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エピローグ

そして、夢の中へ

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「こんにちは。キヨさん、見に来てくださっていたんですね」

 久しぶりに聞く伊達 しずくの声は、以前と変わらずにハツラツとしていた。


 収容人数を1万8千人にまで拡張された”聖地”多喜城たきじょうスタジアム。
 今日は多喜城FCのJ1・J2入れ替え戦の第1戦目が行われる日だった。

 あの映画のように劇的なJ2昇格からもう5年になる。

 J3優勝の看板を引っさげて参戦したJ2の舞台で、多喜城たきじょうFCは厳しい現実を見せつけられる形になった。
 アリオスや福石と言った主力の怪我も重なり、昇格から2年間、連続で残留争いをする事になる。
 J2、2年目のシーズン途中を持って清川監督は引責辞任という形になり、後任にはヘッドコーチが監督代行としてチーム内昇格する。
 ギリギリでJ2残留を決めたそのシーズンの後、多喜城FCで現役を引退した元日本代表、森 はじめがチーム初のOB監督として就任した。
 清川の基本戦術を踏襲しつつも、新しい理論を少しずつ投入し、3年の月日を費やして徐々に順位を上げた多喜城FCは、ついにJ1入れ替え戦の舞台を迎えたのだった。

 清川の頭の中には、あのまま自分が率いていれば、もっと早くこの舞台に上がれたかもしれないと言う思いがある。しかし、清川にはまだ理解しきれないような新しい理論を取り入れて勝ちを重ねる多喜城FCを見ていると、逆に自分が率いていたらJ3降格の憂き目にあっていたかもしれないと言う恐れもある。
 横浜アルマーダを解任された時にも感じた、やり残したことがあるような、全てやり尽くしたような気持ちを、今も感じることがあった。
 懐かしい雫の顔を見て、今まで何度も考えたそんなことが頭をかすめた清川は、「監督商売ってのは因果なもんだ」と小さく首を振った。

「クラブボックスルームに来てください。テルさんもフクさんも来てますよ」

 笑って手を引く雫に誘われて、清川は代表監督が視察に来た時などに使用されるVIPルームへと連れて行かれる。バックスタンド側の最上階にある大きな扉を雫が清川の手を引いたまま、反対側の手で開くと、そこには懐かしい顔ぶれが揃っていた。

「キヨさん、久しぶり!」
 最初に声をかけてきたのは、石元 輝夫てるお
 清川の辞任と同時に引退した3人の選手のうちの一人で、清川が辞任後に始めた宮城県内でのサッカースクールで、時々講師として子どもたちの指導を頼んでいたため、この顔ぶれの中では一番良く会っている。
 しかし、最近はボール1つ持って海外の子供達と交流すると言うバラエティー番組のコーナーが人気になっており、ここ2ヶ月ほどは顔を合わせていなかった。

「おひさしぶりです」
 石元の横からスーツ姿で握手を求めてきたのは福石 やすし。彼はJ2昇格後3年目に負った怪我が元で現役を引退している。
 アマチュア時代にお世話になっていた倉庫会社で、今は次長と言う肩書きを持っていた。

 二人の背後、ボックスルームの壁に設置されたモニターには、CSで生中継されているこの試合の映像が映しだされていた。その解説席に座っていたのは、相変わらず金髪の山田 芳裕よしひろだった。
 したり顔で試合展望を語るその顔を見ると、清川は後で呼び出してやろうと、イタズラっぽい笑みを浮かべた。


「で? どうなんだ、今日の調子は?」
 窓際に設置された席に腰を下ろしながら、清川が尋ねる。眼下には満員のサポーターで一色に染まるスタジアムが一望できた。

「イチさんが言うには『勝てるだけの練習はしてきた。後は実力を出し切れるかどうか』だそうです」
 清川の隣にサッと陣取った雫が、満面の笑みを浮かべてそう答える。
 まるで自分がインタビューに答えているような既視感に、清川も笑って頷いた。

「バリッチフィジカルコーチが言うには、『延長も含めて120分走れる体を作ってきた』そうなので、楽しみにしてるといいですよ」
 テーブルの上に、注いだばかりの生ビールのジョッキを並べながら、雫に変わって広報部長の職についた仁藤 克行が笑いかけた。

 清川が見下ろすピッチの中に、次々と選手が走りこむ。
 片端、財満、千賀、渡部、森尾など、知った顔も多かったが、J2昇格のあのシーズンから、顔ぶれは半分ほど変わっていた。

「おいおい、ナオキがキャプテンマーク巻いてるじゃねぇか」
 ビールを吹き出しそうになりながら、「確か、先週までは渡部が巻いていたはずだ」と、ホテルで見た試合を思い出し、清川が声を上げる。

「ナオキさんはもう『ミスター多喜城』ですからね」
 財満と千賀、どちらの二つ名を『ミスター多喜城』にするかで、サポーターグループの中でも一悶着あったらしいが、財満自身の「俺は『天才』財満だから」の一言で上手く収まったらしい。

 今では『ミスター多喜城』と言えば千賀の代名詞として定着している。

 千賀の立ち居振る舞い、プレー内容は、それほどまでにプロとしてサポーターからも仲間からも評価されていた。

「……あいつがねぇ」
 清川が教えた選手の中で、一番成長した選手と聞かれれば、それはやはり千賀だろう。代表に呼ばれるような派手な選手ではないが、ちゃんと「居て欲しい時に居て欲しい所に居られる選手」に育った。
 分かってはいても、どうしても「あのナオキが」と思ってしまう。
 清川にとって、千賀はヨチヨチ歩きの頃から育て上げた、自分の子供のような存在だったのだ。

 見つめる先、千賀の隣に立つ一際大きなブラジル人ボランチの姿が清川からもよく見える。

「あれが噂の現役ブラジルU-21代表ボランチだな」
 多喜城を退団後、ブラジルで代理人を始めたアリオスが、自信を持って薦めてくれたのが、あのブラジル人ボランチのエデウソンだ。
 中東やイタリアのクラブからもあったと言うオファーを全て蹴り、J1昇格の切り札として、この夏から多喜城に所属している。
 シーズン途中での加入という難しい状況でもエデウソンは上手くチームにフィットし、攻守のつなぎ役として、既に多喜城に無くてはならない存在になっていた。

「エデウソンのプレーは面白いよ! キヨさん見てないの?」
 雫と反対側に座った石元が、聞いても居ないのに説明を始める。テルが饒舌になるということは、かなりいい選手なんだろうなと、清川は目を細めた。

 ふと、反対側に目をやると、じっと清川を見つめる雫と目が合った。
 広報部長の肩書を捨て、C級コーチ資格を取った雫は、昨年から育成部コーチとして小学生以下の女子の指揮を執っている。
 プロの監督として、多喜城から離れた清川と、それでも繋がっていたいという雫の思いがとらせた、清川と同じ「監督」と言う道だった。

 目が合ったまま、視線を外すことも出来ない。
 まっすぐ見つめられたその瞳を無理やり遮るように、ジョッキを持ち上げた清川はそっと目を瞑った。

「しかし、揃いも揃って多喜城に集まるとはな」
 自嘲を含んだ清川の言葉に、皆が笑い、雫が頷く。

「みんな、多喜城FCが大好きですから。……キヨさんと一緒に、みんなで作り上げた、この夢みたいなチームが……本当に大好きなんです」

 大きなビールジョッキを持った雫の姿に、初めて出会った時の様子がフラッシュバックして重なる。
 真剣に多喜城FCを応援する、レプリカユニフォームを着た可愛らしい女の子。
 まさかあの時は、あの出逢いから、こんな宝物の出来上がる場所に導かれるとは思っても見なかった。

 偶然なのか、必然なのか。

 運命なのか、奇跡なのか。

 そのきっかけが何だったにせよ、全てはこの一人の女の子がより合わせた絆によって作り上げられた事のように清川には思えた。

 かつての戦友。そして今でも同じチームを応援する仲間たちとジョッキをぶつけあうと、清川は試合に目を戻す。


 ピッチの中では、怪我から完全に復帰し、日本代表にも呼ばれるようになった財満が、キックオフのボールを蹴り出したところだった。

 変わってゆくチーム、変わらないこの風景。

 そして、あの時からずっと、今もそこにある――あの横断幕。

『俺達はいつだってここに居る! 共に行こう! 頂上てっぺんへ!』

 あの頃と同じ多喜城FCのチームチャントが地鳴りのように鳴り響き、ボックスルームの仲間たちにもあの頃の情熱をよみがえらせる。

 清川はジョッキをテーブルに置くと、一人のサポーターとして多喜城FCへと声援を送った。


――了
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