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リーダー業は過酷

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 ゴンベエが喜びそうな物か。何かないかなあ。所詮は犬なんだから。私のサイン入り首輪なんてどうだろうか。やめておこう。どうせ字が読めない。
 それなら、明智君が怪盗になる時の変装セットのレプリカはどうだろうか。危険だな。人間には人気があるが、犬から見た明智君の魅力が未知数だ。少なくとも悪徳政治家夫人の犬は全くだった。
 明智君が喜ぶものなら、いくらでも思い浮かぶのだけれど。一般的な犬は何をもらったら、あからさまに喜んでくれるのだろうか。
 あー、一つあるじゃないか。
「明智君、悪徳政治家宅で手に入れたあの高級ドッグフードを、少しばかり分けて……グエッ! いってー! あ、明智君、酷いじゃないか。まだ最後まで言ってないし、だめならだめで、口で言えば済むことだろ。今なら通訳の阿部君もいるんだし」
「ワワワンワッワッワー」「体が勝手にー」
 阿部君の同時通訳もだいぶ様になってきたな。ほとんど遅れてないというか、通訳が先行してなくもないぞ。それはそれとして、反射的に動いてしまったのなら仕方がないか。あのドッグフードだけは譲れないよな。
 なにせ正真正銘の、次にいつ出るか、出ても手に入れるのがおそろしく困難な限定発売のドッグフードだもんな。味だって、その希少性と比例しているみたいだし。それだけに、そのドッグフードを手土産に使いたい。なんとか私の口車に乗せられないだろうか。明智君、覚悟しろ……いや、武士の情けを見せてくれ。明智君は高潔な侍じゃないか。心の中でおだてても意味がないか。
「分かった分かった。だけど私の話も聞いてくれないか。これは事件を解決するためなんだぞ。事件が解決したら、誰が喜ぶのかを考えてほしい。一応阿部君は容疑者から外れたとはいえ、一度でも疑われたら、悲しいことに世間はなかなか普通に接してくれないんだよ。まして真犯人が捕まらなかったなら、陰でコソコソ悪口を言われるんだ。自己中だとか、凶暴とか、欲深いとか、人の心が全くないとか、悪魔に心を売ったとか、ゴキブリ以下だとか……あと、100個くらいの心無い悪口を。私は全く思ってないぞ、阿部君。ヒヒッ。そして終いには、あいつならやりかねないと言われるんだ。罪に問われなかったのは、決定的な証拠が見つからなかっただけだろ、と。百歩譲って、それは阿部君の自己責任かもしれない。百歩もいらないか。一歩……いや半歩でも多い……ウォッホン。阿部君はそれでいいとしても、警視長の立場が危うくなるかもしれない。なんと言っても、警視長の独断で阿部君を釈放したうえに、私たちのようなイレギュラーな存在の捜査官を作ってしまったのだから。良くて巡査に降格で、悪ければ……私たちの怪盗団に入団だからな。そうなると、どうなるか分かるよね、明智君? そう、私たちのそれぞれの取り分が減るということだ。いくら仲が良いからって、明智君の取り分を減らしてまで怪盗団に入れたいかい? 答えるまでもないだろ? うん、分かる。それに警察官としては優秀かもしれないけど、怪盗としては未知数だ。下手をしたら足を引っ張られ、ミッションに失敗し、獲られるはずのものも獲られず、最悪捕まるまであるんだぞ。それに比べたら、ドッグフードを手土産に少し使うくらいは、なんてことないだろ?」
 おお、明智君考えてくれているな。阿部君の方は怖くて見られないが、殺気だけは感じる。調子に乗って少しだけ言い過ぎたかもしれないな。だけどまだ豪華な晩ごはんが私を守ってくれているようだ。それともお年玉の件だろうか。どちらにしてもしばらく私の安全は確保されている。晩ごはんの方なら、ほんの半日だぞと突っ込まないでくれ。ごはんが喉を通らなくなる。いや、大丈夫だ。阿部君は美味しいごはんを食べると嫌な事なんてすぐに忘れるのだ。だから成長しないとか責めないでおいてくれるかい。そういう人が人生を楽しめる人なんだぞ。
 とか考えている間に、明智君が決心してくれたようだ。結構長かったが、分かるぞ、明智君。苦渋の決断だもんな。きっと良いことがあるよ、明智君。希望を捨てたらだめだよ。私だって協力できるなら、文句一つ言わず協力しているだろう。へへっ。
「ワーン……ワンワワンワン、ワッオーンワンワン。ワワンワワワンオンワンワワン。ワン?」「うーん……仕方がないからリーダーの顔に免じて提供するワン。一粒1万円だよ。いい?」
 あ、明智君……転んでもただでは起きないのがモットーなのだろう。どうせ交渉しても、一切引いてくれないに決まっている。逆に値上がりする可能性の方が高い。時間とお金を無駄にするくらいなら、明智君の出した条件を快く飲むしかない。
 阿部君も払ってくれるのか、一応念の為に僅かな期待を持ちつつ確かめよう。普通なら何も言わなくても、半分出しますよと言うだろう。だけど口下手なのか遠慮しているのか黙っている。私を睨みながら。これは、私が言った悪口に怒って睨んでいるのではない。
 通訳も一部適当な箇所があったような。あのドッグフードは自分のものでもあるとか言いたいのだろうか。これはへたに協力をお願いすると、阿部君にまでドッグフード代を請求されかねないな。明智君と同額を。阿部君との共同出資は諦めよう。
 まあいい。どうせ私は借金まみれだ。でもこういう考え方が破滅に繋がるのかもしれないな。ここで一回、借金がいくらあるのか正確な額を計算しておくか。その上で白イノシシ会の組長の愛犬ゴンベエに何粒持っていくか考えよう。
 まずは阿部君と明智君には、それぞれ2000万円。阿部君パパには200万円。阿部君パパの車を買うために、我々怪盗団が各々400万円の1200万円出したことは、忘れておいた方が精神的にいいのだろう。というわけで、私には4200万円の借金がある。ちなみに怪盗になるまでは、私は借金とは無縁の真面目な人生を歩んでいた。でも今の方が楽しいから不思議なものだな。誤解しないで欲しいのは、借金があるから楽しいわけではない。例え借金があろうとも、自分のやりたい事をやれているから楽しいんだ。私って、かっこよすぎる。
 よし、決めた。100粒持っていこう。何事も気前良くだ。それに4200万円と4300万円の差なんてないに等しい。おそらく5000万円までは、こんな感じで借金が増えていくのだろう。だけど5000万円だけは超えないようにしよう。さすがの私でも、何かが壊れるかもしれない。その結果、雪だるま式に借金が増えるだろう。そうなると借金を返すだけのために怪盗をやるようなものだ。夢も何もない。
 幸い無利息で貸してくれている優しい人ばかりなので、自然に5000万円を超えることはない。感謝しよう。くだらない突っ込みはしないでおくれ。私だってバカではない。薄々気づいている。だけど確信してしまうと、大切な仲間への信頼が無となってしまう。それは悲しいだろ。
「それじゃ明智君、100粒もらえるかい? それだけあれば、どんな犬でも、よだれと涙と鼻水を垂れ流して喜んでくれるだろ。でもそれ以上になると、失神するかもしれないからな」
「ワッワーン」「ひゃっくまんえーん」
 うん? 阿部君は通訳しているだけだよな。まさか……。だけど、明智君だけだぞなんて言えない。私の勘違いだったなら、わざわざ言うと、阿部君がかわいそうだ。そしてそれにつけ込んできて、結局勝ち取ってしまうのが阿部君だ。それとなく伝えてみるか。察してくれるだろうか。察しても気づかないふりをするかもな。少なくとも、阿部君の気持ちがはっきり分かればいいのだけど。
「あ・け・ち・く・んの勇気に比べたら、100万円なんて安いものだ。あっ、でも、値上げはしないでくれるかい。いや、この話は終わりだ。はい、話が変わりまーす。そうと決まればすぐにでも白イノシシ会の組長宅に行きたいところだけど、今日の捜査は終わりにしよう」
「豪華な晩ごはんの食材調達に行くんですね」「ワオーン!」
 おっ! 晩ごはんの事しか頭にないようだな。よしっ! 100万円捨てずにすんだぞ。疑ってごめんよ、阿部君。人間はお金が絡むと疑心暗鬼になるようだな。私ですら。せめてもの償いとして、豪華食材には一切妥協しないでおこう。あっ、心配しないでくれ。借金はあるが貯金だってある。借金に比べたら微々たるものとはいえ、見栄を張って贅沢をできるだけの。
「おお、そうだ。だけど、晩ごはん前に片付けたい事が一つあるんだ」
「え?」「ワ?」
「買い物には行く。しかし料理するのは、ひと仕事終えてからだ」
「え? 今日の捜査は終わりとかなんとか。いよいよ本格的にボケて……」
「ワーン……。ワワンワッワンオワワワンワオワンワンワワワンワー」「ガーン……。ボケたからって借金を踏み倒さないでー」
「おい! 私はボケてなどいないし、ボケる予定もない。私たちの本職は何だ? 探偵か? 違うだろ? そう、怪盗だ」
「え? こんなに忙しいのに、怪盗なんてしている場合ではないでしょ。そんな時間があるなら、凝った料理を作った方が……」
「阿部君明智君、安心しろ。凝った料理は作ってやる。三ツ星レストランクラスのな。だけどそれは、阿部君と明智君の働き次第だからな」
「はい、リーダー!」「ワン、ワーン!」
「よし、今日の残りの計画を話すぞ。まずは何をおいてもショッピングだ。明智君は阿部君パパと一緒に車で待っていてくれるかい? もしくは犬型バックパックに変装して一緒に行くかい?」
「ワー!」「一緒に行くに決まってるワン!」
うーん、犬語って……。
「明智君、言うまでもないが、きれいなお姉さんが犬型バックパックに興味津々でも、愛想を振りまいてはだめだからな。ショッピングは中止となり、帰ったら阿部君からの説教が延々と続くのは分かるな?」
「……」「大丈夫だよ。きれいなお姉さんよりも、豪華な晩ごはんだもん。もし店内で犬だとバレたなら、絶食する覚悟だワン」
「ワワワワンワンワオワオワワワワワンオンー」
 うん、これは完全に阿部君の創作通訳だな。おそらく明智君は必死で否定している。でもいい。これでお店から追い出される心配はなくなった。明智君は車で阿部君パパと一緒に待っているかもしれないが。
 葛藤しているようだな。分かるぞ、明智君。
「お店では欲望のままに何も考えずに手当り次第にカートに入れていっていいからな。遠慮はするな。遠慮しろと言ったところでだしな」
「はいっ!」「ワンッ!」
 おお。明智君は犬型バックパックを選んだぞ。やはりショッピングは参加したいよな。頑張るんだぞ、明智君。明智君が本物の犬だと気づかれないように、私も最大限の協力をするからな。だけど、きれいなお姉さんに話しかけられたら、無視はしないぞ。きれいなお姉さんは遠慮なく犬型バックパックを触るだろうな。明智君、耐えておくれ。
「ショッピングを終えたら、アジトに帰って買った物を冷蔵庫に入れるだろ。もうその頃には日も暮れてるから、変装してすぐに出発だ」
「え? 日が暮れてると言っても、まだまだ寝静まる時間ではないですよ。というより、どこに何を盗りにいくんですか?」
「悪徳政治家宅に、夫人が隠したと思われるボールを盗りにいく」
「明智君、私たちは食材が盗まれないようにアジトで待っていようね?」
「ワン」
「おい!」
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