上 下
9 / 197
異世界での新たな生活

08

しおりを挟む


遠目に、アナスタシア様とエンジュ様が席を立つのが見える。
そのまま別れ、それぞれの帰路に着くようだ。アナスタシア様が送って行かれるのかと思えば、エンジュ様はおひとりで帰られる様子。



「どうかしましたか?副長」

「ん?いや、なんでもないよ」

「アナスタシア様、こういう所にも来るんですね」
「確かに、意外っスよね」



彼等にはアナスタシア様しか目に入らなかったらしい。エンジュ様はパッと見、平民にしか見えないだろう。
だが、彼女は『魔術の頂点タロットワーク』に名を連ねる人。『研究室』と言っているからには、恐らく彼女も魔術研究所に所属する魔術師の1人だろう。

彼女と同じ、漆黒の瞳。
目が合うと、その夜の闇のような色合いの瞳には自分が映り込む。まるで鏡のように。…コーネリア姫もそうだった。

まだ、彼女を想う自分がいる。
想いを通わせ合ったのは、ほんの一時。
僅かな時間ではあったが、想いが通った一時は本当に幸せだった。彼女しか要らない、目に入らなかった。
───還った、と聞いた時は目の前から光が消えたかのようだった。何もかもがモノクロに思え、栗色の髪の女性を見れば彼女かと思うほどだった。

この歳になって、まさかこれほどまでに傷が深くなるとは思ってもみなかった。

今では2年の月日が過ぎたが、最初の1年は経つのが早かった。いや…遅かったのか。
自分がどうやって過ごしていたかは今となってはわからない。ただ、仕事を続けているという事は、周りから見たら『特に変わりなく』振舞っていたのだろう。
…団長と、アナスタシア様の目を除いては。

アナスタシア様も酷かった。気鬱が激しく、一時はあの美貌が曇るほど…いや、それもまたいい、と言っていたのは団長だったか。
しかし、アナスタシア様もまた、団長以外の人の前では『普通に』振舞っていた…そうだ。俺の記憶にはないが。



「シオン様、あまり進みませんか?」

「いや、いただきますよ。ありがとうございます、フリージア嬢」

「いえ、そんなこと。ここは色んなものがあって楽しいですわよね。貴族らしからぬかも知れませんけれど。私は好きですわ」

「ここはあまり平民と貴族の隔たりがありませんからね。とはいえ、上級貴族が出入りしませんから、そうなのかもしれませんね」



フリージア嬢とも、前より話すようになった。
1年ほど前か。騎士団の練習試合の後など、少しずつ話すようになっていった。
俺のような男に甲斐甲斐しく尽くし、申し訳ないと思っている。彼女には何度も『誰かを娶る気は無い』と話しているのだが『私は好きで貴方と話しているだけです』と引く事はない。

夜会で何度かアントン子爵からも話をされたのだが、『娘の好きにさせてやって欲しい、貴方でないと嫌だと言うのでね。私はもうあの子を別の男に嫁がせるのを諦めたよ。もし貴方と添わずとも、当家にて過ごさせる事になっていますので、無理に付き合わずとも良いのですよ』と言われた。

…俺以外の男にふとした事で惹かれることもあるだろう。彼女の事は妹のようにしか思えない。誰かいい男を添わせてやれればいいんだが。



********************



ベビーカステラを意気揚々と持ち帰った私。
部屋で美味しく頂いていたら、ゼクスさんの研究室の彼等に奪われました。凄かった、あの勢い。

また買ってくるから!と説得して半分は死守した。



「本当ですか!」
「いやー、ここにいるといつも同じ物しか食べないので」
「はー、甘いものって美味しいんですねー」
「いつになったら家に帰れるのか・・・ていうか俺の家まだあるのかな・・・」

「帰りなさい、家で寝なさい」



放っておくと、彼等はずーーーーっと研究室にいる。
私は毎日顔を出し、シャワーに行かせたり、ご飯を与えたりしている。いつの間にか気分はお母さんですよ。

餌付けに成功したのか、彼等はきちんと順番で寝るようになったし、シャワーにも行くようになったので、小綺麗になった。
…寝る、といっても研究室の続き部屋に寝袋を置いて寝てるけど。もう家に帰る、という選択はなさそうだ。宿舎もあるのだが、そこにすら帰らないってなんなのか。

しかし、魔術研究所にはシャワー室が完備。
これは寝泊まりする人が多すぎて、衛生面からかなり前に設置したようだ。食堂もある。そこそこおいしい。ただし、私の感覚からすると通いたくなるほどではない。
あれね、社食みたいなもんよね。手軽で近くて安いけど、ワンパターンていうか。しかし研究員達はそこまでグルメではないので、食べられればOK。

だが広場の屋台街のご飯が美味しかったようで、彼等は物足りなくなったのである。



「エンジュ様!」
「エンジュ様、お願いがあります!」
「もう下僕で構いません!」
「貴方しか頼れません!」

「えっ、何してるの君達」



バーン!と突然私の研究室…とは名ばかりのお部屋に駆け込んできた4人。いきなり土下座し始めた。なにこれ。

私が驚いていると、次々と直訴を始めた。



「毎日とはいいません!3日に1度でいいんです!」
「僕達にご飯を買ってきてください!」
「屋台街の飯が美味すぎて!」
「だけど僕達だと選べないんです!」

「「「「お金はいくらでも出します!」」」」



どうやら、屋台街の食事が忘れられず、買いに行っては見たものの、あまりの盛況ぶりに入るのを断念。
しかも種類が多すぎて選べず、帰ってきてしまうらしい。
…結局、いつもの魔術研究所近くのパン屋か、食堂に行くそうだ。

なので、皆で相談して私にお願いしに来たと。



「・・・まあお金出してくれれば買ってくるくらいはいいけど。希望とかないの」

「ありません!」
「というか、選べません!!!」
「選ぶほど色んなもの食ってないっす」
「僕達、気付いたんですけどいつも同じものしか食べてなかったので、選ぶほど色んなもの食べてないんですよね」

「なんて不憫なの君達」



まあ彼等には私も色々とお世話になっているし、細々とした事も変わりにやってくれたりもしている。
彼等はゼクスさんの研究室の所員だが、同時に私の研究室の所員でもある登録がされているのだとか。
…まあ、他の人付けられても面倒だという事で、ゼクスさんが手配したらしい。彼等もそこに疑問はないようで、ゼクスさんも私も上司みたいな感覚でいるらしい。



「いいんですか!」
「あああ、女神がここに」
「あんぱん以外のパンが食えるんすね!」
「こないだのベビーカステラも食べたいんですが、場所にたどり着けなくて・・・」

「待って?あんぱん以外って何?それしか食べてないの?」



1番年下のキリ君。17歳。舌がお子様すぎる。何故かパンはあんぱんしか選ばない。どうやら昔思い切って他のパンを選んだらあまり美味しくなかったらしい。
あんぱんについては、1番お兄さんのイストさんが甘党な為、よくもらっていたから美味しさはわかるのだとか。

ちなみに、ベビーカステラを強請っているのがイストさん。もうアラサーなのに彼女なし。どうすんのこれから。…って私が言う立場ではないのだが。

そして彼等は毎日私の部屋に来ては、置いてあるビンに1日1枚の大銀貨を入れていくのである。
ちなみに大銀貨は1枚で1000円くらいの価値がある。何故毎日置いていくのか。それは私が買い出しに行くのに使ってもらうための貯金である。
観察していると、誰か入れるの忘れるかな?と思っているが、きちんと毎日1人1枚入れていく。そういう所はきちっとしているらしい。
『金を出さないやつはエンジュ様に買ってきてもらう資格はない』と決まりを作っているようだ。…そこまでするなら自分達で行けるんじゃないの?出不精にも程がある。

まあいいんだけどね、何買ってきても美味しそうに食べているし。私もシェアし合っているので、色んなものが食べられてお得です。
もちろん、アナスタシアとも食べているけどね。

しおりを挟む
感想 529

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

処理中です...