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束の間、事件を忘れさせてくれるかい

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「だってえー」「ワッウォー」
「まさか本当に、あの犬がお前たちを整形手術すると信じているのか?」
「そんなわけないじゃないですか。あれは、犬の言葉を理解できないリーダーをからかっただけですよ。それを真に受けるなんて、バカじゃないですか?」
「よ、余裕があったんだな」
「余裕なんてないですよ。だけど私と明智君だけが怯えていて、リーダーは全くだったでしょ? そんなの、八つ当たりをしてくださいと言ってるようなものですよね。なのでご希望に沿って、バカにしてあげたんですよ」
 言っている事が支離滅裂で非常識で悔しいが、そんなくだらない事で言い争いをしても時間を無駄にするだけだな。それにおそらくだけど、より嫌な思いをするだろう。ただ一つ気になるのは、これは阿部君の単独犯なのだろうか。それとも明智君との合作なのだろうか。怯えていたとはいえ、阿部君の言っている事を否定しようとしていなかった明智君も同罪だな。よし、いつか仕返しをする機会があったなら、比重は同じにしといてやる。
 いやそれよりも、あの時、悪徳政治家夫人の犬は何て言ってたんだ? それだけは、はっきりさせておかないといけない。さもないと気軽にボールを盗りに行けないぞ。
「なるほど。効果はてきめんだったと認めよう。私の顔そっくりに整形手術をされるという脅しで、阿部君と明智君があんなに怯えるなんて、私は心底悲しかったからな。まさか阿部君が全く違う通訳をしていたなんて、信じて疑わなかったよ。だけど私は人生において、バカにされたいなんて一度も思ったことはないぞ」
「そんな事は分かってますよ。何を真面目に捉えているんですか。もう一度バカにされたことが分からなかったんですか? 私の高度な暴言は、リーダーには難しかったようですね」
「……。あの犬は本当は何と言ったんだい? 真面目に答えておくれ。ミッションを敢行するうえでの参考にするんだから」
「本当に知りたいんですか? 弱虫リーダーのことだから、絶対に漏らしますよ。おむつを履いてるんでしょうね?」
「そんなの、私には一生必要ない。それに何より、私は怖いもの知らずで世界に名を轟かせているんだぞ」
「はいはい。忠告はしましたよ。あっ、でも一応、これがラストチャンスです。パパが私に何かを訴えているので。漏らしてしまったら、服から座席に漏れ出す前に外に出てくださいね。そしてもちろん一人で何かしらの方法で帰ってください」
「分かった分かった。万が一漏らしてしまったら、速攻で車から出るよ。阿部君パパ、それでいいだろ? 私たち怪盗団が全額を出してあげたとはいえ、お前の車だもんな」
「はい。約束を破ったら、二度と乗せてあげませんよ。いや、それよりも、替えの車を買ってもらいますね。これの色違いにしようかな。ひまわり、どう思う?」
「はいはい。じゃあ次はパッションレッドにでもすればいいでしょ。だけど支払いはリーダーだけだから、パパもいくらかというかほとんど出さないとだめかもね」
「いやだー!」
「……」「……」「……」
 阿部君も苦労しているんだな。私への理不尽な八つ当たりも、少しくらいなら許してあげるか。それと、絶対に漏らさないように気をしっかり持っていよう。
「夫人のあの犬は、こう言ったんです。『俺の大事なドッグフードを耳を揃えてすぐに返せ! さもないと代わりにドッグフードになるのは、お前たちだからな』と。ほらっ、早く外に出てくださいよー。明智君、リーダーを引きずり出して」
「私なら大丈夫だ。ズボンから滲み出るほどはチビッてはいない。むしろ明智君が真っ青だぞ。顔だけじゃなく全身が。あの時の恐怖を思い出したようだな」
「だから言いたくなかったのに。リーダーが悪いんですよ」
 だから? 明智君の事なんて触れてなかったじゃないか。阿部君の思考回路に疑問を持つなんて、今さらだな。
「明智君、ごめんよ。だけど私がいる限り、明智君の安全は保証されている」
「ワオーン!」
「明智君、信じちゃだめだよ。リーダーの唯一の長所は、裏切るのが趣味と逃げ足が速いと他人の不幸を大笑いなんだから」
 なんか阿部君、いろいろ間違ってるぞ。なるほど、あの犬の暴言を蒸し返したことで、何気に阿部君も怯え始めたのだな。自分でも何を言っているのか分かってないはず。なので私に対する悪口は流してあげよう。だけど皆さんのためにも訂正をしておこうか。まず、唯一と言いながら3つもあげた。そしてその3つとも、阿部君のことだ。言うまでもなかったかな?
「おい! いや、いい。あの犬は、そんな事を。でもまあ、あの犬の立場だったなら、当たり前のことを言ったまでだな。何のひねりもない。実に安直だ。しかしもう少し気の利いた脅し文句を言えないものなのだろうか。言えなかったのだ。私たちと比べるのはかわいそうだけれど、頭がさほどなのだろう。これは扱いやすいぞ。あの犬さえ静かにしてくれたなら、事件と関係があると思われる夫人が隠したボールを奪うことなんて容易いということだ」
「そうですね。リーダー一人で十分ですよ。私たちはリーダーの負担を減らすために、料理の下ごしらえでもしながら、リーダーの無事を祈りつつ、映画でも観てようかな。怪盗ものにしようかな。それとも刑事もの? いやいやスパイものかな。ヒヒヒヒヒ」「ワワワワワ」
「お前たちも、行くんだ! あっ、それと、阿部君パパ。悪徳政治家宅まで、私たちを送っていってくれるかい?」
「もちろん大丈夫ですよ。大サービスしているとはいえ、一週間で100万円の契約なので」
 阿部君パパは計算ができないのだろうか。それともこう見えて優しいのだろうか。一度送ってくれただけで100万円取っておきながら、一週間乗り放題でも100万円だなんて。ただの強欲なバカと言いたいところだ。だけど万が一阿部君パパの耳に入ると機嫌を損ねるかもしれないな。あまり詮索しない方がいいだろう。
 むしろ機嫌を取っておくべきだな。車のシートを必ずしも汚してないとは言えないし。それに一度帰られると、また来てくれるか来てくれるにしても時間を守ってくれるか不安だしな。
「阿部君パパも、良かったら一緒に豪華な晩ごはんを食べていかないか? 阿部君ママはどうせ泊まりで俳優の仕事をしてるんだろ?」
「はい。じゃあ遠慮なく」
「ついでに泊まっていくといい。絢爛豪華な我が家兼アジトに」
「はい。じゃあ遠慮なく」
 本当に遠慮しない奴だなんて、私は思わない。阿部君と明智君は、さも当たり前のように感情の起伏が全くないように見える。
 えっ! なんて図々しい奴だなんて、ほんの僅かでも思った私がひねくれているのか。おそらくそうなんだろう。私の陰険なところかもしれないな。私の数少ない欠点だ。いや、ほとんどの日本人のと言ったら、敵が増えてしまう。口は災いの元だもんな。みんなも気をつけておくれ。
 陰険は言い過ぎかもしれないが、大抵の日本人は思ったのではないだろうか。一度、いや二度三度断るのが、普通というか奥ゆかしいと。だけどそんなの時間の無駄だ。どうぞ、いえ、どうぞ、いえ……のようなそんなラリーの何が楽しいんだ。普段の己の行いに何ら恥じることがないのなら、他人の目なんて気にする必要がないのだ。
 怪盗は犯罪なのだから、恥じろとか言わないでくれるかい。そういう揚げ足を取るような奴は、私の華々しい伝記を読まないでくれ。それがお互いにとっていいことだ。そう思わないかい?
 私の数少ないファンの方に文句を言っている場合ではない。あっ、ついつい奥ゆかしいところを出してしまった。私の数多くのファンだったな。私は期待に応えてみせるから、今後の活躍も楽しみにしておいてくれ。
「よし、そうと決まれば、しばしの間だけでも事件の事は忘れて、楽しくショッピングをするぞー」
「おおー!」「ワオー!」「イエース!」
 この近辺にある日本広しの中でも指折りの品揃えが豊富な郊外型特大スーパーマーケットにやって来た。私の想像を遥かに超えて大きく、それに倣ってかカートが軽自動車ほど大きかった。あくまでも感覚的にだ。なので明智君をバックパックもどきにする必要がなかった。ぬいぐるみに化けさせてカートに乗せればいいのだから。この大きさのスーパーマーケットは売ってないものなどないので、ぬいぐるみだって普通に売っているのだ。明智君サイズの明らかなぬいぐるみを抱えた親子連れが嬉しそうに店から出てきたので確実だ。クマのぬいぐるみだったけども。
 犬のぬいぐるみだってあるだろう。ない理由が思い浮かばない。仮になかったとしても、誰も疑わないだろう。ここにある全ての商品を把握している店員さんなんているはずがない。暇なウインドーショッピング部隊でさえ何もかも知っている自信なんてないだろう。それだけ大きいのだ。それに日々新商品が入荷している。怪しむどころか目にも入らない。
 バックパックに化けるよりもぬいぐるみの方が楽なので、明智君は喜んでくれた。しかし背負わされる予定だった私が何気に明智君よりも喜んでいる。阿部君はおろか阿部君パパまでも当たり前に私に押し付けてきて、そして私が断れないのがはっきり予知できたのだ。というわけで私は本当に心の底からショッピングを楽しめるだろう。
 お金を払うのは、確かに私だ。だけど全然楽しい。なにせ遠慮という言葉を知らないか知っていても意味が分からないか、そもそもそういう概念がない人たちとのショッピングなのだから。え? 何か変な事を言っているか? いやいや。こういう何も考えず欲望のままに欲しいものをカートに入れる時は、遠慮されるのが逆に辛いのだ。はっきり言って興ざめする。食べ切れるだろうかとか冷蔵庫に収まるだろうかとか調理方法が分からないとかの、あらゆる負の要素を排除できる人たちとのショッピングは楽しいぞ。本当の王様になった気分だ。
「カートは一つでいいですか?」
「阿部君、愚問だ。カートを押せる人間は何人いるんだ?」
「はいっ、リーダー! パパもカートを使ってね」
「くだらない決まり事を言うつもりはないが、一つだけ守ってほしいことがある。時間だ。1時間後には、レジ前に集合だ。いいな? ないとは思うが、もし時間が大幅に余るようなら、私に合流してくれ。それだけだ。よーい、はじめ!」
「おおー!」「イエーイ!」「……!」
 さすが明智君。空気を読んでくれたな。
「明智君は私と一緒だからな。欲しい物があったら、小さく手で指し示すんだよ。声だけは出さないでくれるかい。明智君には言うまでもなかったか。明智君、こんな時に言うのもなんだけど、怪盗になってよかったなあー」
「ゎっ……!」
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