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被害者の身元が不明らしい

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 私の嫌味ともとれる発言を、阿部君は流してくれたようだ。無神経だから気づかなかったとも言えるが。しかし明智君が目立たないように私の横腹をつつく。明智君なりにたしなめてくれているのだ。しらふなら阿部君が明智君に八つ当たりをすることはないだろうけど、今はまだ阿部君がワインを飲む危険がはらんでいるからだろう。
 阿部君は私と明智君の葛藤には目もくれず続ける。
「はい。私が蹴飛ばしてしまったものが、必ずしもそれだとは断言できないと踏まえておいてくださいね。もしかしたら、大きな石ころがあって、蹴られた勢いで遥か彼方に飛んでいったのかもしれないので。ただ、そこには人だけが倒れていたんです。まあまあ肝が座っている人でも大声で叫ぶような状況ですけど、私は冷静に受け止めました。全速力で10メートル、いや5メートル、いや1メートルほど逃げただけだったんです。私だから、この程度ですんだんです。これが明智君なら走るのが速いから100メートルで、リーダーは走るのは遅いけど脇目も振らず大騒ぎしながらおしっこも漏らしつつ息が切れるまで走り続けたでしょうね。ははっ」
「私や明智君のことはさておき、1メートルという名の10メートルを逃げた阿部君は、それからどうしたんだい?」
「怪盗界ナンバーワンの正義感の持ち主である私が、する事って決まりきってるじゃないですか。まずは10分、いや1分、いやほんの10秒で息を整え……あっ、別に動揺してパニックになんかなってなかったですよ」
「何も疑ってないから、気にせずに続きを話してくれるかい?」
「本当ですか? 疑わしいけど、リーダーにかまけてられないので続けるとしましょう。まだ生きているのか確かめるために、そーっとその倒れてる人に近づいていったんです。もしかしたらマネキンかもしれないし。はたまたただ寝ているだけかもしれないし。住人が家のどこで寝ようが、自分の土地なんだから自由ですよね。どういう状況であれ、勇気ある私は確かめるのに一切の躊躇はありませんでしたよ」
 正直者の阿部君の嘘というか強がりは分かりやすいぞ、と言いたい。続きを早く聞きたい。だけど私はそのような素振りを一切見せない。我慢強くうなずくのみだ。いや、明智君になすりつけてしまおう。
「阿部君、明智君が早く続きをと訴えてるようだぞ」
 明智君に後ろ足で蹴られたが、喧嘩両成敗なのだろう。これで阿部君の話すペースが速くなると思えば、ちっとも痛くない。ただ、明智君は手加減を覚えないといけないな。
「あっ、はいはい。私が軽く蹴飛ばしてしまったと思われる頭には、念のため焦点を合わせないようにして、手首の脈を見たんです。そしたら、しっかりと、しっかりと力強くですよ、脈があるじゃないですか。これは少なくとも私のキックは致命傷にはなってないということですよね」
 阿部君が必ずしも無罪だとは言い難いことになったが、ひとまず黙っていよう。阿部君の話はまだまだ序の口だ。
「うんうん、それで?」
「ここでスヤスヤと寝ていただけなんだと思って安心しましたよ。そこで初めて、その人の顔に目をやったんです。キャー!」
「いやいや、『キャー!』じゃなくて。まさかその人が『のっぺらぼう』だっただなんて、くだらない怪奇冗談を言うつもりじゃ……」
「のっぺらぼうって何ですか? いや、そんな事はどうでもいいですね。リーダーだったら、『キャー!』どころじゃなくて漏らしながら『ウォォォー!』って叫んでるところですよ。それくらい悲惨な状態だったんだから」
「どういうことかな? まさか百発くらい殴られたような無惨な姿になっていたとでも言うのかい?」
 あれ? 阿部君の顔が険しいぞ。さすがに相槌だけでは素っ気ないからと、取るに足りない意見を言ったのが気に入らないのだろうか? いや、違うな。明智君が相槌どころか、話を聞いてすらいないからだな。明智君の馬耳東風はあからさま過ぎるのだ。
「あのー、リーダー? 話を楽しみたいなら、適当な数字を言うにしても控えめに言ってくださいね」
 阿部君が言おうとしていたことを、私は的確に言ってしまったようだな。それで、あんな険しい顔でこんなきつい口調になっているのだな。明智君にぬれぎぬを着せたことなんてどうでもいいぞ。それどころじゃないし、明智君に聞かせたわけではないから、明智君はほっておこう。しかし、まいったなあ。なんとか阿部君のご機嫌をとらないと、続きを話してくれないぞ。もう一度明智君の名前を無断で出して、もう一度明智君に蹴られると、私は気を失って探偵どころではなくなるし。
 うーん、だめもとで試してみるか。
「名探偵ひまわりさん、続きを……」
「はい。まあリーダーの言う通りの顔になっていて、どこの誰だかも分からないくらいの」
「そうなんだ。じゃあもし知り合いだとしても、阿部君が見極めるのは困難だったんだね? その時は」
「そうなんですよ。警察ですら被害者が誰なのかまだ分かってないみたいですよ。身分証明書の類を一切持っていなかったんですって。それで、私にあれが誰かを聞くんですけど、私に分かるわけないじゃないですか」
「それは、また難しい展開だね。うーん、万が一もあるから、明日は被害者のいる病院に行って、着ていた衣服の匂いを明智君に嗅いでもらおうか。一度でも会ったことがあるなら、明智君は十中八九分かるはずだ。ねえ。明智君?」
「……」
「明智君?」
「ワ? ……、ワワンワワワオーンワンワンッ!」
 このバカ犬、やはり話を真剣に聞いていなかったな。まあいい。私こと『名探偵リーダー』がしっかりしていて、その都度指示してあげれば問題ないだろう。しかし、明智君は何と言い訳をしたのだろうか。阿部君なら分かるのだけれど……。癪だから、聞くのはやめておこう。おそらくだけど、阿部君は明智君の言い訳を聞いていなかったようだし。どう見ても何か悪巧みをしている顔をしている。
「しかし、明智君が会ったことがある確率は極めて低いと考えておかないといけないね。だからそこは警察の捜査に期待しておこうか。なんたって日本の警察は優秀だから。明智君も警察も無理だった場合は、捜査に手こずることを覚悟しておこうか。阿部君、その被害者の身元が分からない限り、最悪の場合は真犯人にたどり着けないかもしれないよ」
「大丈夫ですよ。私と明智君にかかれば、容疑者にできる人材をいくらでも発掘してみせますよ」
「阿部君っ!」
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