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警視庁に来たぞ

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 警視長は警視庁にいるだろう。ダジャレじゃないからな。私がこんななんのひねりもないダジャレを言うはずがないだろ。それはさておき、アポを取ってないので若干の不安はある。一般常識のある大人なら、きちんと段階を踏んでから警視庁に赴くことくらいは知っているので、もちろん私だって知っている。ただ、一般市民が警視庁に電話をかけて警視長に取り次いでくれるように頼んでも、門前払いになることも知っているのだ。
 警視長に電話を繋いでくれたなら、警視長は喜んで私に会ってくれるだろう。しかし警視長は暇ではないので、受付の人が気を利かせて取り次いでもくれないのだ。だから直接行って直談判をすれば、警視長に会える確率が本来なら0のところを0、003パーセントくらいには跳ね上がるだろう。そしてそこからは、私と明智君の演技しだいだな。
 というわけで、私は何の心配も……いや、よく考えたら、私のアジトから警視庁まで歩いて3日くらいかかるじゃないか。例え走ったとしても、すぐにバテて、そこからは疲れた状態で歩くので5日かかるぞ。
 私は、行き先も誰に会いに行くのかも知らずに猪突猛進で歩いている明智君に、今さらながら話しかけた。
「明智君、ひとまず阿部君の家に行こう。そして阿部君パパに事情を話して、警視庁まで送ってもらおう」
 しかし明智君は無我夢中なので、歩みを止めようとしない。かわいそうだけど仕方なく私は明智君の尻尾を渾身の力をこめて握り、力づくで明智君を止めた。繰り返すが、仕方なくだぞ。なのに明智君は怒ってしまった。悪いのは、私なのか?
 明智君は己の怒りを抑える気なんてなく、私に牙を剥いてきた。明智君の動物としての条件反射なので責めてはいけない。私の右手が、独立した何らかの生き物に見えただけなのだろう。
 そして、噛まれる寸前……いや、正確には噛まれてはいるが、明智君がぎりぎりフルパワーを発揮する前に、私はすかさず「明智君、どこに行くか知ってるのか?」と叫んだ。明智君の耳というよりは心に届けと、気持ちを込めて。奇跡的に明智君は我に返ってくれたようだ。そして何をすべきかをすっかり分かってましたとばかりに返事をする。顔を真っ赤にしながら。
 明智君の気持ちは分からなくもないので、バカにしたり笑い者なんかにしない。いや、仕返しが恐いからとかではないからな。なので何事もなかったかのように振る舞うだけだ。出血はしていないが歯型のついている右手首から目を逸らし、私は落ち着いた明智君に事情を話しながら阿部君の家に向かった。
 阿部君パパは、私のお願いを二つ返事で承諾するだろう。私と明智君を車で数時間の距離を送るだけなのだから、暇な阿部君パパなら喜んで協力するに違いない。どうでもいいし、私は全く知らないし疑ってもいるのだけれど、阿部君パパは俳優らしい。ちなみに阿部君ママも。それはさておき、阿部君パパには、私がちょっと買い物に連れていってくれと言っただけでも聞いてくれるに違いない理由があるのだ。
 なんと、阿部君パパの車は新車なのだけれど、我々怪盗団が全額出して買ってあげたのだ。ほんの一千万ちょっとだがな。これだけでも、私のお願いを断らないのは目に見えている。さらに今回は、阿部家の一人娘である、阿部ひまわりを窮地から救うためなのだから、阿部君パパが手伝わせてくれと懇願しても驚かない。
 しかし私がこんなに長々と説明しているということは、阿部君パパが素直に承諾しなかったと分かっている人が大方だろう。そう、阿部君パパはいっちょ前に、この私の足元を見てきやがったのだ。信じられるか? よりによって、この怪盗団のリーダーである私の……あっ、これも後々説明するが、事情があって阿部君パパママを怪盗団の二軍に入れてやったのだ。
 いやいや、そんな事よりも娘が心配じゃないのか? しかしここで争っている場合ではないので、私は阿部君パパの言い値の100万円を後日払う約束をせざるを得なかった。そんな口約束なんて破っても問題ないだろと思った奴に、一つ忠告を。約束を守れない人は孤独になるぞ。ちなみに100万円を明智君と折半で払うつもりで、明智君に同意を求めると目を逸らされた事は、付け加えなくても良かったかな。私は決して孤独ではない。明智君が強欲なだけなのだ。
 公道とサーキットの区別を知らない阿部君パパの運転で、私と明智君はようやく警視庁にたどり着いた。まあ今回に限っては時間が惜しいので、阿部君パパの運転を褒めちぎってあげよう。送迎代を少しでも安くあわよくばタダにしてもらおうだなんて魂胆は、これっぽっちもないからな。なので去りぎわに阿部君パパが100万円を念押ししても、快く返事をしてあげた。阿部君パパの車がバックミラーから私が見えなくなったであろう場所まで行ったところで、近くにあった石ころをおもいっきり電柱に投げただけだ。たわいないな。ただ、場所が場所なだけに、危うく警察に捕まりそうになったが。
 阿部君パパ、私は覚えておくからな。何もかも。ヒヒッ。冷静な明智君にお尻をかじられた私は目的を思い出して、久しぶりに警視庁へと入っていった。いや、久しぶりではないか。ここへは初めてだ。どうやら刑事ドラマの観すぎで、何回か来たつもりになっていたようだ。興味本位で観たのではなく、立派な怪盗になるための勉強としてだからな。説明するまでもなかったか。うん? 別に興味本位で観てもいいのでは? 大丈夫だよな? 怪盗が刑事ドラマを観ても、コンプライアンス違反にはならないということにしておこうか。
 久しぶりだろうが初めてだろうが、警視長がどこにいるのか知らないことにかわりはない。ここで普通の人は、受付で聞くだろう。すると、約束をしてあるのかとか要件とかを聞かれてジ・エンドだ。不憫な人を見るかのように上手くあしらわれて、気がつけば警察のマスコット人形を買わされ、笑顔で警視庁を後にしていることだろう。なので、ここからは明智君に活躍してもらわなければならない。
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