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阿部君の話を聞くのは時には命がけ

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 これは笑うのを堪えるのが至難の業となってきたぞ。明智君なんて完全に我慢の限界だな。明智君の口が開かないように押さえないといけないじゃないか。あまりにおかしくて力が入らないというのに。
 それでも明智君が大口を開けて笑い出す前に、私は明智君の口を押さえることができた。この時ばかりは、明智君でも私に感謝している。しかし明智君、目が笑いすぎだぞ。ということは私も目が大爆笑しているかもしれないな。それに笑うのをこらえているものだから、体中の震えが止まらないじゃないか。もちろん明智君も。
 阿部君が、私たちは武者震いしているだけだと思いますように。と、心の中で言い終わるか終わらないかで、キッチンにあったはずの包丁が私の頬をぎりぎり通過していった。
 当たっていないと思う。当たっていないと信じよう。鏡をしばらく見なければ問題ない。人間とは不思議なもので、傷を見てしまうと、それまでなんともなかったはずでも急に痛くなるからな。例え話だぞ。私はケガなんてしていないのだから、わざわざ言う必要なんてなかったな。この件は忘れよう。壁に突き刺さっている包丁も見ないようにしよう。
 明智君ですら冷や汗をかきながら固まっているし。おそらく自分の方に飛んでこなくて良かったと安心しているだろう。阿部君は私のぎりぎりを狙ったのだろうか。それとも、ただ闇雲に……。忘れるはずだったな。阿部君も何事もなかったかのように話の続きをする気が満々だし。とりあえず私も何事もなかったかのように振る舞うとするか。
「それで、救急車が来るまでの間に、阿部君は何をしていたんだい? 被害者の介抱とかかな?」
「いえいえ。119番に電話した時に被害者の状態を説明したら、何もしないでそこにいるように言われたので。だから素直な私は言う通りに、何もしないで待つことにしたんですよ」
「無難な選択だね。へたに逃げようとしなくて良かったよ」
「いえ、そうは言っても、逃げる気は満々でしたよ。だけどよく考えたら、そこにいる正当な理由ができたわけじゃないですか? なので、せっかくだし、堂々と当初の目的である悪徳政治家宅の偵察を始めたんです」
「正当な理由……。そうだね」
「それで、救急車が来るまでの間だけでもと、うろちょろしてたんですけど。やっぱり焦ってるとだめですね。どこがどうだったかほとんど記憶にないですよ」
「それはしょうがないね。焦ってるのもあっただろうし、その前に大ケガをしている人を見たもんね」
「そうなんですよ。なのでいちいちあげ足を取るようなダメ出しはしないでくださいね」
 そんな自殺行為を私がするわけないじゃないか。冗談でも言えないぞ。そもそも先にフォローをしてやったじゃないか。それにダメ出しをしないことで、貸しにしておくのもいいしな。阿部君相手に貸し借りが通用するのかまでは、今のところは結論は出さないがな。なので具体的な答えはせずに、私が阿部君の何が失敗だったのかを理解してない雰囲気を醸しつつ、包み込むような優しい作り笑顔で先を促す。
「そんなことよりも、続きは?」
「あー、はいはい。すると思いのほか早く救急車が来てしまったんです。さらにパトカーまで連れてきたんですよ」
「阿部君からの報告で、事件性があると判断されたんだろうね。それで119番の人が気を利かせて呼んでくれたんだよ。よくあることだよ。阿部君も手間が省けて良かったでしょ?」
「まさか。余計なことをって感じですよ。おかげで悪徳政治家宅を偵察している言い訳まで考えないといけなくなったんだから」
「そ、そうだったね。でも、どうせ阿部君のことだから、家の人を探してたとか言ったんだろ? その状況では至極最もな理由だし。さすがに動揺はしなかったよね? まさかしどろもどろになったとか? ははっ」
「……」
 えっ! 嘘だろ? これはまずいぞ。確か、このアジトには包丁がもう一本置いてある。早くフォローしないと。強運が2回も続くなんて期待できないぞ。せめて明智君の方に包丁が飛んで行きますように。いやいや、ちがう。包丁が飛ばないように努力しよう。なにげに明智君は私の後ろに瞬間移動してやがるし。
「い、いや、で、でも、その時の阿部君の精神状態なら、警察に対して冷静に対応するのは難しいよね。私だったら、自分を見失って全速力で敵前逃亡して警察相手に大立ち回りをしていたところだよ。そして本来なら、無実なうえに被害者の人をいち早く見つけて救助できた結果、感謝状の一つでももらえたところを、公務執行妨害罪で捕まってただろうね。それに比べて、阿部君はすごいね。それも我々怪盗団のために下見をしていたんだから、頭が下がる思いだよ」
「でも頭が全然下がってないですよ」
 言うまでもなく、私は即、頭を下げる。
「あれ? 明智君は?」
 言うまでもなく、私が明智君の頭を押さえつける。なぜか明智君は反抗するが、明智君の耳元で「阿部君にワインを飲ますぞ」の一言で楽勝だ。そして何事もなかったかのように、話を促す。
「じゃあそこから事情聴取が始まったんだね? わざわざ見ず知らずの赤の他人の阿部君が付き添いで行く必要なんてないもんね」
「はい。でも私が警察の質問に対して納得のいく答えなんてできるわけないじゃないですか。それで警察の人が屋敷の人に話を聞こうと呼び鈴を押したら、まるで待ち構えていたかのように人が出てきたんです。おかしくないですか? それまで私がほんの少し取り乱して騒いでた時は何の反応もなかったのに。だからてっきり留守だと思ってついつい堂々と偵察をしてしまったんですよ。素直すぎる私のだめなところが仇となっただけですからね」
 外で何らかの悲鳴が聞こえたとしても、自分が巻き込まれたくないがために気配を消していたとも考えられるが。でもそれなら住人が警察を呼ぶべきだな。これはこの事件に関与している可能性がゼロではないぞ。だけど何も知らない状況で推測していても間違った方向へ進むだけなので、あくまでもそういう事実があったとだけ記憶しておくか。
「それで、出てきた人は誰なんだい?」
「おそらくですけど、悪徳政治家夫人だと。お手伝いさんにしては、ちょっと迫力がありすぎたんですよね。それにその人以外は誰も出てこなかったし」
「そうか。その悪徳政治家夫人が警察に話した内容は分かるかい?」
「いえ。私に聞かれないようにヒソヒソと話していたので。ときおり私をチラチラ見ながら」
「それは普通の対応だね。見ず知らずの赤の他人が自分の屋敷内にいて、事件か事故に関わっていると思ったら、距離を取るだろうね」
「そうですけど、でもきっと悪徳政治家夫人には何か後ろめたい事がありますよ」
「阿部君の考えも分からなくもないけど、根拠となるものはあったのかい?」
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