠れない……。い、戦はできぬ!」
「ワン、ワン、ワー!」
 せっかくマリ先生が丹精込めて作ってくれた料理を、お礼をそこそこに私たちは食べまくった。美味しいごはんを食べているというよりも、エネルギーを補充しているかのように。明智君ですら、マリ先生をガン無視だ。マリ先生も私たちに何か非常事態が起こったのを察してくれたのか、嫌な顔一つせずに自分のペースで食べている。なのでマリ先生が前菜を食べているというのに、私たちは食後のデザートの皿を空にしていた。そしてすぐさま「ごちそうさま」の一言だけを残し、理由も目的も告げずに私たちは再び出発した。「次に戻ってくる時はトラを連れているけど、人に危害をくわえないので安心してください」と、せめて言うべきだったかもしれない。
 トラゾウの説明をするべきだろうな。これまでに何回かトラの話題を出してきたし、名前からも連想できただろう。そう、私たちと縁のあるトラが、飛行機に乗って日本にやってきたようだ。監視カメラに愛嬌を振りまきながら逃げ回っているくらいだから、人でなしに捕まって密輸入された可能性よりも、自らの意思でこっそり飛行機に乗り込み日本にやってきたのだ。私に会いに。トラがそんな考えて日本までやって来られるわけがないだろと思う人は、ちょっと頭が固いぞ。そういうトラがいても何も不思議ではないし、現にいるのだ。それも明智君並に頭が良い。さらに明智君の100倍優しい。その上、明智君の1000倍素直だ。そして明智君の100万倍、私を労ってくれるのだ。だけどトラゾウが一番尊敬しているのは、明智君だ。
 そんなトラゾウは、元々は密輸入されて、今回の事件の被害者である白シカ組の組長の家で飼われていた。だけど、ひょんな事から一時的に我々怪盗団の一員となり、ともに大活躍をする。あくまでも期限付きだったけれど。故郷のインドネシアに帰るのが、トラゾウの希望だったからだ。
 なので社員旅行を兼ねて、私たちがインドネシアまで送り届けてあげた。だからトラゾウは飛行機の乗り方を知っていたのだろう。ちなみに社員旅行の費用は私持ちだし、ついでに言えば、フランズにも行き一悶着起こしてきた。一悶着の原因は明智君だったと言っておこう。それでトラゾウは生まれ故郷のインドネシアで悠々自適の毎日を送っているはずだったのに。
 やはり物足りなくなってきたのだろうか。一度、怪盗の道を歩んでしまうと、抜け出せないようだ。それとも私に会いたくなってきただけなのだろうか。トラのわりに臆病なトラゾウが、こんな危険を冒してまで日本にやって来るなんて、それしかないか。と、阿部君と明智君も考えているのが、手に取るように分かるな。なので私たち3人はマリ先生の美味しい料理を食べ満腹になり今日の疲れと相まってやって来る眠気をあっさり吹き飛ばし、助けるのは自分しかないという強い意思で、再び車に乗り込んだ。阿部君パパは空気を読んで、何も言わないのに運転席に乗り込んだ。
 問題は、どこに行けばトラゾウを見つけられるかだな。飛行機から脱出したのは、もう何時間も前だ。空港近辺は警察やらが探しているのに見つかってないのだから、もう遠くまで逃げたのだろう。灯台もと暗しで、まだ空港内にいるかもしれないが、厳戒態勢の空港内に入るのは、さすがの私たちでも難しいかもしれない。できないとは言わないぞ。準備する時間さえあれば、やる自信はある。だけど自慢している時間さえも惜しいので、私が考えた天才的な作戦を発表しよう。
 明智君の能力を最大限に利用するのだ。そう明智君の鼻を。明智君なら匂いでトラゾウを追跡できる。トラゾウだって明智君までとは言わないが、匂いで大体の場所くらいは分かる。私たちの。お互いに距離を詰めれば大幅に時間を短縮できるぞ。トラゾウは誰にも渡さない。ああー。明智君をきれいに洗うんじゃなかった。一番分かりやすい明智君の匂いが、石鹸の匂いで消されてしまったじゃないか。まあいい。明智君がトラゾウを見つければ済むことだ。この日本でトラゾウの匂いを一番知っているのは、明智君だ。でも万が一警察が先に捕まえないように、警視長に頼むのも検討しておかないとな。下手にごまかさずに正直に話せば、警視長はきっと聞いてくれる。あのトラは、トラゾウと言って、明智君の大親友なのだと。
「阿部君パパ、とりあえず空港に向かってくれ」
「はい、リーダー!」
 やけに張り切ってるな。もうすっかり一軍気取りか。一軍入りは、そんなに甘くないぞ。だけどここでそれを言うと、阿部君パパはへそを曲げる。なので一切触れないでおこう。
「アジトから少し離れたら、パトランプとサイレンを大音量の大回転で行くぞ。それに見合った運転をしてくれよ」
「アイアイサー!」
 『アイアイサー』って、お前……。いつの時代の……なるほど、俳優の仕事でそういうセリフがあったのかもしれない。せっかく進んで残業をしてくれているんだから、バカにはしないでおこう。だけどどうして阿部君が顔を真っ赤にして、私を睨んでるんだろう。私に落ち度なんてなかったのに。仕方がない。たまには売られたケンカを買おうじゃないか。
 私は阿部君にだけ聞こえるように「アイアイサー」と囁いた。すかさずボディーに一発入る。痛い。なんと気持ちのいい痛さなんだろうか。あっ、別に変な趣味とかはないからな。説明しないと、変態扱いされそうだ。この痛みと同レベルの羞恥が阿部君にあったのが、私には手に取るように分かる。本来なら「アイアイサー」と言った自分の父親に、このボディーブローを決めたいところだ。だけど、それはできない。阿部君パパが恐いからではない。冗談でも、子が親に暴力を振るうのは見てられない切なさがある。率直に言うと、ドン引きだ。
 何よりも阿部君パパは冗談のつもりで「アイアイサー」と言ったわけではない。なのでそれに対して突っ込んでもお笑いにならない。ケンカになるだけだ。ボディーブローだろうが、「くだらない事を言わないの」と言いながら軽く肩を叩いても。だけど仕事を放棄するまではないだろう。阿部君も阿部君パパも仕事熱心とかではなく、負けず嫌いなので逃げたくないだけだ。すると、間にいる私と明智君が、なぜか針のむしろだ。
 そんな雰囲気でトラゾウと再会したら、トラゾウは自分のせいだと誤解してしまう。てっきり喜んでくれると信じて疑っていなかったのに、ピリピリした空気に耐えられなくなって、すぐさま私たちの元を去ってしまうかもしれない。しかしインドネシアには帰らないだろう。空港近辺は、しばらくトラ警戒警報が出ているのだから。しれっと、動物園かサファリパークでアルバイト生活だろうな。給料は現物支給だけど、いい経験になる。だけど繊細なトラゾウのことだから、人間関係というか動物関係に疲れて体調を崩すかもしれない。
 でも安心しておくれ、トラゾウ。阿部君は、親に暴力を振るうような悪い子ではない。だからトラゾウの再来日を我々怪盗団兼探偵団は大歓迎で出迎える。そのためにも、きっと見つけてあげるぞ。だから目立つ行動はしてくれるなよ。ヒッチハイクでここまで来ようとしてはダメだ。トラゾウは知らないかもしれないが、ほとんどの日本人はトラ語が分からないから。阿部君がおそらく唯一のトラ語の分かる日本人だ。もしヒッチハイクをして止まってくれるドライバーがいたなら、その人も話せる可能性はある。だけどそんな稀有な人が通るまでに誰かが通報をする。そしてすぐに軍隊のような世にも恐ろしい組織が痛そうな麻酔銃を装備して、トラゾウを捕まえにやって来るだろう。
 私が「早まるなよ、トラゾウ」と呟いたと同時に、阿部君パパが急ブレーキをかけて車を止めた。そこはまだ、車庫を出てすぐのアジトの広い敷地内だ。まだシートベルトをしていなかった私は、阿部君パパが座るシートに顔面を強打する。低速の方が急ブレーキをかけられと、案外反動が大きいようだ。考えに集中していたのもあった。
 それにしても、阿部君パパの奴、わざとやったな。私が『アイアイサー』をバカにしていたのに気づいていたに違いない。それで仕返しと分からないような仕返しをしてきやがった。なんて陰険なんだ。しかし陰険さなら、私の方が一枚上手だ。どこかで風が吹いておけ屋が儲かるように阿部君パパが一軍に上がれたなら、お前のコードネームは『アイアイサー』にしてやる。私を怒らせたら恐いだろ。だけど難点もあるな。誰かが阿部君パパをコードネームで呼ぶたびに、笑って力が抜けてしまう。
 ここで力を抜いたら悲惨な目にあうという局面で、阿部君か明智君が意味もないのに『アイアイサー』に声をかけるかもしれない。明智君に関しては大丈夫か。せいぜい『ワンワンワー』と聞こえるくらいだな。問題は阿部君だ。『アイアイサー』と呼ぶのは恥ずかしいが、それで私をいじめられるとなったら、どうするだろう。考えるまでもないか。
 コードネームに『アイアイサー』を使うのはやめておこう。ミッション中にいつ何時『アイアイサー』が飛んでくるかもと考えるだけで、集中できなくて結局痛い目にあってしまう。阿部君パパ、命拾いしたな。だけど別の陰険な仕返しを適宜実行してやる。ちなみに阿部君と明智君も顔面を強打したので、二人とも仕返しをする気満々だ。私たち三人が結束した時の底力を見せてやるからな。覚悟しておけ、阿部君パパ。
 それにしても、いつまで止まったままなんだ。早く車を出しやがれ。嫌がらせをやったはいいが、改めて仕返しの恐ろしさに気づいて凍りついているのか。自業自得だからな。一時の感情をコントロールできない奴は、一生二軍だ。覚えておけ。ヘヘッ。
 いや、さすがに万年二軍で飼い殺しは残酷だな。仕返しの範疇を超えている。笑えない。やはり笑って終われる仕返しの方が、後腐れないものだ。例え陰険な仕返しだとしても。でないと仕返しの連鎖ができてしまい、今度はこっちがそれに怯えて生活しなくてはいけなくなる。よし、お前がドラマか何かで『アイアイサー」と発した場面を探そう。それを観て笑い転げて終わりにするか。阿部君も一緒に観てくれるだろうか。
 それよりも、まだ動かないのか。もうお互いに気が済んだのだから、早く出してくれ。トラゾウが待っているんだぞ。ああ、そうか。そういうことか。なるほどな。シートベルトをしていないと、万が一事故にあった時に、こんな目にあうと言いたかったんだな。別にしないつもりではなかったんだ。言い訳みたいに聞こえるが、まさに今しようとしていたところだったのに。その証拠に、いつもはしているじゃないか。少なくとも、私は。
 ほら、したぞ。うーん、動かないな。仕方ない。話しかけるか。仕返しには一切触れないで、世間話でもするかのように。
「阿部君パパ、後悔先に立たずって知ってるか?」
 ああー、違う違う。しまった。ついつい。うっかりだ。これじゃ、脅してるみたいだ。何か言い訳をしないといけない。急げ、私。ああ、そうだ。
「真犯人に告げる言葉としてどうかなあ? 私にしては、平凡だろうか? そうだな。もう少し考えてみるか。まだ時間はあるからな」
「え? あ? 何ですか? いや、そんな事よりも、ほら、あそこ。見てください」
 熟考の末に探し出した模範的な言い訳をあっさり流された苛立ちよりも、好奇心が勝った私は、阿部君パパが指差す方を見た。私以上に阿部君パパに対して仕返しに燃えていた、阿部君と明智君も私に倣う。
 阿部君パパの車のヘッドライトのせいで眩しそうにしながらも、何かを訴えるようにしてこちらを見ているトラゾウが、そこにいた。明智君を一回り大きくした半年前と全く変わらない子トラのままだ。動物なら半年もあれば成長して大きくなっていても不思議ではないのに。もしかしたらトラゾウは、大人だけれど大きくならない体質なのだろうか。どうでもいいことだな。私たちと仲良しのトラゾウが元気であれば、それでいい。
「トラゾウ!」「トラゾウ?」「ワンワオ!」
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