【完結】令嬢はされるがままに

asami

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第六十三話

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『前に来た場所とは違うな、、ここはもっと深い。』
 その世界には、一定の方向性を持つマシンオイルの臭いのする微風が常に吹いていた。
 葛星の被った髑髏のフルフェイスヘルメットの表面にある血にそっくりなぬめりが、その風を捉え、葛星の嗅覚に置換して送り込んでくる。
 葛星の姿で、一度目に降り立った場所は、この世界に至るまでの中間レベルの様だった。

「、、、そこはトワイライトゾーンだ。」
 髑髏の赤い目で、葛星と同じ風景を見ている筈のアレンの呟きが聞こえた。
 アクアリュウムと呼ばれる地上世界と、ゲヘナを分け隔てる中間層を、トワイライトゾーンと呼ぶ。
 そこはかって人類が、地下から地上のアクアリュウム世界を拡張する際にベースにした世界であり、この空間には、人間が居住する為の配慮は一切なされていない。
 人口太陽もなければ、空調設備もない。
 その途方もなく水平に広がる空間を占めるのは、この世界を支える主柱と支柱、そしてアクアリュウムの世界樹たるママス&パパスのジェネレーターと用途も判らぬ雑多な機械類ばかりだ。
 しかし、いかなる光源の恵みをもらってか、このトワイライトゾーンは銀灰色に鈍く輝いていた。

 と突然、エレベーターの出口に当たる縦長のチューブの中央の空洞を背にして突っ立ったままの葛星を後目に、蜘蛛が何の前触れもなくカサカサと走り出した。
「蜘蛛はチャリオットを探しに行ったようだ。なに、ここには蜘蛛がアクセス出来る機械が山ほどある。直ぐに見つけだすさ。」
 蜘蛛の突然の動きを、アレンはそう説明した。
 しかし蜘蛛にその必要は、なかった様だ。

 数分後にチャリオット本人が、トワイライトゾーンの中を滑るように走る数台の連結トロッコの様なものに乗って葛星に近づいて来たからだ。
 チャリオットの乗る先頭車両の後ろの車両には、恐らくベースがビニィであろうと推測されるクリーチャー達が、ひしめき合っていた。
 そして、チャリオットの隣には、あの女が座っていた。
 服装は相変わらず、SMクラブの女王様風のレザースーツだったが、今回は眼鏡も白衣もつけていない。

「あの蜘蛛の様なものを呼び返してくれんか?あれは君のものだろう?奴がアクセスした後の機械は狂ってしまう。ここはこの世界、いや君たちのアクアリュウムを維持する為の内蔵ともいえる場所なんだ。アクアリュウムは君たちの世界なんだろう?その意味が分かるなら、呼び返してくれたまえ。」
 チャリオットは初めてあった時の企業人然とした口振りで言った。
 しかしその言葉の裏には、完全な動揺があった。
 チャリオット達は、葛星たちが自分たちの領域に侵入してきた様子を、ある程度の余裕を持ってモニターしていたに違いない。
 そしてその余裕を覆すような、予期せぬ蜘蛛のすばやい動きと、蜘蛛がアクセスした後の計器の混乱が、チャリオット達の登場を早める結果となったのだろう。

「あれは俺の下部ではない。自分で判断する。必要性がなければ自分で帰って来る。」
 葛星の返答に不思議なものを感じたのかチャリオットは首を傾げた。
「君は何者だね?ただのキングの先兵とも思えんが?」
「お前達こそ、何者だ?」

 チャリオットもあの女も自分たちの目の前に立っている怪物が、葛星だとは気づいていないようだつた。
 過去、葛星は鎧装着によるビニィ狩りを何度も行っており、その現場の目撃者の数も相当になる筈だった。
 しかし、鎧装着時の葛星の姿を正確に記憶したり、言い表せる人間は少ない。
 鎧の神秘性を感じさせる強烈なデザインが、人々の記憶を混乱させ、伝説を生むのだろう。
 チャリオット達は、今初めて鎧を見た状態にあり、更に葛星自身も鎧の中に入った時の自分は別の存在だという感覚が強くなる為に、二者の会話は初対面の様に行われていた。

「私はチャリオット、渾名だ。本名はもう忘れてしまった。こちらにいるのは、ゲザウエィさん。」
 チャリオットは、少し企業人としての仮面が剥がれ掛けていた。
 ・・ゲザウエィ?生意気に人の名を持っているのか?
 ・・それにチャリオットはこの女を人のように扱っている。
 インストラクターの威圧的で、どこか鋭利な理性を感じさせる物腰は初めて見たときと同じものだったが、鎧を着けた葛星を見る彼女の視線には少し変化があった。
 そのエロッチクな顔立ちの中には、何か神秘的なものを目の前にしているような表情が浮かんでいたのだ。

「お前達二人は、このトワイライトゾーンで何をしている?」
 葛星は髑髏のヘルメットから自分の声を吐き出した。
「哀れな地上の人間達の欲望処理と言ったらいいかしら。一種の慈善事業ね。あなたこそ何者なの?最近、あのブースから、この世界に入ろうとした人間がいたけど、その関係者?」
 ゲザウェイと呼ばれたインストラクターが問い返した。
 顔などの露出している肌には、この前の激闘の跡が一つもない。
 と言うか、葛星には、あの奈落の底に彼女を投げ飛ばした記憶がある。

「自ら名乗る名前はない。人は俺の事を(赤と黒)と言ったり、死神と呼んだりするようだが。」
「R&Bね。気に入ったわ。」
 ゲザウェイは何の畏れもないようにトロッコから降りて葛星に近づき、その革に包まれた細長い指先で葛星の鎧の胸の部分をなぞった。
 途端に指先が切れ、ゲザウェイはその指を赤い唇にくわえた。

「どうやら君は、キングの先兵ではないようだな。とにかく迷い込んだんなら、とっとと退散してくれたまえ。普通なら強制的にそうさせて貰うところだが、君は途轍もなく危険そうだ。」
「そういうお前達は危険ではないのか?お前達はキングの息子に何をした?」
 葛星は、チャリオットの攻撃の号令を、今や遅しと待ちかまえているクリーチャー達を眺めながらゆっくりとした口調で尋ねた。

(ダンク!見つけたぞ!蜘蛛から連絡があった!)
 どうやら蜘蛛はチャリオットを探しに行った時に、違うものを見つけたようだ。
(やかましい。今は駆け引きのまっ最中だ。黙ってろ!)
(その駆け引きに役立つ。チャリオットの後ろにいるクリーチャーどもはみんな例のプラグインのマリオネットだ!)


「蜘蛛から知らせがあった。蜘蛛は帰って来ない。蜘蛛はその醜い生き物どもの正体を掴んだ。生き物の綾釣り糸を手繰って、その背後にいる人間にダメージを与える準備が整ったとも言っている。」
 ややあってチャリオットの身体が一瞬震えた。
 目の前の怪物がチャリオットに言った内容よりも、その後にその怪物が漏らした押し殺したような笑いに恐怖を覚えたからだ。
 葛星のはったりに、チャリオットの顔が蒼白になって、次の指示を仰ぐかのように隣に立っているゲザウェイの方を見た。

「なら、ついて来なさい、R&B。ここで貴方と戦うのも面白そうだけど、私は貴方ともう少しお話がしたくなったわ。私たちの館に案内してあげる。『愛の繭』よ、地上の人間達は全てを投げ打ってでも、ここに来たいと願ってるみたいだわよ。」
 ゲザウェイは歯切れのいい口調でその場のケリを付けると、ついて来いと言わんばかりに、再びトロッコに乗り込んだ。
 そして葛星は、いや、赤と黒の死神は、怪物どもがひしめき合うトロッコにゆっくりと乗り込んで行った。



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