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最終章:あっくんたちの幸せな生活

第76話「みんなとようじょ(終)」

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 時間にすれば僅か30秒ばかり。

 水晶球の中でばったりと倒れた魔王ディスペアを見つめる僕を乗せて、グリュプスの馬車は神殿の前の広場へと飛び、黒焦げの遺体を避けて降り立った。

 僕とエドアルド、そしてチコラは、空中で馬車から飛び降り、神殿へと走る。
 地下への入り口、その美しい装飾を施された扉の前に長い黒髪を広げた魔王ディスペアがうつぶせに倒れていた。

「……死んどる」

「ああ、今度こそ間違いねぇ」

 僕たちが見下ろすその美しい少女の遺体は、見る見るうちに金色の粒子に包まれ始める。
 身を引いた僕たちが呆然と見ているその前で、エドアルドがこの世界に転移してきたときと同じような魔法陣が輝き、そして消えた。

「魔王の体も……」

「消えよった」

 転移者の死。それはこんな感じなのだろうか?
 今まで転移者の死は見たことがない僕には、これが死なのか何なのか、判断することはできない。
 でも、僕の見たその光景には、死から連想される悲しみや憤りは全く感じられなかった。

 あの黄金色こがねいろの魔法陣。
 僕らがこの転移世界「ジオニア・カルミナーティ」へやって来る時にも輝いたあの魔法陣は、異世界間を行き来するときに発生するものだろう。
 そう考えれば、魔王も元の世界に戻れたのかもしれない。

 もしかしたら、「災厄の魔王」の転移の目的は、「魔王として、完全に倒されること」なのかもしれない。
 そう思えば、目的を果たした魔王が元の世界に帰れたと考えられないこともなかった。

「……あっくん」

 背後からかけられたその聞きなれた声に、僕は雷にでも体を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けた。

 呼吸が止まる。
 のどが渇く。
 手がしびれる。
 耳がキーンとする。

 そのすべての衝撃を体に受けながら、目から溢れ出る涙を止めることもできずに、僕はゆっくりと振り返った。

「やっと、少しだけ……恩をお返しできました」

「……ルカ!」

 僕とお揃いの黒いローブを模したケープを纏った少年が、すすで汚れた顔に笑顔を浮かべて立っている。
 立っているだけでも大変そうに、それでも両手で連射式のクロスボウを持った彼へと、僕は駆け寄り、力いっぱい抱きしめた。

「ルカ! ルカ! よく……無事で……!」

「あっくんから頂いた護符や魔法の装備のおかげです」

「ううん! ……ルカ……キミの力だよ……」

 魔法の装備でダメージを出来る限り回避し、魔王の一瞬のすきを狙って最大のDPSが出るクロスボウを脊髄に打ち込んだのだ。
 練習に練習を重ねたのだろう。クロスボウの矢は、寸分違わず第2第3頚椎を貫いていた。
 少し照れくさそうに笑うルカを、僕はもっと力を込めて強く抱く。
 そこに遅れて姿を現したりんちゃんやマリアステラも加わって、僕らはお互いを抱きしめあって泣いた。

 ひとしきり泣いた後、突然、りんちゃんとエドアルド、そしてクリスティアーノが何かに驚いたように顔を上げる。

「……どうしたの? りんちゃん」

 驚く僕らの見ている前で、3人は黄金色こがねいろの魔法陣に包まれた。

 そうだ。魔王が死んだんだ。

 転移の目的に「魔王を倒す」と言う共通の設定がされている3人は、元の世界に戻れる。
 分かっていた。分かっていたつもりだった。

 でも、こんな急にその時が来るなんて。

「ああ……りんちゃん。そっか……戻れるんだね」

「……うん」

 りんちゃんが小さくうなづく。
 その表情は、すこし浮かない顔に見えた。

 迷っているのかもしれない。僕やチコラと離れたくないって思ってくれているのかもしれない。
 僕も、りんちゃんがいない世界なんか考えられないし、一緒にいてくれるのなら、こんなにうれしいことはない。

 でも、だとしても……、やっぱり子供は……親のところへ戻るのが一番いいと僕は思う。
 家族と一緒に仲良く暮らすこと。
 りんちゃんのことを考えれば、それが一番の幸せだと、僕は思った。

「……りんちゃん。お父さんやお母さんと一緒に暮らせるんだよ。迷わないで。……元気でね」

「せやで、家族と仲良うな」

 僕とチコラに頭を撫でられながら、りんちゃんは頭を悩ませる。
 それでも、決心したかのように顔を上げ、いつもの、大輪の花が咲き乱れたかのような笑顔を僕たちにくれたのだった。


  ◇  ◇  ◇


 災厄の魔王がこの世界から姿を消した。

 その一報はクリスティアーノによって、あまね千年王国ミレナリオ中に知れ渡ることになった。

 僕らはエドアルドと共に『街』の瓦礫を片付ける毎日を送っている。
 街はアンジェリカの指揮のもと、順調に回復していた。

「あぁめんどくせぇ! チコラぁ! 魔法でちゃちゃっと片付けらんねぇのかよ!」

「やったやろ! 魔王にぶっ壊された防壁をほとんどワイ一人で修復したんやで! いくらスーパー魔法精霊っちゅうても限界はあるんや! 黙って働き!」

「だぁぁ、やってらんねぇ!」

 エドアルドは道の端に腰を下ろす。目ざとくそれを見つけたルーチェは、冷たいレモン水の入った水筒をエドアルドの頭にこつんと載せて「それ飲んだら働いてください」と睨みつけた。
 ごくごくとそれを飲んだエドアルドは、黙って立ち上がり瓦礫の片付けに戻る。
 その様子を僕は微笑ましく見ていた。

「でも、エドが残ってくれてよかったよ。肉体チートも無いのに、5人分は働いてくれるもんね」

「しかたねぇだろうが。勇者エドアルドともあろうもんが、ほとんど活躍もせずに『魔王を倒しました~』なんて恥ずかしくて言えねぇしよ」

「はん、どうせルーチェ目当てやろ」

「あはは、ルーチェはあっくんのことを好きなのに、報われないわねぇ」

 瓦礫を片付けている人たちに水を配っていたマリアステラが、通りすがりにエドアルドを笑ってゆく。
 エドアルドは「るっせぇ!」とむくれながら、黙々と瓦礫を片付けた。



 転移の目的を果たしたものは、元の世界に帰ることが出来る。
 しかし、転移にはもう一つの選択肢があった。

 何か一つ、元の世界に戻るのと同等の願いを叶えてもらい、この世界に残ることが出来る。
 エドアルドはその場で死んだルーチェを含む、効果が及ぶ限りの人間を蘇らせることと引き換えに、この世界に残ることにしたのだ。

 クリスティアーノも「せっかく良いビールもできたのに、いまさら日本に戻る理由もない」と、魔王に破壊された大アルカナの〈将軍ジェネラーレ〉たちを復活させて、この世界に残った。
 でも実際は、マリアステラにまだ未練があったと言うのが本当のところのようだった。

 まぁおかげでこの『街』を含む『組織』と千年王国ミレナリオとの関係はかなり修復される方向に行きそうだ。
 そもそも魔王が居なくなった今、モンスターの数は大幅に減り、それに伴って魔宝珠の絶対数も大きく減った。
 魔王がもう2度と復活しないのならば、組織も転移者をこの世界に呼び寄せる必要もないのだから、わざわざミレナリオに敵対する必然性も無い。関係の修復は必然だった。

「アクナレート、少し休んだらどうかしらですわ」

 そこに現れたのは完璧な美を体現した10歳ほどの少女。
 転移前は40過ぎのおっさんだったアンジェリカは、その手に赤ん坊を抱いていた。

「やぁアンジェ。もうちょっと片付けたら休むよ。ヴェルディアナの様子はどう?」

「このあたくしにオムツを替えさせるなんて、本来なら許されなくてよ?」

 アンジェリカがなぜか少しドヤ顔で、オムツを替えたことを自慢してくる。
 汚れた手で赤ん坊に触るわけにもいかない僕がヴェルディアナを覗き込むと、彼女はきゃっきゃと声を上げて笑った。

 アンジェリカの頭にはもうキツネの耳もないし、もちろんキツネの尻尾もない。

 それは全てあの子の願いで消えた。もうヴェルディアナは魔族ではなく、普通の人間になっていたのだ。

「あっく~ん! べんきょうおわり~!」

 瓦礫の向こうから、イチゴの髪留めでぴょこんと結わえられたキャラメル色の髪が、揺れながら駆け寄ってくる。
 その小さな女の子は、汚れるのも構わず僕のお腹に飛び込んだ。

「りんちゃん! 汚れちゃう!」

「いっしょにお風呂すればいいもん!」

「ダメだよ、りんちゃんは女の子なんだからマリアやルーチェと入らないと」

「やだー! りんちゃん男の子が良い~!」

「りんちゃん、女の子グループに入ると、あたくしと一緒に赤ちゃんをお風呂に入れてあげられましてよ」

「ヴェルちゃんと?! やった~!」

 無邪気に喜ぶりんちゃんを見て、僕は彼女がこの世界に残ったことを頭の半分で喜び、残りの半分で未だに悩んでいた。

 家族と暮らすことが本当の幸せだと、僕は彼女に告げた。
 その言葉を聞いて、彼女は僕らと暮らすことを決めたのだ。
 本当の家族はもう僕たちだと、そう言ってくれた。

 それは嬉しい事だけど、やっぱり彼女が大人になった時に後悔してしまうかもしれないと、心配をしてしまうのはどうしようもなかった。

「あっくん! りんちゃんヴェルちゃんたちとお風呂してくるね!」

「あ、うん。僕も一度休憩するから、あとで皆でおやつ食べようね」

「うん!」

 りんちゃん、ルーチェ、マリアステラ、アンジェリカ。そしてヴェルディアナ。

 わいわいと家へ向かう彼女たちを見ていた僕は、頭にチコラがふわりと乗るのを感じた。

「ええやないか。今はりんちゃんが選んだこの世界で一緒に暮らしとき」

「あ、うん。そうだけど……」

「りんちゃんが元の世界に帰りたい言うたら、それこそこの世界の神様見つけて恩を売るか、あっくんかワイの転移の目的でもチョイチョイとクリアして、その願いでりんちゃんを戻してやったらええんや」

 相変わらず冷静で、そして楽天的。僕はチコラが居てくれて本当に良かったと思った。
 気持ちが少し軽くなり「ありがとう」と口を開こうとした僕に、チコラはニヤッと笑って指を振る。

「ええてええて、お礼なんかいらんで。何しろワイはあっくんのお兄ちゃんやからな」

 いつも通りのお約束で、チコラは話を絞めた。
 たぶん、僕が神妙な口調で「ありがとう」なんて言ってたら、変な空気になっていたかもしれない。
 相変わらず空気が読めず、コミュりょくの上がらない僕は、お礼の代わりに微笑んだ。

「いやぁ、しかしルーチェとマリアとアンジェか~。ヨダレたらすやつぎょうさんりそうやな。どれ、ワイも一緒にお風呂に……」

「バカやろうチコラ! おめぇ抜け駆けはこの俺様がゆるさねぇぜ!」

「そうだよ。チコラは外見はぬいぐるみでも、中身は男なんだから……」

 言いかけて僕は何か引っかかるものを感じる。

 ルーチェとマリアステラと……アンジェリカ?
 外見はぬいぐるみでも、中身は……男?

「……ああ!!!」

 突然叫んだ僕を、チコラとエドアルドが驚いたように見つめた。

「なんや?!」

「なんだよ?!」

「アンジェがルーチェやマリアと一緒にお風呂に入っちゃう!!」

「せやからさっきからそう言うとるやろ」

 アンジェリカの中身がおっさんだと言うことはみんなには内緒と言う事になっている。
 だから説明は出来ないんだけど、初対面で僕に「中身は美少女が大好物のおっさんですのよ」と高らかに宣言した彼女を、このまま凶行に走らせるわけにはいかなかった。

「止めなきゃ!」

 チコラやエドアルドを置いてきぼりにして、僕は自宅のお風呂へ走る。

「アンジェ! ダメだよ! さすがにそれは犯罪だよ! 見過ごせない!!」

 叫びながら「女」と書かれた赤いのれんをくぐり、脱衣所へ駆け込んだ僕に向かって、ルーチェやマリアステラの悲鳴が突き刺さり、たくさんの洗い桶が飛んできた。
 木の板と竹のタガでできた洗い桶が連続で頭に当たり、僕は意識が遠のく。

 それでも、こんなバカみたいな日常がいつまでも続けばいいなと、そう思うのだった。


――了
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