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第六章:決戦の火蓋が斬って落とされる
第64話「ヤンデレちゃんとようじょ」
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ぼーん。
ぼぼん。
真っ青な空に、赤と緑と紫とオレンジと……様々な色の花火が打ち上がった。
いや、僕が打ち上げたんだけど。
とにかくそれは、この世界にも、この状況にも全くそぐわない、平和で不思議な光景だった。
「戦車! 力! 正義! 死神! 悪魔! 塔! 審判!」
クリスティアーノが懐から7枚の大アルカナを取り出し、空中へと投げ捨てる。
それぞれが空中で輝きを放ち、ぐにゃりと空間を歪めたかと思ううちに、7人のチートを持った将軍たちが姿を現した。
いや、月のコフを含めれば8人。
最初からいきなりこの数の将軍を出すとは、意外だった。
クリスティアーノは一気に戦況を決めに来ている。
「進軍!」
彼の号令一下、7人の将軍たちはヴェルディアナの横を通り抜け、眷属の軍団へと向かう。
僕も、のんびりしていられない。
「ヴェルディアナ!」
「あい、あっくん。なんでありんしょう?」
体をくねらせ、袖で可愛らしく口元を隠した彼女は、頬を染めながらそう返事をする。
戦いの最中だと言うこと全く理解していないのか、状況を気にも留めていないのか。
どちらにしても、普通じゃない。
「僕は、キミを救うために――」
僕の言葉は爆音に途切れた。
複雑な模様の刺繍された神官衣を纏う「塔のペー」が天空から雷呼び出し、眷属の率いる大軍団の真ん中に落ちて数百の魔宝珠を作り出す。
四角い帽子と黒い単眼鏡が特徴的な「審判のシン」は大地を割り、その裂け目はまた数百のモンスターたちを飲み込んでいった。
混乱の極みに達するモンスターたち。
それを無視するように、赤銅色の肌に赤い鎧をまとった巨漢の戦士「戦車のヘット」と、黄金色の波打つ髪を揺らした大柄な女戦士「力のテット」が巨大な流動体の前に並び、両者とも自らの身長よりも大きな剣を振りかざして名乗りを上げた。
「戦車のヘット、力のテット。我ら主君の命によりて、汝らを討伐いたす! 名誉ある死を望むものは前に出よ!」
彼らの言葉が聞こえているのか、そもそも耳のような器官をもつのか、そして人の言葉を理解できるのか、言葉を理解したとして、人の心が分かるのか。
自らの流動する身体と同じように、その全てが不確定な眷属は、「ちゃぷん」と言う擬音が聞こえそうな動きで、滝のようにヘットとテットを打ち据えた。
その動きはゆっくりとして見えるのだが、眷属のスケールと僕らのスケールの差がそう見せているだけで、実際はインチキのように速い。
海の底が抜けたかのような衝撃と爆音が周囲に広がり、吹き飛んだ街道のレンガや瓦礫で、モンスターが少なからず倒れたのが見えた。
その抜けた海の底が、ぐぐっと持ち上がる。
「相手にとって不足なし!」
「力のテット、推して参る!」
クレーターのように窪んだ地面の中央、頭上で剣を構えて押し返した2人の将軍が、それを大きく弾き飛ばす。
海そのものが動いているかのごとき眷属が、地鳴りと共に大きく傾いだ。
「……すごい」
思わず見入ってしまった僕がそう漏らすと、いつの間にか、目の前にヴェルディアナが立っていた。
「ほんにあっくんはじれっとうありんす。よそ見ばかりしていると……殺してしまいんすえ?」
避ける間もなく、彼女のすらりと美しい指先が僕の頬へ延び、小さくつまむ。
やきもちを妬いた女の子がするようにきゅっと抓ったその指は、行動の可愛らしさとは裏腹に、1センチほどの僕の頬肉をむしり取った。
「うっぐ……痛っ!」
体を引きはがすようにして、僕は無様に地面を転がり、彼女から逃げる。
傷を押さえてデスサイズを構えた僕が見上げると、ヴェルディアナは血まみれの僕の肉を舌先で愛おしそうに突き、小さく吐息を漏らしていた。
ヴェルディアナのこの空間を詰める能力は想像以上に厄介だ。
下手をしたらマリアステラみたいに、一撃でとどめを刺される可能性だってある。
……いや、彼女の能力がなんの制約も無く空間を移動できる能力であるのならば、僕らはもう何度も死んでいるだろう。
と言う事は、何らかの制約があるはずだ。
ただ単に彼女が「殺す気になっていない」だけと言う可能性が否定しきれないのが残念だけど、僕はその可能性に賭ける事にした。
もう、一瞬たりとも彼女から目を離さない。
そう心に決めて彼女を見つめると、ヴェルディアナは僕の頬肉を口中に含み、飴玉のように転がしながら微笑んだ。
「……そうそう。わっちから目を離さないでおくんなまし」
自分の頬を彼女に舐めまわされているような、ゾクリとするような感覚を覚えながら、僕は唾をのむ。
ゆっくりと立ち上がり、なるべく心のざわつきを表に出さないようにしながらほこりを払うと、僕はデスサイズを構えなおした。
「うん、ヴェルディアナ……安心して。僕はキミを救うために来たんだ。もう目を離したりしない」
「あい」
嬉しそうに。本当に嬉しそうに笑う彼女の向こうで、エドアルドの気合の声が聞こえる。
それに合わせてクリスティアーノの将軍たちが、眷属に向けて同時に攻撃を仕掛ける気配が、激しい意識の波となって押し寄せた。
向こうは大丈夫。
僕は僕に出来る仕事をしなくっちゃ。
「りんちゃん。マリア。出てきて」
向こうで起こる激しい戦闘、魔法障壁の中から無防備なここへと現れた僕の大事な家族。
いろいろなものに意識を引っ張られそうになりながら、僕は意識を集中してヴェルディアナを凝視し続ける。
りんちゃんはヴェルディアナと目を合わせないようにしながら僕の足にしがみつき、チコラは周囲に巡らせていた魔法障壁を消し去って、ふわふわと宙へ漂う。女神バージョンのマリアステラが姿を現すと、ヴェルディアナは少し眉をしかめたが、僕が彼女から視線を外していないのを確認すると、すぐいつも通りに目を細めた。
「ほんに……生きておりんしたのかえ」
「ええ、言ったでしょ? ヴェルディアナ。私もあなたと同じ『神』と言う名の呪われたチートを持つ転移者だって」
「神……まえにも言っておりんしたね」
マリアステラはヴェルディアナにも負けないような微笑みを浮かべ、僕の隣まで歩みを進める。
その表情は僕には見えなかったけど、彼女の決意だけは痛いくらいに伝わってきていた。
目の前にいるのは、自分を一度殺した相手だ。怖くない訳がない。
それでも女神マリアステラは、自分と同じ呪われた『神』と言う名のチートを持つ仲間、鬼神ヴェルディアナを救うために、ここにこうして立っているのだ。
「そう、私とあなたは同じなのよ。この世界がある限り死ぬことを許されないチート能力を持つの。そしてもう一つ。私も、あなたも、あっくんも、この小さな女の子、りんちゃんも……みんな自分がこの世界に転移させられた目的を知らないの。この世界に許されるための条件をね」
「ワイもやで」
「あはは、そうそうチコラもね。それでねヴェルディアナ。あっくんが、この世界に転移した目的を果たさなくても、元の世界に帰れる方法を見つけてくれたのよ」
ころり、ころころ。
口の中で僕の頬肉を転がしながら、ヴェルディアナは大人しくマリアステラの話を聞いている。
表情もいつも通り怖いほど落ち着いて、艶めかしささえ感じさせるほどだ。
でも、彼女をじっと見つめている僕は気付いた。
彼女のキツネの耳が神経質そうに周りの音を探ってぴくぴくと動いていて、もふもふの太い尻尾が心細げに脚の間に折りたたまれていることを。
「言ったでしょ? 私たちの事は、あっくんが助けてくれるって」
「ヴェルディアナ、僕たちはみんな同じなんだ。戦う必要なんかないんだよ。みんなで一緒に帰ろう」
ヴェルディアナは、可能性の中のりんちゃんであり、マリアステラなんだと、僕はこの時思った。
彼女は、僕やチコラと一緒ではなく1人でこの世界に転移したりんちゃんであり、沢山の素晴らしい仲間たちとの出会いと別れを経験できなかったマリアステラなのだ。
救いも無く、目的も分からず、ただ1人、この見知らぬ世界へ『神』と言う名の呪われた能力を与えられて捨てられた子供。
彼女の6百年の人生がどのようなものだったかは全く想像もつかなかったけど、僕はりんちゃんやマリアステラと同じようにヴェルディアナを救いたいと思い、救わなければならないのだと確信した。
「あっくんと一緒にでありんすか?」
伏し目がちに、僕の様子を窺うように口にしたその言葉は、拗ねた子供が交換条件を持ち出した時のようだった。
ぶっきらぼうにも、甘えているようにも聞こえる。
口の中で僕の肉をころりと転がし、彼女は耳をぴくぴくさせながら僕の言葉を待った。
「……うん、僕たちみんなでだよ、ヴェルディアナ」
ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ僕の言葉に途惑いがあった。
僕は、元の世界に帰りたいなんて思っていないから。
りんちゃんと一緒に暮らせない世界なんかまっぴらだと思っていたから。
でも、かと言って、りんちゃんをこの世界に留めたいと思っている訳でもない。
どの世界とか、どんな所とか、そんなものは僕にとって些細な問題でしかないのだ。
彼女が望むなら、日本へ帰る。彼女が望むなら、この世界に残る。
彼女がその選択をできるようにする。彼女が決めたいことを決めたいように決められるようにする。
その選択肢を作るためだけに、僕は戦い、あがいていた。
そんな後ろめたい気持ちがあったから、改めて一緒に帰るのかと聞かれた僕は、平静で居られなかったのかもしれない。
「嘘を……おつきなんし」
僕の言葉に含まれる途惑いを、動揺を――嘘を。
彼女は見逃さない。
ごくりと喉を鳴らして、ヴェルディアナは僕の肉を飲み込んだ。
向こうでは最終戦争並みの戦いが繰り広げられていると言うのに、ヴェルディアナのそんな些細な言葉と仕草で、僕たちの周りの空気が黒く凍る。
白と黒に染まった世界で、彼女の喉元から下腹部へと向かって、神々しく光り輝く何かがゆっくりと落ちていくのが見えた気がした。
「なに?! 何をしたの? ヴェルディアナ?!」
「あっくんあかん! いったん離れな!」
チコラに促され、僕はりんちゃんを抱き上げるために視線を落とした。
りんちゃんを抱えた僕の背中に、細い指が添えられる。
しまった。と思った時には遅かった。ヴェルディアナから視線を外してしまった。
彼女の白く細い指が、頬肉をえぐった時と同じように、僕の背中に突き立つ。
しかし、その指は、僕の体を貫き通すことは無く、その場で止まった。
「ヴェルちゃん、だいじょうぶだよ。ヴェルちゃんのことは、りんちゃんがちゃんと見てるよ!」
りんちゃんが手を伸ばし、ヴェルディアナの手首をそっと捕まえている。
にっこりと、あの大輪の花が咲くような笑顔を見せたりんちゃんの手を振り払い、ヴェルディアナはトンボを斬って距離を取った。
僕の腕から飛び降り、地面に立ったりんちゃんが両足を肩幅に開き、真っ直ぐ手を伸ばしてポーズをとるのが見える。
「プリヒール! グローイングハート!!」
そして、僕たちの世界は虹色の星の瞬きに包まれた。
ぼぼん。
真っ青な空に、赤と緑と紫とオレンジと……様々な色の花火が打ち上がった。
いや、僕が打ち上げたんだけど。
とにかくそれは、この世界にも、この状況にも全くそぐわない、平和で不思議な光景だった。
「戦車! 力! 正義! 死神! 悪魔! 塔! 審判!」
クリスティアーノが懐から7枚の大アルカナを取り出し、空中へと投げ捨てる。
それぞれが空中で輝きを放ち、ぐにゃりと空間を歪めたかと思ううちに、7人のチートを持った将軍たちが姿を現した。
いや、月のコフを含めれば8人。
最初からいきなりこの数の将軍を出すとは、意外だった。
クリスティアーノは一気に戦況を決めに来ている。
「進軍!」
彼の号令一下、7人の将軍たちはヴェルディアナの横を通り抜け、眷属の軍団へと向かう。
僕も、のんびりしていられない。
「ヴェルディアナ!」
「あい、あっくん。なんでありんしょう?」
体をくねらせ、袖で可愛らしく口元を隠した彼女は、頬を染めながらそう返事をする。
戦いの最中だと言うこと全く理解していないのか、状況を気にも留めていないのか。
どちらにしても、普通じゃない。
「僕は、キミを救うために――」
僕の言葉は爆音に途切れた。
複雑な模様の刺繍された神官衣を纏う「塔のペー」が天空から雷呼び出し、眷属の率いる大軍団の真ん中に落ちて数百の魔宝珠を作り出す。
四角い帽子と黒い単眼鏡が特徴的な「審判のシン」は大地を割り、その裂け目はまた数百のモンスターたちを飲み込んでいった。
混乱の極みに達するモンスターたち。
それを無視するように、赤銅色の肌に赤い鎧をまとった巨漢の戦士「戦車のヘット」と、黄金色の波打つ髪を揺らした大柄な女戦士「力のテット」が巨大な流動体の前に並び、両者とも自らの身長よりも大きな剣を振りかざして名乗りを上げた。
「戦車のヘット、力のテット。我ら主君の命によりて、汝らを討伐いたす! 名誉ある死を望むものは前に出よ!」
彼らの言葉が聞こえているのか、そもそも耳のような器官をもつのか、そして人の言葉を理解できるのか、言葉を理解したとして、人の心が分かるのか。
自らの流動する身体と同じように、その全てが不確定な眷属は、「ちゃぷん」と言う擬音が聞こえそうな動きで、滝のようにヘットとテットを打ち据えた。
その動きはゆっくりとして見えるのだが、眷属のスケールと僕らのスケールの差がそう見せているだけで、実際はインチキのように速い。
海の底が抜けたかのような衝撃と爆音が周囲に広がり、吹き飛んだ街道のレンガや瓦礫で、モンスターが少なからず倒れたのが見えた。
その抜けた海の底が、ぐぐっと持ち上がる。
「相手にとって不足なし!」
「力のテット、推して参る!」
クレーターのように窪んだ地面の中央、頭上で剣を構えて押し返した2人の将軍が、それを大きく弾き飛ばす。
海そのものが動いているかのごとき眷属が、地鳴りと共に大きく傾いだ。
「……すごい」
思わず見入ってしまった僕がそう漏らすと、いつの間にか、目の前にヴェルディアナが立っていた。
「ほんにあっくんはじれっとうありんす。よそ見ばかりしていると……殺してしまいんすえ?」
避ける間もなく、彼女のすらりと美しい指先が僕の頬へ延び、小さくつまむ。
やきもちを妬いた女の子がするようにきゅっと抓ったその指は、行動の可愛らしさとは裏腹に、1センチほどの僕の頬肉をむしり取った。
「うっぐ……痛っ!」
体を引きはがすようにして、僕は無様に地面を転がり、彼女から逃げる。
傷を押さえてデスサイズを構えた僕が見上げると、ヴェルディアナは血まみれの僕の肉を舌先で愛おしそうに突き、小さく吐息を漏らしていた。
ヴェルディアナのこの空間を詰める能力は想像以上に厄介だ。
下手をしたらマリアステラみたいに、一撃でとどめを刺される可能性だってある。
……いや、彼女の能力がなんの制約も無く空間を移動できる能力であるのならば、僕らはもう何度も死んでいるだろう。
と言う事は、何らかの制約があるはずだ。
ただ単に彼女が「殺す気になっていない」だけと言う可能性が否定しきれないのが残念だけど、僕はその可能性に賭ける事にした。
もう、一瞬たりとも彼女から目を離さない。
そう心に決めて彼女を見つめると、ヴェルディアナは僕の頬肉を口中に含み、飴玉のように転がしながら微笑んだ。
「……そうそう。わっちから目を離さないでおくんなまし」
自分の頬を彼女に舐めまわされているような、ゾクリとするような感覚を覚えながら、僕は唾をのむ。
ゆっくりと立ち上がり、なるべく心のざわつきを表に出さないようにしながらほこりを払うと、僕はデスサイズを構えなおした。
「うん、ヴェルディアナ……安心して。僕はキミを救うために来たんだ。もう目を離したりしない」
「あい」
嬉しそうに。本当に嬉しそうに笑う彼女の向こうで、エドアルドの気合の声が聞こえる。
それに合わせてクリスティアーノの将軍たちが、眷属に向けて同時に攻撃を仕掛ける気配が、激しい意識の波となって押し寄せた。
向こうは大丈夫。
僕は僕に出来る仕事をしなくっちゃ。
「りんちゃん。マリア。出てきて」
向こうで起こる激しい戦闘、魔法障壁の中から無防備なここへと現れた僕の大事な家族。
いろいろなものに意識を引っ張られそうになりながら、僕は意識を集中してヴェルディアナを凝視し続ける。
りんちゃんはヴェルディアナと目を合わせないようにしながら僕の足にしがみつき、チコラは周囲に巡らせていた魔法障壁を消し去って、ふわふわと宙へ漂う。女神バージョンのマリアステラが姿を現すと、ヴェルディアナは少し眉をしかめたが、僕が彼女から視線を外していないのを確認すると、すぐいつも通りに目を細めた。
「ほんに……生きておりんしたのかえ」
「ええ、言ったでしょ? ヴェルディアナ。私もあなたと同じ『神』と言う名の呪われたチートを持つ転移者だって」
「神……まえにも言っておりんしたね」
マリアステラはヴェルディアナにも負けないような微笑みを浮かべ、僕の隣まで歩みを進める。
その表情は僕には見えなかったけど、彼女の決意だけは痛いくらいに伝わってきていた。
目の前にいるのは、自分を一度殺した相手だ。怖くない訳がない。
それでも女神マリアステラは、自分と同じ呪われた『神』と言う名のチートを持つ仲間、鬼神ヴェルディアナを救うために、ここにこうして立っているのだ。
「そう、私とあなたは同じなのよ。この世界がある限り死ぬことを許されないチート能力を持つの。そしてもう一つ。私も、あなたも、あっくんも、この小さな女の子、りんちゃんも……みんな自分がこの世界に転移させられた目的を知らないの。この世界に許されるための条件をね」
「ワイもやで」
「あはは、そうそうチコラもね。それでねヴェルディアナ。あっくんが、この世界に転移した目的を果たさなくても、元の世界に帰れる方法を見つけてくれたのよ」
ころり、ころころ。
口の中で僕の頬肉を転がしながら、ヴェルディアナは大人しくマリアステラの話を聞いている。
表情もいつも通り怖いほど落ち着いて、艶めかしささえ感じさせるほどだ。
でも、彼女をじっと見つめている僕は気付いた。
彼女のキツネの耳が神経質そうに周りの音を探ってぴくぴくと動いていて、もふもふの太い尻尾が心細げに脚の間に折りたたまれていることを。
「言ったでしょ? 私たちの事は、あっくんが助けてくれるって」
「ヴェルディアナ、僕たちはみんな同じなんだ。戦う必要なんかないんだよ。みんなで一緒に帰ろう」
ヴェルディアナは、可能性の中のりんちゃんであり、マリアステラなんだと、僕はこの時思った。
彼女は、僕やチコラと一緒ではなく1人でこの世界に転移したりんちゃんであり、沢山の素晴らしい仲間たちとの出会いと別れを経験できなかったマリアステラなのだ。
救いも無く、目的も分からず、ただ1人、この見知らぬ世界へ『神』と言う名の呪われた能力を与えられて捨てられた子供。
彼女の6百年の人生がどのようなものだったかは全く想像もつかなかったけど、僕はりんちゃんやマリアステラと同じようにヴェルディアナを救いたいと思い、救わなければならないのだと確信した。
「あっくんと一緒にでありんすか?」
伏し目がちに、僕の様子を窺うように口にしたその言葉は、拗ねた子供が交換条件を持ち出した時のようだった。
ぶっきらぼうにも、甘えているようにも聞こえる。
口の中で僕の肉をころりと転がし、彼女は耳をぴくぴくさせながら僕の言葉を待った。
「……うん、僕たちみんなでだよ、ヴェルディアナ」
ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ僕の言葉に途惑いがあった。
僕は、元の世界に帰りたいなんて思っていないから。
りんちゃんと一緒に暮らせない世界なんかまっぴらだと思っていたから。
でも、かと言って、りんちゃんをこの世界に留めたいと思っている訳でもない。
どの世界とか、どんな所とか、そんなものは僕にとって些細な問題でしかないのだ。
彼女が望むなら、日本へ帰る。彼女が望むなら、この世界に残る。
彼女がその選択をできるようにする。彼女が決めたいことを決めたいように決められるようにする。
その選択肢を作るためだけに、僕は戦い、あがいていた。
そんな後ろめたい気持ちがあったから、改めて一緒に帰るのかと聞かれた僕は、平静で居られなかったのかもしれない。
「嘘を……おつきなんし」
僕の言葉に含まれる途惑いを、動揺を――嘘を。
彼女は見逃さない。
ごくりと喉を鳴らして、ヴェルディアナは僕の肉を飲み込んだ。
向こうでは最終戦争並みの戦いが繰り広げられていると言うのに、ヴェルディアナのそんな些細な言葉と仕草で、僕たちの周りの空気が黒く凍る。
白と黒に染まった世界で、彼女の喉元から下腹部へと向かって、神々しく光り輝く何かがゆっくりと落ちていくのが見えた気がした。
「なに?! 何をしたの? ヴェルディアナ?!」
「あっくんあかん! いったん離れな!」
チコラに促され、僕はりんちゃんを抱き上げるために視線を落とした。
りんちゃんを抱えた僕の背中に、細い指が添えられる。
しまった。と思った時には遅かった。ヴェルディアナから視線を外してしまった。
彼女の白く細い指が、頬肉をえぐった時と同じように、僕の背中に突き立つ。
しかし、その指は、僕の体を貫き通すことは無く、その場で止まった。
「ヴェルちゃん、だいじょうぶだよ。ヴェルちゃんのことは、りんちゃんがちゃんと見てるよ!」
りんちゃんが手を伸ばし、ヴェルディアナの手首をそっと捕まえている。
にっこりと、あの大輪の花が咲くような笑顔を見せたりんちゃんの手を振り払い、ヴェルディアナはトンボを斬って距離を取った。
僕の腕から飛び降り、地面に立ったりんちゃんが両足を肩幅に開き、真っ直ぐ手を伸ばしてポーズをとるのが見える。
「プリヒール! グローイングハート!!」
そして、僕たちの世界は虹色の星の瞬きに包まれた。
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