上 下
68 / 76
第六章:決戦の火蓋が斬って落とされる

第68話「遺跡の主人とようじょ」

しおりを挟む
 北西の遺跡。

 最近まで存在すら忘れられていた太古の遺跡のうちの一つで、名前も付けられていない。
 荒涼とした灰色の台地には動物の脊髄のような木々が人の移動を妨げる様に立っていて、その様子はまるで天然の牢獄みたいだと僕は思った。

「ここが、北西の遺跡?」

 建物の一つも見当たらない白と黒の世界に、僕は思わずタヴを振り返って聞く。
 タヴは落ち着いて頷き、脊髄の森の向こう、霧に紛れた暗い空間を指さした。

「はい。この奥の壁に横穴のような住居があります」

「はっ、横穴だと? 原始人かよ」

 タヴの説明にエドアルドが笑う。
 グリュプスの馬車と、悪魔のアインが使う「天空の間奏曲インテルメッツォ・イル・シエロ」によって霧の空を斬り裂いた僕らの視界を巨大な断崖が覆った。

 脊髄の森から立ち上がった黒い壁。
 右を見ても、左を見ても、そして上を見上げても、それは白い霧の中へと溶けてゆき、果てが全く感じられなかった。
 世界を分断しているようなその壁には精緻な扉が刻まれていて、そのゆうに100メートル四方を超える巨大な彫刻は僕らを圧倒する。

 バカにしたように笑っていたエドアルドの表情が見る見るうちに凍りつき、僕もそんな彼を笑うことなど出来るはずもなく、ただゴクリと固唾を飲んだ。

「ねーマスター、アインたちどこに降りるなのー?」

「ここまで来たら小細工も必要ないだろう。正面へ。……それでいいな? アクナレート」

 アインの問いに、呆然と壁を見つめていたクリスティアーノはそう答える。
 突然話を振られた僕は何も考えられずに、ただ「うん」と、頷いた。

 僕らが音も無く門の前に立つと、その大きさはやはり際立つ。
 歓迎されない客である僕たちは、こちらとあちらを分断するようにそびえる扉の前で、何とも言えない疎外感を感じていた。

「あっくん、ヴェルちゃんのおうち、おっきいね」

「うん……ほんとに、大きいね」

「ヴェルちゃん一人で、さびしくないかな?」

 それは……寂しいだろう。彼女は数百年の時を――年齢は6百数十歳になっていたけれど、もしかしたら生まれ変わり続けてそれ以上の年月を――過ごして来たんだ。いっそ愛する人に永遠に殺し続けられたいと願うほどの時を。
 ちくりと痛む胸と頬の傷に、僕は言葉を失った。

 りんちゃんは臆することなく扉の前に進み、すぅっと息を吸う。
 両掌を口の横に置いて、良く響くように拡声器の形を作った彼女は、大きな声でヴェルディアナの名前を呼んだ。

「ヴェールーちゃーん! あーそーぼー!」

 声は霧に吸い込まれる様に後も引かずに消え、僕らは何か反応がないかと周囲を警戒する。
 以前、別の遺跡であるディオ・ドラーゴで、しっかりと閉まっていたはずの扉をやすやすと開けたりんちゃんの行動に、実をいうと僕は少し期待していたんだけど、さすがに今回はそう簡単に行くものではなかったようだ。
 扉はピクリとも動かず、衛兵とかそういうものが襲い掛かってくる様子も無い。

 何か手は無いかなと目を向けると、クリスティアーノは黙ったまま、戦車のヘットと力のテットに指示を出した。
 周囲を警戒していた2人は、そのマスターと同じく無言で頭を下げる。
 それぞれの巨大な剣を背中に背負いなおした2人は、首をゴキゴキと鳴らして手首をぐるぐると回しながら、その2メートルほどもある巨体を100メートル以上ある扉の前に進めた。

「いやいや、それはさすがに無理やろ」

「俺様もそう思うぜ」

 エドアルドの肩の上でツッコミを入れるチコラにエドアルドも同意する。
 何の返事も返さずに、左右の扉にぐっと肩を当てたヘットとテットは、その美しく鍛え上げられた筋肉に力をみなぎらせ、灰色の台地に足を食い込ませた。

 扉はやはり、ピクリとも動かない。
 筋肉に血管を浮き上がらせてさらに力を入れた2人の足元で、地面に小さくひびが入った。

「ヘットくん! テットちゃん! がんばれー!」

 りんちゃんの応援の言葉と同時に、100メートル四方の扉が「ゴッ……ゴゴッ……」と軋み始める。

「ぬぅぅぅ!!!」
「はぁぁぁ!!!」

 ミシミシと音を立てて内側へと開き始めた扉を、僕らは畏怖の念を込めて見上げていた。

「冗談やろ……?」

 チコラが呆れたようにつぶやき、エドアルドは声すら出ない。
 山自体が動いたようなその扉を数メートル押し込み、幅2メートルほどの隙間ができたところでテットとヘットは歩みを止めた。
 隙間から流れ出る風が亡者の悲鳴のような音を出す。それは生暖かくもあり、氷のように冷たくもあり、恐怖とも不快感とも違う何かが肌を伝うような感覚だった。

「行こうか。アクナレート」

「え? あ、うん」

 足が止まっていた僕を促して、クリスティアーノが歩きだす。
 元々遺跡の外も薄暗かったからだろうか、部屋の広さに見合わない明かりが照らす巨大な広間は、思ったより明るく、隅々までよく見えた。

 人間や亜人デミ・ヒューマンが使う兜や盾、そして魔宝珠。
 そんなものがぽつりぽつりと転がる室内は、ガランとしていて、まるで広間を埋め尽くしていた兵隊たちが夜逃げでもしたみたいだった。

「なんや、夜逃げの後みたいやな」

 僕と同じ感想を抱いていたらしいチコラの声が、大きな広間に妙に響く。

「……俺様に恐れをなして逃げたんだろ」

 ちょっと肩をすくめて、口を押さえたチコラを勇気づけるように、エドアルドはことさら大きな声でそう答えた。
 わんわんと響く声の余韻が消えるまで、僕らはそこでただ立っている。
 例えて言うなら、聖堂や……図書館で大きな声を出してしまった時のような罪悪感。ぼくらはそれに囚われていた。

「なんだよ、いつまでも突っ立ってたってしょうがねぇだろうが。案内もねぇみてぇだからよ。遠慮なく上がらせてもらおうぜ」

 一度声を上げてしまった以上、エドアルドはもう後には引けない。
 嵩にかかって声高に、それでも『魔を払う牙エクソダス』を構えて用心は怠らずに、先頭を切って部屋を横切り始めた。

「あい、おいでなんし……お上がりなんし」

 ふわりと、バカみたいに広い部屋の一番奥に明かりが灯る。
 淡いオレンジ色の暖かい光が丸く照らした階段の一番上で、鮮烈な赤が目を引いた。

 つやつやと輝く赤地に銀一色で描かれた揚羽蝶アゲハチョウが、美しい紋様を誇示するように羽ばたく。
 その豪奢な着物を緩く纏ったこの遺跡の主人、ヴェルディアナは、相変わらずの背筋が寒くなるような笑顔で僕らを迎えた。

 黒髪に狐の耳がピクピクと動き、油断なく周囲を警戒する。
 僕らを誘うようにはだけた胸元は赤い着物の中で艶かしい白を輝かせ、スラリと伸びた脚の上でぱたりぱたりと動く狐の尻尾は黄金色の輝きを放っていた。

 いつも通り。相変わらず。

 そんな姿の中、一つだけ今までのヴェルディアナと違うところがあることに、僕は気付いた。

「ヴェルディアナ……それ……」

「あい、わっちとあっくんの――」

 ぽっこりと、一抱えもありそうなサイズで丸く飛び出たお腹をさすり、彼女は唇の端を釣り上げる。

「――赤子あかごでありんす」

 ほう……と、満足げに息を吐くと、彼女は悩ましげに着物の裾からぬっと飛び出した脚を組み替えた。
 赤ちゃんとか妊娠とか、そういう事は詳しくないけど、多分あの大きさって所謂「臨月」ってやつじゃないだろうか。
 いつ産まれてもおかしくない、そんな状態。

 もうヴェルディアナは赤ん坊を産もうとしている。
 そして、その生まれる赤ん坊は、世界を滅ぼす魔王の眷属2体をベースにして、ヴェルディアナの『鬼神』、マリアステラの『女神』、りんちゃんの『魔法少女プリヒール』、それに加えて僕のチートまでをも取り込んだ『災厄の魔王』なのだ。

「ダメだ。産んじゃダメだよ、ヴェルディアナ。それは僕とキミの赤ちゃんなんかじゃない。チートで肉体を作り出した、魔王なんだよ」

「……あっくんは、この子がわっちの子ではありんせんとおっしゃりんすか?」

 愛おしそうにお腹をなでながら、ヴェルディアナは小首を傾げる。

「――わっちとあっくんの子を産んではならぬとおっしゃりんすか?」

「……ちがっ……そういう事じゃなくて」

「なんや、修羅場みたいやな」

「あっくんは俺様と違って二股三股上等のクソ野郎だからな。まぁしかたねぇ」

 史上最強の『災厄の魔王』が産み出されるかどうかというこの瀬戸際でも、チコラとエドアルドはいつもの調子を崩さなかった。
 僕がそれをたしなめようと振り返った途端、ヴェルディアナの居る階段の上に炎が上がる。
 爆風に背中を押され、僕が一歩よろめくと、その横を疾風のように2人の戦士が通り抜け、爆風の中央に向かって巨大な剣を振り下ろした。

「産んではならぬのだよ、鬼神ヴェルディアナ。この世界に仇為あだなす『災厄の魔王』を、貴女に産ませる訳にはいかないのだ」

 静かにそう断言するクリスティアーノの隣で、死神のヌンの協力を得た悪魔のアインは『煉獄の狂想曲プルガトーリョ・デル・カプリチオ』の詠唱を終え、小さくため息をつく。

「マスター、やっぱり完全魔法障壁があるみたいなのー」

「ふむ、仕方があるまい。まぁ目くらましになればいい」

 伝説級の魔法である『煉獄の狂想曲』を目くらまし代わりにするなどと、この世界の魔術師が聞いたら激怒するだろう。

 不満げに手を下ろしたアインの隣では、塔のペーによる完全耐火防御の魔法が戦車のヘットと力のテットにかけられていた。
 その魔法により地獄の炎から身を守った2人が、ついさっき山そのもののような100メートルを越える扉を動かした力を持って振り下ろした豪剣は、炎の弾けた階段の上で、真っ白でガラス細工のように細い指で押さえられている。

「やまさん方……まだちぃと早うありんすえ」

 右手でヘットの剣を。
 左手でテットの剣を。

 悪戯をした子供の手のひらでも抓るように、ヴェルディアナは事もなくその剣をひねる。
 危険を察知して剣から手を離した2人が飛び退くのとほぼ同時に、鋼鉄の巨大な板はコマのように勢い良く回転し、空気を切り裂いて天井まで吹き飛んだ。

 ゆらり……と、ヴェルディアナは立ち上がり、周りを囲もうとしていた大アルカナの将軍ジェネラーレたちは大きく距離を取る。
 最強の物理攻撃も、最強の魔法攻撃も通じなかったのだ。もう彼らにはヴェルディアナを止める術はない。

 必然的に僕とエドアルド、そしてチコラが前に出る形になり、その先頭で、僕は彼女がもう一度口にする疑問に答えることになった。

「あっくんは、わっちとあっくんの子を……産んではならぬと……おっしゃりんすか?」

 僕はゴクリとつばを飲み、カラカラになった喉から、彼女を納得させるための言葉をなんとか絞り出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生少女、運の良さだけで生き抜きます!

足助右禄
ファンタジー
【9月10日を持ちまして完結致しました。特別編執筆中です】 ある日、災害に巻き込まれて命を落とした少女ミナは異世界の女神に出会い、転生をさせてもらう事になった。 女神はミナの体を創造して問う。 「要望はありますか?」 ミナは「運だけ良くしてほしい」と望んだ。 迂闊で残念な少女ミナが剣と魔法のファンタジー世界で様々な人に出会い、成長していく物語。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

魔法学のすゝめ!

蒔望輝(まきのぞみ)
ファンタジー
陸と海、自然に恵まれたとある惑星―― この星では、科学とともに魔法学が発展している。同時に、魔法を使える者とそうでない者との確執が絶えず生まれていた。 魔法大国の首都ペンテグルス、その外れに住むシュウ・ハナミヤは、日々の生活のためアルバイト三昧の生活を送る。しかし、偶然にも世界随一の魔法学専門学校《セントラル》の特進クラスに入学することとなる。 そこは、一流の魔法使いが集う女の子だけのクラスであった。 本作品は「小説家になろう」様でも掲載中です。 ncode.syosetu.com/n8296hi/

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

騎士学院のイノベーション

黒蓮
ファンタジー
 この世界では、人間という種が生存できる範囲が極めて狭い。大陸の大部分を占めているのは、魔物蔓延る大森林だ。魔物は繁殖能力が非常に高く、獰猛で強大な力を有しており、魔物達にとってみれば人間など餌に過ぎない存在だ。 その為、遥か昔から人間は魔物と戦い続け、自らの生存域を死守することに尽力してきた。しかし、元々生物としての地力が違う魔物相手では、常に人間側は劣勢に甘んじていた。そうして長い年月の果て、魔物達の活動範囲は少しずつ人間の住む土地を侵食しており、人々の生活圏が脅かされていた。 しかし、この大陸には4つの天を突くほどの巨大な樹が点在しており、その大樹には不思議と魔物達は近寄ろうとしなかった。だからこそ魔物よりも弱者であるはずの人間が、長い年月生き残ってきたとも言える。そして人々は、その護りの加護をもたらす大樹の事を、崇拝の念を込めて『神樹《しんじゅ》』と呼んでいる。 これは神樹の麓にある4つの王国の内の一つ、ヴェストニア王国に存在する学院の物語である。

チート級のジョブ「夜闇」についた俺は欲望のままに生きる

亜・ナキ
ファンタジー
転生を果たしてしまった俺は、チート能力としか思えないジョブ「夜闇」になってしまう。金持ち王子に仕返ししたり、美少女を助けたり、気まぐれに、好き放題、欲望のままに俺は生きる。 すみません。しばらく連載中止します

[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!

どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入! 舐めた奴らに、真実が牙を剥く! 何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ? しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない? 訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、 なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト! そして…わかってくる、この異世界の異常性。 出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。 主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。 相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。 ハーレム要素は、不明とします。 復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。 追記  2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。 8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。 2024/02/23 アルファポリスオンリーを解除しました。

本当の仲間ではないと勇者パーティから追放されたので、銀髪ケモミミ美少女と異世界でスローライフします。

なつめ猫
ファンタジー
田中一馬は、40歳のIT会社の社員として働いていた。 しかし、異世界ガルドランドに魔王を倒す勇者として召喚されてしまい容姿が17歳まで若返ってしまう。 探しにきた兵士に連れられ王城で、同郷の人間とパーティを組むことになる。 だが【勇者】の称号を持っていなかった一馬は、お荷物扱いにされてしまう。 ――ただアイテムボックスのスキルを持っていた事もあり勇者パーティの荷物持ちでパーティに参加することになるが……。 Sランク冒険者となった事で、田中一馬は仲間に殺されかける。 Sランク冒険者に与えられるアイテムボックスの袋。 それを手に入れるまで田中一馬は利用されていたのだった。 失意の内に意識を失った一馬の脳裏に ――チュートリアルが完了しました。 と、いうシステムメッセージが流れる。 それは、田中一馬が40歳まで独身のまま人生の半分を注ぎこんで鍛え上げたアルドガルド・オンラインの最強セーブデータを手に入れた瞬間であった!

処理中です...