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第六章:決戦の火蓋が斬って落とされる
第68話「遺跡の主人とようじょ」
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北西の遺跡。
最近まで存在すら忘れられていた太古の遺跡のうちの一つで、名前も付けられていない。
荒涼とした灰色の台地には動物の脊髄のような木々が人の移動を妨げる様に立っていて、その様子はまるで天然の牢獄みたいだと僕は思った。
「ここが、北西の遺跡?」
建物の一つも見当たらない白と黒の世界に、僕は思わずタヴを振り返って聞く。
タヴは落ち着いて頷き、脊髄の森の向こう、霧に紛れた暗い空間を指さした。
「はい。この奥の壁に横穴のような住居があります」
「はっ、横穴だと? 原始人かよ」
タヴの説明にエドアルドが笑う。
グリュプスの馬車と、悪魔のアインが使う「天空の間奏曲」によって霧の空を斬り裂いた僕らの視界を巨大な断崖が覆った。
脊髄の森から立ち上がった黒い壁。
右を見ても、左を見ても、そして上を見上げても、それは白い霧の中へと溶けてゆき、果てが全く感じられなかった。
世界を分断しているようなその壁には精緻な扉が刻まれていて、そのゆうに100メートル四方を超える巨大な彫刻は僕らを圧倒する。
バカにしたように笑っていたエドアルドの表情が見る見るうちに凍りつき、僕もそんな彼を笑うことなど出来るはずもなく、ただゴクリと固唾を飲んだ。
「ねー主、アインたちどこに降りるなのー?」
「ここまで来たら小細工も必要ないだろう。正面へ。……それでいいな? アクナレート」
アインの問いに、呆然と壁を見つめていたクリスティアーノはそう答える。
突然話を振られた僕は何も考えられずに、ただ「うん」と、頷いた。
僕らが音も無く門の前に立つと、その大きさはやはり際立つ。
歓迎されない客である僕たちは、こちらとあちらを分断するようにそびえる扉の前で、何とも言えない疎外感を感じていた。
「あっくん、ヴェルちゃんのおうち、おっきいね」
「うん……ほんとに、大きいね」
「ヴェルちゃん一人で、さびしくないかな?」
それは……寂しいだろう。彼女は数百年の時を――年齢は6百数十歳になっていたけれど、もしかしたら生まれ変わり続けてそれ以上の年月を――過ごして来たんだ。いっそ愛する人に永遠に殺し続けられたいと願うほどの時を。
ちくりと痛む胸と頬の傷に、僕は言葉を失った。
りんちゃんは臆することなく扉の前に進み、すぅっと息を吸う。
両掌を口の横に置いて、良く響くように拡声器の形を作った彼女は、大きな声でヴェルディアナの名前を呼んだ。
「ヴェールーちゃーん! あーそーぼー!」
声は霧に吸い込まれる様に後も引かずに消え、僕らは何か反応がないかと周囲を警戒する。
以前、別の遺跡であるディオ・ドラーゴで、しっかりと閉まっていたはずの扉をやすやすと開けたりんちゃんの行動に、実をいうと僕は少し期待していたんだけど、さすがに今回はそう簡単に行くものではなかったようだ。
扉はピクリとも動かず、衛兵とかそういうものが襲い掛かってくる様子も無い。
何か手は無いかなと目を向けると、クリスティアーノは黙ったまま、戦車のヘットと力のテットに指示を出した。
周囲を警戒していた2人は、その主と同じく無言で頭を下げる。
それぞれの巨大な剣を背中に背負いなおした2人は、首をゴキゴキと鳴らして手首をぐるぐると回しながら、その2メートルほどもある巨体を100メートル以上ある扉の前に進めた。
「いやいや、それはさすがに無理やろ」
「俺様もそう思うぜ」
エドアルドの肩の上でツッコミを入れるチコラにエドアルドも同意する。
何の返事も返さずに、左右の扉にぐっと肩を当てたヘットとテットは、その美しく鍛え上げられた筋肉に力をみなぎらせ、灰色の台地に足を食い込ませた。
扉はやはり、ピクリとも動かない。
筋肉に血管を浮き上がらせてさらに力を入れた2人の足元で、地面に小さくひびが入った。
「ヘットくん! テットちゃん! がんばれー!」
りんちゃんの応援の言葉と同時に、100メートル四方の扉が「ゴッ……ゴゴッ……」と軋み始める。
「ぬぅぅぅ!!!」
「はぁぁぁ!!!」
ミシミシと音を立てて内側へと開き始めた扉を、僕らは畏怖の念を込めて見上げていた。
「冗談やろ……?」
チコラが呆れたようにつぶやき、エドアルドは声すら出ない。
山自体が動いたようなその扉を数メートル押し込み、幅2メートルほどの隙間ができたところでテットとヘットは歩みを止めた。
隙間から流れ出る風が亡者の悲鳴のような音を出す。それは生暖かくもあり、氷のように冷たくもあり、恐怖とも不快感とも違う何かが肌を伝うような感覚だった。
「行こうか。アクナレート」
「え? あ、うん」
足が止まっていた僕を促して、クリスティアーノが歩きだす。
元々遺跡の外も薄暗かったからだろうか、部屋の広さに見合わない明かりが照らす巨大な広間は、思ったより明るく、隅々までよく見えた。
人間や亜人が使う兜や盾、そして魔宝珠。
そんなものがぽつりぽつりと転がる室内は、ガランとしていて、まるで広間を埋め尽くしていた兵隊たちが夜逃げでもしたみたいだった。
「なんや、夜逃げの後みたいやな」
僕と同じ感想を抱いていたらしいチコラの声が、大きな広間に妙に響く。
「……俺様に恐れをなして逃げたんだろ」
ちょっと肩をすくめて、口を押さえたチコラを勇気づけるように、エドアルドはことさら大きな声でそう答えた。
わんわんと響く声の余韻が消えるまで、僕らはそこでただ立っている。
例えて言うなら、聖堂や……図書館で大きな声を出してしまった時のような罪悪感。ぼくらはそれに囚われていた。
「なんだよ、いつまでも突っ立ってたってしょうがねぇだろうが。案内もねぇみてぇだからよ。遠慮なく上がらせてもらおうぜ」
一度声を上げてしまった以上、エドアルドはもう後には引けない。
嵩にかかって声高に、それでも『魔を払う牙』を構えて用心は怠らずに、先頭を切って部屋を横切り始めた。
「あい、おいでなんし……お上がりなんし」
ふわりと、バカみたいに広い部屋の一番奥に明かりが灯る。
淡いオレンジ色の暖かい光が丸く照らした階段の一番上で、鮮烈な赤が目を引いた。
つやつやと輝く赤地に銀一色で描かれた揚羽蝶が、美しい紋様を誇示するように羽ばたく。
その豪奢な着物を緩く纏ったこの遺跡の主人、ヴェルディアナは、相変わらずの背筋が寒くなるような笑顔で僕らを迎えた。
黒髪に狐の耳がピクピクと動き、油断なく周囲を警戒する。
僕らを誘うように開けた胸元は赤い着物の中で艶かしい白を輝かせ、スラリと伸びた脚の上でぱたりぱたりと動く狐の尻尾は黄金色の輝きを放っていた。
いつも通り。相変わらず。
そんな姿の中、一つだけ今までのヴェルディアナと違うところがあることに、僕は気付いた。
「ヴェルディアナ……それ……」
「あい、わっちとあっくんの――」
ぽっこりと、一抱えもありそうなサイズで丸く飛び出たお腹を擦り、彼女は唇の端を釣り上げる。
「――赤子でありんす」
ほう……と、満足げに息を吐くと、彼女は悩ましげに着物の裾からぬっと飛び出した脚を組み替えた。
赤ちゃんとか妊娠とか、そういう事は詳しくないけど、多分あの大きさって所謂「臨月」ってやつじゃないだろうか。
いつ産まれてもおかしくない、そんな状態。
もうヴェルディアナは赤ん坊を産もうとしている。
そして、その生まれる赤ん坊は、世界を滅ぼす魔王の眷属2体をベースにして、ヴェルディアナの『鬼神』、マリアステラの『女神』、りんちゃんの『魔法少女』、それに加えて僕のチートまでをも取り込んだ『災厄の魔王』なのだ。
「ダメだ。産んじゃダメだよ、ヴェルディアナ。それは僕とキミの赤ちゃんなんかじゃない。チートで肉体を作り出した、魔王なんだよ」
「……あっくんは、この子がわっちの子ではありんせんとおっしゃりんすか?」
愛おしそうにお腹をなでながら、ヴェルディアナは小首を傾げる。
「――わっちとあっくんの子を産んではならぬとおっしゃりんすか?」
「……ちがっ……そういう事じゃなくて」
「なんや、修羅場みたいやな」
「あっくんは俺様と違って二股三股上等のクソ野郎だからな。まぁしかたねぇ」
史上最強の『災厄の魔王』が産み出されるかどうかというこの瀬戸際でも、チコラとエドアルドはいつもの調子を崩さなかった。
僕がそれをたしなめようと振り返った途端、ヴェルディアナの居る階段の上に炎が上がる。
爆風に背中を押され、僕が一歩よろめくと、その横を疾風のように2人の戦士が通り抜け、爆風の中央に向かって巨大な剣を振り下ろした。
「産んではならぬのだよ、鬼神ヴェルディアナ。この世界に仇為す『災厄の魔王』を、貴女に産ませる訳にはいかないのだ」
静かにそう断言するクリスティアーノの隣で、死神のヌンの協力を得た悪魔のアインは『煉獄の狂想曲』の詠唱を終え、小さくため息をつく。
「マスター、やっぱり完全魔法障壁があるみたいなのー」
「ふむ、仕方があるまい。まぁ目くらましになればいい」
伝説級の魔法である『煉獄の狂想曲』を目くらまし代わりにするなどと、この世界の魔術師が聞いたら激怒するだろう。
不満げに手を下ろしたアインの隣では、塔のペーによる完全耐火防御の魔法が戦車のヘットと力のテットにかけられていた。
その魔法により地獄の炎から身を守った2人が、ついさっき山そのもののような100メートルを越える扉を動かした力を持って振り下ろした豪剣は、炎の弾けた階段の上で、真っ白でガラス細工のように細い指で押さえられている。
「やまさん方……まだちぃと早うありんすえ」
右手でヘットの剣を。
左手でテットの剣を。
悪戯をした子供の手のひらでも抓るように、ヴェルディアナは事もなくその剣をひねる。
危険を察知して剣から手を離した2人が飛び退くのとほぼ同時に、鋼鉄の巨大な板はコマのように勢い良く回転し、空気を切り裂いて天井まで吹き飛んだ。
ゆらり……と、ヴェルディアナは立ち上がり、周りを囲もうとしていた大アルカナの将軍たちは大きく距離を取る。
最強の物理攻撃も、最強の魔法攻撃も通じなかったのだ。もう彼らにはヴェルディアナを止める術はない。
必然的に僕とエドアルド、そしてチコラが前に出る形になり、その先頭で、僕は彼女がもう一度口にする疑問に答えることになった。
「あっくんは、わっちとあっくんの子を……産んではならぬと……おっしゃりんすか?」
僕はゴクリとつばを飲み、カラカラになった喉から、彼女を納得させるための言葉をなんとか絞り出した。
最近まで存在すら忘れられていた太古の遺跡のうちの一つで、名前も付けられていない。
荒涼とした灰色の台地には動物の脊髄のような木々が人の移動を妨げる様に立っていて、その様子はまるで天然の牢獄みたいだと僕は思った。
「ここが、北西の遺跡?」
建物の一つも見当たらない白と黒の世界に、僕は思わずタヴを振り返って聞く。
タヴは落ち着いて頷き、脊髄の森の向こう、霧に紛れた暗い空間を指さした。
「はい。この奥の壁に横穴のような住居があります」
「はっ、横穴だと? 原始人かよ」
タヴの説明にエドアルドが笑う。
グリュプスの馬車と、悪魔のアインが使う「天空の間奏曲」によって霧の空を斬り裂いた僕らの視界を巨大な断崖が覆った。
脊髄の森から立ち上がった黒い壁。
右を見ても、左を見ても、そして上を見上げても、それは白い霧の中へと溶けてゆき、果てが全く感じられなかった。
世界を分断しているようなその壁には精緻な扉が刻まれていて、そのゆうに100メートル四方を超える巨大な彫刻は僕らを圧倒する。
バカにしたように笑っていたエドアルドの表情が見る見るうちに凍りつき、僕もそんな彼を笑うことなど出来るはずもなく、ただゴクリと固唾を飲んだ。
「ねー主、アインたちどこに降りるなのー?」
「ここまで来たら小細工も必要ないだろう。正面へ。……それでいいな? アクナレート」
アインの問いに、呆然と壁を見つめていたクリスティアーノはそう答える。
突然話を振られた僕は何も考えられずに、ただ「うん」と、頷いた。
僕らが音も無く門の前に立つと、その大きさはやはり際立つ。
歓迎されない客である僕たちは、こちらとあちらを分断するようにそびえる扉の前で、何とも言えない疎外感を感じていた。
「あっくん、ヴェルちゃんのおうち、おっきいね」
「うん……ほんとに、大きいね」
「ヴェルちゃん一人で、さびしくないかな?」
それは……寂しいだろう。彼女は数百年の時を――年齢は6百数十歳になっていたけれど、もしかしたら生まれ変わり続けてそれ以上の年月を――過ごして来たんだ。いっそ愛する人に永遠に殺し続けられたいと願うほどの時を。
ちくりと痛む胸と頬の傷に、僕は言葉を失った。
りんちゃんは臆することなく扉の前に進み、すぅっと息を吸う。
両掌を口の横に置いて、良く響くように拡声器の形を作った彼女は、大きな声でヴェルディアナの名前を呼んだ。
「ヴェールーちゃーん! あーそーぼー!」
声は霧に吸い込まれる様に後も引かずに消え、僕らは何か反応がないかと周囲を警戒する。
以前、別の遺跡であるディオ・ドラーゴで、しっかりと閉まっていたはずの扉をやすやすと開けたりんちゃんの行動に、実をいうと僕は少し期待していたんだけど、さすがに今回はそう簡単に行くものではなかったようだ。
扉はピクリとも動かず、衛兵とかそういうものが襲い掛かってくる様子も無い。
何か手は無いかなと目を向けると、クリスティアーノは黙ったまま、戦車のヘットと力のテットに指示を出した。
周囲を警戒していた2人は、その主と同じく無言で頭を下げる。
それぞれの巨大な剣を背中に背負いなおした2人は、首をゴキゴキと鳴らして手首をぐるぐると回しながら、その2メートルほどもある巨体を100メートル以上ある扉の前に進めた。
「いやいや、それはさすがに無理やろ」
「俺様もそう思うぜ」
エドアルドの肩の上でツッコミを入れるチコラにエドアルドも同意する。
何の返事も返さずに、左右の扉にぐっと肩を当てたヘットとテットは、その美しく鍛え上げられた筋肉に力をみなぎらせ、灰色の台地に足を食い込ませた。
扉はやはり、ピクリとも動かない。
筋肉に血管を浮き上がらせてさらに力を入れた2人の足元で、地面に小さくひびが入った。
「ヘットくん! テットちゃん! がんばれー!」
りんちゃんの応援の言葉と同時に、100メートル四方の扉が「ゴッ……ゴゴッ……」と軋み始める。
「ぬぅぅぅ!!!」
「はぁぁぁ!!!」
ミシミシと音を立てて内側へと開き始めた扉を、僕らは畏怖の念を込めて見上げていた。
「冗談やろ……?」
チコラが呆れたようにつぶやき、エドアルドは声すら出ない。
山自体が動いたようなその扉を数メートル押し込み、幅2メートルほどの隙間ができたところでテットとヘットは歩みを止めた。
隙間から流れ出る風が亡者の悲鳴のような音を出す。それは生暖かくもあり、氷のように冷たくもあり、恐怖とも不快感とも違う何かが肌を伝うような感覚だった。
「行こうか。アクナレート」
「え? あ、うん」
足が止まっていた僕を促して、クリスティアーノが歩きだす。
元々遺跡の外も薄暗かったからだろうか、部屋の広さに見合わない明かりが照らす巨大な広間は、思ったより明るく、隅々までよく見えた。
人間や亜人が使う兜や盾、そして魔宝珠。
そんなものがぽつりぽつりと転がる室内は、ガランとしていて、まるで広間を埋め尽くしていた兵隊たちが夜逃げでもしたみたいだった。
「なんや、夜逃げの後みたいやな」
僕と同じ感想を抱いていたらしいチコラの声が、大きな広間に妙に響く。
「……俺様に恐れをなして逃げたんだろ」
ちょっと肩をすくめて、口を押さえたチコラを勇気づけるように、エドアルドはことさら大きな声でそう答えた。
わんわんと響く声の余韻が消えるまで、僕らはそこでただ立っている。
例えて言うなら、聖堂や……図書館で大きな声を出してしまった時のような罪悪感。ぼくらはそれに囚われていた。
「なんだよ、いつまでも突っ立ってたってしょうがねぇだろうが。案内もねぇみてぇだからよ。遠慮なく上がらせてもらおうぜ」
一度声を上げてしまった以上、エドアルドはもう後には引けない。
嵩にかかって声高に、それでも『魔を払う牙』を構えて用心は怠らずに、先頭を切って部屋を横切り始めた。
「あい、おいでなんし……お上がりなんし」
ふわりと、バカみたいに広い部屋の一番奥に明かりが灯る。
淡いオレンジ色の暖かい光が丸く照らした階段の一番上で、鮮烈な赤が目を引いた。
つやつやと輝く赤地に銀一色で描かれた揚羽蝶が、美しい紋様を誇示するように羽ばたく。
その豪奢な着物を緩く纏ったこの遺跡の主人、ヴェルディアナは、相変わらずの背筋が寒くなるような笑顔で僕らを迎えた。
黒髪に狐の耳がピクピクと動き、油断なく周囲を警戒する。
僕らを誘うように開けた胸元は赤い着物の中で艶かしい白を輝かせ、スラリと伸びた脚の上でぱたりぱたりと動く狐の尻尾は黄金色の輝きを放っていた。
いつも通り。相変わらず。
そんな姿の中、一つだけ今までのヴェルディアナと違うところがあることに、僕は気付いた。
「ヴェルディアナ……それ……」
「あい、わっちとあっくんの――」
ぽっこりと、一抱えもありそうなサイズで丸く飛び出たお腹を擦り、彼女は唇の端を釣り上げる。
「――赤子でありんす」
ほう……と、満足げに息を吐くと、彼女は悩ましげに着物の裾からぬっと飛び出した脚を組み替えた。
赤ちゃんとか妊娠とか、そういう事は詳しくないけど、多分あの大きさって所謂「臨月」ってやつじゃないだろうか。
いつ産まれてもおかしくない、そんな状態。
もうヴェルディアナは赤ん坊を産もうとしている。
そして、その生まれる赤ん坊は、世界を滅ぼす魔王の眷属2体をベースにして、ヴェルディアナの『鬼神』、マリアステラの『女神』、りんちゃんの『魔法少女』、それに加えて僕のチートまでをも取り込んだ『災厄の魔王』なのだ。
「ダメだ。産んじゃダメだよ、ヴェルディアナ。それは僕とキミの赤ちゃんなんかじゃない。チートで肉体を作り出した、魔王なんだよ」
「……あっくんは、この子がわっちの子ではありんせんとおっしゃりんすか?」
愛おしそうにお腹をなでながら、ヴェルディアナは小首を傾げる。
「――わっちとあっくんの子を産んではならぬとおっしゃりんすか?」
「……ちがっ……そういう事じゃなくて」
「なんや、修羅場みたいやな」
「あっくんは俺様と違って二股三股上等のクソ野郎だからな。まぁしかたねぇ」
史上最強の『災厄の魔王』が産み出されるかどうかというこの瀬戸際でも、チコラとエドアルドはいつもの調子を崩さなかった。
僕がそれをたしなめようと振り返った途端、ヴェルディアナの居る階段の上に炎が上がる。
爆風に背中を押され、僕が一歩よろめくと、その横を疾風のように2人の戦士が通り抜け、爆風の中央に向かって巨大な剣を振り下ろした。
「産んではならぬのだよ、鬼神ヴェルディアナ。この世界に仇為す『災厄の魔王』を、貴女に産ませる訳にはいかないのだ」
静かにそう断言するクリスティアーノの隣で、死神のヌンの協力を得た悪魔のアインは『煉獄の狂想曲』の詠唱を終え、小さくため息をつく。
「マスター、やっぱり完全魔法障壁があるみたいなのー」
「ふむ、仕方があるまい。まぁ目くらましになればいい」
伝説級の魔法である『煉獄の狂想曲』を目くらまし代わりにするなどと、この世界の魔術師が聞いたら激怒するだろう。
不満げに手を下ろしたアインの隣では、塔のペーによる完全耐火防御の魔法が戦車のヘットと力のテットにかけられていた。
その魔法により地獄の炎から身を守った2人が、ついさっき山そのもののような100メートルを越える扉を動かした力を持って振り下ろした豪剣は、炎の弾けた階段の上で、真っ白でガラス細工のように細い指で押さえられている。
「やまさん方……まだちぃと早うありんすえ」
右手でヘットの剣を。
左手でテットの剣を。
悪戯をした子供の手のひらでも抓るように、ヴェルディアナは事もなくその剣をひねる。
危険を察知して剣から手を離した2人が飛び退くのとほぼ同時に、鋼鉄の巨大な板はコマのように勢い良く回転し、空気を切り裂いて天井まで吹き飛んだ。
ゆらり……と、ヴェルディアナは立ち上がり、周りを囲もうとしていた大アルカナの将軍たちは大きく距離を取る。
最強の物理攻撃も、最強の魔法攻撃も通じなかったのだ。もう彼らにはヴェルディアナを止める術はない。
必然的に僕とエドアルド、そしてチコラが前に出る形になり、その先頭で、僕は彼女がもう一度口にする疑問に答えることになった。
「あっくんは、わっちとあっくんの子を……産んではならぬと……おっしゃりんすか?」
僕はゴクリとつばを飲み、カラカラになった喉から、彼女を納得させるための言葉をなんとか絞り出した。
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